新枕(にいまくら)
「奉公に上がってから、殿のご幼少のみぎりのことから日常のことなど、やたら訊いておりましたでしょう。奥へ参られた殿をずっと目で追っていたし。ですからわたくし、ぴんときましたの」
御方さまの傍らに坐っている倉見局がずいと身を乗り出した。
「そなた、殿に懸想しておいでだったでしょう?」
「は?」
いえ、お仕えする主を観察していただけですが。この奉公先を逃したくなかったし。
「わたくしも倉見から聞いて、須和のことを注意して見ていました。それで納得いたしました。あれは恋慕う瞳」
と、御方さまも言う。
「いえ、違います。御方さまと殿の仲睦まじいご様子に憧れはしても、決して殿を恋うるなど!」
ありえない。
仕える主だけど、言っては悪いが最近ちょっと太ってきた初老の男。市井なら孫もいて――殿にはいたな、二人――息子に家督を譲って隠居していてもおかしくない相手だ。若い頃のように好いたの惚れたのと言う対象ではない。
「まああ。恥ずかしがらずとも良いのですよ」
御方さまと倉見局が、ころころと笑っている。実に楽しそうだ。
「留守居の重忠どのに、それとなく表での阿茶局どのの様子を聞いてみましたら、やはり殿を目で追っていると。弟の忠利どのも、そう申しておりましたから、衆目は一致いたします。隠さなくとも、『忍ぶれど恋は』というところでしょう」
倉見局が袖口で口元を隠しながら、「ほほ」と笑う。
(あの酒井雅楽頭家の兄弟め。何を妙なことを倉見さまに吹き込んでおるのか)
今度、忠利どのと廊下で会ったら、足を踏んづけてやろう、と須和は腹が立った。
「いえいえ。御方さま、大いなる誤解でございます。わたくしにそのような邪な思いは塵ほどもございません。殿に対しては、主君としての尊敬の念のみでございます」
「もう。恥ずかしがりね。本音を言っても良いのですよ」
御方さまが嫉妬の想いなど微塵も見せず、須和へ笑いかけた。
「嫌がっても遅いわ。すでに殿にもその話は届いていて、それゆえのお召しです」
御方さまの側を離れたくなかったが、すでに決定されたことのようだ。
はああ、と須和は脱力した。
「御方さまは……それで良いのですか?」
子まで成した殿御に女をあてがうなど。殿は女がいなくては夜も明けない人なので、これまで何人も閨に侍る女がいて、子も産まれている。しかし、それは直接関係のない女たちばかりだった。今回は自分の侍女の須和なのだ。嫉妬心など、ないのだろうか。
「ま、おかしなことを」
けれども、思いがけない返しをされた。
「市井ならともかく、武家の娘に生まれたからには、好いた殿御に嫁ぐなど考えられないこと。家と一族のために武家の娘は嫁ぎ、子を成すのです」
確かに。須和もそうして亡き夫に嫁いだ。感情など、二の次だった。
「わたくしは目が悪く、武家の妻として衣類の裁縫や家の差配いなど十分にできないので、最初は母方の従兄弟の後妻として嫁ぎました。優しい夫でした。その夫が戦死し、家のために殿の側室となりました。幸いなことに男の子を二人も授かり、殿もお優しくて、楽しい毎日を送れております。殿を恋うるという激しい感情はありませんが、お慕いしております。けれども、わたくしも三十を幾つも過ぎ、御褥すべりを致す頃合いでもあります。ねえ、須和。そなたなら、殿をお慰めできると思ってこの話を勧めるのです。相手を恋うるなら、なおさら遠慮せず、殿のお側にお行きなさい」
慈愛に満ちた眼差しで見つめられ、須和はこれ以上、紡ぐ言葉を失った。
「承りました。御方さまのお心のままに」
そう返事をして、平伏した。
