弟との再会
北条氏と和睦する前の八月のこと。十二日に黒駒の合戦で徳川方が勝利すると、武田の遺臣たちは家康への忠誠を誓って起請文を提出した。取りまとめの中心となったのは、のちに榊原康政の配下となる駒井政直と、飯田総本家の妻の実家当主、今福昌常らである。それは八月二十一日から十二月十一日にかけて行われた。
和睦が成ると、家康は腹心の平岩親吉を甲斐郡代とし、大久保忠世に佐久郡、鳥居元忠に郡内を与え、味方した者たちは本領安堵とし、また領地を与えた。
家康が陣を引き払ったのは、十月二十九日のことである。
殿の帰還と共に、お仙という女も浜松城へやってきた。お仙以外にも戦陣で殿の身の回りの世話をしていた甲斐の女たちが一緒だった。独り身の者が多かったが、幼い子連れもいる。皆、地元の郷士たちの人質兼献上された者たちだった。
殿の閨の相手を務めていたお仙が代表してお愛の方さまに挨拶をする。
「奥では御方さまの下知に従え、と言われました。わたくしたちは、どうすればいいでしょう」
お仙は武田家旧臣の宮崎泰景の娘であった。父は織田氏の苛烈な「武田狩り」を逃れ、潜伏していたところ、娘が召し上げられたのだった。のちの天正十六年(一五八八)に宮崎泰景はお目見えし、所領を安堵され、以後は徳川の将となった。
(お仙さまは儚げな美女じゃなあ)
殿はこういうお人が好みか、と須和は甲斐の女たちを見た。
お仙は佐々木という者に一度嫁ぎ、寡婦となっていた。薄幸な印象がある。
〝人を育てなさい〟
ふと淡路局の声が聞こえた。
八月の末に、淡路局が亡くなったと、側仕えだった春栄尼から報せがあった。
(そうだ。あの方に頼もう。まだ甲府の庵におられるだろうか)
須和は御方さまに進言し、女たちをそれぞれの能力にあった場所で使うようにした。西郡の方さまにもお愛の方さまから話を通してもらい、西郡の方さまの側近の小島局とこちらの倉見局を交えて、甲斐の女たちのこれからのことを話し合った。また、子どもらにも読み書きや行儀作法など教えることを申し上げ、師匠を春栄尼に頼むことを了承してもらい、春栄尼を説得して、その役についてもらった。読み書きのできない侍女たちも春栄尼から習うことに決まった。
春栄尼が浜松城に来るまで須和はその準備のため、忙しく日々を過ごした。
お仙は殿との間に子をなすことはなかった。しかし「お仙の方」と呼ばれ、須和とは親しく、読み書きもできるため、さまざまな仕事を手伝ってくれた。
その後、お仙の方は奥勤めを続け、家康の死後、泰栄院と名乗り、元和五年(一六一九)十月二十五日、駿府において死去した。墓は最初、藤枝に次に信濃国の寺へ移されたが、須和こと雲光院が造った京の上徳寺に二人の墓碑が並んで建てられている。
この天正十年の十一月、奥でのさまざまなことが落ち着いた頃、須和は表に呼び出された。
使いの家康付きの侍女に付いていくと、その部屋には殿の他に二人の人物がいた。
「阿茶よ、成瀬吉右衛門を覚えておるか」
殿が部屋へ入った須和に、穏やかに声をかけた。
成瀬正一は初めて会ったときから二十近く経て、若武者から落ち着きのある初老の男となっていた。
正一は三河に戻ってから、姉川の戦、三方ヶ原の戦に加わり、三方ヶ原の戦で討ち死にした兄に代わって家督を相続した。長篠の戦では重臣の大久保忠世の与力として武田氏の情報を伝え、鉄砲隊の指揮もまかされた。高天神城の戦では城を陥落させるに寄与し、駿河田中城の攻略時にも、守備をしていた依田信蕃を降伏するよう説得し、城の引き渡しに成功している。武田氏が滅亡後の甲斐で旧臣の粛清が始まると、武川衆を始めとする武田氏旧臣を遠江でかくまった。そして甲斐国が徳川のものとなると、奉行に任じられた。
「はい……」
春とはいえ、まだ寒い三月に息子を連れて御坂峠に向かったのは、この方に会うためだった。けれども意外な出会いがあり、今、自分はここにいる。そして、成瀬さまの後ろに控えているのは――。
「……久左衛門」
弟だった。
(生きていた)
松木五兵衛から、その生存が知らされていても目の前に本人がいるのは、また別の話だ。須和の目から涙があふれ、袖口でそれを拭った。言葉が出てこない。
「阿茶局どの。武田とのあの戦のとき、乱戦の中、弟御がわしを探し当て、『きっと役に立ちまする』と強引に家来になってな。甲斐の者たちに川中島でのわしの昔話などして、ずいぶんと助けてもらった。ことが落ち着いたので、引き合わせにきた次第だ」
成瀬どのが須和に告げた。
「なんともかたじけなく、ありがたいことです」
須和は礼を言うのがやっとだった。
「飯田久左衛門」
殿が呼ぶと、「はっ」と弟が平伏した。
「吉右衛門から、そのほうの働きは聞いておる。どうじゃ、陪臣ではなく、わしの直臣にならぬか」
思ってもいなかった殿の言葉に須和の涙も止まり、目を上げてそちらを見た。
「恐れながら」
少し頭を上げた久左衛門が答える。
「もったいないお言葉なれど、一度、主と決めた御方に生涯お仕えいたしとうございます」
「ふむ」
殿が満足げにうなずいた。
「よき志である。吉右衛門、良い家臣を持ったな。さすが阿茶の弟よ」
須和は深く頭を下げた。
殿は成瀬さまと話があるとかで、須和と弟を別室に下がらせ、二人きりにさせてくれた。
「心配させて」
「姉さまも、殿の城で奥勤めをしておるとは、驚きじゃ」
泣き笑いしながら、互いのことを語り合った。
久左衛門は勝頼公についていくより、また戻って本家の清左衛門の下で働く暮らしをするより、憧れていた成瀬さまにどうにかして会って家来にしてもらおうと、織田の兵がうようよしている中、徳川の雑兵のふりをして居場所を聞き出し、行って直談判して家来にしてもらったという。
「戦で敵の首も獲った。徒士侍に取り立てもろうた」
「それはすごいこと」
あの小さかった弟が。と須和は感心した。別れてから、九か月しか経っていないのに、ずいぶんたくましくなった。
「一朗太は」
「無事じゃ。よく働いてくれた」
「加兵衛と梅、小夜にも会わせてやらんと」
「うん。心配かけた」
「これからは成瀬さまのご城下のお屋敷におるの?」
「いや、甲斐奉行になられたんで、ついていく。物頭から縁談もあってな。嫁を迎えるときは、姉さま、婚礼に来てくれるか?」
「当たり前じゃ」
「一朗太にも、良きおなごがいるみたいだし」
「まあ、それはそれは」
弟たちは自ら道を切り開いたようだ。
須和の弟の久左衛門はやがて馬乗り身分となった。妻を迎え、子だくさんの父親となり、生涯、成瀬家に仕えた。成瀬家中の飯田家では、代々当主は久左衛門を名乗ることになる。




