狐の始末 1
正室さまの前を下がった須和は、ついて来ていた側仕えの牧尾をそのまま先触れに出し、三島局の部屋に向かって復命した。
「御物については、あちらが料理人を用意するとか。お付きの女房たちの衣装についても、正室さまの方で賄うということです。すぐには用立てられないときには、土倉から銭を借りると」
「まあ。衣装ごときでそんなことをして良いのでしょうかね」
三河者の三島局が驚いている。
「今川家でのこともありますし、大坂の方たちは借金に慣れておいでのようですから、いいのでは?」
「そうかもしれませんねえ」
須和の生まれた甲斐の国主、武田家では家臣たちが土倉から銭金を借りるということはほとんどなかった。しかし、都ぶりの派手な暮らしに慣れた今川家の家臣たちは土倉から銭を借りるのが通常のことだった。また戦となれば、褒賞は後からなのでまずはすべてを自費で賄わなくてはならない。そこで土倉から費用を借りる。担保に土地を質入れし、それが取り返せず、寄親に泣きつく寄子が続出したので、今川家ではたびたび禁令を出してそれを取り締まった。
殿はそれを知っているし、三河はもともと今川家に搾取されて貧しかったので、徳川家では質素倹約を奨励し、武士の妻には手内職の機織りの得意な者を勧めるのだ。
一方、京・大坂、そして尾張。商業の発達した地域では、商売で利を稼ぐという風潮があって、関白・秀吉からしてその発想から動き、借金してもその分取り返せばいいという考えで、地道に稼ぐことしか知らない三河者とは根本から違っていた。
「それから、正室の仕事は水瀬局でなく、今まで通り我らがすればよいそうです。御前さまから、そのようにお言葉をいただきました」
「まあ、良かったこと」
三島局が安堵の息を吐いた。
「さっそく殿と御方さまたちにそう申し上げましょう」
三島局を安心させた須和は次に本多正信さまに使いを出し、都合の良い日に面談をしたいと申し入れた。
すぐに返事がき、「夕刻にでも」ということだったので、「諾」と返答した。
本多正信さまは夕食が終わった頃に須和の部屋を訪れた。
須和は正室さまの部屋であったことを語った。
「京風の料理は、我が家の料理人でもできます。かつて今川家に仕えていて、京料理をお館さまに供していた者がおります」
「では、その方にお頼みしましょう。ただ、京風の膳を出すのは、大坂の方たちだけにしてください。それと、御前さまの郷里、尾張の中村郷に料理人を派遣して、地元の料理を学ばせてください。たまには御前さまに故郷の味を楽しんでいただきたいと思います」
「なるほど。それはようございますね」
本多さまが、ふっと笑みを浮かべた。
「それから、しばらくは大坂の方たちの出す文を止めてください」
「それはいつまで」
「しばらく……としか、今は申せませんが」
水瀬局の様子から、あれで済むとは思わなかった。向こうが仕掛けてくるか、こちらから仕掛けるか。どうなるかは分からないが。
文使いを止めることを、本多さまは請け合ってくれた。
「大坂方の衣装については、茶屋さま。土倉は駿府の松木与三左衛門さまを使います」
これについても、本多さまはうなずいた。
「また、御前さまは徳川家正室の仕事をなさらず、それはこれまで通り、お愛の方さまを中心に我らが行います」
そう告げると、本多さまは大きくうなずいて、その後、須和と詳細な打ち合わせをしてから、去って行った。
翌日、お愛の方さまの身の回りのお世話をして、一時部屋へ戻ると、八束局からの使いが待っていた。会見の日時をすり合わせるためだ。
そして八束局と会うのは、午後と決まった。
その時刻の少し前に御方さまの前から退き、須和は部屋へ戻った。その直後に先触れの女房がやってき、八束局が廊下をしずしずと歩いて来た。
須和は八束局のため上座に円座を敷き、自分は下座に坐って頭を下げた。
しかし八束局は廊下で端座し、須和に頭を下げる。
「わたくしの配下の者が、たいへんな無礼を働き、申し訳ございませんでした」
「いえ。わたくしの方こそ、大変な無礼を働きました。どうか、ご容赦くださいませ」
互いに謝罪したあと、八束局は須和が勧めるまま上座へ坐った。
「阿茶局さまにはすでにわたくしのことをご存知かもしれませぬが、改めて申し上げます。わたくしは尾張の出で、北政所さまの養家の主、浅野弾正さま所縁の者でございます。このたび関白さまの妹君が徳川さまへお輿入れされるということで、北政所さまの命によってお側付きとなりました。水瀬局は関白さまより朝日姫さまの側仕えとなるよう命じられた近江の旧浅井家臣の娘です。ですので、いささかご奉公の意図が違いまして……先だってのような仕儀になったのでございます」
「なるほど」
