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三条の女

 年が明けて天正十六年(一五八八)、殿は正月の二十九日に遠江の中泉で鷹狩を行った。それ以外は駿府城にいて、戦のため何度も軍勢を率いて出かけていた数年前とは違い、穏やかな日々だった。

 そんなとき、須和の許へ神尾の家を興した息子に付けた小夜が訪ねてきた。十一歳になる娘のさちを伴っていた。

「小夜、改まってどうしたのですか。五兵衛、いえ、久宗に何かありましたか。それとも与一に?」

「いいえ、オカタさま。若さまはお健やかにお育ちになり、今日も元気にお勤めに励んでおられます。両親、夫や息子にも変わりありません。実は、このについて、ご相談したいことがございまして……」

 口ごもる小夜が言葉を切ったとき、横にいた幸が一礼してから声を張り上げた。

「どうか、オカタさま。わたし、オカタさまにお仕えしたいのです。嫁に行かず、一生奉公いたします。お願いいたします」

 と、平伏した。

「どういうことですか?」

 状況が分からず、須和は小夜を見た。そのお腹は少し膨らんでいた。第三子を身ごもっているようだ。

「この子がいきなり『ご奉公がしたい』と言い出しまして。奥勤めをしなくても、年頃になれば嫁に行けば良い、と夫と私が言っても聞かないでございます。それで仕方なく、一度連れて来てオカタさまのご裁可をいただこうと思いまして」

「そうね。ならば、一度私の許にいらっしゃい。ここで行儀見習いをして、よい縁談があれば、お嫁に行けばいいわ」

 須和が許可したので、小夜は何度も頭を下げ、娘を託していった。

 すぐあといったん、お愛の方さまの許へ戻った須和はここでも頼まれごとをされた。

「どうにも近頃は手元が見えにくくなって針仕事が進みません。須和、長丸と福松丸の小袖をわたくしの代わりに縫っておくれでないか」

「かしこまりました」

 と、須和は布地を受け取って部屋へ戻った。

 その夜、初めて親元を離れて寂しかろうと、須和は幸と布団を並べて寝ることにした。

「私がいないとき、幸は何をしていたの?」

「牧尾さまと弥一郎の相手をしていました。わたし、弟がいるので、子守は得意です」

「そうね」

 お牟須は息子に亡き夫と同じ名をつけていた。

「幸は、読み書きはできる?」

「かかさまに教わりました。できます」

「好きな食べ物はある?」

 と、とりとめもなく聞いていたら、幸がぽつりぽつりと話し出した。

「わたし、ととさまとかかさま、大好きなんだけど、ある晩、じじさまとかかさまの話を盗み聞きしてしまって……わたし、ととさまの子じゃないんだって。かかさまの前の夫だった人の子なんだって。これから弥九郎の下に子が生まれる。ととさまの子じゃない、わたしはここにいては邪魔なんだって……思って……」

 あとは、ぐしぐしと布団を被って泣き始めた。

(与一と前の夫の源三郎と二人の主人だった神尾孫左衛門、この三人の誰かが父親なのだろうけど。まったく男どもは、何てことをしてくれたんだか。その中で一番悪いのは、身分を盾に小夜を手籠めにした孫左衛門なのだけど)

 須和は溜め息をついてから、幸へ語りかけた。

「与一が……幸のととさまが、幸を邪険にした?」

「ううん」

 泣きながら幸は頭を振った。

「ととさまは、優しい」

「それは良かった。幸の実のととさま・源三郎のこと、死に別れたとき幼くて覚えていないかもしれないけど、幸のことを可愛がっていましたよ。与一もね、幸が生まれたとき、とても嬉しそうでした。母親もそうだけど、父親も子どもによって親になっていくのですよ」

 そうでない人も大勢いるけど、と付け加えた言葉は口にしなかった。

「だから、幸には産みのととさまと育てのととさまがいて、与一も幸のととさまです。二人に可愛がってもらって、二倍いいわね」

「そうなの?」

 幸は布団から顔を出した。

「だから、幸は遠慮なんてする必要はありません。思いっきり甘えなさい。といっても、納得できなくて家に帰りづらいのなら、ここにいなさい。でも、それなりに働いてもらいますよ」

「はい……」

 まだ腑に落ちていないようだったが、背中をとんとん叩いていたら、幸は眠ってしまった。

 そして翌日から幸は須和の小間使いとして教育を受け、奥勤めに慣れた頃には親と自分の問題をそれなりに自分の内で落ち着かせ、成人してからは須和の側仕えとして生涯付き従ったのだった。



