息子の元服
松木五兵衛から「元服の準備が整った」との報せが来たのは、各所へ歳暮を贈り終え、暮も押し迫ってからだった。須和は直属の上役、三島局から息子の元服を年明けの吉日に執り行うことを殿とお愛の方さまへ伝えてもらった。
「五兵衛を元服させるとのことだが、正月の十五日から岡崎へ行くつもりだ。阿茶、そなたも同道するように」
身支度のお世話のため、側に侍ったとき、殿からそう申しつけられた。
(十五日までに岡崎へ行く準備と元服を済ませねばならない?)
内心、慌てたが、「かしこまりました」と平静を装って答えた。
息子の元服は神尾家の関係者に都合をつけてもらい、年明けの天正十三年(一五八五)一月十日にすることとなった。場所は松木家の浜松での宿で、費用は須和が持つ。子のいる小夜と男が苦手な梅は留守番をしてもらい、伊助と与一と加兵衛と萩野を伴って、須和は宿下がりをした。須和と萩野は市女笠姿で今度は歩き、息子の五兵衛は普段着。伊助たちが荷物を持っている。
松木家の宿に着いたら、松木五兵衛が自ら迎えに出て来た。
「姉様、ようお越しくださいました」
「忠成どの、世話をかけました」
挨拶を交わし、屋内へ入って通された部屋で須和は打掛姿、五兵衛は須和の縫った直垂に着替えた。頭にはまだ前髪がある。
「叔父さまという方は、どちらに?」
着替えて隣室へ行くと、松木五兵衛が神妙な顔で控えていた。部屋の隅には萩野も坐ってうつむいている。
須和と五兵衛が上座に坐った。ここで一族に会えると聞いたのだが。
烏帽子親になってくれるのは、舅の久吉の弟にあたるという老人だった。その息子たちも今川氏が滅びてから侍ではなく、百姓をしているということだ。しかし今回、息子の五兵衛のために一族の手で元服の式を執り行ってくれる。
「叔父の吉三郎に会う前に、姉様に申し上げたいことがございます」
五兵衛忠成が後ろの萩野を振り向くと、萩野が立ち上がり、後方の襖を開けて一人の少年を導いた。十二歳の息子・五兵衛と同じ年頃の子で、前髪があり、直垂を着ていた。
「こちらは、わしの甥の采女と言います。同じ神尾の一族として、同時に元服をさせとうございます」
「采女……」
今の今まで忘れていた。夫が他の女に産ませた子だ。
『ここは竈の灰まで、あたしのもの』
と、叫んだ豊満な体をした女の姿が思い出された。
「どういうことです?」
須和の口から低い声が出た。
「姉様が甲府へお帰りになってから、妹の縫どのを物頭は兄の後妻として届け出ましたが、『末期のこと、まかりならぬ』と主人に届けも出さずに離縁と再婚したことを認められず、縫どのは妻でなく側女とされ、兄の堪忍分の相続ができませんでした。それから一条さまは駿府を立ち退かれ、縫どのは兄について行くことなく、采女を私に託し、行商人の妻となって今は行方も知れません。それゆえ、甥でもあることから、采女は私が養育しておりました」
「そうですか。ご苦労なことです」
遺産をもらえなかったので、子どもを父親の縁者に押し付けて行ったのだろう。それが容易に想像できる。
「姉様には不愉快なことでもありますし、黙っておりました」
五兵衛忠成が言ったとき、萩野に目をやれば、身を竦ませている。
こちらも知っていて黙っていたようだ。しかし、本家の者に口止めされては仕方のないことだ、と須和は自分を納得させたが、いささか失望も味わった。隠し事をされて、よい感情は抱けない。これまで無心に信用していた二人だけに。
「同じ神尾の者として、本日、二人同時に元服させるのですね」
「はい。ご承諾いただければ。もちろん、采女の分の費用は私どもが負担いたします」
「わたくしは、かまいません。五兵衛もいいですか?」
「はい、母上」
異母兄弟と初めて会っても、五兵衛は動揺していなかった。
