亀姫の来訪
小松姫さまが駿府城の奥での暮らしに慣れた頃、土屋家の後家の千賀どのに縁談が持ち上がり、千賀どのがそれを了承したので、「子持ち同士、近い身内だけのこぢんまりとした婚儀にいたしましょう」と夫となる岡田元次さまと千賀どのが話し合って、須和が衣装や道具類を義弟の松木五兵衛に発注した直後、それを知った大姥局さまから「待った」がかかった。
「当人同士が良くて、殿が了承されたとしても、岡部の者としては面子もございますれば」
と、殿に直談判して、殿からの資金はご下賜金としてありがたくいただき、婚礼の費用については大姥局さまが用立てることになった。また、岡部元信の息子で今は徳川家に仕える真尭さまを呼び出して土屋昌恒の子・平三郎と対面させ、異母妹の千賀どのの婚礼に出席させることを約束させた。
世継ぎの乳母を勤める大姥局さまは岡部の一族の中では身分が一番高く、岡部一族の家刀自みたいな存在だったから、誰も逆らえないようだった。
岡田元次さまと千賀どのの婚礼は、岡部一族が加わって賑賑しく行われた。
これが十二月の初めである。
奥向きでは来年に二件、再来年に一件婚礼が予定されたため、結納を取り交わしたのちには、それぞれの家について行く侍女の選定や花嫁道具の発注で役目の者は休む間のないほどの騒ぎとなっている。西郡の方さまが登久姫さま、熊姫さまの結婚のことを織田信雄さまの庇護下にある母君の徳姫さまに報せたので、徳姫さまのご要望で「京で仕立てた最上のお道具や衣装」という条件もつき、姫さま方のお道具類を引き受けた茶屋家も大変だが、お付きの者たちの衣装他を担当する松木家もこの大量注文には困ったようで、駿府の商人・友野家、松木与三左衛門家の助力を得ることになった。
この騒ぎの中、殿の長女で奥平家へ嫁いだ亀姫さまが御子さまたちを連れて実家に帰ってくると報せがあった。
「須和、亀姫さまがおいでになった際には、接待の係をお願いいたします。於茶阿局と一緒にです。あちらは西郡の方さまから話を聞いていると思いますが。……亀姫さまは、その……今年二十九歳におなりですが、お若くてもたいそう威厳のある方で、懐に入れた者には大変お優しい反面、一度敵とみなした者には容赦がない苛烈なご性格をされています。二人とも機転が利くので大丈夫かと思いますが……よくよく気をつけてください」
と、お愛の方さまから須和は命じられた。
(難しい御方のようだ)
須和も覚悟を決めて、その日に臨んだ。
奥平家の一行は十二月二十一日に駿府へ入り、城下の友野家の宿で一度休息してから、亀姫と幼い子は輿で、年長の若君は馬に乗って登城した。
城の本丸御殿の玄関で待っていた須和と於茶阿局の前に四十前と見受けられる侍女が立った。
「わたくしは奥平家の御前さま付きの老女、妹尾と申します。お二人が奥にての案内役とお聞きしましたが」
「左様でございます。わたくしは阿茶局。後ろに控えますは於茶阿局と申します。ご滞在中の用は、わたくしどもにお申し付けくださいませ」
と、二人揃って頭を下げた。
「これは、ご丁寧に。こちらこそ、よしなに」
これで側仕え同士の挨拶は終わった。あとは主に復命してくれるだろう。
「亀姫、よう来た。女ぶりが上がったのう」
殿が自ら玄関まで出て来た。待ちきれなかったようだ。
「おとうさま、お久しぶりでございます」
亀姫が被っていた市女笠を脱いだ。
(お大の方さまに似た美人じゃの)
平伏しながら、ちらりと目を上げて見たときの亀姫さまの印象だった。
(というか、殿そっくり)
娘は父親に似ることが多いというのは本当なのだ、と実感した。
「領地に戻っておる美作守は息災か。今回連れてこなかった九八郎と娘の小糸はどうじゃ」
「みな元気にしております。実は本日伺ったのは、この子たちについて、ご相談があったのです」
と、亀姫さまが三人の息子たちを振り返る。
「そうか。まあ、中へ入るがよい」
殿の言葉で、周囲の者たちが客人を迎えるため、動き出した。
亀姫の夫君、奥平信昌は三河国の作手[愛知県新城市]の国衆・奥平定能の嫡男である。始め、貞昌といった。