以前、夫が羽柴の家臣であるお加代さまが手紙でこぼしていたことがある。長浜城主になってから羽柴秀吉は近江者を多く召し抱えたと。近江者は都に近いこともあって如才なく、よって以前から仕えていた尾張や駿河・遠江出身者は出世が遅れるようになった。それに不満を抱いた舅さまは家督をお加代さまの夫に譲って出家してしまったとか。
「実を申しますと……わたくしと水瀬局の側仕え以外の者は禄の高さに惹かれて来た者ばかりですので、教育が行き届かず、お恥ずかしい限りでございます」
確かに様子を見ていると、正室さまと一緒に来た女房たちは無駄話ばかりして働いていない。そのくせ、食事や待遇に文句ばかりつける。
(何かあったら、御前さまと共に殺される可能性があるから、侍女になるのを皆が嫌がり、報酬につられた者が来たというわけか)
と、須和は察した。
「担当の者に相談いたしましたら、京風の料理を作れる者が御厨にいるそうですので、御物についてはこちらで用意できそうでございます」
「まあ、それは願ってもないこと」
「お衣装についても、徳川の御用を勤める茶屋四郎次郎家に頼めば、京にいると同じような物を提供できるでしょう。土倉は駿府の松木にまかせます。これは、わたくし所縁の者でございますゆえ、身元は保証いたします」
低利で貸してくれるかは分からないけれど。
「それについてですが、北政所さまが義妹の朝日姫さまの必要経費を賄うとわたくしに申し付けられておりますので、少し時間がかかりますが必ずこちらでお支払いいたします。関白さまも、嫁入りを急ぐあまり化粧料のことなどすっかり忘れておいでのようですから、殿方というのは本当に仕方がありませんね」
ほほ、と笑った八束局に、須和も笑みを返し、正室の仕事については八束局に後で報告するということで打ち合わせ、局は帰っていった。
(話の分かる方で良かった。油断はできぬが)
明るい気持ちになったところで、須和は茶屋の手代と松木与三左衛門宗清を呼び出す文をしたためた。
三日後に、顔なじみの茶屋の手代と久しぶりの松木与三左衛門が須和の部屋へやってきた。
「文で報せましたように、御前さま付きの女房たちのお衣装を請け負っていただきたいのです」
「へい、願ってもないことで。大坂の方々は目が肥えていらっしゃるゆえ、こちらも気張らねばなりませぬなあ」
高い物を売りつける気満々の茶屋の手代は、えびす顔だ。
「お代は北政所さまがお支払いくださるそうです。でも、何かと物入りでしょうから、松木さまから借りるよう勧めておきました」
「いやもう、阿茶局さまと縁を結んでくれた五兵衛には、感謝をどれほどしても足りませんな。わしも京・大坂の商人と並んで商売できるとは感無量です」
松木与三左衛門も、にこにこしている。
「貸した金の取りはぐれはないと思いますが、女房たちとその実家を一覧としたものを渡しておきます」
と、須和は酒井忠重からもらったものの写しを松木与三左衛門の前に差しだした。
「これは痛み入ります」
松木与三左衛門はその紙を押し頂いた。
それから大坂の女たちが必要とする櫛や白粉などの高級な小間物は松木五兵衛が取り扱うことを二人の商人は決めた。
「姪の婿にも、良い目を見せねば罰が当たりますからなあ」
と、松木与三左衛門が、わははと笑った。
話を持ってきた須和への配慮だろうことは、すぐに分かった。
その後、須和は二人を連れて八束局の部屋へ行き、目通りをさせ、以後は台所の広敷で商売する許可を得た。
その初日、きらびやかな布地を持ってきた茶屋の者たちを大坂の女たちが取り囲み、金を貸す商談をする松木の者たちにも大勢が押しかけ、この賑わいを徳川の女使用人たちが遠巻きにして眺めていた。
(それにしても、ここまで窮されましたか)
大坂方の女たちの実家の一覧を見たとき、はっとし、今までずっと喉に小骨が刺さったような感じが続いている。
あの書面の中に、お裏様の実家の三条家があったのだ。女は二人いた。おそらく分家の者だと思うが。顔は分からない。布地を見せる茶屋を取り巻く女の中にいるかもしれないけれど、それも須和には分からなかった。
女童としてお裏様のお屋敷で奉公していたとき、淡路局さまから一度だけ聞いたことがある。
お裏様が嫁がれてから、父君は周防の大内家に滞在しているときに戦に巻き込まれ、亡くなったのだと。お裏様自身は甲斐の国主・武田信玄公の継室、姉君は管領家の細川晴元さまの正室、妹君は本願寺の顕如さまの正室となったけれど、家を継ぐべき男子がおらず、父君が亡くなった際、三条家は一時断絶したが、分家筋の三条西家から養子が入り、家名は存続したものの、太政大臣まで出した三条家は衰退の一途をたどったと。
(卑賎の身から出た者が関白となって世をときめき、女御・更衣となってもおかしくない家の者がその親族に仕えているとは。世の変転はすさまじいものじゃの)
悲しくも感慨深く、またそのような世の中を渡っていかなくてはならないのは、自分も同じだと須和は思った。
2025年8月16日、日間歴史で62位になりました。
ありがとうございます!




