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破綻

 孫左衛門はその年、元亀三年(一五七二)の末に帰って来た。手柄はまた無しだ。

 新年には舅・姑を交えて祝い、せいを通じて長浜にいる加代とも手紙のやり取りをして親しくなった。

 夫は「子はまだか」と急かすけれど、舅の長五郎はむしろ「精のつくものを食べんと出来るもんもあらせんな」と、釣った魚を持ってきてくれたりした。舅と姑は時々やってきては、二、三日泊まっていく。

 そして夏になる。このころ、不穏な噂が流れてきた。

「信玄公が亡くなった」

 というものだった。

 後継は生母の諏訪家を継いだ四男の勝頼、後見人に夫の主君・一条信龍がなる、とのことだ。

 詳しいことを聞かされず、みなが動揺しているとき、須和の懐妊が分かった。

 いつも不機嫌な夫が、珍しく喜んでくれた。舅と姑の喜びようはそれ以上で、せいはさっそく産着を縫い始めた。

 やがて天正二年(一五七四)の春、男の子が生まれた。孫左衛門は、「五兵衛」と名付けた。孫左衛門が四十歳、須和が二十歳のときのことである。

「松木様と同じではありませんか」

「神尾家の五兵衛は、この子だけじゃ。あれは、おらんものと思え」

 須和の問いに、孫左衛門が憎々し気に答えた。

 どうしてそれほどまでに腹違いの弟を嫌うかなあ、と須和には理解が出来なかった。はるかな後年、子と孫世代に同じ疑問を抱くのだが。

 そして夫はまた出陣する。

 須和は知らなかったのだが、信玄のあとを継いだ勝頼は遠江・三河に進攻して勝ち続け、版図を甲斐・信濃だけでなく、美濃・遠江・三河まで広げていたのだった。

 翌天正三年(一五七五)五月、一条信龍は三河・長篠の戦に参戦する。武田軍は織田・徳川軍に大敗したが、その中で信龍は織田の佐久間勢に攻撃をしかけ、二重の柵を破るほどであった。また、友軍が敗走する中、武田家重鎮の武将・馬場信春勢と共に踏み止まり、勝頼の戦線離脱を見届けた上で退却したのだった。

 夫たちがそのような激戦の戦場いくさばにいたとは知らず、須和はむずかる五兵衛を背負って辺りを歩き回り、子が眠ったのを確かめてから、長屋へ戻った。

 戸をがらりと開けて中へ入ったとたん、台所の板の間で睦みあう男女を見つけた。

「うちで、何しとるかっ」

 足元に転がっていた火吹き竹で、須和は女に馬乗りになっていた男を所かまわず打った。

「まてまて。わしじゃ」

 ざんばら髪で薄汚れた男は、よくよく見れば、夫の孫左衛門だった。いつの間にか帰ってきたらしい。そして男の下になって、着物を乱していたのは、小夜だ。泣いてはいたが、声を出していなかった。

「どうして小夜をあんたが襲うんかっ」

 あまりのことに頭に血が上り、須和は怒鳴った。

「戦のあとで、血がたぎっとるんじゃ」

 白々しい態度で孫左衛門は立ち上がり、奥へ入って行った。また手柄は無かったようだ。

 背負った五兵衛が泣き出した。

 のろのろと起き上がり、小夜が着物を直す。

「あの人がひどいことをしたね。申し訳ない、小夜」

「いえ、オカタさま。うらの方こそ、すまないことでス」

 板の間で小夜が平伏した。

 土間で須和が五兵衛をあやしながら、小夜から事の次第を聞き出した。

 須和が五兵衛を妊娠して閨の相手をしないようになった頃から、たびたび物陰に引っ張り込まれて犯されたという。

「なんということを。初めてが無理やりでさぞ嫌だったろうね」

「いえ、初めてはお屋敷の若様と……」

「清右衛門か。あン子は嫁のいる身で、奉公人に手を出したか」

 そういう男はゴマンといる。須和の亭主もその一人なのだが、抵抗できない女を立場の上の者が無理やり犯すという無体に、須和は我慢ならなかったし、猛列に腹が立った。

「いいえ、違いまっす。若様とは想い合ってのことで、身分違いは承知の上でしたカラ」

 須和の考えを読んだようで、小夜が必死の形相で庇った。

「そう……でも、孫左衛門どのは、無理やりなのね」

「旦那様には……逆らえまセン」

 小夜がうなずく。下人ではないとはいえ、奉公人の女が主人に逆らうことはできないだろう。

「それから……旦那様のご命令で、源三郎どのと与一も慰めろと。よそへ夜這いして面倒ごとになるよりはいいから、って」

(なんだそれは。小夜は私の侍女で、一緒に育った姉妹同然の者ぞ)