 お愛の方さまの中臈女房としての勤めの合間に、須和は長丸君と福松丸君の小袖を縫い上げ、出来た物を御方おかたさまに見せると、「須和が持っていって」と命じられた。

 寒暖差が激しいためか、このところ御方おかたさまは具合がよくないようで、けだるそうに脇息に寄りかかって一日を過ごしていた。

「かしこまりました」

 と、請け合った須和は、あわせの小袖をそれぞれ乱れ箱へ入れ、東雲と早霧に持たせて、若君たちの部屋へ向かった。

 福松丸君の部屋へ行くと、「兄君の所へ行っておられる」と東条松平家の侍女に教えられた。福松丸君は元服したら、東条松平家へ行くことが決まっており、この城で母君兄君と暮らせるのは、あと数年のことだった。

 須和は東条松平家の者に「母君からでございます」と小袖を渡し、次に長丸君の部屋へ廊下を進んだ。

 今年十歳になる長丸君は、羽織袴姿で縁側に腰かけ、沓脱石に草履をはいた足を置いて、ぼんやりと空を眺めていた。

 少し離れたところに小姓が二人。そして土井利勝どのと須和の息子の五兵衛久宗が、庭に片膝をついて控えていた。

「若様、阿茶局でございます」

 側へ行った須和は、縁側で平伏した。

 風はなく陽ざしが温かい日だった。空に白い雲が浮かんで、ゆっくりと動いている。

「うん。大義。何の用か?」

 長丸君が振り返って、微笑んだ。

 体術や小太刀の稽古のとき、足元にまとわりついていた御子が大きくなったなあ、と須和は思う。

「母君さまより申し付けられました新しい小袖を持って参りました」

 と、一礼した。

「そうか。ご苦労であった」

 長丸君が言うと、部屋の奥から侍女が進み出てき、早霧から乱れ箱を受け取った。

「あの……若さまは何を見ておいでですか?」

 不躾な態度だったが、それが許されるほど須和は二人の若君に親しんでいた。

「うん。雲がな、色んな形に見えるなあと、眺めておった。あれなどは、鹿の頭のようであろう?」

「左様でございますね。ええ、あちらのは鶏でしょうか」

 二人でぽやんと空を眺めていたら、日々の忙しさの中できしんでいた心がほぐされていくようだった。

 癒される。こういうところは、母のお愛の方さまに似ている、と須和は思っていた。

「阿茶は……咎めぬのか?」

「何を、でございましょう」

 須和は顔を長丸君に方へ向けた。

「こうして過ごしていることを、だ」

「別に、良いではありませんか? 若さまはふだん、学問・武芸ともに熱心に勤めておいでです。たまにこんな時間を持っても。張りつめた弦は、いつか切れてしまうものです。ときどき緩めないともちません」

「そうか」

 長丸君が、にこりとした。

「あにうえーっ」

 庭の方から、側仕えを連れて福松丸君が駆けて来る。

「今、行く」

 長丸君は立ち上がって庭へ降り、そちらへ速足で向かった。土井利勝と神尾久宗も立ち上がって、それに従う。

(ぼんやりしているようでも、ご自身の〝泥人形のような〟という評判をご存知のようだ。子どもなんて、大きくなるにつれて変わっていくものなのに)

 勇猛で知られた亡きご長男を知る者の中には、長丸君が殿の後継にふさわしくないと言う輩もいた。

(決めたのは、殿。それに不足を言うは、不忠だな。誰が言っているのか、調べておこう)

 お愛の方さまとその御子たちをないがしろにする者を、須和は許すつもりはなかった。



 天正十六年三月十八日、家康は上洛した。二十九日には関白秀吉と京の郊外で鷹狩をし、京に滞在中の四月三日には秀吉から茶器と米二千俵が贈られた。このもてなしは、四月十四日から五日間にわたって行われる後陽成天皇の聚楽第行幸の下工作で、天皇が滞在中の十五日、諸大名から秀吉に誓紙が提出され、関白秀吉への絶対服従を誓った。家康もその一人であった。そして四月二十七日、家康は京から岡崎へ戻った。

 中国地方、四国、九州、北陸、東海の大名らを従えた豊臣秀吉が次に狙うのは関東と奥州である。

 北条氏は秀吉の侵攻に対するため、領内の城を整備し始めた。その北条氏へ家康は関白秀吉に従属するよう働きかけた。五月二十一日、氏政・氏直父子へ誓詞を送って秀吉への謁見を勧め、上洛しないならば、娘の督姫を離別するよう申し送った。

 そこまで北条氏に危機が迫っていたのに、北条父子の動きは遅く、実権を持つ自分たちではなく、当主氏直の叔父であり、家康と親しい氏規うじのりを八月二十二日に送って秀吉に謁見させたが、それは秀吉を満足させるものではなかった。

 これに先立つ六月二十二日、朝日姫の生母・大政所が床についたと聞き、家康は朝日姫を伴って病気見舞いのため、上京。大政所は危篤と伝えられるほどの重態であったが、その後、快復して八月十日に大阪へ下った。これによって、朝日姫は九月上旬に駿府へ戻って来た。

