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守世の嫁取り 2

 十日後、阿茶は形原松平家の江戸屋敷へ向かう駕籠の中にいた。京で仕立てた打掛を着、供には幸の他、奥に勤める警固の侍がつく。上臈女房としての行列だ。

 当初は尾関権右衛門の悪口あっこうに腹を立てていた阿茶だが、頭が冷えると、これは息子の守世と相手の志摩という娘の将来に関することで、親の見栄や誇りなぞ二の次であると反省した。まずは息子たちのこと。守世は娘に未練があるようだった。さて、娘の方の気持ちはどうか、と考えた。

 そこで、正攻法でいくことにした。

 徳川家の奥を統括する阿茶は、殿が付き合いのある大名家、重臣とご一門の正室への季節の贈答を担当している。公私混同だが、それを利用した。

 松平紀伊守さまのご内室に、「尾関という形原松平家の臣の娘を息子が見初め、人を立てて縁談を申し込んだのだが、父親の尾関どのに断られた」ことをふみに書き、「結婚は家と家のことでありますが、今一度、娘の気持ちを聞いておきたい」と母親としての気持ちを切々と書き述べた。

 すると、ご内室は同情されたのか、「屋敷の方にご足労願います。尾関の娘と母親に会っていただけるよう手配いたします。そのとき、夫が在宅かは定かではありません。ご容赦を」と返事がきた。

 女同士、場を設けようということだった。


 徳川家が関東に移封されて一年と数か月。初めての麦の収穫、米の収穫があり、城と城下の整備も進み、仮住まいだった家臣たちも自分たちの家屋敷を建て、知行地を賜った家臣たちは領地経営をしながら、江戸と往復している。関白秀吉が「家臣の妻子を城下に住まわせるように」と各大名へ命じたからだ。

 尾関志摩は形原松平家の奥で行儀見習いをしていたので江戸にいた。父親の尾関どのは主君に従って江戸に出て来ていたとき、鶴屋が接触した、とのことだった。


 駕籠のまま形原松平家の屋敷の門内へ入った。駕籠が玄関前に横づけにされ、阿茶が中から出る。上臈女房であるが、正式な訪問、使者ではないので、玄関わきの中の口(内玄関)に向かった。そこに侍女がいて、奥へ案内された。

 阿茶は幸だけを連れて屋内へ入り、廊下を進んだ。

 導かれた部屋では、ご内室とおぼしき女性、その後方に側仕えの老女が平伏していた。

「御前さま、顔を上げてくださいませ。ご一門のご内室にこのようなことをされては、わたくしの立つ瀬がございませぬ」

 阿茶は、ご内室の前に坐って、そう告げた。

「いいえ。ふみをいただいてから、尾関に問いただし、さらに鶴屋にも事情を聞き、『とんだことをしでかしたものよ』と冷や汗をかくばかりでございます」

「いえいえ。ご一門さまやその家にお仕えする方々にとって、新参者の神尾などまさに『馬の骨』でございますわ」

 言ってすぐに、『嫌味だったか』と覚って、阿茶は笑ってごまかした。

「ともあれ、どうか上座に坐ってくださいませ。わたくしの方が、身分が下でございますれば」

「いえ、客人であられる阿茶局さまが」

 と、譲り合い、埒が明かないので、上座の両脇に右と左に別れて坐った。幸は廊下で控えている。

「まずは、この場を設けていただいて、御礼申し上げます」

 阿茶が両手をそろえ、頭を下げた。

「とんでもございませぬ。我が家の臣が為した無礼をどうあがなおうかと、そればかりで」

阿茶は、重臣の石川家のご息女だったご内室に、これほど気をつかわれる理由が思い当たらない。

(殿に、このことを言いつけるつもりはないのだが。ああ、でも。殿が知ったら、悪い印象を持つだろうな)

 それだけだ。当主の松平家信さまは小牧・長久手の役で武功を挙げられ、そのようなこと気にすることないのに、と同時に思った。加えて三河侍には、あれと同じ口の悪いのが当たり前に何人かいる。殿も確か過去に、譜代の古手の連中にやられていたはずだ。

