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小松姫

 土屋母子を自分のつぼねに迎えてすぐ後に御前さまが京からお戻りになり、土屋母子の許へ三井の家臣たちが挨拶に来たり、お牟須の息子の弥一郎に三井家から乳母が派遣されたりと、須和の身辺では慌ただしい日々が続いた。この間にも信濃衆の真田家と小笠原家へ嫁ぐ姫の選定が殿と重臣、奥の老女の間で続けられていた。

 殿には未婚の姫として、三女の振姫さま、ご長男の忘れ形見の登久姫さま、熊姫さまがいらっしゃるが、振姫さまは幼女、二人の孫姫さまはまだ子を産める年齢ではない。

 一方で嫁を迎える側では、小笠原貞慶の嫡男・秀政は十代後半の若者でまだ正室がおらず、こちらはどちらの孫姫さまが嫁いでも良いとしても、真田昌幸の嫡男・信幸は二十歳過ぎの若者で、すでに正室と長男がいた。幼い姫が嫁いだところで政略としては何の役も立たず、ないがしろにされるのは目に見えていた。ましてや舅は、徳川を何度も裏切った真田昌幸である。

 そこでこの婚家の難しい状況でもうまく対処できるよう、家臣の娘の中から年頃で才ある者を選ぶことになり、重臣・老女からともに名が挙がったのは、本多平八郎の長女・稲であった。

 須和は本多稲と面識があった。この年、天正十六年(一五八八)、十六歳の少女である。



 小牧・長久手の役のあと浜松へ戻って来て、久しぶりに朝の鍛錬に参加した際、おふうこと笹尾局に紹介された。

『本多さまの娘御むすめごですか。……あまり似ておられませんね。いえ、不躾なことを。ごめんなさい』

 鬼瓦のような風貌の本多平八郎忠勝さまの面差しがカケラもない当時十二歳の美少女を前にして、つい本音を言ってしまったため、須和は謝った。

『いえ。誰もが同じことをおっしゃいます。御方おかたさまの反応が普通です』

 と、少女は屈託なく笑った。

御方おかたさまは殿さまに従って戦場におられたとお聞きします。父は、どんな様子でしたか』

『わたくしは見ておりませんが、本多さまに随行した者の話によれは……』

 と、須和は少数で羽柴秀吉の率いる大軍と対峙した平八郎の様子を話した。

 その間、少女は目を輝かせて聞き入っている。

『ああ、わたくしも見たかった。男に生まれたならば、父と同じ戦場いくさばに立てたものをと、いつも悔しく思っておりました。父は、わたくしの憧れなのでございます。父より弱い男には嫁ぎたくないと思ってしまうほど。我が本多家は武門の家柄で、三方ヶ原の戦では、曽祖父・祖父・叔父と皆、殿さまを庇って討ち死にいたしました。幸い父は生き残り、武田の家臣からはその戦ぶりを落書によって賞賛され、それより前の姉川の戦においては、徳川本陣に迫る朝倉軍一万に対し、単騎駆けをいたし、〝平八郎を討たすな〟という殿さまの檄によって全軍が踏み止まり、反転攻勢となって敵軍を打ち崩しました。また、その際の敵将・真柄十郎左衛門との一騎打ちは聞くところによると、それはもう血沸き肉躍るようなありさまで……』

 そこで、はっと我に返ったのか、稲は一礼した。

『ついしゃべり過ぎました。御方おかたさまの鍛錬のお時間を邪魔してしまい、まことに申し訳ございません』

『稲どのは、ほんに父君が大好きなのですね』

 須和は、ほほえましかった。

『では、手合わせを願います。小太刀はできますか』

『はいっ』

 元気な返事だった。



 賢く美しくはきはきと話す本多稲。誰もが好意を抱くであろう少女が、今は両親と共に本丸御殿の殿の御前にいる。

 須和は殿の後方に控えていた。

 本日、真田家との縁談について話すために一家は呼び出されたのだった。

 本多平八郎は戦場にいるときとは違って、娘を心配する父親の顔になっていた。

 母の能見松平家当主の姪で本多家の正室のお久の方は、落ち着いた様子だった。娘の稲も冷静に両親の後ろで控えていた。

 いくら御家のためとはいえ、本多家では娘を真田家に嫁がせるのに積極的ではなかった。むしろ何とかして免れたいほどであった。

(徳川家中でもっと早くに嫁がせておけばよかった、と思っておられるのだろうな)

