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初めて江戸で過ごす日々

 城と城下の普請のため、土埃で視界が白くなる毎日。西郡の方さま、伝通院さまの一行も到着し、古い侍屋敷で大勢の侍女たちとぎゅうぎゅう詰めでの暮らし。

 それでも誰も、幼い姫さまたちさえ文句を言わなかった。

 督姫さまは高野山に追放された夫の北条氏直さまが殿の取りなしで秀吉に許されると聞き、

「時勢によって離縁されても、子を二人まで成した仲。わたくしの夫は氏直さま一人でございます。添い遂げたく存じます」

 と、殿の許可をもぎ取って二人の姫と数人の供と一緒に高野山へ旅立たれた。

(殿の御娘は、亀姫さまといい、お強い)

 お幸せになってほしい、と願いつつ、阿茶はお見送りした。


 お都摩の方さまは、ご子息の万千代さまが八歳で名も武田信吉と改め、下総の小金城に三万石を与えられて穴山衆と共に移ったので、それについて行かれた。義母となる見性院さまも一緒である。

 出発のとき、姉妹のように仲の良かったお竹の方さまと涙ながらのお別れをされていた。

 これで城に残っている殿の御子は、秀忠さまは世継ぎなので当然だが、幼い子は福松丸君と振姫さまだけとなった。

 東条松平家の当主となられる福松丸君は十一歳。東条松平家は武蔵国の忍を与えられたのだけれど、当主の福松丸君が元服前ということで、松平家忠さまが領地を預かることになった。

 殿は福松丸君をまだお手元に置いておきたいようだ。

 八歳になった振姫さまは、春栄尼さまを手習い師範として物学びを始めておられる。おとなしい御子さまだ。



 阿茶の息子、秀忠さま付きの御家人の神尾五兵衛守世は城下の仮普請のお長屋に守繁たちと共に住んでおり、弟・久左衛門が仕える成瀬正成さまは下総国の栗原に知行地を頂いているけれど、まだ住む環境が整っていないので、弟一家は城下で陣屋を仮住まいとしている。

 阿茶はこれを好機として、宿下がりして息子一家と弟一家に親しもうと思った。これまで出来なかったことだ。

「水が変わったので、腹など下しておりませんか」

 引っ越しが落ち着いたころ、先触れを出して息子たちが住むお長屋を阿茶は幸を連れ、荷物持ちの小者を従えて訪ねた。

「母上、みな恙なく過ごしております」

 十七歳になった息子の守世が一家の主らしく答える。

 通された一室には、伊助と萩野、与一と小夜、廊下に加兵衛と梅が控えていた。伊助夫婦には女児が生まれ、与一夫婦には幸の下に男の子が二人いて、今小夜は腹に子を宿している。

 見慣れた顔触れの他に、現在の神尾家では松木家から移って来た甲州生まれの使用人たちが十数人いた。

「守世と伊助と与一には新しい直垂を縫ってきました。あとはみなに小袖をね。子どもたちの分もありますよ。幸、のちほど配っておくれ。ああ、使用人たちには木綿の布地を持ってきました。それもね」

「かしこまりました」

 脇に控えていた幸が頭を下げた。

「まああ。幸、すっかり御殿女中だね」

 久しぶりに見た娘の変貌に驚き、小夜がつぶやいた。

「母上、こんなに縫い物をして、ご奉公に触りはありませんか」

「小田原の御陣では、留守番でしたので暇に飽かせて縫い物をしておりましたよ」

 息子の生真面目な問いに、阿茶は笑って答えた。

「そなたの方はどうでしたか」

「はい。若殿のお側で殿や他の部将、そして関白の采配を見聞きし、驚きつつも大変勉強になりました」

 戦に参加しなかったとはいえ、逃げ回る領民の立場から戦う側に立ったことで得たことは大きかったようだ。

 しばらく小田原の戦のことを話した後、守世は改まって切り出した。

「母上、この機に会っていただきたい者たちがおります」

 言われて誰なのか予測がついた。伊助から報告を受けている。

 守繁の生母と伯父が来てから、二人が博打や贅沢で作った借金を守繁は背負っていた。「このままではご奉公もかなわず、じきに一家を放逐する」と守世が言うほどに。そこで妻を娶ったところ、妻のお孝は阿茶の忠告に従って義母とその兄の暮らしを改めさせ、新しい借金を作ることなく、少しずつ返していっていると言うことだ。