(肝が据わっていること)
親の欲目かもしれないが、須和は冷静な息子に成長のあとが見られて、嬉しかった。
「しかし、問題が……」
「申し上げます!」
言いよどんだ五兵衛忠成の言葉を遮り、後ろにいる子がこちらを真っ直ぐ見て声を上げる。
「私も武士になりとうございます! 義母上」
その顔に、夫と浮気相手の面影が重なった。
「わたくしは、そなたの母ではありません」
須和は即座に訂正した。不快だ。
「いえ、武家では側室の産んだ子も正室の子として扱われると聞きました。ですから、義理とはいえ、あなたは私の母です」
「神尾の家は、そんなたいそうな家ではありません」
と答えてから、須和は五兵衛忠成に訊いた。
「忠成どの。あなたは、この子をどのように育てたのですか」
「商人にしようといたしました。けれども、誰が吹き込んだか、父親が武田家の武士だったと知り、それからは武士になりたいと言い続け、私の言うことを聞きません。元服を一緒にすると叔父たちと決めたときから、姉様が母なのだから引き取ってもらうのだと言い張って……このような次第です」
「何故、そなたは武士になりたいのですか」
須和は子どもに尋ねた。
「父上が武士だったからです」
「親が武士でも、そなたの叔父御のように商人になったり、大叔父さまたちのように百姓、庄屋になったりしています。それぞれの生業で生きていくのは大変ですが、武士はもっと大変ですよ。なにしろ、命を懸けるのですから」
「分かっております。必ず戦で手柄を立て、家臣を大勢かかえる武士となってみせます」
どこから自信が湧いてくるのか。この子は徳川家には向いていない、と須和は思った。殿が一番重視しているのは誠実さで、大口を叩き、手柄を立てる武士ではない。
「なんとも大きな夢ですが、武士になるにしても、そなたの叔母さまが嫁いだ堀田家にお願いしてはどうですか。養子になれば、あちらは祖父君、父君が揃っていて、五兵衛のように父親のいない苦労をすることはありません。何より、お仕えする羽柴さまは手柄を立てた家臣に豪儀な褒賞を与える方です」
「姉様。堀田家に嫁いだ加代に訊いてみたのですが、兄と仲が悪かった妹にすでに断られました」
「まあ……」
確かに、大言壮語する子どもの面倒など見たくないだろう。
「それで、わたくしに話を持ってきましたか」
「余計なことを言うな、諦めよ、と言い聞かせていたのですが」
五兵衛忠成の額に冷や汗が浮いている。
「采女、そなた、読み書きは出来ますか。弓は? 馬には乗れますか?」
「はい、出来ます!」
と元気な返事だった。
「商売人に必要な平仮名の草書は読み書きできますが、真名は教えておりません。ですから、漢籍の知識もないです。馬には乗れますが、何とか危なげなく操れる程度で、馬上から弓を射ることなどできません。商家のことですから、武家のような教育はいたしておりません」
五兵衛忠成が補足した。
「他の同い年の方たちより遅れていますね。相当な努力が必要です」
ふむ、と須和は子どもを見た。あの女と性格は似ているかもしれないが、教育次第では、徳川の御家のために働ける者になるか、と思案した。自分の不愉快さはとりあえず棚上げだ。近くあるであろう羽柴との戦で人手がいる。やる気と可能性があるならば、今は一人でも家臣が欲しい。
「わたくしの産んだ子でないことは確かですから、引き取って養育するにしても、殿と御方さまに申し上げて許可を得なくてはなりません」
「母上」
そのとき、息子の五兵衛が声を上げた。
「何でしょう」
と、須和が横を見やる。
「私は、この者を兄弟と認めることはいたしません。こやつの母が、我ら親子にした仕打ちを忘れられないのです」
(そうか、五兵衛はあの情景を覚えていたのだった……)
