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若君の元服と結婚 2

 天正十八年(一五九〇)一月十三日、徳川家の一行は京に着いた。関白さまから遣わされた出迎えは長束正家なつかまさいえさまである。もとは丹羽長秀さまに仕え、算術の能力を買われて豊臣家の直参となった。正室が本多平八郎忠勝さまの妹・栄子姫であることから、派遣されたのだろう。


 京の都の話は娘時分にさんざん淡路局さまから聞いていた。けれども、実際は想像以上に人が多く、繁栄している。甲府に比べると、浜松や駿府はずいぶん賑わっていると思っていたけれど、京に比べるとやはり田舎だったと阿茶は痛感した。



 関白秀吉の邸宅、聚楽第じゅらくていは平安京の大内裏跡の内野うちのにある。中心に平城、それも金箔瓦を載せた本丸を中心に西の丸、南二の丸の曲輪があり、堀で囲まれ、さらに堀に沿って石の築地塀があった。その外郭は高塀を巡らし、外郭内には秀吉の親族や配下で特に信頼されている大名の屋敷が並んでいた。

 徳川氏の屋敷は外郭の外側にあり、他の大名たちと同様、金箔瓦で葺いてある。


(話に聞いた昔の大内裏と当世風の城を組み合わせたような感じじゃな)

 阿茶は思った。

(殿はこのような贅沢、本心ではお嫌いであろう)

 それでも派手好きの関白の臣下となったからには、その好みに合わせねばならない。

 殿はかつて、御虎子おまるに蒔絵を施したものを献上されたことがある。それを見て、「このような汚らわしい器に奇巧を尽くしていたら、普段使いの調度はどれほどの細工をすることになるのだ」と、大変なお怒りようで、それを打ち砕き、捨てさせた。

 また、関白と和睦の後、関白秀吉から紅梅に鶴の丸を縫った羽織を贈られた。寒風が吹く朝に、近臣がそれを差し出したところ、殿は顔をしかめ、「時世に従う習いであるので、上方にいるときはそれを着用するが、本国にいるときにこのような華麗な物を用いては、我が家法を乱れさせるものである」と言って、羽織を投げ棄てさせた。

 さらに、今川氏の許で家臣と共に貧しさに耐えた昔を忘れず、年貢の米以外の金銀銅の貨幣が収入として入った場合、役の者に穴あき銅貨には銭差しを通させて城の金蔵に積み上げさせ、金貨と銀貨は一区切りごとに紙で包み、その表へ自身で包んだ年月日を書き入れた。それが三河の小豪族であったときから続けられている。

(そういうお人であるから)

 とはいっても、親として田舎育ちの息子が心配だったのか、織田右府さまの許にいたとき同僚であった長岡(細川)忠興さまに行儀作法を依頼されている。

 今は隠居して幽斎と名乗っている父御は足利将軍家に仕え、十五代将軍・義昭さまと織田右府さまが仲違いすると織田家に臣従し、信長さまの命で明智光秀の娘・玉子ガラシャを娶った。本能寺の変のとき、明智光秀の誘いを断り、羽柴秀吉の味方をし、臣従して小牧・長久手の役にも参陣している。父御と同じく和歌・能楽・絵画に通じた教養人として知られていた。

(これを機に、季節の贈答で誼を通じておかねばなるまいな)

 徳川家としては当然、答礼の贈り物を為すだろうが、阿茶のするのは女同士、ご正室さまへの贈り物、その側近女房に出す消息等々での繋がりである。

 ともあれ、関白との謁見は十五日の予定なので、その間、長丸君は大急ぎで作法の勉強をせねばならない。

 一方、阿茶たち侍女も、身支度を整えるため茶屋家の者から京に着いたら衣装を受け取ることになっていた。

 付き添いの侍女とはいえ、田舎者と馬鹿にされるのは徳川家の対面上、よろしくない。しかし、華美な衣装は殿が嫌うところであるので、奥向きの予算を使わず、自腹で華美でなく地味でない新品の打掛と小袖を自分たちの侍女たちの分と合わせて購入しようと、阿茶は大姥局さまと笹尾局、三人で申し合わせていた。

 そのとき、義妹の加代と会うことを申し出、許可が下りていた。加代の兄の松木五兵衛が連れて来て、会見では本多正信と繋がりがある侍女が同席するのが条件だ。

 和睦したとはいえ、秀吉はいつまた徳川を攻め滅ぼそうとするかもしれない。その家臣の妻と会うのだ。余計な疑いを持たれたくなかったので、阿茶にとっては望むところであった。



