弟の結婚
十一月十七日、殿と一緒に浜松城へ戻った須和たち侍女を、お愛の方さまと西郡の方さまは、「よく無事で戻ってきました。みな、お疲れさまでした」と、ねぎらってくださった。
留守の間に変わったのは、城外に住んでいた於義丸君の生母・お万の方さまが部屋を与えられ、「小督局」と呼ばれるようになったことだった。於義丸君も徳川家の若君としての待遇を受けている。
その後、天正十二年(一五八四)十一月二十三日、富山の佐々成政さまが雪深い立山を越えて浜松城までやって来た。(さらさら越え)羽柴秀吉との徹底抗戦を願ってのことだった。
「このような事態になったからには、よりいっそう心力を尽くして織田家が興隆することを願っています」
という佐々成政さまへ、殿は、
「亡き織田殿との旧交を忘れることができず、少しばかり信雄を援助しただけである。けれども近頃信雄は再び秀吉と和議を結んだと聞いたので、私のこれまでの信義も無駄になってしまった。しかし佐々どのがもとの主君のために義の戦を起こすなら、援軍を派遣しよう」
と答え、もてなした。
佐々成政さまは恐縮して世間話などをしていったが、帰り際に織田信雄さまの許へ行き、「京に攻め上りましょう」と唆したが、すでに秀吉と和睦していた織田中将は従わなかったので、佐々さまもどうしようもなく、羽柴秀吉に降参したのだった。
大坂へ行った家康の次男の於義丸は、十二月十二日、羽柴秀吉の養子となり、羽柴三河守秀康と名乗って、河内国に一万石を与えられた。十一歳のときである。このとき大坂へ付き従ったのは、傅役の小栗重国と小姓の石川勝千代、本多仙千代。石川数正と本多重次の息子たちであった。於義丸は父の家康より、「童子切」の刀と采配を餞別として贈られた。
しかし本来は養子兼人質として、次男の於義丸が大坂へ行くはずではなかった。
久松俊勝の四男で家康の異父弟、二十五歳の松平定勝は蟹江城合戦のとき二番乗りを挙げ、羽柴秀吉から定勝を養子にとの話があり、家康もそのつもりだったのだが、生母・お大の方の横やりが入った。
「この子の兄の康俊は今川の人質から武田へ攫われ、囚われて、ようやくかえってきたと思ったら、凍傷で足の指が落ちてしまうような憂き目を見たではありませんか。今また、定勝までも人質に出そうというのですか」
そうかき口説かれ、泣かれては家康も無理にとは言えなかった。だが内心では、定勝が母に訴えたに違いないと考え、しばらく定勝を遠ざけた。
小牧・長久手の戦の前年からの水害の影響、そして少ない兵力を補うため、村々から働き手が動員され、長期に渡る戦によって田畑が荒れて飢饉を招き、残された子どもや老人が自ら命を絶つという有様。徳川領国は戦のあと、悲惨なことになっていた。徳川家康は領国内の建て直しをしつつ、東海道沿いの岡崎城をはじめとする持ち城を補修強化し、駿府に天守閣と石垣を持つ城を作事に詳しい深溝家の松平家忠に命じて築かせている。
飢饉や苦しい暮らしをしながらも戦が終わったことに、ほっとした表情を浮かべている領民や城下の者たちの様子を知っていながら、殿の側に侍る須和は、羽柴秀吉を迎え撃つ準備をしている徳川家上層部の考えも分かっていた。
やがて九州、四国、紀州の雑賀を平定したあと、羽柴は徳川を攻め滅ばすために、きっとやって来る。殿は羽柴の臣下となるつもりはなく、戦う気でいる――と。
(では、私も準備をしなくては)
羽柴軍がやってきたら、御方さまと若君たちを安全なところに――督姫さまの伝手で北条家に――落ち延びさせる。この命に代えても。
