表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/54

大政所の下向

 水瀬局とその配下の女たちが浜松城から姿を消したあと、特に日常に変わりはない。むしろ八束局が中心となったことにより、正室側に話が通りやすくなった。ただ、働いているのは尾張女おわりめばかりで、他の京・近江出身の女房たちは京風の食事をし、たまに衣装や身の回り品の買い物を茶屋などの出入りの商人に申し付け、おしゃべりばかりをして日々を過ごしていた。

(徳川の御家であの態度は許されないだろうな)

 大坂は違うのか、と須和は変に感心した。

 当の女主人、朝日姫さまは朝夕の食事をすることと、御手水をすること、あとは寝るだけで殿の訪れもなく、ぼうっと日を過ごしている。それを女房たちはお慰めもしない。

「高貴な御方に仕える女房はいるだけで権威づけとなり、身を飾る必要があるそうです」

 京言葉が話せる松木家出身の牧尾が大坂方の侍女の一人と仲良くなったとかで、そう教えてくれた。

「怠けているように見えますが、二人ほど大坂にこちらの様子を報せている女房がいますね」

「あら。主人は知らなくて間諜をしている側仕えを五人は見つけましたわ」

 東雲と早霧も続いて言った。

「なるほど。油断してはなりませんね。みな、引き続き監視をしてください」

 須和は側仕えたちへ告げた。三人は自らだけでなく、実家さとから連れて来た女たちも使ってその仕事をしている。間諜たちの大坂への連絡は本多正信さまがうまくさばいてくれるだろう。

(褒美をあげねばなりませんね。さて、何がいいでしょう)

 思案しながら、須和は三島局にそれを復命しに行った。

 報告を聞いてから、三島局は須和へついてくるよう告げた。

八朔はっさくの贈り物の目録が出来ました。御前さまに御覧にいれなければなりませんので、ついてきてください。……上方かみがたの御方に何か言われたときには、気づいたことを言ってくださいね」

 三島局は八束局が苦手のようだ。

「かしこまりました」

 須和は一礼して、三島局に続いた。

 先触れを出して正室さまの部屋へ入る。御簾は上げられており、顔は白粉で真っ白、うちき姿の御前さまが上段に坐り、その手前の左側に八束局が坐っていた。壁際には飾りのように豪華な衣装を身に着けた女房が五人、並んで扇で顔を隠している。

「八朔の目録でございます。お確かめくださいませ」

 三島局が紙に書かれた物を差し出した。

 家同士の付き合いは表役人が昨年の記録を参考に進物の候補を決める。しかし徳川の奥向きとの関係者はお愛の方さまを中心に決め、最終的には殿の裁可を得るのだか、ここまでの過程の中、加えて正室の朝日姫さまの認可が必要になった。

 膝行して目録を受け取った八束局が、はらりと中を開いて見たのち、正室さまに御覧に入れようとしたら、待ったがかかった。

「わしが見ても分からん。よきにはからえ」

 壁際の女房たちの肩が震える。扇の向こうで嗤っているようだ。

(無礼者が。誰が自分の主か分かっておらぬようだな)

 他人事ながら、須和は腹が立った。

「御前さまの仰せじゃ。これでよい」

 八束局が目録を返して来たとき、須和が声を上げる。

卒爾そつじながら……」

 三島局が、ぎょっとなって後ろの須和を振り返った。

 大丈夫、とうなずいて須和は続けた。

「御前さまの故郷へ我が家の料理人を遣わして、土地の食事を習わせました。一度、ご賞味していただけませんか」

「それは……」

 と、八束局が難色を示したが、続く言葉はすぐにかき消された。

「故郷……中村郷の? 食べたい!」

 いつも決まった単語しか言わない朝日姫が叫ぶ。

「では、夕餉に持って参ります」

 須和は八束局に断られる前に頭を下げた。

 無茶苦茶な結婚を押し付けてきた大坂方にいろいろ言いたいことはあるけれど、当事者となった朝日姫が気の毒だと思ってはいたのだ。また、西郷局さまと西郡局さまも同じように感じており、須和が正室さまに故郷の料理を差し上げる計画には賛同してくださっていた。