 若君の一行が徳川屋敷に到着すると、留守居の者たちが総出で出迎えた。阿茶たち侍女には、八束局とその配下の侍女たちが迎えに出て来た。

 女たちは殿方とは別の出入り口から邸内に入る。

「遠路、お疲れでございましょう」

 八束局がねぎらう。

「出迎え、ありがたく存じます。八束局さまも御変わりないようで。御前さまは、いかがお過ごしでございますか?」

「そのことですが」

 眉を寄せた八束局が中へいざなう。

「ともあれ、旅装を解かれて。その後、上臈の方々にお話がございます」

 のちほど、ということで、阿茶たちは京屋敷の侍女らからそれぞれの部屋へ通され、身支度を整えてから、八束局の侍女が導くまま、一つの部屋へ集まった。阿茶と大姥局さま、笹尾局の三人である。人払いがされている。

「まずは、これからお話することは、時が来るまで他言無用に願います」

 不穏な前置きで話が始まった。

「秋頃から、御前さまは体調を崩されることが多くなり、正月になってからは寝込んでしまわれました。それを知った大政所さまが御娘おんむすめを心配され、ご自身の居られる本丸御殿に引き取られました。今、御前さまは危篤状態になられておられます」

「……なんということ」

 大姥局さまが驚き、嘆息する。

「このこと、殿には?」

「お留守居さまが早馬にて、お報せしたはず。若さまとは、入れ違いになりました」

 阿茶の問いに、八束局が答えた。

「お見舞い、もしくはお目通りは?」

「元服と仮祝言の慶事が終わるまで、許されておりません」

「若君と井伊さま、守り役の方々には?」

「今頃、お留守居さまがお話しておりましょう」

「では……わたくしたちには何もできませんね。ただ為すべきことをするのみです」

 阿茶の言葉に、一同がうなずいた。

 その後、京屋敷の侍女の先導で阿茶たち三人は若君が休息されている部屋へうかがった。

「乳母や。阿茶と笹尾も」

 脇に井伊直政さまと守り役たちを控えさせた十二歳の長丸君が笑む。

「お疲れは、少しはとれましたか。お風邪など召しておられませんか」

「大事ない。乳母やこそ初めての長旅だろう。身体の具合はどうだ」

「わたくしは昔から丈夫だけが取り柄でございますれば」

 若君と大姥局さまが軽口を叩いてなごんでいる。

(この調子なら、心配ないか)

 ついこの間まで敵であった関白秀吉の許へ人質として出され、気鬱になっていないかと案じていたが、余計なことだったようだ。

 殿はこのまま北条との戦の間、長丸君が京に留め置かれ、人質になると考えている。だから、お供の者たちも京に留まるのだが、井伊さまと阿茶、その側仕えは、元服と婚儀を見届けてから駿府に戻ることになっていた。

「若君、それがしは阿茶局さまといささか話がありますゆえ、席を外します。ご容赦を」

「よい、許す」

 許可を得て、井伊さまのあとにつき、阿茶はその場を辞した。

 別室に通されたあと、井伊さまは側近を一人残して人払いをした。


 この井伊直政という人は、阿茶より六歳年下の永禄四年(一五六一)の生まれ。遠江国井伊谷の国衆、井伊家の嫡男として生まれるが、父は今川氏真に謀反の疑いをかけられて殺され、自身も命を狙われたため、母と家臣が鳳来寺へ逃した。その寺は源氏の祈願所であり、家康の父母が男児生誕を願って参籠したところでもある。やがて天正三年(一五七五)に家康に見いだされて小姓となり、才を愛されて寵童となる。武田氏との戦では武功を挙げ、天正十年(一五八二)、二十二歳で元服し、直政と名乗った。容姿が美しく、優しい人柄であるが、外様ながら家康に寵愛されるので、三河の譜代衆からは嫉妬や反発があり、そのためますます奉公に励むため、自分にも家臣にも厳しい。


(気性の激しい方だと伺っているけれど)

 阿茶は知っている。非常な恐妻家であることを。

 井伊直政さまは、天正十一年(一五八三)に殿の養女となった松平康親さまの娘御・花さまを妻に迎えている。その花さまに頭があがらない。

 何故知っているかというと、三島局さまから徳川家の家政を引き継ぐ際、家中の婚姻関係も教えられたからだ。三島局さまは「職務が重い」とこぼされていた。確かに三河の小豪族のときと違って今川・武田の遺臣を迎え、家臣の人員が増えると、これまでのやり方では対応できないだろう、と阿茶は感じた。

 ひと工夫せねば、と思っているが、まさかそのとき、井伊さまが正室と同時にその侍女に手をつけて共に妊娠させていたことまでは知らなかった。

 天正十八年二月生まれの側室腹のその子が十二歳になるまで引き取ろうとしなかったと後年聞き、小督局さまのことを思い起こし、「正室を恐れること、主従でこうも似るとは」と呆れた。


 井伊さまとは、京に出立する前に互いに挨拶を交わしている。

「阿茶局さま、関白殿下の御前で若殿が元服されるにあたって、ひと言申し上げたくお呼びした次第でございます」

 阿茶を上座に導き、井伊さまは丁重に告げた。

(こういうところは三河侍にないな。寺で行儀作法などを躾けられたからか、このような美男に優しくされると、大政所さまがころりとまいったのが分かるな)