 阿茶がうなずくと、守繁と妻のお孝、その後ろから生母と伯父が部屋へ入ってき、前に坐った。

「阿茶局さまには、お目通りをお許しいただき、ありがたく存じます」

 いつものように「義母上」とは呼ばず、殊勝な態度だ。守繁は阿茶を利用して徳川家の奉公人となり、さらに上を目指そうとしていたが、徳川では縁故だけでは、それも義理の関係ではたいして利にならなかった。また、子に罪はないとはいえ、阿茶と五兵衛守世は守繁の母のしたことを許してはいない。さらに阿茶は徳川家世継ぎの養母となったので、これ以上、機嫌を損じるのはまずいと思ったのだろう。

 それは察することができた。

「この機に、母と伯父が局さまに謝罪したいと申しております」

「聞きましょう」

 上座で阿茶がうなずくと、痩せた女と老人が顔を上げた。

「かつて、オカタさまに吐いた暴言、どうかお許しください」

「お許しを」

 女に続いて老人が言い、這いつくばった。

(こんな女だったかな)

 もっとふっくらして高飛車だった。その兄の物頭も髭をはやして威張っていた。

 二人とも別人と言っていいほど、面変わりしていた。

(あれから十五年ほども経つか……)

 もし夫が死ななければ、自分は離縁され、息子を連れて本家のおじの許へ戻り、今頃どこぞへ後妻にいっていて、五兵衛も本家で作男として使われる生涯になったことだろう。夫が死んでいても、信玄公が生きていれば、私たちは追い出され、守繁は成長したあかつきには、一条信龍さまの家臣となって、私たちはただの領民として暮らしていた。

 それが今では……。

(人の運命など、分からぬものよ)

 もう恨みも憎しみもない。日々生きていくことに忙しく、そんな感情は忘れてしまった……。

「謝罪を受けとりました。そなたたちは下がりなさい」

 阿茶が告げると、二人は部屋を出て行った。

「守繁、お孝。そなたたちにも新しい直垂と小袖を縫ってあります。これからも守世をよろしく」

 阿茶が声を明るくして言うと、二人は頭を下げた。


 神尾家の守繁母子の問題は、喉に小骨がささったような感じで、ずっと気にかかっていたが、これで解決した。

 気持ちが軽くなった阿茶は、別の日に弟の陣屋へ幸を伴って訪ねた。

「久左衛門、みな変わりはありませんか」

 ふみや物を贈っていても、弟と会うのは婚礼以来、六年ぶりだ。先触れを出してあったので、一家そろって出迎えてくれた。

 結婚してから弟のところには毎年のように子が生まれ、女男男女女と二男三女の子持ちになっている。そして今、あとひと月かふた月ほどしたら六人目が生まれる予定だ。

「つつがなく。姉さまもお変わりないようで」

「おばさま、はじめまして」

 五歳の女の子を先頭に、幼子たちが頭を下げた。

「いい子たちね。玩具を持ってきたから、遊んでいなさい。幸、一朗太の子にも渡して」

 一朗太のところには、二男一女が生まれている。

「オカタさま、もったいないことで」

 部屋の隅に控えていた一朗太と妻のお鶴が頭を下げた。

「何を言っているの。一朗太は私の弟も同然。今は久左衛門の一の家臣。しっかりしてもらわねば。久左衛門、新しい直垂と冠を持ってきました。お芳には小袖、子どもたちにも晴れ着があるわ。幸、配って。一朗太にも直垂、お鶴にも小袖があります。何かのときに着てちょうだい。甲府のときと違って、これからお城勤めでは、総登城など儀式もあろうから。米と布も持ってきました。じきに成瀬さまの知行地に行くのでしょう? しばらく何かと物入りだろうからと思って。ああ、使用人たちにも木綿の布を持ってきました。あとで配ってください」

 馬乗り身分となった弟にも、甲斐出身の家臣がついた。家計のやりくりが大変だろうと思う。

「姉さま……何から何まで、心配をかけて……」

 久左衛門が申し訳なさそうに眉を下げた。

「たった一人の弟のためですもの。遠慮しないで。甥っこと姪っこの嫁取りの費用と持参金も出させてね。それより先に、女の子は少し大きくなったら、私の許へ寄越しなさい。奥で行儀作法を教えます。その代わり、嫁入り先は探すのですよ?」

「そりゃあ、気の早い」

 久左衛門が笑った。

「あら。子どもなどすぐに大きくなるものです。男の子は武芸だけでなく、学問もさせなさい。書物が必要なら、言ってくれれば私の方から送ります。これは久左衛門の子だけでなく、一朗太の子もですよ?」

