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朝日姫の輿入れ 2

 天正十四年(一五八六)四月に、朝日姫は大坂城を出て建築中の聚楽第じゅらくだいに入った。

 聚楽第は京の内野の内裏跡に春頃から着工され、翌年九月に完成したときには、四方を濠で囲まれ、瓦は金色、庭には名木・奇石を並べた豪華絢爛な大邸宅で、天正十八年(一五八八)の四月には、後陽成天皇の行幸を受ける場所である。

 そして五月、花嫁は京を出発した。秀吉とは相婿の関係にある浅野長吉あさのながよし[長政]ら士卒と侍女合わせて百五十名余りを従え、人足千七百人、馬百疋が用意され、婦人用の輿が十二挺、釣輿十五挺、代物だいもつ三千貫、金銀二駄、嫁入り道具は数知れず、という華麗な行列であった。さらに尾張で織田信雄の家老らがそれに加わって東海道を東へ行き、十四日に浜松に至り、朝日姫は婚礼の儀を行った。



 これより先の四月の初めに、須和は久宗と守繫を呼び出し、それぞれの近況を聞き、自ら縫った夏用の小袖を渡してねぎらった。

「二人とも知っていようが、殿は大坂より正室を迎えられます。城内がしばらく落ち着かぬでありましょうが、若君へのご奉公を疎かにせぬよう励みなさい」

「はい、母上」

「承りました、義母上」

 二人の息子は元気に返事をし、須和の部屋を去った。

 実は久宗については小夜から、守繫については萩野から暮らしぶりを聞いて知っている。

 久宗は誠心誠意勤め、八歳となった長丸君の信頼が厚い。というか、懐かれている。武芸はほどほどだが、学問についてはかなり高等な域まで至っているようだ。守繫はお目見えを許されていないが、同じ身分の近習たちと一緒に学び、武芸・学問共に追いつきつつあった。

 二人はまだ十三歳。素直に伸びていって欲しい、と母として須和は願っていた。



 五月十四日に浜松城へ到着した四十四歳の花嫁は四十五歳の花婿と婚儀を終え、その継室となった。

 朝日姫が嫁ぐ際、徳川方は条件として、「朝日姫が家康の子を産んでも嫡子としないこと」「長丸を秀吉の人質としないこと」「万が一、家康が死去しても秀吉は徳川領国の五ヵ国を長丸に安堵して家督を継がせること」を秀吉側に了解させている。



 そして正室となり、義理の母となった朝日姫に長丸君が挨拶をするときがきた。

 朝日姫のために城の奥に公家風の部屋を作り、しつらえも御簾みすを垂らし、御殿のようにしてある。御簾の奥には朝日姫とお付きの女房(侍女)がおり、御簾の斜め前には緋袴ひばかまうちき姿の取次の女房が坐っている。そして部屋の隅には扇で顔を隠した十五人ばかりの侍女たちが並んでいた。

 長丸君が傅役の内藤清成さまと青山忠成さまを従えて部屋へ入り、正室さまへご挨拶申し上げた。

 かすかに声がし、それをお付きの女房が取次の者に伝え、それをまた御簾の前の女房が告げる。

「大儀である」

 廊下で遠くからその様子をうかがっていた須和は、「無礼な」と思うと同時に、「本当にそう答えたのか」と疑いも持った。農家出身の女が、そんな尊大な態度を取るか? 兄が関白だから?

 長丸君と二人の傅役は顔色も変えず、そこを退出した。

 次に三島局が先触れとして正室さまの御前へ伺い、続いて側仕えを従えて入って来た下山の方さまとお竹の方さまを紹介する。それに対しても同様のやり取りがあり、部屋から下がる。

 その次は、お愛の方さまと西郡の方さまだった。今は上臈として、西郷局さいごうのつぼね西郡局にしごおりのつぼねとするのが正式な呼び名だ。

 その西郷局こと、お愛の方さまの付き添いとして須和が従い、西郡局こと、西郡の方さまには於茶阿局が側に従っていた。

 四人の(おかた)さまたちは、この日のために殿の許可を得て打掛を新調していた。けれどもやはり地味で、大坂からやってきた女たちの金糸をふんだんに使ったきらきらしい衣装と比べると見劣りする。

