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羽柴秀吉とその妻

 徳川の敵となる羽柴秀吉。とは、どんな男か。

 疑問を持つと、調べ尽くすのが須和の流儀だ。さっそく松木五兵衛をつぼねへ呼び出して、まずはあらましを聞いてみた。

「うちは茶屋さまのような豪商ではありませんので織田家に伝手もなく、世間の評判と妹の加代から聞いたことくらいしか知りませんで」

 と前置きして語ってくれた。



 父は織田家の足軽の弥右衛門、母はなか。天文六年(一五三七)、尾張国愛知郡中村郷の生まれで家は農家、父親は婿養子だった。幼名は日吉、もしくはその容貌から猿と呼ばれた。とも(日秀)という姉がおり、七歳のとき父が戦で負った傷で亡くなり、母が竹阿弥という同朋衆を婿にして再婚したが、継父と折り合いが悪く、寺に預けられたがそこを飛び出し、放浪した。

 針売りなどしながら遠江国まで流れてき、今川氏の直臣・飯尾氏の配下で頭陀寺城の城主、松下之綱に仕えて引き立てられたが、朋輩との折り合いが悪くなり、そこを辞して再び尾張に戻り、木曽川近くの土地を領する蜂須賀党の食客となった。十八歳頃に織田家に小者として仕官した。



「殿より五歳年上であられますか」

 須和が言うと、松木五兵衛が答える。

「徳川さまもご苦労されてお育ちですが、また違う苦労をなされておられます」

「まったく。しかし遠江に縁があったとは意外なこと」

「その松下加兵衛之綱さまは今川氏なきあと、徳川さまに仕えておられます。しかし羽柴さまから招かれて、今年どうやらあちらに行かれたようで」

 須和が知らないうちに、もう家臣の切り崩しが始まっているようだ。

「殿がお許しになったのなら、致し方ありませぬ。どうせ、『昔、世話になったから恩を返したい』とでも言ったのでしょう」

「羽柴さまの出自については、父なし子だとか、もっと貧しい家の生まれとかいう噂もあります。本当のところは分からぬということです」

「しかし母御ははごが生きておいででしょう。その方が婿をとった。それも二度目の夫は同朋衆。つまり茶坊主、ということは茶や芸能について詳しい者ということ。なれば、母御は家付き娘で、ある程度の土地持ちの農家、さらに村の組織に属する家の者ということになります。息子を寺に預けるのなら、いささかの資産を持っているはずです。名主百姓身分ではなかったのでしょうか」

「さて。本当のところ、どうであったかは、本人とその家族にしか分からぬことですが、子どもの頃は大変な悪童であったということですよ。異父兄弟に、弟と妹がおります。弟の方は、秀長と名乗り、兄に従っております。正室は物頭の養女で、たいそう出来たお方のようです。加代が褒めちぎっておりました」



 藤吉郎と名乗り、織田家に仕官してからは、たちまち小者頭、足軽組頭、足軽大将となり、清州城の普請奉行、台所奉行などを引き受けて成果を挙げ、織田家で頭角を現していく。永禄四年(一五六一)、主君・織田信長が桶狭間で今川義元を破った翌年、二十五歳の時に足軽弓頭の浅野長勝の姪で養女の寧々と結婚した。

 妻の寧々は、おね、ねいとも呼ばれていた。父は杉原助左衛門定利、母は朝日。父は母の実家の木下家の婿養子で、このとき木下祐久と名乗っていた。結婚の話が持ち上がったとき、寧々の母の朝日が猛反対し、母の妹の夫、叔父の浅野又右衛門長勝が養女にして結婚させた。媒酌人は主君・織田信長の従兄弟の名古屋因幡守が務め、信長に認められた結婚だった。寧々、十四歳のときのことである。

 婚礼は清州城下の足軽長屋で行われ、後年、寧々が笑い話として周囲に語ったように、土間に簀掻藁すがきわらを敷き、その上にゴザを敷いて座敷のようにした質素なものだった。