その前に息子を元服させ、一人前の男として若君を御守りし、その御前で討ち死にしても恥ずかしくないようにすること。
須和は松木五兵衛と連絡をとり、神尾家の親戚で烏帽子親になってくれ、息子を元服させるにふさわしい人物がいないか問い合わせた。
義弟からの返事が来る前に、弟の久左衛門から『このたびの戦での働きで馬乗り身分となり、嫁を迎えることになった』との報せを受けた。
「まあ、何と喜ばしいこと」
使者から手紙を受け取って、須和はずっと胸にあった憂いが晴れるような気がした。早くに両親を亡くし、仕えてくれる加兵衛一家がいたと言っても孤児同然に本家で姉弟、身を寄せ合っていた。そのたった一人の肉親。その弟が陪臣とはいえ、士分となり、妻を迎えるという。
「お祝いをたくさん持っていきましょう」
婚儀は十二月の吉日に浜松城下にある成瀬家の屋敷内のお長屋で行うということだった。
羽柴との戦を慮って急ぐのか? とも思ったが、何はともあれ目出度いことだった。
奥勤めをしているので簡単に弟といえども会うこともできない。文を取り交わし、婚礼を急ぐのは正月の年賀の儀式のあと、若殿の成瀬小吉正成どのの供をして、大殿の成瀬正一さまが奉行を勤めている甲斐国の甲府へ行くためだと分かった。
大名家の結婚なら、まず結納。それから婚儀は数か月から一年以上あとのことで、結婚の儀式は三日間続き、式のときは男性親族のみが参加して、女性たちはあとで顔合わせをする。しかし中級下級の武士、それも婿殿である弟は両親がいない。養ってくれた本家から出ているから、今の親代わりは姉の須和だけ。だから、式は一日で終わり、その場には元服前だが息子を親戚代表として須和が後見となり、出席するつもりだった。
相手は成瀬家中の弓頭の娘とのことだ。須和が与一を使者として遣って、それでよいか伺いを立てると、「よろしきように」との返事が来た。
須和は萩野に訊いて、松木家から結納の品々と祝いのための布地を買い、弟に連絡して媒酌人となる成瀬家の親族に結納の品とお礼を託し、殿付きの老女・三島局に宿下がりを願って、婚礼の日の昼過ぎに城を出た。式は夜に行われるのだ。
それまでに、弟のため正装の直垂を仕事の合間に大急ぎで縫った。殿は領国の建て直しのことや羽柴対策で連日、重臣たちと打ち合わせており、浜松城に留まっていたので、縫い物がはかどった。
須和は風邪などを引いてもすぐに治り、手先も器用だ。縫い物は速くて正確にできる。丈夫な体とこの器用さを与えてくれた両親には、いつも感謝していた。
縫い上げた直垂と烏帽子などの装束は前日に弟の所へ人を遣って持っていってもらい、当日、須和は市女笠姿で女鞍を乗せた馬に揺られ、息子の五兵衛は元服前でもあるので正月に着る肩衣姿で馬に乗っている。
一晩泊まるため、萩野に留守をまかせ、加兵衛の一家――妻の梅と娘の小夜、婿の与一に孫の幸と幼子の弥九郎――そして警護の伊助を連れ、贈り物や酒肴を小者たちに担がせて城を出、成瀬家の屋敷へ赴いた。
先触れがいっていたので、門番がすぐに通してくれ、須和と五兵衛は門前で馬を降り、敷地内へ入った。お長屋は門の脇にある。
「姉さま!」
長屋の前で、弟の久左衛門が小袖袴姿で手を振っていた。
「まあ、この子は」
弟の幼い頃を思い出して、須和は涙ぐんだ。立派な侍となったことを両親に見せたいと思った。
「若さま!」
加兵衛の一家が駆け出し、弟を取り囲んだ。須和は一度、城で会っていたが、彼らは甲府で別れたきりだった。
「このたびは、おめでとうございマす」
「ようご無事で」
加兵衛と梅が言ったとき、弟の後ろに一朗太が佇んでいるのに気づいた梅が、悲鳴を上げた。