 夕刻、御物おもの係の侍女たちが膳を持って正室さまの部屋へやってきた。通常の京風の料理の横に、もう一つ膳が置かれ、そこには田舎料理が二品あった。

 夕餉のときに須和も同席し、すでに毒見が済まされた料理の、特に田舎料理を小皿に取り分けて、須和が再度、毒見をした。

「失礼つかまつりました」

 小皿の物を食べたあと、須和は一礼する。

「御前さま、よろしゅうございます」

 八束局が正室さまにうなずくと、朝日姫さまは京風料理には見向きもせず、田舎料理の膳から手を付けた。

「うまい! うまい!」

 芋粥と野菜の煮つけだったが、それを猛烈な勢いで泣きながらかき込んでいる。

「阿茶局さま。御前さまはたいそうお喜びのご様子。ご苦労でした。我がほうの料理人が大坂より到着次第、当方もときどき、このような料理を出そうと存じます」

「では、正月の雑煮も御前さまの慣れ親しんだ尾張風にいたしましょうか。こちらでは味噌を使います」

「わしンところでは、澄まし汁に角餅と餅菜を入れる」

 須和が八束局と話していると、朝日姫が横から言った。

「では、そのようにご用意いたします」

 あとは用が無さそうなので、須和は退散した。

 その後すぐに大坂の料理人が来たようなので、もう食事について苦情を言われることはなくなった。

 八朔の進物についても、徳川家として関白へ贈り物が為され、正室の朝日姫から関白、北政所へ贈り物がいったが、殿が上洛することはなかった。



 婚儀のあとしばらく浜松城の奥では、それなりに平穏な日々だったが、九月に入り、関白秀吉が豊臣姓を賜ったあと、徳川家に「生母の大政所を人質として下す」という連絡が入った。名目は、娘の朝日姫を見舞うというものだった。

 徳川方では九月二十六日に浜松で、上洛することの是非を巡って評議が行われた。

 家臣たちの多くは「上洛すべきではない」と強硬だったが、家臣たちの意見を尊重する家康には珍しく、「上洛する」と自ら決めた。その際、「もし自分が切腹するような事態が起きたときには、人質の大政所を殺し、継室の朝日は生かして秀吉の許へ送り返せ」と指示した。

「妻を殺して自分が腹を切ったということになれば、異国の地まで外聞を失い、末世までその悪評が伝えられる」

 との理由だった。

 裏切りの代償として妻がいつ殺されるかしれない境遇にあるにしても、武士の面目として、ひとたび縁を結んだ妻の命は義理があるので守らねばならない、という慣習があった。

 一方で、謀殺されることがあれば、と家臣たちに言い含めた。

「わしは脱走して京の東寺に籠城する。その風聞は三日のうちに浜松に聞こえるだろう。そのとき、井伊直政をもって大将とし、一万人を二十陣に分けて急ぎ上洛せよ。酒井忠次は別に一万人を率い、叡山にのぼれ」



(織田右府さまあたりなら、相手が裏切ったならば、妻を殺してしまうだろうけれど、『律儀』の評判を得ている殿は、それを忌避したいのであろうな)

 と、殿の言葉をあとから聞いた須和は思った。

 はたして、秀吉は殿を殺すか、生かすか。

 殺せば大乱となり、生かせば自らは天下人に確定する。

 その前に、「やってくる大政所は、はたして本物だろうか。御所勤めの古びた女房を代わりに出したのではないか」という者が家臣の中におり、一同それにうなずいた。そのため、徳川方は策を講じた。



「須和。いえ阿茶局、そなたも御前さまの供で岡崎へ行ってはくれまいか」

 西郷局さまこと、お愛の方さまが須和に告げたのは十月の中ごろのことだった。

「大政所さまが下向されたとき、岡崎城で御前さまがお迎えなされるとのこと。殿が一番大事な家臣たちの一部が暴走して、御前さまと大政所になにかあったら、関白さまの怒りをかい、今度こそ殿と我が徳川は滅ぼされてしまいます。そなたなら機転が利き、殿と重臣の方々に意見もできましょう。そのため、岡崎へ行ってほしいのです」