 と、本多平八郎の苦い顔を見た須和はそう察した。何しろ正室と子がいる男に娘を嫁がせるのだ。針の筵に坐るのが決まっているところへ親としてやりたくない、と思うのが人情だろう。



 舅となる真田昌幸は信濃の国衆・真田幸綱の三男で、七歳のとき武田家へ人質として出され、武田晴信(信玄)の奥近習となった。その後、信玄の母方・大井氏の支族の武藤氏の養子となり、武藤喜兵衛と名乗って、川中島の戦など多くの戦に参陣する。この間に妻を娶り、のちに甲斐の名族小山田氏に嫁ぐ娘(村松殿)や信幸・信繁兄弟が生まれた。元亀四年(一五七三)に信玄が亡くなったのち、家督を継いだ武田勝頼に仕え、天正三年(一五七五)の長篠の戦で長兄と次兄が討ち死にすると、真田氏に復して家督を相続した。

 このとき、昌幸の嫡男・源三郎(信幸)は十歳で、真田家正嫡で亡くなった伯父の信綱の娘を妻として迎えた。家督相続を円滑にするためであったという。

 源三郎は武田氏の人質として長く甲府で過ごし、天正七年(一五七九)に武田勝頼の嫡男・信勝の元服と同時に源三郎も元服を許され、信幸と名乗った。共に武田氏の人質だった母(山手殿)と一緒に上田の父の許へ帰れたのは、天正十年(一五八二)の織田氏による甲州征伐で武田氏が滅びたからである。十七歳になっていた。以後は父・昌幸に従い、領土を広げるために信幸は多くの戦を闘い抜いてゆく。


 もう一人の信濃衆、小笠原貞慶は小笠原礼法を伝える総領家に生まれ、父・長時と共に武田信玄によって本領の信濃国を追われたのち、流浪の果てに家康の家臣となるため嫡男の貞政を人質として差し出した。貞政は石井数正に預けられていたが、数正が貞政を連れて秀吉の許へ出奔すると、父の小笠原貞慶も秀吉に仕えざるをえなくなった。貞政は秀吉から偏諱を与えられて「秀政」と名乗るようになる。秀吉に従うことで本領も回復し、小笠原家は豊臣家に属する大名となった。



「平八郎、大儀である。お久、娘を連れて、よう来てくれた」

 殿が本多平八郎一家をねぎらう。

「はっ」

 と、本多さまが頭を下げ、妻女と稲どのもそれに倣った。

おもてを上げよ。楽にせよ」

 殿は上機嫌だ。

「こたびの縁組、真田には稲を。小笠原にはわしの孫の登久姫を嫁がせることに決まった。稲と登久は、わしの養女とし、徳川の姫として輿入れさせる。平八郎の娘に、憂き目を見させるわけにはいかぬからの。真田は稲を正室として迎え、今の妻を側室とすることを承知したぞ」

 殿の言葉に、本多さまが目を見張る。

「稲よ、我が娘となるからには、小松と名乗るがよい。そして、徳川と本多の娘として、誇り高くあれ。真田の者に侮られるな。何かあったら、すぐにわしへ報せよ。悪うはせぬ」

「はいっ、かたじけのうございます」

 稲が元気に答えた。

(殿は真田昌幸どのの足を引っかける気、満々だな)

 殿の後方で見ている須和は思った。徳川の兵を大勢殺し、真田昌幸が「表裏比興の者(老獪)」と世間で評されるのを苦々しく思っているのを知っていた。殿は裏切者をも受け入れるが、やったことは忘れない。執念深い一面がある。