奥平氏は貞昌の祖父・貞勝のときまで今川氏に従属していたが、桶狭間の戦で今川義元が討たれ、三河国での今川氏の影響力が弱まると、貞昌のまた従兄にあたる徳川家康に奥平氏は従い、遠江の掛川城攻めや姉川の戦に参陣する。そして元亀元年(一五七〇)十二月に武田氏の重臣・秋山虎繁が東美濃の遠山氏の領地を通って奥三河へ侵攻したとき、定能と貞昌の奥平父子は三河衆と共に武田の秋山軍と戦闘するも同盟する遠山氏が惨敗するのを見て、奥平父子と三河衆は自身の城へ逃げた。その後、奥平氏は武田氏に属することになる。
元亀四年(一五七三)、家康は奥三河での武田氏の勢力を削ぐために、奥平氏を味方に引き入れることを画策し、使者を送ったが、奥平定能は謝意を述べる型通りの返事を寄越しただけであった。そこで家康が織田信長に相談したところ、信長は「家康の長女、亀姫を定能の嫡男・貞昌に与えるべし」と言ってきた。長男の信康は「妹を奥平ごときにやるなど」と反対したが、家康は信長の案を入れ、貞能に「貞昌と亀姫の婚約」「領地割譲」「貞能の娘を、田原城主で家康幼年時代からの忠臣・本多広孝の次男、重純に入嫁させること」を提示した。
四月に信玄が亡くなり、その死は隠されていたが、六月に定能は徳川家康に「信玄の死が確実なこと」「奥平家が寝返りの意向を持っていること」を伝えて来た。貞昌は武田氏に人質として送っていた妻のおふうと離縁し、その後、奥平氏は徳川氏の家臣となった。
天正元年(一五七三)九月に、武田勝頼は奥平父子の徳川への寝返りを受け、元妻のおふうと貞昌の弟・仙千代、他一名の人質を処刑した。同じ年、父から貞昌は家督を譲られた。
天正三年(一五七五)、武田氏からの侵攻に備え、新城城を築いたその五月、武田勝頼は奥平氏の裏切りに対し、一万五千の兵を率いて長篠城へ押し寄せた。貞昌は長篠城に籠城し、家臣の鳥居強右衛門に援軍を請わせ、酒井忠次が率いる織田・徳川連合軍の分遣隊が包囲を破って救出に来るまで、武田軍の猛攻を凌いだ。それにより、五月二十一日の長篠の戦で織田・徳川連合軍は武田軍に勝利することができた。
このときの戦ぶりから、貞昌は織田信長から賞賛され、「信」の偏諱を与えられて「信昌」と名を改めた。家康もまた、名刀を授けて信昌を賞賛した。
翌天正四年(一五七六)七月、家康の長女・亀姫が奥平信昌に嫁いだ。信昌、二十二歳。亀姫、十七歳であった。
正室となった亀姫はその後、夫に一人も側室を置かせず、四男一女をもうけた。
本丸御殿の広間に通された亀姫さまは、殿から尋ねられる家族の近況を語ったあと、本題に入った。
「長男の九八郎も十二歳になり、じきに元服」
「そうであったな。そのときは祝いの品を贈ろう。馬か刀か、それとも鎧か。何が良い?」
(殿にとって、初めての男子の孫。たいそう可愛がっておられるのは噂通りじゃな)
甘い祖父の顔になった殿を見て、須和は思った。
「夫と息子に相談いたします。ありがたきことでございます。おとうさま」
亀姫さまが笑顔で答えた。
「良き跡継ぎに成長し、夫も喜んでおります。わたくし、良き夫を持ち、多くの子にも恵まれ、幸せでございますわ。つきましては、九八郎の下の子たちにも、目をかけていただきたいのでございます。勇将と呼ばれた我が夫と海道一の弓取りと名高い、おとうさまの血を引くこの子ら。分家として奥平の一家臣にするより、一軍を与えれば、きっと徳川の御役に立つと確信しております」
「ふむ。そなたは、そこにおる亀松丸・千松丸・鶴松丸に松平姓を下賜し、わしの養子にしてほしい、ということだな」
「さすが、おとうさま。察しの良いこと。加えて、娘の小糸にもいずれ良き婿を世話していただきとうございます」
「よしよし。その願い、かなえよう。亀松丸は十歳であったか。じきに元服であるな。この機会に駿府城へ住むがよい。元服のときに松平姓を下賜しよう」
殿が機嫌良く告げる。
(孫には甘いな。娘にもだが。おねだりをすぐにかなえるなんて、本当に殿なの?)