明日と言われたのを、仕事の引継ぎのため二日後にしてもらった。右筆の仕事は字が上手な神尾さまの嫁御にしてもらい、聞き書きはお仙の方に頼んだ。侍女の仕事は他にも人手があるから良いとして、武芸の鍛錬はおふうと萩野に頼んだ。
殿の侍女となっても局[部屋]の場所は変わらない。けれども今までのように定期的に帰って来られるとはかぎらない。今度は閨の仕事があるのだ。だから、息子の五兵衛には、「殿の侍女となります。今度は宿直があるので、戻れない日もあると思います」と告げると、「母上がいなくとも、勉学と武芸に励みます」との返事がかえってきた。
(いい子に育ってるなあ)と感動しながら、気を引き締めた。
そう。閨も仕事の内。
須和は自分に言い聞かせた。だが、閨事は大嫌いなのだった。
気が重い。
殿の御前には、倉見局に連れられて以前作った紺色の打掛を着て行った。
「阿茶局、参りました」
倉見局が言い、その後ろで須和は頭を下げた。
「うむ」
上座にいる殿がうなずく。
相変わらず、良い香りがしている。着物に焚き込めているのだろう。
(白檀かな)
そんなことを考えているうちに挨拶が終わったようで、御前を退出し、殿付きの老女、三島局に引き渡された。
「身支度をして、さっそく今夜から閨に侍ってもらいます」
朋輩となる殿の侍女たちに挨拶をし終えるともう夕方だった。食事を済ませ、湯あみをしてから真新しい腰巻と小袖に着替えた。
三島局の先導で、殿の寝所へ入った。ここでも良い香りがする。
局が去って、殿と二人きりになる。燈台の明かりが一つ灯っているだけだった。
「伽羅……でございますか」
沈黙に耐えられず、つい言ってしまった。香っているのは、沈香の中で最上の物だ。
まずい、と右袖の先で顔半分を隠し、面を伏せた。
殿を恋慕っているふりをしなくてはならない。だから、恥じらう様子を見せた。人のことをよく見ている殿にどこまで胡麻化しが通用するか分からなかったが。
「ご……ご無礼を」
「阿茶には分かるか」
しかし須和の意図も知らず、殿が嬉しそうに答えた。
「今まで誰も当てたものはおらなんだ」
「まあ、左様でございましたか」
須和は目線だけを上げた。
疑っている様子は見られない。
「良い香りだ、とのみ言う者。もしくは何も言わない者ばかりだった」
いやいや。今までの女遍歴を、これから閨を共にする女に言う?
内心、呆れている須和へ殿が尋ねる。
「『六国五味』は知っておるか」
「はい。信玄公のご正室、お裏様の許で女童をしておりましたとき、ひと通り習いました」
仏教と共に入ってきた香の文化は、平安朝の頃には「薫物合わせ」という宮中遊戯となり、鎌倉期以後は禅の影響なども加わって室町期には芸道となる。衣に焚き込めることは伝来した当初から行われていたが、香炉を用いて香を「聞く」香道となって体系化されるのは足利将軍家の庇護の許においてである。
第八代将軍足利義政の近臣・志野宗信が将軍の命によって、佐々木道誉が蒐集した将軍家所有の香と三条西公隆の所持していた香を選定し、「六十一種名香」を定め、その選定の基準としたのが、『六国五味』だった。
香道では香木の質を味覚に例えて、辛、甘、酸、鹹、苦の五種類に分類して「五味」といい、含まれる樹脂の質と量の違いから、伽羅、羅国、真那賀、真南蛮、寸門陀羅、佐曽羅の六種に分け、「六国」と称する。
香木は東南アジアで産出されるたいへん希少なものである。それゆえ、贅を極めた芸道であった。
のちの慶長七年(一六〇二)六月十日、徳川家の奉行の本多正純と大久保長安が東大寺に派遣されて正倉院宝庫の調査を行った際、聖武天皇の時代に渡来した名香の蘭奢待を確認したが、「切り取ると不幸になる」という言い伝えによって、それは為されなかった。小片を切り取った者には、足利義満・義教・義政、織田信長、千利休がいる。
