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天正大地震

 尾張国愛知郡中村郷に生まれた藤吉郎に姓はない。姉が一人いて、織田家の足軽だった父が亡くなったあと、母は婿を迎え、弟妹が生まれた。継父とは折り合いが悪く、少年の頃、家を飛び出して今川氏が支配していた遠江にまで流浪し、松下之綱(加兵衛)に仕えるが、そこも退転し、尾張に戻ったのちには、織田信長に仕えた。織田家中でしだいに頭角を現し、足軽組頭の浅野長勝の養女で杉原(木下)定利の娘と結婚した。

 木下藤吉郎秀吉はやがて織田家の有力武将となり、羽柴秀吉と名乗った。そして長浜・但馬国・播磨国を領地に持つ織田家の宿老となる。毛利氏を討つため中国攻めをしている最中に、本能寺で主君・織田信長が討たれると、急ぎ毛利と和睦して京へ戻り、明智光秀と戦って主君の仇を討った。そして織田家の中で自分に敵対する者とは戦い、あるいは懐柔していった。

 徳川家康と手を結んで敵となった織田信長の次男・信雄をまず攻略して和議を結んで、兵力では圧倒的優位ながら勝てなかった小牧・長久手の戦を終わらせ、雑賀党を破って紀州国を平定し、次に四国を統一した長宗我部元親に対しては十万の大軍を送って平定。長宗我部元親は土佐一国のみを安堵されて許された。

 この四国討伐の最中、秀吉は二条昭実と近衛信輔とが争っていた関白の座を、自分が前の関白・近衛前久の猶子になることで収め、天正十三年(一五八五)七月十一日に関白宣下を受けた。従一位藤原秀吉である。そして翌年九月に豊臣姓を賜り、「豊臣秀吉」となった。

 それ以前の天正十二年十一月二十二日に従三位権大納言となっていた秀吉は、位階において主筋である織田信雄の正五位下左近衛権中将より上位となっていた。これによって織田信雄は秀吉に臣従し、その命によって旧織田信長家臣たちを秀吉の臣下とすべく説得することになる。

 けれども徳川は臣下の礼をとらない。織田信長とは同盟し、親族衆として従っていたのに、今や天下人となった秀吉に従うことはなかった。

 秀吉は翌年の天正十四年の初めに家康征伐を予定し、出陣する準備を始めた。

 石川数正出奔の五日後、天正十三年十一月十八日。秀吉は徳川攻めの前線となる大垣城に兵糧蔵の建造を命じ、五千俵の兵糧米の搬入と船着き場や堀の新設までも指示。翌十九日には上田城の真田昌幸に宛てて、明けて正月十五日に出陣すると報せた。

 出陣の準備と合わせて、十一月二十八日に織田長益らを使者として派遣し、家康に上洛を促した。秀吉は、和戦両面から家康に迫っていた。

 ところが秀吉が予想もしていなかった事態が出来しゅったいした。

 地震である。




 天正十三年十一月二十九日、須和はいつものように殿の寝室に侍っていた。

 日中は誓紙に対する礼状を北条へ送ったり、戦のための指示を家臣へ出したりしていたが、夜、須和と二人だけになれば、『源氏物語』の主人公・光源氏の元となったのは嵯峨天皇の皇子・源融であったとか、北条氏が保護している下野国しもつけのくに足利荘の足利学校の書物――『唐書』『周易』『春秋左伝』『文選もんぜん』などの儒書・兵学書・歴史書――などを読んでみたい、などと、殿は須和を相手にとりとめもなくしゃべったあと、臥所を共にした。

(殿は安祥松平家の惣領として生まれていなければ、学問の道に進みたかったのではないか)

 と、須和は思うことがある。

 やがて閨の事のあと、須和は着物を直し、寝所を辞去する。殿と須和は朝の鍛錬のため、早く起きなくてはならないからだ。須和は浜松城にいるとき、殿の朝の鍛錬の時間、自分も小太刀を振り、馬に乗った。

(先日の鍛錬のとき、初めて本多稲どのに会ったが、賢く美しくはきはきと話す良いだったな)

 そのときのことを思い出し、口元に笑みが浮かんだ。須和は本多稲をひと目見てとても気に入った。

(子が宿って、娘が生まれたら、あんな子がいいな)

 と、平たい腹に手をやり、廊下へ出ると、宿直とのい[不寝番]の係の小姓に頭を下げた。

「殿がこれからお休みになられます」

 告げると、「承けたまりました」と答えた小姓が中へ入った。寝所の隣室で寝ずの番をするためだ。

『阿茶局どの、側室としての御役目を終えたら、わたくしの後任となってくれまいか』

 昨日、須和は三島局に呼び出され、そう告げられた。

『お愛の方さま付きの倉見局さまもいずれ笹尾局にあとを託して辞すとのこと。我らももう年であるから、隠居しようと思うておる。そのように心得て奉公に励みなされや』

 ほぼ決定のようだった。

(側室としての勤めもあと少し。その間に、子が授かるといいな)