「こン子はっ。無事なら無事と、はよ報せんか!」
梅が怒りながら、息子に泣いて抱きついた。
「すまん、おっか」
その一朗太の後ろに、赤い前掛けをした若い女が中から出て来て頭を下げた。
「俺の女房だ。お鶴という。子をみごもっておる」
それを聞いた加兵衛の一家は、口々に挨拶とお祝いと質問を繰り出したので、須和は「ともかく中へ入りますよ」と声をかけ、皆を屋内へ入れた。
馬乗り――上級武士であったら、お長屋などには住まず、屋敷を持つものだ。しかし成瀬家の領地は別にあり、城下のここに常駐するわけではない。仮の宿という形、今は殿の小姓をしていた子息の小吉どののための屋敷だったので、こぢんまりとしている。
「甲府の大殿の許に本隊がいて、ここには若が出陣するために付けられた者がいる」
弟が市女笠を脱いだ須和へ説明した。
須和もそこの事情はよく分かっている。聞いたところによると、織田家では城下に家臣たちを家族と一緒に住まわせていたそうだが、徳川家ではまだ、そこまでいっていない。今川家、武田家ともに、国衆である家臣たちは領地に住み、戦や合議があるとき、主君に呼ばれてその城へやってきていた。徳川家では旗本衆の一部が城下に住み、城持ちの者や他の者たちは以前と変わらず領地に住んでいた。いずれ駿府に城ができ、そこへ引っ越せば、織田家のように城下へ家臣を集めるつもりであるのを、須和は殿と重臣たちの話を聞き、知っていた。
「お芳どの――おれの嫁になる木村さまの娘御なんだが――その母君が甲府から侍女を連れて手伝いに来ておられる。浜松で婚儀を行うのは、姉さまとお芳どのを会わせたかったんだ。この願いを言ったら、木村さまが殿に申し上げてくださって、今日が迎えられたというわけだ。甲府で木村家の親族と改めて挨拶をする」
木村家は武田遺臣だという。
「まあ、なんと良い方々に囲まれて。……幸せにおなりなさい。私はそれだけを願っています」
嬉し涙が湧いて来て、須和は袖口でそれをそっと拭いた。
「飯田久左衛門どのの、姉上さまでございますか?」
そのとき声がし、見れば、藤色の小袖を着た初老の女性が上がり框で正座し、両手を前でそろえている。
「お芳どのの母君です」
弟の言葉を聞いて須和は慌てて上へあがり、その前に坐って頭を下げた。
「須和と申します。弟がお世話になっております。わたくしたちには既に両親がおりません。ですので、弟のことは息子が一人増えたとお思いくださって、不束者ですが、今後ともよろしゅうお願いいたします」
「まあ、ご丁寧に」
と互いに挨拶を交わした。
嫁御の母君が台所の差配をしてくださっているとのことなので、須和も手伝おうとしたら、恐縮された。
「殿さまのご側室に、そのようなことさせられません。どうか、水入らずでお過ごしください」
と母君は青い顔をして台所の方へ去って行った。
(やっぱりこういう反応になるか)
自分自身では甲府にいたときと変わっていないつもりだったが、徳川家の上臈、それも今は側室となっているので、周囲はそれなりの対応となるようだ。
(面倒な。久左衛門が妙な嫉妬や誹りを受けないよう行動せなばなるまい)
須和は心しようと自分を戒めた。
持ってきた酒肴を祝膳の追加にさせてもらうように弟から姑さまへ伝えてもらい、加兵衛の一家と共に通された奥の部屋で、弟と一朗太とその妻に相対した。そして小者たちに言って、持ってきた布類を運び込ませた。お長屋の造りは、入り口、入ってすぐが客間で、奥に二間か三間、部屋がある。他に厩と台所と厠が付属している。この形は武田、徳川、変わりがなかった。中級・上級の武士の違いは、部屋数の多寡だけで、これが領地に行くとそれぞれ屋敷地がもらえ、また違った形になるが。