 つらつらと阿茶が考えているうち、ご内室が老女に、尾関母子を呼ぶよう命じた。

 すぐに四十過ぎの女と茶色の小袖を着た娘が部屋へ入ってき、下座へ坐って平伏する。

おもてを上げなさい」

 松平家の老女が言うと、二人が顔を上げた。

 志摩という娘は、伊助が言うように平凡な顔立ちだったが、黒目がちな瞳がきらきらとし、性格の誠実さと善良さが表情からにじみ出ているような印象を受けた。

「わたくしは若殿の近習をしている神尾守世の母、飯田須和と申します。城では奥勤めをしており、阿茶局と呼ばれております。突然の呼び出し、ご容赦くださいませ」

「いえ、どうか――夫の無礼をお許しくださいませ―っ」

 妻女が叫び、再び平伏する。

「そのようなことはなさいませぬように」

 と、妻女へ冷ややかに告げた阿茶は、娘に訊いた。

「そなた……志摩と申しましたね。尋ねたいことがあって来ました。そなたはわたくしの息子とふみを交わす間柄とか。そなたの父御ててごには断られてしまいましたが、本心を述べてください。守世を夫としても良いと思いますか?」

 娘は、目を大きく開いた。そして、こくりと息を飲んでから、答えた。

「父が何と言おうと、お慕い申しております。でも、結婚は家と家のこと……」

 と、目を伏せ、肩を落とした。

「ならば、尾関の家を捨てる覚悟はおありか? わたくしが良き養子先を見つけるから、嫁いでくるといい」

 はっ、と娘が顔を上げた。

「志摩っ、許さんぞ!」

 廊下の方から大声がし、どかどかと数人の足音もする。

「やらかしてンなあ。阿茶局」

 廊下からまず姿を現したのは、酒井忠利さまだった。

(どうしてこの場に、こやつが……)

 続いて現れたのは、この家の主の松平家信さま。その後ろに尾関権右衛門。土井甚三郎利勝どの、と申し訳なさそうに眉を下げた守世。

(漏らしたのは、うちの息子か。でも何故、酒井さまと土井さまがいる?)

 酒井忠利さまたちを通すために、阿茶とご内室は座を下座寄りに移動した。空いた上座の中央には忠利さまが当たり前のような顔をして坐り、その左にこの屋敷の主・家信さまが控える。下座には尾関どのが、廊下には土井さまと守世が控えて坐った。

 忠利さまが客人ということもあるが、殿は安祥松平家に従う親族、反発する親族と様々な松平一門をまとめると、家中の序列として譜代の酒井家・石川家・本多家・大久保家などの下に置いた。また、婚姻・養子縁組などで、譜代の家臣と松平諸家は密接につながっている。酒井家の忠利さまと形原松平家の家信さまが従兄弟同士であるように。

「酒井さま、久方ぶりでございます。なにゆえ、この場に?」

「甚三郎に聞いた」

 その答えを訊き、廊下へ目をやると、息子が、

「申し訳ありません、母上!」

 と、平伏した。

 その隣にいる土井利勝が言う。

「阿茶局さま。守世を責めないでくださいませ。局さまのご様子から、『自分のことで大事になりそうだ、どうしたらよいか』と相談を受け、尾関某の主君・松平紀伊守さまの縁者であられる酒井さまがちょうど領地の川越から江戸へ来ていたのを知って、ご相談を持ち掛けた結果でございます。どうか、責はわたくしに」

 息子より一つ年上なだけとは思えない落ち着いた態度で、土井甚三郎利勝はつらつらと述べた。

(元服前は、それなりに可愛かったのだけどなあ)

 土井甚三郎は七歳にして若君の傅役を承り、親元を離れて城中で暮らしていた。前夫の子どもたちと年頃が近い甚三郎をお愛の方さまは可愛がっておられ、阿茶も衣の綻びを見つけたら、有無を言わせず繕い、殿のご落胤と噂され、学問・武芸に秀でているのが当然、という周囲の人びとの中で、阿茶は盛大に褒めて褒めて褒めまくった。