「仰せのままに」

 須和は一礼して退出した。

 次に八束局へ先触れを出し、会って岡崎へついて行くことを伝えた。

「阿茶局さまについては信用しておりますから、徳川さまの家臣の方々と話ができる阿茶局がきてくださるのは、ありがたいです」

 八束局からも許可が出たので、須和は側仕えの三人を連れて馬に乗り、正室・朝日姫の行列の供をした。

 浜松を出て翌日の十月十八日の夕刻、行列は岡崎城下へ入った。そして大手門へ続く辻で、西から来る行列と行き会う。

「大政所さまのお行列ではありませんか?」

 騎乗した須和の傍らで歩いていた早霧が言った。

 と、正室さまの駕籠の引き戸が開いて、侍女に何か言う。

 こちらの駕籠が停まると同時に、向こうの駕籠も停まった。

「ああっ」

 悲鳴のような叫び声と共に朝日姫が転び出て、裸足で駆ける。

 裾を踏んで転んだ。そこへ白髪頭の女が駕籠から飛び出て駆け寄り、起こして二人は抱き合って大声で泣いた。

「間違いない」

 誰のつぶやきであったか分からないが、須和の耳にそれが届いた。

(大政所の真贋を見極めるための再会か)

 非情なことだが、主を守るためなら、徳川の家臣たちはこれくらい平気でするだろうと、須和は理解していた。

 お付きの者たちがそれぞれをなだめ、大政所と朝日姫は再び駕籠に乗って岡崎城へ入った。

 須和は行列と共に岡崎城へ入って旅装を解くと、二の丸に住む生母さまの所へ挨拶に赴いた。

「ご苦労。朝日姫さまを労わってさしあげておくれ」

 西郷局さまからの挨拶の言葉を伝えると、お大の方さまから、そう告げられた。夫君の久松さまの容態が悪いようなので、看病のためか面やつれしておいでだった。

 一方、大政所に挨拶をした殿は一万人の供を連れ、翌々日に京へ向かって出発した。

 殿が留守の間、正室さまと大政所さまは本丸の殿舎で暮らすことになったのだが、食事などに不足はなかったものの、重臣の井伊直政、大久保忠世が手勢を率いて殿舎を監視し、城代の本多重次は殿舎の周りに柴薪を積み上げ、臣下に昼夜見回らせ、大坂で殿が殺されたという報が聞こえたならば、すぐさま火をつけて母娘を焼き殺す態勢をとった。

「おみゃーさんは、えっれえとこに嫁入ったもんだなも」

 驚き呆れて、つぶやく大政所。ただ泣くばかりの朝日姫。

「これは、あまりな仕打ちでございます」

 八束局に詰め寄られ、須和は平謝りだった。

「まことに。まこっとに申し訳ありません。三河者は世間知らずな上、無骨者ばかりで、殿がいないことによって気が立っているのでございます。どうか、ご容赦くださいませ。男どもが何事かいたすようでしたら、わたくしが盾になって御前さまと大政所さまを必ずや落ち延びさせる所存でございます。どうか、いましばらくのご辛抱を」

 と、須和は平伏しつつ、殿が無事に帰ってくることを祈っていた。



 十月二十四日に京の茶屋四郎次郎清延の屋敷に入った家康は、二十六日には大坂に赴き、秀吉の弟の羽柴秀長の屋敷に泊まった。接待は秀吉の家臣・藤堂高虎である。

「今夜はごゆるりとご休息あるべし」

 と伝えたが、徳川方はその言葉を無視し、謀殺を予想して臣下の一万人は交互に休むことにし、陣中同様、夜食を出し、宿舎の周りの路上には篝火をたかせて警備を固くした。

 夜半、秀吉がそこを訪ねてきた。上洛を感謝し、翌日の正式な対面のことを依頼してきた。

 家康はそれを受け入れ、翌二十七日、大坂城で会した際、家康は妹婿として臣従することを明らかにし、講和は成った。その後数日、大坂城では家康主従のための酒宴や能が催された。

 家康は京を十一月八日に出て、十一日に岡崎に戻った。そして翌十二日には大政所を大坂に送り返した。



 殿の無事が伝えられ、その姿を見て歓喜した人びとの中に、須和もいた。大政所を大坂へ送り出し、殿は正室の朝日姫を伴って浜松城へ戻った。

 吉日ということで九月十一日に駿府城へ移る仮の儀式が行われていたが、十二月四日に正式に引っ越すということで、その準備に他の侍女たちと共に須和も謀殺され、波乱の天正十四年は終わった。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