 この間、七月八日に秀吉は京都・方広寺の大仏造営にことよせて、一揆を起こさせないよう百姓衆から刀などの武具を差し出させた刀狩令を発している。



 六月に大政所の病気見舞いのため上洛した殿は、北条さまとの交渉があるため、正室さまを残して一人で駿府に戻ってきた。そしてこの年の八朔の行事も無事に済んだ八月の終わりに、須和は三島局に呼び出された。

「阿茶局どの、もうわたくしは殿付きの老女の役を降りたい。殿がお若いときからお仕えしてきましたが、今度こそ無理だと思い知りました」

 はああ、と脇息に寄りかかって三島局は重い溜め息をついた。

「何があったのですか?」

 須和の問いかけに、三島局は頭を振った。

「殿が御前さまの侍女に手をつけ、孕ませました。これが関白さまに知られたら、まずいことになるのではありませんか? 御前さまの留守にですよ?」

 豊臣秀吉との和解のあと、御前さまの女房の中で京者が何人か殿付きの侍女になった。もう暗殺の危険はないとのことで、殿からの希望でもあったと聞く。相手はそのうちの一人、三条家出身の女だという。

(あンの浮気者)

 困った女好きだ、と怒りが湧いたが、須和はそれを抑えて三島局に頼んだ。

「殿とお会いできるよう申し上げてくださいませんか」

 三島局は快くうなずき、「ぜひ殿に意見してください」と強く勧めた。

「阿茶か。久しいな」

 部屋に通され、上座に坐る殿に一礼したら、そう言われた。

 正室を迎えるにあたって、側女そばめがいては外聞が悪いと御方おかたさまの侍女に戻ったのだが、一年と少しばかり離れていただけなのに、ずいぶん長い間側にいなかったように須和も感じた。

「お蔭さまにて、恙なく過ごさせていただいております。ところで殿、三島局さまからお聞きいたしました。〝はも〟の味はいかがでございましたか?」

 須和は優雅に尋ねた。しかし嫌味が入っている。

『はも』はウナギに似た魚で、西国でよく食され、東国では食べない。その『はも』を、京女に例えた当てこすりだ。

「うむ」

 と、殿が目を泳がせた。須和の嫌味が分かったようだ。

「阿茶の悋気に当てられた」

 焼きもちなんてしとらんわ、と腹が立った。このうぬぼれや。額に青筋が立っているだろうな、と自分でも思った。

「三条家の分家筋の女とか。御前さまはご存知でしょうか」

「アレの許可は得ておる」

 多分、『よきにはからえ』みたいな返事をもらったのだろう。

「そうでありましょうが、輿入れから二年も経っていない内にお付きの女房と共寝されるのは、御前さまの兄上の怒りをかいませんか?」

「関白はわし以上に側室をもっておる。怒りはせぬだろうが、聞こえは悪かろう」

 むむむ、と呻いたのち、殿は言った。

「子は養子に出す。側室にはせぬ。公家のそれも三条家の出というので、教養深い者かと思ったが、違っておったな。もの知らずの、ただの女であった」

「三条家は一時、没落したと聞き及びます。それゆえかと」

「なるほどな。公家もいろいろか。よい教訓になった。三島局には、そのように伝えよ」

「御意」

 一礼して、須和は下がった。

 そして三島局に復命したら、言われた。

「長くお側に仕えておりますが、殿のお気持ちはなかなかわかりません。こんなことを申し上げたら、お怒りになるかといつも考えながら言上しております。その点、阿茶局どのは殿のことをよくおわかりです。わたくしの後任として、こちらに上臈女房として戻ってきませんか」

「せっかくのお話ですが、お愛の方さまの具合が最近よろしくないので、離れがたく」

 断ったのだが、再三勧められ、後任ではなく、三島局の補助として、そしていつでもお愛の方さまの様子を見に行っても良い、との条件で須和は殿付きの侍女に戻ることになった。

(公家の女に興味を持ったのも、信玄公の継室のお裏さまが三条家の出であるのを知ってのことであろう。無口で分かりにくいと言われる殿だけど、表情や所作を見ていれば、その考えが分かりやすい方なのだが)

 須和と他の人たちとは、殿の見方が違うようだ。



*****



 三条家出身のその侍女は、翌天正十七年に男児を産んだ。徳川家海賊衆の小笠原広重の次男・広朝(正吉)の妻となり、子は広朝の養子となった。しかし慶長の末年、その子・小笠原権之丞は切支丹となったので放逐された。大坂方の宇喜多氏家臣で切支丹の明石守重(全登)と仲がよかったため、のちの大坂夏の陣では大坂城に入り、天満橋で戦死したという。









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