 阿茶も悪い気はしない。

「関白殿下の人たらしは聞きしに勝るものがございます。乳母どのや侍女たちも誑されてしまうかもしれませぬ。しかし、若殿の養母たる阿茶局さまは惑わされず、くれぐれも公平な目を持たれることを願います」

「相分かりました。ご忠告、ありがたく存じます」

(以前、人質の大政所を警護して井伊さまは京へ上り、その際、喜んだ関白秀吉から茶を振舞われたことがある。そのときの経験からの忠告であろうが、関白のたぶらかしぶりは相当なもののようだ)

 阿茶は礼を言って、そこを辞した。

 部屋へ戻ると、小間使いのさちが「茶屋の者がお衣装を持ってあがりました」と報せた。

 屋敷の広敷へ幸と共に行けば、すでに侍女たちが来て、自分たちも衣装を受け取り、おしゃべりをしている。

 阿茶の姿を見ると、一斉に頭を下げた。

「各々、自分の小袖を手にしたら、戻りなさい。大姥局さまと笹尾局さまの物は部屋へ届けて。留守を任せた石津局(東雲)のもありますから、白須局(早霧)、代わりに受け取ってください」

「かしこまりました」

 白須局が一礼した。

 市島局(牧尾)がそのとき言う。

「阿茶局さま、松木さまが脇の小部屋で待っております」

「わかりました。参ります」

 答えると、広敷の隅にいた侍女が、すっと立ち上がって阿茶の後ろに従った。幸も布包みを抱えて、ついてくる。

 二人を連れ、阿茶は小部屋へ入った。

 そこには、松木五兵衛と浅黄色の小袖を着た女が平伏している。

「両名、おもてを上げなさい」

 幸が脇に、ついてきた侍女が部屋の隅に控え、阿茶が上座に坐って言うと、松木五兵衛と女が顔を上げた。

「忠成どの、久しぶりです。その方が妹御の加代さまですか?」

「左様でございます。姉さま。いえ、阿茶局さま」

「まあ。かしこまらないで。この場は親族の会見です」

 と、阿茶は松木五兵衛にそっくりな丸顔の女が大きく目を見開いている前へ、するすると近寄り、その右手を取った。

ふみを幾度も交わしておりますが、会うのは初めてですね。加代さま、婚儀のとき、贈っていただいた絹織物のお礼を直接言いたいと常日頃思っておりましたが、今日、それが叶いました」

「は……めっそうもございません。あれしきのこと。あにさまのお祝いに顔を潰すようなものを贈ったら怒られると、ただそれだけでしたので。……いえ、すいません。内輪のことを」

 真っ赤になった加代さまは、すっと阿茶の両手から自分の右手を抜いて、三つ指を突き、頭を下げた。

 多分、亡き夫は異母弟妹にはあまり良い兄ではなかったのだろう、と阿茶は推測した。威張ってばかりいたのであろうな。実母の立場を思いやって、嫁にいっても気を使ったのだろう。

「いいえ。加代さまの贈ってくださった物で仕立てた小袖は、夫を亡くした暮らしの中で心の支えでした。忠成さまの縁で徳川さまのお家に勤めることもでき、母子揃って生きることができました。お二人には感謝するばかりです」

 阿茶の言葉を聞き、加代さまが目を白黒させた。

「ありゃー、上臈さまといって気にしていたけど、気さくな方だ。それを聞いて安心いたしました。あねさまはあにさんの言う通り、おきれいで賢くて。おふみから思ったみたいに、いいお人で。よかったあ」

 顔を上げた加代さまが笑った。口調も普段の通りのようだ。

 阿茶も笑顔となり、互いに打ち解け、近況などをおしゃべりした。

 そうしているうちに、隅にいた侍女が「こほん」と空咳をする。

「阿茶局さま、そろそろお時間でございます」

「ま、もうそんなに経ちましたか」

 四半時(約三十分)ほどだろうか。

「幸、ここに」

 阿茶が言うと、幸が布包みを持って側までやってき、それを開いた。中には練絹が三反あった。

「手土産に何か、と思ったのですけど、京には何でもありますでしょう? 田舎では気の利いたものもなくて。良かったら何か仕立ててくださいな。売ってもいいですよ。加代さまのお好きになさって?」

「まあまあ。なんて、お気遣いを。私は姉さまとお会いしただけで十分でしたのに」

「いいから、もらっとき」

 横から松木五兵衛が言った。

「はい。遠慮せずにいただきます。姉さま、またお文を書きますね」

「ええ、待っていますよ」

(素直で良い方だこと)

 阿茶も加代に今以上の好意を持った。

(これまでより、もっと突っ込んだことが聞けそうね)

 京住まいの義妹というだけでなく、豊臣家の物頭の妻として、訊けることもあるだろう。

 これが現在の須和の――阿茶局の立場だ。









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