「わしンとこも?」

 話を振られて一朗太が驚き、地が出る。

「当然。主の久左衛門、ひいては成瀬さまの家臣として、他人に侮らせることはなりません。そのためにも学問と行儀作法の学びは必要です」

「姉さま……」

 弟が溜め息をつく。

「実際、そうしてくださると助かる。子はかわいいが、ご奉公にも何かと物入りで、これ以上は育てられん。実はお芳の腹の子をお返ししようかと、夫婦で話していたところじゃ」

「だめですよ。せっかく授かった子を。それなら、私に育てさせてちょうだい」

「姉さま、ええのか。ご奉公は。大殿さまの御家のことをまかされておいでなのじゃろう?」

「大丈夫、まかせなさい。今、預かっている子はいないから」

 そうときまったら、阿茶はさっそく動き出した。息子のところに使いを出し、久左衛門の妻と子らを出産まで預かってくれるよう頼んだ。

 守世は快諾し、八月の下旬に久左衛門が成瀬家の知行地へ赴く前にその妻子を引き取ってくれた。


 城の二の丸が古屋を修復する形で出来上がり、侍屋敷にいた女たちが引っ越し、家臣たちも仮住まいながら落ち着ついて、関東での暮らしに慣れ始めた十月の中旬、阿茶は息子からのふみを受け取った。神尾家に松木五兵衛が訪れ、阿茶に面会を願っているという。

 都合をつけ、さっそく阿茶は宿下がりをした。

「忠成どの、直接来ないとは珍しい」

 通された部屋の上座に坐り、前で平伏している義弟へ阿茶は言った。二人の間に、守世が坐っている。

「母上、駿府城にいたときと違います。城の奥はまだ整備されておらず、誰に取り次いでよいか分からなかったので、叔父上はうちにいらしたのです」

「そうでしたの。次から奥へ通すよう、役人に言い置いておきましょう。頭を上げて。他人行儀な」

「いやあ、徳川さまの御奥で世継ぎの養母さまにまでならしたあねさまに、どんな顔をして会えばいいかと思案しまして」

 松木五兵衛忠成が頭を上げ、にこりとした。

「何を水臭いことを。身内ではありませんか」

「そう思うとらっせるのは、姉さまだけです。他人から見りゃあ、上臈さまと商人では、えらい身分違いで。昔は気楽に会えても、今は人の目もあって、手続きやら作法やらがありましてな」

「面倒なことですね。私自身は変わっていないのに」

「徳川の御家が変わったのですよ。三河の小豪族から、今では東の抑えとしての関東の大大名なのですから」

 横にいる守世が言う。

(おや、秀忠さまへのご奉公一筋で他に目をやる暇もないと思っていたら、意外と見ているのですね)

 当初は徳川氏を潰すつもりだった秀吉が、妹を妻に寄越す懐柔策を取った頃より、徳川を織田さまがそうしたように東方の抑えにしようと意図しているのを、殿とその側近が覚っていることを、息子もまた感じていたとは。阿茶にとって嬉しい驚きだった。

「その、徳川さまの関東移封によって、今うちはえらいことになっておりまして」

 松木五兵衛が、ほとほと困ったという表情で言った。

「甲斐に入ったのは、加藤光泰さまでしたか」

「はい。小田原合戦の際は駿府に入り、山中城を落とす諸将の一人となっていたンで、その功を認められ、甲斐一国を与えられたとのこと。領国経営に熱心な方なのですが、甲州金の金座役人四家を解任してしまいまして」

「確か、松木家もその一人だったはず……」

「そうなんで。仕事を取り上げられ、職人気質の親父さまは、それはもう、がっくりしております」

「まあ、お気の毒。でも、私には何ともできないことですよ」

「それはもう、重々承知しとります。上の決めたことでこれは仕方のないことで。わしは松木の商売の方をやっとります。こっちも徳川さまの御用を勤めていたということで、甲斐にはおれんようになりまして。しかし駿河国の領主にならした中村一氏さまは駿府の商人たちにうるさいことを言われんようで、今後は駿府の叔父、というか従兄弟どのと協同して商売をしようということになりまして、江戸に松木家の宿を作りたいと存じます」

「その口添えを?」

「はい、ぜひにお願いしたいと」

「江戸のご城下に今は何もありませんから、商人にきてもらうのは願ってもないことです。そうですね、どなたかに聞いてみましょう。忠成どのは、そのことが分かるまでどこに滞在されますか?」

「叔父上、狭くて申し訳ありませんが、我が家に泊まっていただけませんか。今までそれほど親しく話したことがありません。ぜひ、親戚のことや商売をして珍しい出来事に出会ったことなど、知りたく存じます」