 夫婦仲はいたって良く、子は出来なかったが、寧々は出陣して夫が不在の家をよく守った。

 寧々との結婚で木下姓を名乗り、やがて士分となった藤吉郎は織田信長に従って数々の戦に参加し、元亀元年(一五七〇)、苗字を木下から羽柴に改め、羽柴秀吉と名乗る。天正と改元したこの年、小谷城が落ち、浅井氏が滅亡するとその旧領の北近江三郡の領主に封ぜられた。今浜を「長浜」と改名し、長浜城の城主となる。天正三年(一五七五)には筑前守となり、「羽柴筑前守」が通称となった。播磨・但馬を平定、中国攻めで毛利氏方と対峙している最中に本能寺で主君・織田信長が討たれ、それを知って毛利と講和し、備中から京へ軍を返した。



「以後の動静は、あねさまがあらかたご存知のようでありますよ」

「なるほどね。尋常な運の持ち主ではないということは分かりました」

 下剋上、成り上がりが珍しくないとはいえ、一門・家臣がいない人間が織田家の執権にまで登り詰め、さらにその上に行こうなど、異常な志と才能と運ではないか。

 これが、徳川の敵か。

「ちなみに、羽柴さまは『人たらし』と言われております。会った者は皆、羽柴さまに惹かれるとか」

「不思議なこと。して、身内の加代さまが羽柴さまの配下に嫁がれていること、徳川家にはお知らせしておりますか?」

「いえ……。どうお話すればよいか」

「では、私から殿へ言上いたしておきます」



 その日の夜にも、須和は殿に羽柴家中に縁者がいることを話した。

「亡き夫の妹が羽柴の家臣に嫁いでおるのか」

「はい。堀田という者です。藤九郎、忠右衛門と父子で仕えております。加代どの――夫の妹は息子の忠右衛門の嫁で、わたくしとは四季折々、消息を取り交わしております」

「甲州金の松木ばかりでなく、羽柴の家臣とは。なんともそなたは、奇縁の持ち主じゃの」

 殿が驚いている。

 私でなく、死んだ亭主の縁なのだけど。

 須和もつながる縁の奇妙さに、驚いてはいる。松木五兵衛が義弟であったことから、徳川家に奉公することができた。そして義妹の加代が羽柴の家臣に嫁いでいる。それも今は敵だ。これもまた何かにつながっていくのだろう。

「弥八郎(本多正信)に、このことを報せるが、良いか?」

「はい。殿の仰せのままに」

 翌日、さっそく殿の御前へ、須和は義妹のことを訊かれるために呼ばれた。殿の他に、本多正信どの、重臣の酒井忠次さま、旧知の酒井重忠どのがその場にいる。

 殿の一番近くにいるのは徳川家第一の功臣、酒井忠次さま、その次に酒井重忠どの、本多正信どのといった並びだ。

 酒井左衛門尉家の忠次さまはこの年、五十七歳。端正で穏やかなお顔をされており、年齢と経験からくる落ち着きもあった。正室が殿の叔母で、姉妹がお愛の方さまの叔父の西郷清員どのの正室となっており、二重の意味で近しい縁者である。

 酒井雅楽頭家の重忠どのは三十五歳。弟の忠利どの共々、殿によく似た容貌をしている。

 本多正信どのは四十五歳。知的で優し気な容貌をしている。殿より四歳年上で、父祖以来、松平家に仕え、自身も若い頃の殿に従って桶狭間の戦にも出たが、三河一向一揆では一揆方について敵対し、一揆衆が鎮圧されると出奔した。やがて重臣の大久保忠世さまの取りなしで帰参を許され、始め鷹匠として仕えた。今は甲斐・信濃の奉行に任じられている。

(はずなのに、何故ここに?)

 親戚の女同士のつながりなんだけど、そんなに重大事かな、と不思議に思ったが、須和は下座で頭を下げた。

「阿茶局どのにお尋ねします。義妹の夫の堀田というは、いかなる役の者でありましょうか」

 本多正信どのが須和に訊いた。

「詳しくは聞いておりませんが、物頭とのことでございます」

 須和の答えを聞いた酒井忠次さまが殿に言う。

「詳細を、兄の松木五兵衛なるものに訊かねばなりませぬな」

 これに対して、殿がうなずいた。

「阿茶局どののお役目を義妹どのはご存知か」

「徳川家で奥勤めをしていることは報せましたが、それ以上のことは書いておりません。ここに最近、取り交わした消息を持って参りました」

 本多どのの問いに答えてから、須和は袂に入れて持ってきた三通のふみを取り出して前に置いた。

 本多どのが膝行しっこうしてそれを手に取り、さっと一読してから元の席に戻って、それを隣の重忠どのに渡した。

 重忠どのも、ざっと読んでから酒井忠次さまへ渡す。

「ふむ。女房同士のたわいない消息のようだな」

 最後に目を通した酒井忠次さまが言った。

「左衛門尉、阿茶の嫌疑は晴れたか」

「御意」

 殿と忠次さまの会話を聞いて、須和は初めてこれは詮議だったのだと気づいた。

(間者と思われたら、斬られていた?)