また、慶長十一年(一六〇六)頃から朱印船貿易を家康が始めるが、その主目的は伽羅の買い付けであった。
「阿茶は信玄公の正室、三条夫人に仕えていたのだったな。どのような様子であったか」
「はい」
と、須和は昔を思い起こして語り出した。信玄公とお裏様の仲睦まじさ。お屋敷での公家としての暮らし。お裏様は独立した屋敷を持ち、京の公家の生活をしていた。警護をする侍も京から連れて来た者たちだった。その人びとはお裏様が亡くなると、他の姫様付となり、武田の武士団に繰り入れられた。
「阿茶は直垂を縫えるか」
直垂は平安期には庶民の仕事着だったが、室町期からは武士の礼服となった。武士の妻は直垂を縫えることが必須だった。
「はい。直垂だけでなく、亡き亭主のものはすべてわたくしが縫っておりました」
「では、有職故実は知っておるか」
「娘時分、お裏様のお屋敷で縫い子もしておりましたゆえ、衣装についてはいささかの知識がございます」
「ならば、四位が着る袍は何色か。勝手に羽柴どのがこの十月に朝廷へ位階を奏請して、わしは正四位下、左近衛権中将となったらしい。中将さま――織田信雄さまより位が上だとか」
殿が苦い顔をした。
織田信長と嫡子の信忠が本能寺で討たれたのが、天正十年六月二日。織田家では幼児の三法師を後継としたため、織田と徳川の同盟はこれによって消滅した。
側近と共に堺から岡崎へ戻った家康は信長の敵討ちのため軍を動かしたが、その仇たる明智光秀は羽柴秀吉によって討たれたので、浜松へ戻る。
七月三日に甲斐へ鎮撫に向かい、八日には北条氏直と対陣し、八千の兵で北条の五万の兵を去らせた。北条との講和は十月二十九日である。同時に、八月から十二月にかけて、武田遺臣の取り込みを図った。
明けて天正十一年正月十八日、尾張星崎で信長の次男・織田信雄と密会。
四月に近江賤ケ岳の戦があり、五月二十一日には重臣の石井数正を遣わして初花の肩つきを贈った。この月には織田家三男の信孝の自害がある。
八月六日には秀吉から家康に太刀が贈られ、その一方で、八月十五日に二女・督姫を北条氏直に嫁した。
そして十月に、勝手な位階の申請。
秀吉は懐柔しようとしている、と家康は感じていたが、位階については礼状を送ったのみだった。
須和には、そんな事情は分からない。
「四位であれば、黒の袍でございましょう。昇殿も可能です」
と、淡路局に教えられたとおりに答えた。宮中など別世界のことなので、知識としてあるだけだ。
「うむ。よく知っておる。いずれそなたに衣装の係を勤めてもらおうか」
殿は機嫌を直したようだ。
「阿茶の家は、どこの宗派じゃ」
「熱心ではございませぬが、本家のおじから浄土宗と聞いております。亡き父の弟――わたくしが生まれた頃には、叔父が出家して浄土宗の僧となっているとか」
「ほう。わしと同じか。我が家も数代前に浄土宗の高僧が出ておる」
殿の機嫌がますます良くなった。
それから幼い頃のことをいろいろ訊かれ、答えている内に殿が明かりを消して閨事となり、須和は初めて気をやってしまった。
死んだ亭主との閨は痛くて辛くて、須和は心底嫌いだった。子を産むという目的が無かったら、したくなかった。よそに女がいると知って、そのときにはもう息子がいたので、閨の事はその女とずっとしてくれたら、と思ったほどだ。
けれども殿は、須和を優しく扱ってくれた。そして初めて女としての悦びも教えてくれた。
どうやら男というのは、粗野なだけの者ばかりではないようだ。
(床上手なのは、殿の女遍歴ゆえか?)
ただの女好きではないようだった。
医学に詳しい殿が養生の知識の一環として、房中術も学んでいたことを須和が知ったのは後日のことだ。