「良きかな

 稲に微笑んだ殿が続ける。

「大事な娘をもらうのだ。我が方も娘をやらねば、と思う。平八郎、嫡男は十四歳だったな」

「はい、元服を済ませ、忠政と申します」

「嫁に、我が孫の熊姫をもらってくれぬか」

「はっ、殿の慈愛深きご配慮に、この平八郎、感服いたしましてございます」

 目を潤ませて、本多平八郎が一礼する。

「阿茶」

 殿が振り返った。

「お久と稲、いや、小松を奥へ連れていって朝日に挨拶をさせてやってくれ」

「かしこまりました」

 一礼して立ち上がった須和は本多家の母子の許へ行き、城の奥へ導く。

 先触れが行っていたので、御前さまの前にすぐに通された。御簾が下ろされたそこで須和は御簾の側に控えていた八束局に向かって本多母子を紹介した。

 御前さまのくぐもった声が聞こえ、八束局がそれを分かるように伝えて会見は終わり、須和は二人を連れて退出した。

 次に向かったのは、若君の部屋であった。

 そこで本多稲が殿の養女になったことを二人の若君に報告し、引き合わせた。

義姉あね上、と呼んで良いだろうか」

「小松義姉上ですね」

 長丸君の言葉に、側で控えていた福松丸君が続けた。二人とも興味深く本多稲を見ている。

「もったいないことでございます」

 稲が答え、一礼した。

 そして最後は、お愛の方さまの部屋である。上座に御方おかたさまと西郡の方さまが坐り、側には倉見局、小島局、於茶阿局、笹尾局など上級侍女が控えていた。

「本多稲どの、殿から聞いております。こちらへ」

 と、お愛の方さまが差し招く。そして、御方おかたさまと西郡の方さまは座を降りて、本多稲どのを上座に坐らせた。

「本日より、貴女様は徳川家の姫。小松姫となられました。祝着至極に存じます」

 二人の御方おかたさまを先頭に、後ろに控えた上級侍女がお愛の方さまの言葉で一斉に頭を下げる。

「え……はい。ありがたく存じます」

 稲どのが戸惑った答えを返した。

「本日は一度、退出してもらいますが、再び城に上がられた際には、わたくしの許で花嫁修業をしていただきます」

 にこりと、西郡の方さまが告げた。

「はいっ。よろしくお願いいたします」

 上座で、稲どのが深々と頭を下げた。

「良き娘御むすめごに育たれて。ねえ、お久さま」

 目を潤ませて西郡の方さまが母親のお久の方さまを振り返る。二人は知り合いのようだ。

「どうか、娘をよろしゅうお願いいたします」

 お久の方もその場で平伏した。

 その後、須和が付き添って広敷まで送り、表役人に伝えて本多家の家人に迎えに来てもらったのだった。

 そして三日後に本多家を出た稲は城へ上がった。出迎えたのは須和だ。

 お愛の方さまへ挨拶に行き、次は西郡の方さまの部屋へ導き、その後、小松姫として暮らす部屋へ案内した。

 そこではすでに本多家から連れて来た侍女たちが荷物の整理をしている。

「あまり気を張っていてはもちません。深く呼吸をなされては」

 緊張しきっている稲をおもんばかって声をかけたのだが、緊張の種類が違ったようだ。

「阿茶局さま。わたくし、興奮しているのでございます。女子おなごと生まれて、やっと殿さまのお役に立てるのですもの。本多家に生まれた者として、感無量ですわ。父のように槍一筋で戦場いくさばに立つことはできませんでしたけれど、他の大名家に嫁いで女の戦に身を投じるのですから」

「これは勇ましい」

 須和は、ほほっと笑った。

「その前に、小松姫さま。わたくしは奥仕えの女房に過ぎませぬ。どうか、呼び捨てで」

「あ」

 立場が変わったのだと、稲どのこと小松姫さまが理解したようだ。

「姫さま、女の戦にもいろいろとございます。我ら側仕え同士のもの、殿の寵を競う側室同士のものなど。けれども姫様は正室におなり遊ばされます。大名家の姫が輿入れるは、家と家をつなぐこと、そして姫さまご自身がお幸せになること。これが叶うことこそが、一番の勝利なのでございます」

 須和の言葉に、小松姫は深くうなずいた。







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