驚きつつ考えていた須和に、殿が命じる。
「阿茶。お愛に亀松丸の部屋を調えるよう伝えよ。わしの養子になったことは、後日、城下にいる家臣たちを集めて披露することにする」
「かしこまりました」
須和は一礼し、その場を離れた。
奥へ廊下を進み、お愛の方さまに殿の命を伝えると、倉見局を始めとする役女たちが動き始める。
そこへ側仕えの早霧が近寄ってきて、ささやいた。
「殿との会見を終えた亀姫さまは、御前さまの許へ於茶阿局さまの先導で移動なされております。その後、こちらにお渡りになられる由」
「相分かりました」
須和は御方さまにこのことを伝え、そこを辞去した。
亀姫さまと侍女の一行に追いついたのは、御前さまの御殿につながる御廊下においてだった。一行の最後尾について須和は部屋へ入り、隅に控えた。
「御前さま、殿のご長女、亀姫さまとご子息方がおいでになりました」
於茶阿局が先触れをする。
御簾の向こうで、ぶつぶつと声がし、御簾の側に控えた八束局が言葉を伝えた。
「よくおいでになられました、と御前さまはおっしゃっておられます」
この間、壁際や襖の傍で並んでいる女房たちが、扇を広げて雑談をし、くすくす笑っている。
亀姫さまの身体から、びりっと何かが発せられたように、須和には見えた。
「人払いをなさい。そなた、名は?」
「八束局と申します」
局が三つ指をついて一礼した。
「では、八束局とやら、この女どもを追い出しなさい」
「は、はい」
亀姫の言葉のきつさに驚いた八束局が女房たちに命じると、女たちはぞろぞろと部屋から出て行った。
「八束局、お付きの者どもの躾けがなっておらぬようじゃな。それとも、これが豊臣の家風か」
「は……至らず、申し訳ございませぬ」
いつも何事にも動じない八束局が額に汗をかいている。
「それに、義理とはいえ、母と娘の対面じゃ。御簾を隔てて、というのは無礼であろう?」
「これは、御前さまの」
「そなた、徳川の娘であるわたくしに意見するか」
「いえ、そのような」
八束局はすでに亀姫さまの勢いに飲まれている。
御簾がするすると巻き上げられた。そこには怯え切っている朝日姫さまがいた。
「初めてお目にかかります。徳川家康が長女、亀と申します」
と、姫さまは優雅に頭を下げた。
「縁あって、義理とはいえ、親子になりました。これからよろしゅうお願いいたします」
顔を上げてから、亀姫さまは御前さまを見た。
あ、あっ、としか声の出ない朝日姫さまを静かに見つめている。
「亡き母も、〝駿河御前〟と呼ばれておりました。同じ呼び名の貴女様……徳川の妻の存在を穢すようでしたら、わたくしが許しません。亡き母に代わって、後妻打ちをいたしましょうか」
ほほ、と無機質に笑い声を上げた亀姫さまに対して、御前さまは白粉の塗った顔でも分かるほど青ざめた。
「徳川の家は、わたくしの母と兄、そして戦で散った数多の家臣たちの命の上に成り立っております。どうか正室として、この徳川と豊臣をつなぎ、共に繁栄させるようお勤めくださいませ」
両家を寿いで、亀姫さまは立ち上がり、ご子息たちを連れて部屋を出てゆく。
最後尾についた須和が部屋を出るとき、ばたりと音がし、「御前さまっ」と八束局が叫んだのが聞こえた。どうやら御前さまが緊張のあまり倒れたようだ。
しかし須和はそのまま一行について廊下を進んだ。
「亀姫さまの御成りでございます」
先導する於茶阿局が奥の広間に入る前に声をかけた。
上座が空いていて誰もいない。そこに相対するように、長丸君、福松丸君、万千代君。その後ろに振姫さま、登久姫さま、熊姫さま、小松姫さまが並び、さらにその後ろに西郡の方さま、お愛の方さま、お都摩の方さま、お竹の方さまがいて、後方には上級侍女たちが控えていた。
上座に亀姫さまが坐り、右側に三人のご子息が控えて坐った。
「初めてお目にかかりまするが、弟となります長丸と申します。姉上には、『亀姉上』もしくは、『大姉上』とお呼びしたらいいのでしょうか。私には姉が一人でしたが、最近もう一人でき、いま姉上にお目にかかって三人になりましたゆえ、どう区別してお呼びしたらよいか」
と、長丸君が挨拶と共に尋ねた。
「そなたが長丸ですか。よき男子でありますな」
亀姫さまが、にこりとした。