 口数少なく、常に沈着冷静で理路整然としていた甚三郎が、そのとき耳から首筋までを真っ赤にして照れていたのを阿茶は覚えている。乳母や侍女、守り役が世話をしていたが、たまの宿下がりで両親に会えると、嬉しそうにしていた姿も。

(それがこんな鉄面皮……もとい、目的のためにはどんな手も使う冷徹な男になるとは)

 幼馴染の守世に泣きつかれ、同じく秀忠さまにお仕えする忠利さまが尾関どのの主君と従兄弟であるのを承知の上で仲裁を期待して担ぎ出したと思われる。

「……殿方が出て来ると、大事おおごとになってしまいますゆえ、女の内々で収めようとしたのですけれどねえ」

「すでに大事にしようとしてるじゃねえか。結婚を反対する親から娘を引っさらおうなんて、やりすぎだ」

「ですから、密かに穏便に済ませようといたしましたのに」

「甘いな、阿茶局どの。そなた、自分の立場をわかっとらんだろう」

「神尾の後家で、ただの奥勤めの女房でございますよ」

「それだけでにゃあ。殿から、若殿の養母という立場を拝命しちょるじゃろうが?」

「ああ……それですか」

「おみゃーさんが動くだけで大きな波紋が広がるんじゃ」

 従兄弟の家に来ているせいか、忠利さまの口調がやけに砕けている。

「殿から隠密のことを依頼される局なら、しようと思えば、この尾関某なぞ、この世から消し去ることもできように。なあ?」

「まーあ。ひどい。わたくしを何だとお思いですの?」

 ただ女同士、情報交換をしているだけだ。誤解されるような言い方はやめて欲しい。

「ひっ」

 しかしこの会話を聞いて、尾関どのとその妻女が小さく悲鳴を上げた。

「そうなのだ、権右衛門。そなたが『借金まみれ』で『男好き』と言った神尾守世どのの母御ははごは、徳川家の奥向きでたいそう力をお持ちの方なのだ」

 と、松平紀伊守さまが尾関どのに補足して告げた。

 阿茶は尾関権右衛門に向かって言う。

「使いに出した鶴屋に、どこの『馬の骨かわからん』者、母親が『借金まみれ』で、『男好き』と言って縁談を断ったそうですね。断るにしても、言い様があるでしょう。わたくしも当初は腹を立てましたが、親の面子よりも子の幸福を優先しようと考え直し、じかに志摩さまの気持ちを聞こうと、ご内室に助力を願ったのです。その結果いかんによっては、悪口を言う頑固爺の許から引き離し、理解ある親御を捜して、そちらの家と縁を結べばよかろうと思案いたしました。そして今、志摩どのの意向を確認いたしましたゆえ、もらい受けて参ります」

「そ、それは!」

「いや、待った!」

 尾関どのと松平紀伊守さまの声が同時に上がった。

「お待ち願いたい」

 阿茶に顔を向けた紀伊守を見て、『商人の顔をしておるな』と思った。この当主、取引をするつもりだ。

「当家の家臣の無礼。主として謝罪いたします。どうか、お許しを。そして、この松平家信の顔を立てて、尾関家から嫁に出してやってはくれまいか」

「紀伊守さま、どうか顔を上げてくださいまし」

(主が恩を売ろうとするだろうから、男どもを話に入れなかったのに)

 心中、舌打ちしたが、こうなっては仕方がない。

 表情は、にこやかに阿茶は答えた。

「殿のご一門であり、忠利さまのお従兄弟さまでもある紀伊守さまにそこまで言われたなら、致し方ありませぬ」

「ならば、わしが腹を切って、すべて終わりということで……」

「それは、無用!」

 尾関どのの言葉に、阿茶は激しい声で応じた。

「気軽に腹を切るなどと申されますな。そんな皴腹ひとつ切って、すべて収まると思われるとは、笑止千万。『口は禍のもと』という諺が何故あるのか、ようお考えあれ。武士は、戦場いくさばで散ってこそ、花。同じ死ぬのなら、主君の御前で死になされ」