 くすくす、と扇の向こうで侍女たちが笑っていた。

「戦に強い徳川と言っても、たいしたこと、あらへんなあ」

「見やれ。田舎くさい。あれが世継ぎのご生母だと」

「わあ、びんぼくさい。京・大坂から、とおおなって、ずっとこんな田舎で暮らさならんのかえ。退屈やなあ」

「あれ。おうなやないの。あれも愛妾かえ? 変わった趣味じゃな。殿下のご側室さまは名家の出、それも若い美姫ぞろいじゃ。それに比べると、馬糞くさいのう」

 目の悪いお愛の方さまが、打掛の裾を踏んでくらりとよろけた。須和はとっさに横へ回り、その身体を支える。

「ありがとう、須和」

 小声で礼を言ったお愛の方さまは御簾の前に坐って挨拶を述べた。西郡の方さまも同じようにする。

「大儀」

 先ほどと同じ言葉が返ってきた。

(許さん)

 御方おかたさまを笑った奴ら。徳川の漬物は殿の方針で飯を進ませぬよう塩辛く作られているが、特に大坂者たちには辛くするよう、御厨みくりや[御台所]の者に申し付けておこう、と須和は決めた。

 儀礼が終わり、お愛の方さまと西郡の方さまが部屋へ戻ってから、須和は於茶阿局に呼び出された。

「なんて無礼な女ども。我らを田舎者と見下して。西郡の方さまを『媼』って言ったのよ! 自分たちの主の方がよっぽど老婆でないの。色が黒くて不美人なんですって。だから御簾の奥から出て来られないのよ。殿がおかわいそう。あんな醜女ぶすを押し付けられて。だいたい、関白の妹といっても、元は農婦なのでしょう? 西郡の方さまの教養深さには足元にも及ばないわ。御方おかたさまは、おっとりとしていても芯はしっかりしていらして、お優しくて御歳を召してもお美しくて。あんな女、比べるのも烏滸がましいわ」

 と、自室で遠州なまりの悪口を並べた。

「まあまあ。落ち着いてくださいな」

「あなた、お愛の方さまも侮辱されたのよ。腹が立たないの!」

「腹が立っても、あれがわたくしたちの女主人ですのよ?」

「だから、余計に腹が立つのよ。あんなのにお仕えするの?」

「お仕えするのは、朝日姫さま。お付きの女たちではないわ」

「その言い方。何か腹案があるのね」

 直接には答えず、須和は於茶阿局をなだめた。

「ともあれ、様子見をいたしましょう。ご挨拶が済んだら、あとは御方おかたさまたちと若君・姫君たちを大坂の女どもに接触させぬように」

「ええ、分かっています」

 於茶阿局も、悪口を吐きだして気分が落ち着いたようだ。大きくうなずいた。

(関白の位に上っても、公家と武家のありようを知らぬのか、それとも誰にも教わっていないのか、知らないままなのか)

 大坂から来た集団を数日観察して、須和は疑問が次々湧いて来た。

 武田家に嫁がれた三条家の姫君、お裏様は独立した屋敷を持ち、女房(侍女)だけでなく京侍や料理人も伴っていた。下働きは甲斐の者を雇い、後年になって私のような女童めわらわも地元から採用したけれど、もともとは京の者がお仕えしていた。小京都と呼ばれた駿府でも、今川氏輝さま・義元さまの母君で中御門家出身の寿佳尼さまはそのようにお暮しだったと聞く。

 しかし関白の妹君の朝日姫さまは、嫁入りの衣装・調度類はとてつもなく高価で華やかだけれど、嫁入りの際、ついてきた者たちは婚儀が終わるとほとんど去り、京侍もおらず、三十人ほどの女房とそのお付きだけが残っている。また化粧料としての領地も持ってない。関白殿下の妻・北政所さまは一万石余りの知行地を持ち、輸入生糸の売買の権利まで持っているというのに。―――これは義弟の五兵衛どのから聞いたことだが。