「わたくし、長女ですので、〝大姉上〟でよいですわ。もしくは、〝大姫の姉上〟。ここにいない督姫は〝中の姉上〟ですね。三人めとは、どなた?」
「それは……畏れ多いことでありますが、わたくしのことだと思います」
と、小松姫さまが声を上げた。
「つい最近、殿が養女とされた本多平八郎さまの娘御で、小松姫と申されます。若さまは〝小松姉上〟と呼んでおられます」
西郡の方さまが続いて、三人の姫が真田家と小笠原家と本多家に嫁ぐ次第を語った。
「そうだったのですか。あとでいろいろとお話いたしましょうね」
うふふ、と笑った亀姫さまが続ける。
「まずは、わたくしの子を紹介いたしましょう。このたび、わたくしの三人の息子がおとうさまの養子になります。長丸、福松丸、万千代。そなたたちの従兄弟ですが、兄弟でもあります。亀松丸が十歳、千松丸が九歳、鶴松丸が六歳になります。仲ようしてください」
「はい、大姉上」
長丸君と福松丸君が返事をし、今一つ分かっていない六歳の万千代君が遅れて返事をした。三人の若君は奥平の従兄弟君たちと、不思議なことに歳が同じなのだ。
「では呼ばれるまで皆で遊んでいらっしゃい。泊まるお部屋を見にいってもよいし、庭や馬場で遊んでも良いですね。守り役の者」
呼ばれて、控えていた内藤さまと青山さまが廊下で膝をついている。
「この子たちを連れていってください」
「かしこまりました」
内藤さまが返事をし、青山さまが奥平家の側付きたちと共に六人の若君を部屋から連れ出した。
「さて、子らが行ったところで」
微笑みながら若君たちを見送った亀姫さまがこちらを向いた。
「まずはわたくしから礼を述べたい」
と、亀姫さまが御方さまたちにひたりと目を据えた。
「時姫、お愛。我が母亡き後、よく父を支えてくれた。礼を言います」
「もったいなきお言葉」
と、西郡の方さまが頭を下げた。
「ありがたきこと」
お愛の方さまもそれに倣った。時姫というのは、西郡の方さまの名であったようだ。
「お都摩とお竹……といったか。そなたらにも礼を言う。わたくしの弟妹をよう産んでくれた」
「ありがたきお言葉でございます」
お都摩の方さまが頭を下げ、お竹の方さまも同様にしている。お都摩の方さまは御子が穴山家を継ぎ、武田を名乗ることが決まって、子と引き離されると思い、気落ちして体調も崩されたが、見舞いにやってこられた穴山家の見性院さまから、「そんなことはない」と説明され、納得してからは身体の具合も良くなってきておられる。
「そして奥仕えのそなたたち。父と側室のこの者らをよう支えてくれた。礼を言う」
と、上座で頭を下げた。
ざっと、侍女たちが平伏する。
侍女の先頭にいた三島局さまが泣いている。
「姫さま、ご立派になられて」
多分、亀姫さまの幼いころを知っているのだろう。
「うん。帰ってきて良かった」
頭を上げた亀姫さまが笑みを浮かべた。
「妹たちと話がしたい。嫁にいくときの心得などいろいろとな。我らだけにしてくれるか?」
人払いをされたので、須和と侍女たちはその場を辞去した。幼い振姫さまは乳母に抱かれてすぐ出てきたけれど、そのあと女同士で話が弾んだようだ。廊下で控えていたら、「きゃっきゃ」「うふふ」と楽しそうだった。
奥平さまの一行は夕餉をお泊りになる部屋で摂った。食事を終えられ、あと寝支度は奥平の侍女たちに任せ、須和と於茶阿局は挨拶をして退出しようとした。そのとき、須和に声がかかった。
「阿茶局。そなた、小牧・長久手の役に父に従って行ったそうじゃな。そのときの我が背の君の働きを聞きたい」
「直接見たわけではなく、同道した者たちから聞いた話でよろしければ」
そう応えを返したら、「よい」と言われたので、戦全体の中でも特に奥平隊の活躍した部分を念入りに語ったら、亀姫さまとご子息たちにたいそう喜ばれた。
二十三日に、奥平家の三人のご子息が殿の養子となることが家臣たちの前で発表されて披露目が行われた。その後二日滞在し、亀松丸君とお付きの者を残して、亀姫さまは去っていかれた。
「疲れた……」
奥平家一行の最後尾が視界から消えたあと、玄関先で見送っていた於茶阿局がこぼした言葉に、須和も同感だった。
少なくとも、敵認定されなくて良かったと思う。
後年、亀姫の敵とみなされた本多正信・正純父子は、たいへんな目に遭うのだ。