 背中に冷たいものが流れる。自分では徳川家になじんでいたつもりでも、三河者が他国者を警戒するのは相当なものだ。

「阿茶局どの。以後、消息を交わす際には、お持ちいただけるかな」

「わたくしが送るときの下書きも持って参ります」

 本多どのの問いかけに、須和はそう答えた。女同士のおしゃべりを他人に覗かれるのは業腹だが、自分と息子の命には代えられない。

「嫌疑が晴れたのなら良い。阿茶よ、今度の戦にはついて参れ」

「はい」

 須和は迷わず、すぐに返事をしたが、酒井家の二人は苦い顔をした。

「ご両所、出陣前三日間の閨事は忌まれますが、あとは禁忌ではございませぬぞ」

 本多どのが言い添える。

「しかし、女は口が軽い」

「阿茶局は、そうではありませぬ」

 忠次どのがこぼしたことに、重忠どのが庇ってくれた。

「左衛門尉、そなたが若い側女そばめをかわいがっておること、叔母上からではなく、よそから聞き及んでおる」

 殿がからかう。

「むう。いたしかたない」

 つぶやいた忠次さまは、須和へ言った。

「足手まといにはなるなよ」

「承りました」

 須和は深く頭を下げた。

 御前を辞して侍女としてのいつもの仕事に戻ると、夕方にお愛の方さまから呼び出しがあった。

「戦にお供すると殿から聞きました。女は留守宅を守るのが通常です。いにしえには、巴御前・板額御前の例もありますが、今では聞いたこともありません。殿ったら、どうしてそんなことを言い出したのやら」

 困惑していた御方おかたさまだが、須和に向かって告げた。

「支度は任せてね。おふうたちもついて行きたいと言っているの。もう殿にはお許しいただきました」

 須和だけでなく、侍女団として行くことになったようだ。

 殿の許へ戻ると、於茶阿局おちゃあのつぼねがすっと寄って来た。

戦場いくさばに赴くそうね。わたくしにはできないわ。あなたにお似合いのお仕事ね。殿に怪我などさせるのではなくてよ。いざというときには、あなたが盾におなりなさい」

「十分、承知しております」

 嫌みか、と思ったが、頭を下げておいた。

「あなたも生きて帰ってくるのですよ」

 少しは心配してくれたようだ。

 その日は一度、つぼねに帰ることができたので、みなを集め、戦へ行くことが決まったと告げた。伊助、与一、加兵衛を連れて行くつもりだ。馬は拝領した青影、鎧と刀剣類は殿が用意してくれる。だから須和は従者三人の装備と替え馬を松木五兵衛に注文することになる。

「五兵衛、若君を御守りして、しっかりとご奉公に励むのですよ」

「はい、母上」

 若君の側仕えになって、息子はしっかりしてきたようだ。

「小夜、五兵衛のことをよろしくね」

「かしこまりました」

 奥勤めに慣れた小夜が頭を下げた。

「梅も、五兵衛と小夜たちのことを面倒みてね」

「オカタさまあ」

 梅はもう、ぼろぼろと泣いている。

「萩野……」

 須和が声をかける前に、萩野が強い眼差しを向けてきた。

「わたくしもお供いたしとうございます。おふうさまが行かれるのなら、わたくしもお役に立てるはずです」

「でもね。あなたは松木の者ですから、私は主でなく、命令ができません」

 と、須和は言葉を切った。

「ならば、こうしたらどうでしょう。伊助と夫婦になりなさい。神尾の家の者になるのでしたら、何の問題もありません。萩野、『来世で夫婦になる』なんて言ってないで、今世こんせで想いを遂げなさい。人の世なんて、何があるか分からないのですから」

「それはいい。伊助、萩野を妻にしたら?」

 五兵衛も喜んでそう勧めた。

 真っ赤になって、あわあわしていた伊助と萩野は皆に説得されて、夫婦になることになった。後日、松木家から許可を得て、二人は簡素な祝言を挙げ、萩野は従軍することになる。
















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