自分たちを追い出した鬼女の姿を。
人に対して声を荒げたことのない子だった。勉学・武芸に励み、母親がお勤めで忙しくあまりかまってやれないのに、穏やかで優しい子に育ったものだと思っていたが、その息子が初めて見せる憎悪の表情に、須和は驚きつつも、心の傷が深いことを悲しく思った。
「五兵衛、母親の所業を采女は知らなかったのです。それに幼くて、あの場にいなかったでしょう?」
「母上は、こやつを引き取るほうに心が傾いておられるのでしょうね。でしたら、私からは何も申しません」
「……すべては、殿に申し上げてからです」
五兵衛と采女が親しくなるのは難しいな、と思いながら、須和は再び子どもに向き直った。
「もし、徳川家にお仕えするようになって、引き立てられないとか、褒賞に不満があった場合、采女はどうしますか」
「徳川家を退散して、私を評価してくれる他家に仕えます」
「……それが普通ですね」
己の才覚でのしあがる、それが今の風潮だった。羽柴秀吉がその良い例だ。
才を認めない主君を見限るのは別に非難されることではない。戦の着到の際、敵となって戦うはずの者の国衆・与力がこちら側に来ていることなど、よくあることだ。己の領地を守るため、戦もするが、降参したらそのまま領地は安堵されるのが慣習だった。ただ、あからさまな裏切者は軽蔑される。殿も今川家から離れるとき、何度も氏直さまに義元さまの仇を取るよう進言したが入れられず、本音はともかく、周囲が納得する形をとって織田と同盟したのだった。
この子は己の利のために徳川を裏切るかもしれない、と須和は感じたが、殿が同様な者を家臣として使っていたことを思い出し、『同じように注意しておればよいのだ』と考え直した。
「私は違います、母上」
と、采女を睨みつけながら五兵衛が言う。
「もし徳川家が武田家のようになったなら、最後まで若君に従い、一人でも多くの敵を討って、死出のお供をいたします。私は殿と若様に拾われたご恩があります」
「よい心がけです。母もその覚悟です」
と、須和は息子に微笑みかけた。
采女に視線を移せば、ぼう然としている。このような考え方は少数だ。みな生き残るために無能な主君を裏切るのだから。
「徳川家と他では、家風がかなり違うのです。それをよく考えて仕官のことを決めるのですよ」
須和が締めくくった。
「忠成どの、ともかく殿のお返事次第です。でも、もし『よい』とおっしゃったなら、采女の後見として、そなたが従者や費用の面倒をみてください。わたくしにそこまでの資力はありませんので」
にっこりして告げると、青い顔をした松木五兵衛は「ははっ」と平伏した。
その後、神尾の叔父一家が入ってき、挨拶を交わしたあと、元服の式が行われた。
あらかじめ須和は「息子に舅の久吉さまから一字欲しい」と申し入れておいたので、五兵衛は『久宗』という諱をもらい、采女は父親の忠重から『守重』のちに字を替えて『守繁』とした。
須和は三島局を通じて庶子の守繁のことを殿と御方さまに申し上げた。
殿からは、「庶子は嫡子の家臣になるがよかろう」とすぐに返事をもらい、御方さまからは、「わたくしの前夫の子らも長丸の家臣となるよう教育を受けています。その子らと一緒に過ごすと良いでしょう」と言われたので、須和は守繁を引き取ることにした。
岡崎へ出発するまでに慌ただしく手続きや申し送りをし、須和は殿の一行に加わって浜松を旅立った。
元服した五兵衛久宗は奥向きにある須和の部屋を出て、小姓組のお長屋で与一たち家臣と暮らすようになり、一か月後、守繁も別棟のお長屋に住むことになった。そして守繁に付けられた従者と侍女が慣れるまで、伊助と萩野が付き添うよう須和は指示をして行ったのだった。。