「銭もどうかと思ったけれど、見た者が妬むかもしれない。絹なら銭金に替えられるし、着物にもできる。持っていきなさい。そしてこれを」
と、帯の隙間に手を入れて、布に包まれた平たい物を出し、布包みを開いた。甲州金で八両あった。
「士分になったら大勢の従者を雇わなくてはならない。戦に行くときも、手柄を立てるまでは持ち出しじゃ。とりあえずの資金として、これを使いなさい。でも、隠しておいて。人は黄金の色を見ると変わるものだから」
「姉さま。こんなに、ええのか」
「大丈夫。今までいただいた禄[俸給]を貯めたものだから」
驚く弟へ、須和はにこりとした。
亡き夫の主人・一条信龍は派手好きだったから、夫もそれに倣い、やりくりが大変だったが、徳川の殿は質素倹約が好きなので、奥の女たちにも贅沢を許さず、質素な暮らしぶりのため、銭金を貯めるのは容易だった。弟には精一杯のことをしてやりたかったから、息子の元服のための資金を残して、すべて持ってきたのだった。
また貯めればいいわ、と思っている須和は、殿と思考が似てきている自分に気づいていなかった。
須和は持ってきた布の四分の一と金三両を一朗太に差し出した。
「一朗太、久左衛門によく従ってくれました。そなたもこれからは久左衛門の一の家臣として、いろいろ物入りでしょう。ましてや子も産まれる。婚儀の祝いの遅くなったものとして受け取っておくれでないか」
そして後ろに座っていた一朗太の妻の鶴に向かって言った。
「これからも一朗太をよろしく。夫婦仲ようして、良い子を産んでください」
鶴は須和から言葉を掛けられ、ぼろぼろと涙を流している。
弟から聞いた話では、郷士の娘のようだったが、武田領へ織田軍が侵攻したときに父と兄は討ち死にし、一家は散りぢりとなって今も行方がしれない。織田軍は禁止していたが、その戒めを破った雑兵どもに乱暴されそうになっていたとき、成瀬さまを捜していた久左衛門と一朗太が助けた娘だった。親兄弟を捜しても埒が明かないので、久左衛門の許で下女をしているうち、一朗太と想い合い、一緒になったという。
「従者といっても、一朗太は一緒に育ったもう一人の弟のようなものなのです。どうか、よろしゅう」
と、須和は鶴に頭を下げた。
「も、もったいないお言葉でございますっ」
鶴も慌てて、平伏した。
「いざというときのために、お金は鏡箱の裏にでも隠しておいた方がいいですよ」
お鶴がかわいいので、ついお節介を焼いてしまった。余計なことだったかもしれない。
持ってきた酒肴は両家の使用人たちにも出すよう、須和は指示した。
そうしているうちに、木村家の侍女が「刻限でございます」と呼びに来た。
久左衛門は一朗太の手を借りて直垂に着替え、須和は小夜の手によって打掛姿となった。そして加兵衛一家をその部屋に置いて息子の五兵衛を連れ、婚儀が行われる客間へ向かった。
木村家からは二人来て坐っていた。舅になる木村忠兵衛どのとその弟。そして媒酌人の飯尾俊正どの、ということだった。
弟が婿の席に座り、先に来ていた正装の人たちへ会釈をする。須和は彼らに相対する席の上座に息子の五兵衛を導き、自分もその横へ坐った。
「神尾家へ嫁いだ姉とその子、私の甥の五兵衛です」
と、弟が紹介する。
「神尾五兵衛と申します。以後、よろしゅうにお願いいたします」
声変わり前の子どもらしい声で五兵衛が挨拶をし、頭を下げた。
よくできました、と須和は口元に笑みを浮かべた。