 また、武家であれ公家であれ、結婚しても夫婦は別姓で、財産もそれぞれ別なのが普通だ。もっとも公家はいかに高位であろうとも、長く続く戦乱で領地も失い、体面を保つのもままならぬ有様。しかし関白となった秀吉さまは各地の金銀の鉱山を自分の物とし、中国や南蛮との交易に熱心で主要な港湾を抑えて、大層な金持ちと聞く。その妹君に財産を持たせてない? 金銀を二駄持って来ているが、お付きの者たちがあのような贅沢をしていれば、すぐに尽きてしまうだろう。

 豪奢な物を添えて妹を政略の道具として送り出しながら、公家として嫁入らせるのではなく、武家のように人質を兼ねての嫁入り。おまけにつけた女房たちは教養・配慮のカケラもない無礼者ばかり。

(なんとも、ちぐはぐじゃの)

 違和感を抱いていると、三島局から呼び出しがあった。

「阿茶局どの。わたくしは今すぐにでも、殿付きの老女の役をそなたに譲りたいくらいじゃ」

 と、憔悴している。正室付きの女房からさまざまに苦情があったそうだ。

「まずは御物おもの[食事]。味が濃すぎるから京風にしてほしいとのこと」

 これについては須和が少々嫌がらせをしたので、その点、黙って聞いていた。

「お付きの者たちの衣装をもっと自由に買いたいと」

「それは許可できません。殿がまず、『よい』とおっしゃるわけないです。散財はこの領地の財政再建のおり、無理です。正室さまへ当てる予算も決まっております。買いたければ、ご自分の銭金か、あるじの朝日姫さまに買っていただいたらよいかと」

「それを言うと、羽柴方にこちらの弱みを見せることになってしまう。遠回しに贅沢はいけないと答えたら、嫌味と悪口を半時はんときも聞かされた。ここで諍いでも起こすと、向こうにつけいる隙をみせるやもしれぬ。だから、それ以上は抗弁できなんだ」

 三島局が重い溜め息をついた。

「さらに、御前さまは正室としての勤めはなさらぬそうじゃ。以前の婚家でも、『知らないから』ということでお付きの老女がしておったとか」

「織田家家臣の家妻と五ヵ国を領有する大名の正室とは為すべきことが大違いです。他家との付き合い、親族の叔母様方、妹君さまたちとの連絡や贈答、側室や奥の侍女たちの監督、人質の管理など、することは山ほどございます」

「それを、側近の水瀬局みなせのつぼねに一任すると」

「水瀬局とは、あの御簾の側にいた女房ですか」

「さよう。旧浅井家臣の娘じゃそうな」

「そのような者を正室の代わりにと?」

 怒りが湧いて来た。

「はっ。なんてこと。羽柴は徳川を内側から切り崩そうとしているのですか。女の交友関係はときに隠密なることを含みますゆえ」

「まさか、そこまでの考えはあるまい。単に御前さまが元農婦で、武家の習いに疎くおいでだったということであろう」

「ならば、こちらにまかせれば良いこと。何故、水瀬局なのですか」

 会見の場で偉そうに『大儀である』とご正室さまの言葉を伝えていた女のなまっ白い顔が浮かんだ。

「なれば」

 と、須和は笑みを浮かべた。

「わたくしが正室さまへお答えいたしましょう。そのように、あちらにお返事してくださいまし」

 須和は水瀬局に会う前に、城代の酒井重忠さまへ使いを出して、朝日姫さま付きの女房の実家について報せてくださるよう要請した。

 翌日、それを記した書面を持ってきたのは殿の側近の本多正信さまだった。痩身で口数の少ないお方だった。

「奥向きで正室さまについて困ったことがありましたら、私にご一報くださるよう願います」

 と、それだけ告げて去って行った。

 そのすぐあと、水瀬局の使いが来て、須和は朝日姫の御前に引き出された。

(ふん。『虎の威を借る狐』か)

 会見の儀のときと同じように、朝日姫さまが奥にいる御簾の前に、水瀬局が坐っている。

「最前に三島局さまにお伺いしたことを、阿茶局さまがお答えくださるとのこと。いかが?」

「はい。三島局はこのところの忙しさでいささか体調を崩し、お付き中臈のわたくしが参ったしだいでございます」

 と、須和は一礼した。

「まずは御物おものについてでございますが」

 須和は少しおもてを上げ、ちらりと水瀬局を見た。

「花鳥風月を愛でる優雅な公家の暮らしと違って、ひなに住む武家の我らはなにかと身体を使うことが多く、あれくらいの味の濃い物でなくては動けなくなってしまいます。香の物は確かに塩辛うございますが、器に白湯さゆを注ぎ、それに漬けて塩抜きをすればよろしいかと」