 聞いた須和は呆れると同時に、さらに腹が立った。小夜がマツと同じになってしまう。

 夫は下種げすどころか、人非人にんぴにん、人でなしであった。

 自分が男であったら、斬り捨ててやるのに、と歯ぎしりしたが、夫である孫左衛門に、そんなことが出来ないのは分かっている。

 しばらく考えた。

 そして考えがまとまると小夜に言い含め、外に行って馬小屋にいた源三郎にも同意するように告げた。

 そうしているうちに背中の五兵衛は泣き疲れて眠ってしまい、須和が台所へ戻ったとき、孫左衛門が髪と着物を直して奥から出て来た。

「腹が減った。メシをくれ」

 それには答えず、須和は告げた。

「小夜と源三郎を娶わせます」

「なんだと。勝手なことを。許さんっ」

 孫左衛門が須和に殴りかかってきた。しかし須和はその腕を取って、土間に投げ飛ばした。習い覚えた武道が、こんなところで役に立った。

 土間で甲羅を下にした亀のようにひっくり返った孫左衛門が、目を白黒させている。

「娶わせます。よろしいか」

 須和の宣言に、うなった孫左衛門はしぶしぶ承知した。

「配下の者の妻を手籠めになどしませんように。武士として恥ですよ」

 くぎを刺すのも忘れなかった。

 この騒ぎのすぐあと、回状がまわってきて、駿府に引っ越すことになった。ここ田中城の城代を子息の信就に譲って、主君の一条信龍は駿府城代となるのだという。

 天正三年(一五七五)の夏のことだった。

 少ない家財道具を荷車に乗せてそれを源三郎と与一が前後で押し引きし、孫左衛門は須和と五兵衛を馬に乗せてその手綱を曳いていた。小夜は徒歩だが、その腹に子が宿っていた。相手をしていた誰の子かは分からない。

 引っ越し騒ぎで、小夜への無体のことはうやむやになってしまい、源三郎と夫婦めおとになることだけが事実として出来上がっていた。

 須和としては、源三郎は無口だが実直な性格なので、まあ良かろうという考えだったのだが、よくよく様子を見ていると、交わす眼差しなどから、小夜は与一を好いていたことに気づいた。

 しまった、とは思ったけれど、小夜の主として、下人の与一を夫にすることは認められなかった。与一を売り買いする主人は孫左衛門で、須和が口を出せる相手でもない。その点、源三郎は自分で主を選べる立場だった。まだ、孫左衛門から小夜を護れるだろう。

 そう考えての、とっさの行動だった。

 かんにんなあ。

 須和は心の中で小夜に謝った。

 世の中はままならない。自分だって、大嫌いな亭主と添わねばならないのだから。



 徒士組の家族たちがまとまって、田中城のある藤枝から東海道を東へ行く。そこに、今川氏の旧臣で今は武田氏に仕えている岡部氏の本拠地、岡部がある。岡部氏は海賊衆でもあり、彼らを取り込むことで武田氏は水軍を得た。

 ともあれ、それは今の須和には関係ないことで、岡部そして丸子を過ぎると駿河国の国衙こくがだった駿府すんぷである。かつて今川氏の居館があり、京の都のような雅な街であると、御裏様のお供でそこに滞在したことのある淡路局から、須和は街の華やかさをさんざん聞かされていた。

 ところが着いてみると、焼け跡だらけの廃墟である。屋敷や町屋、寺社のすべてが焼かれ、そこに掘っ立て小屋が幾つも建っており、いちはさびれていた。

(信玄公がここへお入りになったとき、火を放ち、雑兵どもは略奪の限りを尽くしたのだろう)

 察した須和の脳裏に、その地獄絵図がありありと描かれた。

 ぞっとしながら道を進み、駿府城へ入った。

 城には戦いと略奪の跡がまだ残っていて、城内は急遽、修復した様子が分かった。徒士組の長屋も、田中城と同じ広さと間取りであったけれど、急ぎ仕事だったのが丸わかりで、至る所に隙間がある。

(盆地の甲斐と違って、駿河は温暖だから良いのだけど)

 庭に畑を作るため、種だけでなく、土も持ってくればよかったな、と少し後悔した。固い土を見ていると、すぐには野菜ができそうにない。

(どうやって食べていこう)

 そのときは途方にくれたが、駿府近くに住む人たちが魚や野菜の行商に来てくれることが分かり、他のオカタたちと一緒に、ほっとした。舅と姑も在所が近くなったとのことで、採れた物を手土産にやってくるので、須和は息がつけた。