 ぐっと睨みつけると、尾関どのはがくりと両手を床について、うなだれた。そして頭を動かし、娘の方を見る。

「志摩よ、こんなおっそろしい女が姑になるのだぞ。ええのか?」

「はい、父上。わたくしは、恐ろしいとは思いませぬ。神尾さまの母上なのですから」

「ありがとう、志摩どの」

 にこり、とした阿茶が息子に尋ねる。

「守世、そなたも良いのか? こんな悪口雑言を吐く頑固爺が舅となることを」

「はい、母上。志摩どのの父上なれば、きっと分かり合えると思います」

 その答えを聞き、上座の忠利どのが手を叩いて笑う。

「これで、丸く収まった。又七、良い伝手を得たな」

「まったくだ。阿茶局さま、これからもよろしう。尾関の娘と守世どのの婚姻は主君として許可いたします」

「では、殿が肥前よりお戻りになりしだい、願いの筋、申し上げることにいたします」

 守世は直臣なので、結婚には殿の許可がいるのだ。

「せっかく来たのだ。碁でも一局どうだ」

「いいな」

 紀伊守さまと忠利さまが話している。

「奥、酒肴の用意もせよ。そなたら、座を設けよ」

 紀伊守さまが妻や家臣たちにあれこれ指図していると、忠利さまが阿茶に話しかけてきた。

「息子を叱ってやるなよ。母親を心配したんだからよ。落ち着いているかと思うと、突拍子もないことをしでかすのが、阿茶局だ。いい息子じゃねえか。おれンとこの息子なんぞ、薄ぼんやりしてっから、将来が心配で……」

「五歳になるご嫡男の与七郎さまですか?」

「おう。よう知っとるな」

 仕事柄、家臣たちの婚姻関係や子どものことは、すべて頭に入っている。

「子どもは成長するにつれて変わるものですよ。周囲が大人ばかりではありませんか? 昔みたいに子連れで奥勤めする者も今はいなくて城に子どもは少のうなりましたが、弥一郎や五郎三郎もおります。一度、連れておいでになっては? 子ども同士、遊ばせてみるのも一策と存じます」

「そうだな。考えておく」

 忠利さまは松平家の家臣にいざなわれて、別の部屋へ移動していく。残された阿茶は、紀伊守と内室、尾関一家へ別れの挨拶をし、殿が戻るまで御奥で志摩どのを行儀見習いさせる約束を取り付け、侍女の先導で中の口へ行き、邸内を出て駕籠に乗ろうとした。そのとき、正玄関から出てきた息子と土井さまの会話が聞こえた。

 礼を言う守世に、「私がしたいと思ったから、為したまで。多分、私は殿の決めた者を妻に迎えると思うので、好きおうた相手と結婚できる五兵衛が、少し羨ましくもある」と、土井さまの言葉が漏れ聞こえてきた。

(秀忠さまの重臣となるべく付けられた御子だから、ままならぬことも多いだろうな)

 と、同情した。

 城へ戻ると、着替える間もなく、秀忠さまに呼ばれた。

 人払いされた部屋で、若君が阿茶へ言う。

「守世は、想うを娶れそうだな」

 土井さまから報告を受けたようだ。

「はい、お蔭をもちまして」

 阿茶は一礼した。

「阿茶局――養母上ははうえ

 呼ばれて、はっと阿茶は顔を上げた。

「私と福松のことをこまごまとしてくれ、常に心配りをしてくれて感謝している。私は若すぎて頼りにならないだろうが、守世のことは乳兄弟同然に思っているし、何かあったら相談してほしい」

「は、はい。心得まして……」

「それから、お孝に〝好ましく想っている〟と伝えてくれ」

 耳まで真っ赤になった秀忠さまは、そう告げると、そそくさと立って部屋を出て行った。

「まあ、初々しい」

 阿茶の頬まで緩んでしまった。

 このことをすぐに大姥局さまへ報せ、準備が整えられて、若君の床入りが為されたのだった。









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