 と、松木五兵衛が返事をする前に、息子の守世がねだった。

「それは……」

 躊躇した松木五兵衛だが、最後には折れた。

 その後、城へ戻った阿茶は本多正信さまに使いを出して松木五兵衛の願いを伝えると、本多さまから町奉行の板倉勝重さまを紹介され、町人街に宿を作っても良いとの許可を得て、それを松木五兵衛へ伝えたのだった。



 殿が八月の一日に江戸城へ入り、十五日には部将を関東諸国に分封、江戸町奉行に板倉勝重さまを任じ、関東における徳川の領国経営が始まった。また、北条の元家臣たちを召し出すことも決まった。名のある者たち数名が直臣となり、俸禄の増えた徳川家臣たちが必要にかられて各々召し抱え、彼らは徳川家の陪臣となった。地元に残りたい者たちは名主となり、村の長として徳川の治国を支えた。

 北条の旧臣を召し上げると同時に殿は、北条家臣の名家の娘も求めた。

「信玄公も、そうして甲斐・信濃をまとめたのだからのう」

「そうでございますね」

 自らの好色を白々しく言い訳する殿に、阿茶は『あほらしい』と思いながら相槌を打った。

 このような理由で天正十八年の冬、奥へ召し上げられたのが、お梶とお久だ。

 お梶は十三歳。里見氏の配下だった太田康資の娘。太田道灌の末裔で北条氏の江戸城代・遠山氏の養女となった者だ。

 お久は二十歳ほど。小田原合戦における山中城の戦で奮戦し、戦死した北条家代々の臣・間宮康俊の娘であった。

 お久はともかく、お梶は幼な過ぎると、阿茶は思い、殿も同じ考えだったようだ。四十九歳の殿とお梶では三十六歳も年の差がある。祖父と孫ほどの開きだ。

 そのため殿は、お梶を近習の松平正綱に下げ渡した。正綱はお梶の一つ上で、殿の母方の祖母で育ての親の華陽院さまの養家・大河内氏出身の若者である。

 殿としては、若く才能のある正綱となら、お梶も幸せになるだろうという親切心のつもりだった。

 殿はお梶を手放し、お久を閨の相手とした。於茶阿局とは、まだ関係を続けていたが。

(以前は、一人を相手としている間は、他の者に手を出さなかったのに)

 五十を前にして、殿もお変わりになったか、と阿茶は感じた。

 お愛の方さまが亡くなって以後は、つまり若君の養母になってから阿茶が閨に呼ばれることはない。

 自分より年上の於茶阿局が閨に侍っていると、胸がちりりと焼けることがある。しかし、ずっと若いお久が召されても、どうとは思わない。

(もはや殿との間には男女の情はなくなったか)

 そう思わざるを得ない。けれども、何がしかの情は互いにあると思う瞬間もあった。


 そうしているうちに、弟の妻のお芳が神尾の家で女児を産んだ。

 阿茶はさっそく見に行き、「結衣ゆい」と名づけた。

「母子の絆が切れるわけでなし、この子と私は伯母と姪でもあるので、いつでも顔を見にいらっしゃい」

 と、子を手放すとき複雑な表情をした義妹に、阿茶は言った。そして赤子を受け取ると、城へ戻った。

母のお芳は産養うぶやしないをしたのち、子どもたちを連れて久左衛門の寄越した迎えの者たちに連れられ、成瀬さまの領地へと旅立っていった。

 姪を養女に迎えることは届を出し、許可を得ていた。阿茶が御奥で与えられたつぼねは駿府城のときより広く、部屋数が二倍になり、厠とお風呂がついていた。これはとてもありがたい。〝妻〟の仕事――奥向きの勘定、つまり金銀の出入り、衣服の調製、道具の管理、奥にいる若君・姫君の諸々のこと、人質の管理、侍女たちの人事。それに加えて、朝廷・公家・関係のある諸家との交際・贈答・文通など――ここで執務をし、人と会い、侍女たちを動かす。と同時に、子育てもするのだ。

 あらかじめ雇っていた乳母が赤子に乳を飲ませ、阿茶が抱いて部屋を歩き回っていると、先触れがあり、間を置かずに殿がやってきた。

「これは……」

 赤子を抱えたまま床に坐ろうとした阿茶を、殿が止めた。

「そのままでよい。この子か、養女としたのは」

 殿が近寄って来て、阿茶の腕の中にいる嬰児を覗き込む。

 赤子は機嫌よく笑い、殿が差し出した人差し指をきゅっと握った。

「かわいいものじゃのう」

「そうでございましょう?」

 流れてしまったあの子が生きていたら、こんな会話を殿と交わしていただろう、と阿茶は頭の片隅で思った。が、殿の表情から、向こうは違うことを考えているのだと、とっさに感じた。