 引っ越しが一段落して暮らしが落ち着いた頃、孫左衛門が出陣する。

 天正四年(一五七六)の夏の終わりに、三河・遠江を領していた徳川家康の軍が駿河に侵入したのだ。

 家康はすぐに軍を引いたので、夫たちも戻って来たが、今度は新しい当主の勝頼公が幾度か三河へ兵を出すようになった。そのたびに、夫たちも出陣した。

 そうしている間、舅の長五郎が突然倒れ、寝たきりとなった。

 須和はせいの看病を手助けするため、駿府から歩いて一刻いっとき[二時間]ほどの所にある神尾の家へ小夜と五兵衛を連れて泊りがけで出掛けた。須和が孫左衛門の実家へ来ている間、実家からは家事をするための下女を二人代わりに寄越してくれた。

 舅は衰弱していくばかりだった。下々では貴人が使う薬などなく、気休めに山林に生える効きそうな草などを煎じて飲ませていた。

 そんなとき、夫の異母弟の松木五兵衛が姿を現した。

「駿府の東の江尻城主・穴山信君あなやまのぶきみ様が松木家を駿府全体の御用商人と認めてくださったので、これまでより頻繁にやって来れるようになりましたぞ」

 と、唐渡りの薬を煎じて舅に飲ませてくれた。

 そのとき須和は初めて知ったのだが、松木五兵衛は行商やいちの商人ではなく、武田家の御用商人なのだった。

 松木家はもと京の商人だったが、松木佳琳という先代が武田家の御用を承るようになり、今では蔵前衆の一人として武田家の経済を支えていた。夫の異母弟はそんな家へ養子に行って、その一族のひとりとなったのだ。どうやら、夫はそのことの重要性を理解していないようだが。

 次男の松木五兵衛の薬で、長五郎はそれから半年ほど生きて身まかった。

 葬儀には孫左衛門も駿府から来た。殊勝な顔で喪主を務めていた。

「これで、わしが神尾家の当主じゃ」

 葬儀が終わったあと、孫左衛門は後妻のせいと松木五兵衛、そして須和の前で宣言した。

「関係ないモンは、出て行ってもらおう。五兵衛、おまんの母も連れていけ」

「無情なことを。血の繋がりがないとはいえ、せい様はお前様の母御ではありませんか」

 須和が声を上げると、孫左衛門は冷ややかな目を向けた。

「おまんには、離縁状を書く。いくら安うても、屋敷勤めをした権高いおなごなぞ、もらうんではなかった。これから出陣じゃから、帰って来てからの話になるが、覚悟しとけ。ああ、五兵衛は置いていけよ」

「お断りします」

 ぴしりと須和は答えた。

「なに」

 孫左衛門が目を剥く。

「どうせ、お前様のことじゃ。すぐに後妻を迎えよう。二人して、五兵衛を虐めるじゃろう」

「なら、母子おやこともに、野垂れ死ね」

 言い捨てて、孫左衛門は出て行った。

姉様あねさま……」

「大丈夫。甲斐に帰るだけだもの」

 本家のおじたちは邪険にはしないだろうけれど、厄介になるのは、やはり気が重い。けれども、どうしようもないことだった。

 神尾の家に滞在している間に、小夜は子を産んだ。女の子だった。

(嫁に行ったときよりも人数が増えているけれど)

 須和は本家のおじとおばに、頭を下げて必死に頼んでみるつもりだった。

(それでも駄目なら、そのとき考えよう)

 と思った。

 神尾の家は田畑を多少持っており、孫左衛門は侍奉公などせずにこの地におれば、ほどほどに生活することができたはずだった。

 仲の悪かった親父様が亡くなって、御奉公を辞め、好きなおなごと暮らすつもりか、と須和は考えたが、せん無い事だ。

 須和たちは駿府へ帰り、出てゆくための準備をした。その間、小夜の赤子を与一が優しい目で見ており、ときにあやしたりしている。

(誰の子じゃろうなあ)

 切ないのは小夜だけでなく、与一と今は夫と戦場にいる源三郎もだろう。そう考えると、須和は悲しくなった。



 だが、思いがけない事態となった。三河に侵入した勝頼軍が撃退され、その戦闘で孫左衛門が重傷を負ったのだ。

 天正五年(一五七七)七月。須和が二十三歳、息子の五兵衛が四歳のときのことである。

 孫左衛門は源三郎によって戦場をさまよっていた馬の背に乗せられ、駿府へ戻ってきた。そのとき虫の息だったが、家に着いたとたんに息を引き取った。

 夫が亡くなっても、須和の心は凪いだままだった。悲しみはない。自分を虐げていた夫が突然いなくなったということが、まだしっかりと理解できていないのだった

 周囲が動き、近所のオカタたちが葬儀の手伝いに来、誰かが神尾の在所に報せの者を送ったようだ。

 言われるままに夫の湯灌を済ませ、ぼうっと亡骸の側で座っていたとき、開け放っていた戸口に、誰かが立った。

 夕日を背にして全身が赤い。

 そう見えたのは、紅梅色の着物をきているからだと、すぐに気づいた。

「あんたの離縁状だよ。あたしがこの家の女主おんなあるじだ。孫左衛門様の妻は、あたし。采女うねめっていう跡継ぎの子もいるんだからね」

(浮気していたのは、この女とか。子の名前も、雅なものをつけたもんだ)