 そう思いながら暗い廊下にいると、手燭を持った牧尾がやってき、先導する。

 と、そのとき突然、大きな縦揺れがした。がたがたと障子が揺れ、「きゃっ」と牧尾が手燭をなんとか踏ん張って守り、須和も立っていられなくて座り込んだ。

 遠くで悲鳴が上がる。

 縦揺れのあと、横揺れがあり、しばらくするとそれは収まった。

「殿……」

 立ち上がった須和は出て来た部屋へ引き返した。

「殿はご無事か?」

 襖の横で腰を抜かしている小姓に問いただすと、小袖姿の殿が寝所から出て来た。

「大事ない。阿茶よ。着替える」

「はい、ただいま」

 と答えた須和は、小姓に「明かりを」と言うと、小姓は夢から醒めたような顔をして牧尾が差し出した手燭の火を燈台に移した。

 須和は薄明りの中、揺れで抽斗が中途半端に開いてしまった箪笥から着物を出し、殿に小袴と羽織を着つけた。それから燈台の明かりを消し、部屋を出る。

 殿が手燭を持った小姓を先導にして城の広間に向かった。

 廊下を歩んでいるとき、再び揺れがあった。先ほどよりは小さい。

 殿は一度立ち止まり、須和を振り返ったが、揺れが収まるとまた歩き出した。

 須和の後ろには牧尾が従っている。

 殿が広間に着くと、小姓たちが追い付き、燈台に明かりを幾つもつけてゆく。その間、家臣たちがばたばたと入って来て、殿の無事な姿を見るとへなへなと腰を下ろした。

 老女の三島局が腰を抜かしてしまったので、奥向きからの報告が須和の許へ来る。

 於茶阿局の使いからは、「西郡の方さまと姫君は無事。しかし幼い姫君たちが怯えておられるので侍女たちが側について慰めています」とのこと。

 笹尾局からは、「お愛の方さまと福松丸君は、ご無事」

 下山の方とお竹の方の側仕えからは、お二人と万千代さま、振姫さまの無事が伝えられ、奥の侍女たちに怪我人はいなかったようだ。ただ、台所で食器がかなり割れたとのこと。

 須和は使者としてやってきた侍女たちをねぎらい、殿に奥の様子を伝えた。

 そうしているとき、息子の五兵衛久宗が入ってき、長丸君の様子を殿に報告した。

 須和は息子の無事な姿を見て安心すると同時に、使いとして出してくれたであろう守り役たちに感謝した。

(傅役の内藤清成さまは殿の小姓を勤めたあと、長丸さま二歳のとき、二十六歳で守り役に抜擢された方。今年から傅役となった三十四歳の青山忠成さまも殿の信任厚く、お二人とも機転のきく方たちじゃ)

 地震の揺れはそれから何度もきた。しかし夜が明けて各地からの報告が上がってくると、岡崎城の建物が一部崩れたくらいで、徳川領国でたいした被害はなかった。

 けれども、西は違った。




 十一月二十九日亥の刻[二十二時頃]、その巨大地震は近畿から東海、北陸を襲った。

 このとき三法師がいる坂本城に滞在していた秀吉は一切を放棄して馬を乗り継ぎ、大坂城へと戻った。

 飛騨白川郷の帰雲かえりくも城では、佐々成政に味方した城主の内ヶ島氏理うちがしまうじまさが秀吉に許され、本領安堵されたことを喜び、領民と共に祝いの宴を開く前日、城の背後の帰雲山が崩れ、城と城下の三百余軒が土砂に埋もれ、内ヶ島氏は滅亡した。

 越中の木舟城も地震で倒壊し、前田利家の弟の前田秀継が城主を勤めていたが城主夫妻と家臣多数が死亡した。

 尾張では蟹江城が壊滅し、伊勢の長島城も倒壊。織田信雄は居城を清州に移さざるをえなくなったが、その清州城も破損している。

 京では東寺の講堂、灌頂院が破損し、三十三間堂の仏像六百体が倒れた。

 そして徳川との戦で前線となる大垣城が全壊、焼失した。また、先鋒を勤めるはずだった山内一豊の居城、近江長浜城が全壊し、一人娘の与禰よねと重臣十数人が亡くなり、そのとき起こった火災によって町の大半が焼失した。


[現在の研究でも、震源・規模は分かっていない。しかし最大震度は、震度七だと推定され、若狭湾・伊勢湾に津波があったとのことである。ただし、徳川領国は震度四ほどで、大きな被害はなかったと言われている]



 地震によって「家康征伐」は延期となった。秀吉としては、徳川ばかりに関わっていられない事情もある。九州の島津と対峙している大友宗麟から救援の要請がきていた。これを無視することはできない。

 そこで秀吉は奇策を用いた。人の妻となっていた妹を離縁させ、家康に嫁がせるのだ。婚姻による懐柔だった。政略結婚はよくあることとはいえ、齢四十を超えた花嫁というのは例がない。










 


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