「なんと。こなたにそのようなしみったれた真似をせよと申すか!」

「いえ、そこまでは申しておりませぬ。鄙には鄙の味付けがございます。京のような上品なものはできかねますので、味つけが気に入らぬということでしたら、京より料理人を呼び寄せることをお勧めいたします」

「……うむ。さもあろう。この田舎で京のような高級なものを求めたこなたも間違っておった。御前さま、この者の申す通りにしてよろしゅうございますか?」

 怒りをすぐに抑えた水瀬局が正室さまへ訊いた。

「……よきにはからえ」

 蚊の鳴くような声が返ってきた。

「次に、お衣装のことでございますが」

 と、須和は徳川では急な出費が仕組み上出来かねるので、つけにするにしても土倉どそう[金貸し]から銭を一時借りて呉服商に支払うようにすればよし、殿の認可が下りなければ、お付きの女房たちの持ち物のことは主人の正室が支払うようにしてはどうか、と提案した。

「徳川では正室用に費用をあてておらぬのか?」

「勘定方のことはよくわかりませぬゆえ。それに今まで、ご正室さまがおられませんでしたから、どうなっておるのか、ただの中臈に過ぎぬわたくしには分かりかねます。しかし、お急ぎでしたら、土倉に用立ててもらい、後日、殿か関白さまからお支払いいただければよろしいか、と」

「なるほど」

 詐欺っぽい言い方だったが、水瀬局はうなずき、朝日姫さまから同様な許可の言葉をもらった。

「最後に、正室さまのお仕事を水瀬局さまにすべておまかせいたすということについてですが……そもそも公家と武家が分かれたのは、源頼朝公が征夷大将軍となられ、鎌倉に幕府を開かれたことに始まり――」

 と、須和は鎌倉幕府の始まりから公家と武家の分れの起源など話を延々と語り始め、水瀬局がやめさせようと声を上げるのも無視して一刻いっとき[二時間]ほど講釈し、話が曽我兄弟の仇討ちにかかった頃合いで、御簾の奥で悲鳴が上がった。

「もうよい。いやや!」

「御前さま!」

 側仕えの女房が慌てている。

 ばさりと御簾が跳ね上がり、顔を白粉で真っ白にし、そこへ天井眉を描いた初老の女が出てきた。金襴の打掛を着ているので、朝日姫だと須和は察した。

「兄さがわしに言った。『おみゃあは何でも〝よきにはからえ〟と言っとけば、側のもんが良きようにしてくれる』って。嘘ばっかりじゃ。こんなとこに嫁にきとうなかった。こんなキラキラしたもん、着とうない。飯だって、京・大坂の味のないもんより、ここの方がずっとおいしい。でも、こん人らが違う言うから!」

「では、正室の仕事は今まで通り、我らがいたしてもよろしいのでしょうか?」

「よきにはからえ!」

「……御意」

 須和が答えると、朝日姫が、わっと泣き出す。

「御前さま、どうされましたか」

 と、侍女たちがわらわらと廊下や隣室から出て来る。

「この女が! 阿茶局、おのれが」

 水瀬局が眉尻を上げて須和を睨んで叫んだが、途中で叱責された。

「愚か者!」

 朝日姫の側にいた女房だった。

「御前さまのこの有様は、そなたが引き起こした。誰にお仕えしているか、よく考えなされ!」

 水瀬局を叱った女房は、須和に向き直った。

「わたくしは八束局やつかのつぼねと申します。後日、ご挨拶にうかがいますので、この場はお引き取りを」

 と丁重に頭を下げた。

「きいいっ」

「御前さま、お静まりを」

 狂乱状態に陥っている朝日姫を侍女たちは落ち着かせようとしている。

(ここにいても邪魔だな)

 と思った須和は、言質もとったことだしと、一礼してそこをあとにした。








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