 須和はまだそのときまで、ぼんやりとしていた。

 女は色白で下膨れの顔をし、夫がいかにも好きそうな美人だった。けれども今は欲と須和への侮りで、鬼のような形相をしている。

「まあ、そういうことじゃ。悪いが出て行ってもらえんかの」

 と女の後ろから、組頭の楢崎が顔を出した。

「お頭様が」

「妹御のためにか」

 オカタたちはそれですべて察したようだ。そそくさと女の脇を通って出てゆく。

「お館様から、堪忍分かんにんぶんの書状も出た。この家のかまどの灰まで、あたしのもんだ。神尾の土地も、あたしの息子のもの。なにせ、あんたんとこより半月早く生まれているからね」

 女が勝ち誇って言ったとき、須和は正気に戻った。そして、丁寧に答える。

「離縁状があるのなら、わたくしは前妻こなみ。そなたは後妻うわなり後妻打うわなりうちというものはあるけれど、前妻を後妻が打つなど、聞いたこともありませぬ。あとから来た後妻は、静かにしてあらっしゃい。『竈の灰まで』とお言いだが、わたくしが嫁入ったときのものまで盗ろうなんて料簡は起こしていないでしょうねえ」

 と、須和はすすと立ち上がり、鴨居かもいに掛かっていた亡き夫の槍を手を伸ばして取ると、先端の覆いをぺいと捨て、女に向かってさっと繰り出した。

「ひいいっ」

 鋭い槍の切っ先は、女の顔三寸ほど前で止まった。

 女は腰を抜かし、兄の組頭はあっけにとられている。

「わたくしたちは去ります。準備をするから、その間は出ておいきなさい」

 須和の言葉に、組頭と妹はのろのろと従った。

 そのとき、外で馬のいななきが聞こえた。

「なあ、名前も知らない後妻うわなりさんよ。神尾の家は、あんたを嫁とは認めとらんよ」

 と、やってきたのは、松木五兵衛だった。

姉様あねさま、遅れてすまんかった」

 家へ入って来て、組頭と妹に対峙する。

「親父殿の遺言で、神尾の家の田畑でんぱたは俺が受け継いだ。親父殿のあとの当主は兄者あにじゃだが、兄者が亡くなったら、息子が幼い場合、親父殿の後家の俺の母が当主代理となる。それがスジというものだ。おまけに、神尾の親族に披露目もしていない妻はなんぞ、認められるか」

「で、でも、お館様の書状が」

「あったとしても、個々の家の事情に主君がいちいち口を出すか。おまけに徒士ふぜいに」

 女が、ぐっと詰まる。 

堪忍分かんにんぶんと兄者の物で我慢するんだな。下人は、俺が買い取る。これだけあれば、いいか」

 と、従者から受け取った銭差ぜにさしが通った銭の束を孫左衛門の枕元に置いた。

姉様あねさま、荷物を」

 言われて須和は用意していた行李を二つ、奥から持ってきた。自分と小夜の分だ。

「馬は、もらっていきます。わたくしの持参金で買ったものですから」

 マツの代金も入っていたが、そこまで説明するつもりはなかった。そして、与一の曳文ひきぶみを五兵衛へ渡した。

 松木五兵衛は従者たちに須和たちの荷物を持たせ、女子供を馬に乗せた。一緒に源三郎と与一も来る。

後妻うわなりさんよ。堪忍分かんにんぶんをもらうなら、兄者の葬式を出してくれな。俺は嫌われていたから、化けて出られると困るからよ」

 と、松木五兵衛は言い捨てて、従者を急き立て、東へ馬の鼻づらを向けた。

 一行は陽が落ちる前に江尻の城下へ入り、松木家の宿で一夜を過ごした。

 そこへ買われた与一を残し、須和たちは松木五兵衛に伴われて、甲斐へと向かった。帰路でも富士はその姿を雲に隠して見せてくれなかったけれど、甲府の飯田屋敷に着いたとき、松木五兵衛が兄の戦死のことを話してくれ、当分の暮らしの足しにと銭を多少置いていってくれたことに、須和は感謝した。

 その一年後、飯田屋敷で作男として働いていた源三郎が畑仕事の途中で突然倒れて亡くなり、小夜も後家となった。



 そして二十八歳になった須和は、再び御坂峠へ向かう。









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