「飯田久左衛門の姉でございます。先にご説明いたしたように、両親はすでに他界しておりますため、わたくしが縁者代表の息子の後見としてこの席につくこと、お許し下さり、ありがたく存じます」
頭を下げたら、木村家の二人と媒酌人は、「ははーっ」と平伏した。
「殿のご側室、阿茶局さまにお越しいただき、恐縮でございます」
舅どのが答えた。
おとなしくしていてもだめか。
「今のわたくしは、たった一人の弟の婚儀を祝いに来た姉に過ぎませぬ。ご遠慮なさるのは無用でございます。何があっても、殿に告げ口などいたしませぬから」
はっきり告げても、相手は身を引くばかりだ。
「大年増なので、驚かれたでしょう?」
「い、いえ。お美しゅうございます」
場を和まそうと軽口を叩いても、男たちは恐縮するばかりだった。
そこへ、侍女に手を引かれた嫁御が白い小袖に白い打掛といった花嫁衣装でやってき、婿殿の隣に坐った。
男たちはあからさまにほっとした顔をし、媒酌人の飯尾どのが合図をすると、式三献のための膳が女たちによって運び込まれた。
盃事を終え、祝膳が運び込まれ、媒酌人がそれぞれの盃に酒を注いで、みなが飲み干す。子どもの五兵衛は飲むふりをしただけだった。
酒が入ったことで緊張がほぐれ、男たちの顔にも笑みが浮かぶようになったとき、表で人の声がした。そして板戸がからりと開けられ、若者がお付きの者を外に置いて草履を脱ぎ、上へあがってきた。
白っぽい小袖袴、藤色の陣羽織を着た少年の匂いが残った若侍だった。秀麗な容貌をしている。
「若殿!」
飯尾どのが叫び、一同、平伏した。成瀬小吉正成どのだった。
「顔を挙げよ。婚儀と聞いて立ち寄った」
どかり、と胡坐を組んで花婿花嫁の対面に坐った。
「飯田久左衛門、めでたいな」
声を掛けられ、弟が「ははっ」と平伏したまま答えた。
「阿茶局さまもお喜びであろう」
と、正成どのが須和に目を向けた。
「はい。肩の荷が下りたような気がいたします」
頭を下げながら、須和も答えた。
「父が結んだ縁だ。よき夫婦になるであろう」
ははっ、と笑った正成どのは、飯尾どのが差し出した盃の酒をあおってから去って行った。
「あのう、姉さま。いえ、姉上。成瀬の若君をご存知なのですか?」
弟がおずおずと訊く。
「殿の小姓をしておられたので、お顔は存じ上げていました。言葉を交わしたのは初めてですが」
と、答えてから須和は息子へ言った。
「成瀬小吉さまは、長久手の役で初陣され、首級を二つもお獲りになった方です。武芸だけでなく、学問も秀でておられます。五兵衛も見習うようになさい」
「はい、母上」
五兵衛が成瀬小吉どのの出て行った戸口へ憧れの目を向けた。
「そうですのじゃ。我らの若君はあの御歳で豪傑なのです!」
舅どのの弟が顔を真っ赤にして叫んだ。酒に弱い方のようだ。
酔いが回って饒舌になってきた木村家の人たちを見て、須和は「息子が眠くなってきたようですので」と座を辞した。
奥の部屋へ行って、息子を小袖だけにしてから寝かしつけた。祝膳を食べ終えた小夜も子どもたちと添い寝をしている。加兵衛一家は隣の一間で語り合っているようだ。
須和が息子を置いて部屋を出ようとしたら、花嫁がやってきてその前で平伏した。
「お芳と申します。姉上さまには、初めてお目にかかります」
「ええ、こちらこそ。どうか、弟をよろしく」
須和は坐ってお芳に頭を下げた。
素直で賢そうな娘だった。
(幸せにおなり)
須和の胸に温かいものが広がった。けれども弟が遠い所へ行ってしまったような一抹の寂しさも感じたのだった。