「……あげませんよ? 神尾の子にいたしますゆえ」

 どうせ二人の養女にして、育ったら徳川の娘として政略の駒に使うつもりだ。

「それは残念。別嬪になると思うたのにのう」

 殿が笑って、指をひいた。そして本当に赤子の顔を見に来ただけのようで、「また来る」と告げて去って行った。

 赤子のいる暮らしとは、こんなに心躍るものか、と阿茶は思う。お結衣は少しぐずるものの、夜泣きもせず、よく乳を飲んで眠る子だった。

(五兵衛を産んで育てたときは、生きるのに必死だったから、こんな幸せを感じる暇もなかった……)

 あのころのことを思えば、今は余裕があるのだろう。

 とはいえ、子育ての幸せに浸っていられるのも、つかの間だった。

 一か月ほど経て、松平正綱が殿に申し出たのだ。

「お梶どのは殿を恋しがって泣いてばかりおり、指一本触れさせてくれません」と。

 それを聞いて、殿はお梶を手元に戻した。そして閨に召すと言う。

「わしをあれほど慕うとは、昔のそなたのようじゃな」

 と、まんざらでもない様子。

(まさか。同じなどと)

 呆れたがその前に、阿茶はお梶を部屋に呼んで訊いてみた。

「お梶さまは、どうしてそんなに殿を慕っておいでなのですか? 父君より年上ではありませんか。どこが良いのでしょう」

「年齢など関係ありません。殿は海道一の弓取りと呼ばれ、多くの戦を勝ち抜いた勇者です。若く頼りないだけの男よりも、ずっと極上の男です。殿を見てから他の男など、塵芥のようなものですわ」

 かわいらしい顔をして口からは実に激しい言葉が出る。

(そうかなあ。人の好みはそれぞれだけど)

「その気持ちがいっときのものではないと、言い切れますか?」

「はいっ」

 若いって、いいわね。と年寄りじみた感想を持ってしまった。でも、と思い直す。

(このなら、いいかも)

 私もお愛の方さまが亡くなった御年より一つ年とってしまった。はや、三十六。御方おかたさまのように、いつ何時、何があるか分からぬ。殿の御歳ではもはや正室をお迎えにはなられぬであろう。ならば、私に何かあったとき、この〝妻〟の仕事は誰がするのか。西郡の方さまは五十近くになられ、荷が重い。於茶阿局は才あるが、視野が狭くて今一つ任せきれない。あとの者は殿を理解していないし、政略で召し上げられたので、殿に対する情が薄い。一方、お梶は殿を慕っており、この方のためなら何でもしようという想いがあるし、若いのでまだ学ぶ余地がある。

(私の後継は、このにしよう)

 殿はこれまで十六歳以下の若い娘を閨に呼んだことがない。おそらく、『源氏物語』の光源氏が紫の上を理想の女性に育てたように、お梶を紫の上とするおつもりなのだろうが。

「そうですか。分かりました。殿は、お梶さまにとって、極上の殿方なのですね。では、貴女もその隣にいようとするならば、極上の女にならなければ。そのためには、わたくしが殿のお好みに合うよう、文武共にお教えいたしましょう」

 にこり、とすると、お梶さまがうなずき、頭を下げた。

「はいっ。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ」

(男に振り回される手弱女たおやめの紫の上ではなく、武家の立派な〝妻〟に育てて差し上げましょう)

「……よろしく」

 阿茶は、ますます笑みを深くした。



*****



 ちなみに。

家康がお梶を娶わせようとした松平正綱は大河内秀綱の次男に生まれたが十二歳のとき、家康の命で長沢松平家分家の松平正次の養子となり、近習として仕えたのちに慶長十四年(一六〇九)頃から勘定頭となる。家康の死後は遺産の管理も担当し、次代の秀忠にも勘定頭として仕え、相模国玉縄二万二千百石を与えられた。

 この正綱は兄・大河内久綱の子の三十郎を養子とした。のちの松平信綱である。三十郎信綱は秀忠に嫡男が生まれると小姓に任じられ、秀忠の死後はその徳川三代将軍・家光に仕え、酒井忠利の子の忠勝と共に重用され、島原の乱、由井正雪事件、明暦の大火に善処し、その才知と伊豆守であったことから『知恵伊豆』と呼ばれた。








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