松平家元
「御方さまのお使いで参りました」
言うと、すぐに取り次いでもらえた。そのあと、人払いをしてもらった。
そして、いつも殿が家臣たちと会う部屋に通された須和は、上座に坐る酒井重忠の許へ膝行し、紙片を渡した。
一読した重忠が訊く。
「誰からこれをもらった?」
「義弟の松井五兵衛でございます」
「知っているのは」
「御方さまと倉見局さまのみ」
「よかろう。良く報せてくれた。もし続報があるようなら、すぐに持ってきてくれ」
それだけ告げられ、下がるよう言われた。
(顔色が変わらんというのは、すでにどこからか知らされておったな)
須和は察した。
京に拠点を持つ商人は松木家だけではない。茶屋家は当然のことながら、他にも徳川とつながりのある商人はいるし、伝手もあるだろう。
奥に戻って御方さまに復命し、須和はいつも通り仕事に戻った。
夕方にまた義弟からの報せがあり、御方さまに見せてから重忠どのの許へそれを持って行った。
報せは、『徳川様は堺にいて、難を逃れた』というものだった。
「ちょうどよい、阿茶局。ある方を内密に世話してくれんか。『局を借りる』と、御方さまへは、わしから伝えておく」
「何の御用でございましょう」
問うと、重忠が隣室につながる襖を開けた。そこには忠利どのが端座していて、その後ろの屏風の陰に誰かいるようだった。
「うわっ、阿茶局か」
須和を見たとたん、忠利がつぶやく。
なんという言い草か。
須和は忠利を睨んだ。
「機転が利く。口も堅かろう」
「まあ、確かに」
なんか失礼な兄弟だな、と須和は思った。自分にだけかもしれないが。
酒井重忠は今年、三十四歳。同母弟の忠利は二十四歳。
二人の父の酒井正親は家康が生まれたとき胞刀の役をした。その際、蟇目役をした石川清康は正親の舅だった。二人は家康を守ってきた重臣の子・孫でもある。父親の正親は天正四年(一五七六)の六月に病で亡くなっているが、その前に見舞いに訪れた家康に、「くれぐれも」と二人の息子のことを頼んで逝った。
(心配だったんだろうな)
いろいろと。子煩悩な父親だったんだろう。
兄の重忠の方は遠江掛川城攻め、姉川の戦など戦に多く参加し、武功を上げ、父の正親が亡くなったのちには、跡を継いで西尾城の城主となっている。そして今は留守居役だ。娘・息子が数人いて、嫡男は十歳。
弟の忠利は若いのでまだ大きな戦の経験はない。しかし人にうるさい家康の側に仕えているから、有能そうだ。
うぉほん、と空咳をした重忠どのが言う。
「こちらの御方に殿の衣装を着せて、似せてほしい」
「……無理だよ、雅楽頭」
屏風の後ろから、殿の声がした。そして、無精ひげが生えた顔が覗いている。
「兄上と体形が違ってきているから、ごまかせない。私は太れないんだ」
「影武者?」
須和は屏風の後ろの男と酒井兄弟を交互に見た。
「まさか、御坂峠の殿は……にせもの?」
「たーけか。裏切ったばかりの穴山と、うちの殿を同道させることなぞ、せえへんわ」
忠利どのが三河言葉で答えた。
「では、こちらの方は?」
「殿の異母弟君、家元さまである」
忠重どのの答えと同時に、須和は平伏した。
「たいへんなご無礼を。失礼つかまつりました」
「いや、いい。顔を上げてくれ。そんな大層なもんじゃない。兄上のために戦にも出られない、役立たずの身内だから」
須和は頭を上げた。
「それでお留守居さまは、家元さまを影武者に仕立てようとなさるのですか?」
「話が早くて助かる。まだ他の者たちには報せていないが、もしものときのために、急ぎ岡崎から来ていただいた」
『拉致してきた』とも聞こえた。
「武田信玄だって、三年は死んだのを隠して影武者をたてていたのだ。三年後、長丸さまは七歳。殿に成人した男子はおられぬが、殿は八歳のとき父君を亡くされ、当主となられた。我ら家臣一同がしっかりお支えすれば、なんとかなる」
言い切った重忠どのに向かって、家元さまが頭を振る。
「十三歳のときに足が萎えて、それから医薬で少しは良くなったのだけど、戦働きが出来るほどまでには回復しなかった。声が似ているから、初対面の穴山さまは騙せたが、兄上をよく知っている家臣たちは無理だよ。たとえ、みなが偽物だと知っていて、家中が隠してもすぐ他家にばれる。信玄公のときも、そうだっただろう?」
その通りだと思う。重忠どのは落ち着いているように見えて、相当うろたえているみたいだ、と須和は思った。
「お留守居さま、殿の安否はまだ不明です。ですが、亡くなったときのこと、それも小手先のことを考えずとも、今は生存を信じましょう」
「だが」
「殿には、一のオトナの酒井忠次さま、戦上手の本多平八郎忠勝さま、榊原康政さま、本多作左衛門重次さま、長沢松平家の康忠さま、天野康景さま、高力清長さま、大久保忠佐さま、大久保忠隣さま、井伊直政さま、他二十二名の家中でもよりすぐりの武者たちがついております。さらにその従者たちもおります。彼ら三河衆が落ち武者狩りになど負けるものですか。きっと殿はご無事です。――信じましょう」
須和がさらに押すと、重忠が迷いながらもうなずいた。
「う、うむ」
「家元さまは兄上を心配して駆けつけて来てくださいました。と、家中の者にはお知らせください。お部屋も用意してくださいませ。わたくしは御方さまに申し上げて、お世話のための侍女を何人かお借りしてまいります」
「……わかった」
まだ納得していない兄へ、忠利どのがしたり顔で言う。
「阿茶局なぞ呼ぶから、こうなる。しかし助かった」
最後の言葉は、須和へのものだった。忠利どのも、兄君の動揺を感じ取っていたようだ。
須和は一礼して、御方さまへの報告に向かった。
須和が持ってきた報せに驚いた御方さまは自ら侍女を従えてやってきた。
「おいでになっていたことを存じ上げず、失礼いたしました。殿が不在の折でございますが、ゆるりとご滞在くださいませ」
御方さまは殿が危険な目に遭っていることをおくびにもださず、侍女たちを指図して家元さまの着替えなど、身支度を調えさせている。
やがて殿の着物を着込んだ家元さまが、御方さまのいる前で重忠どのを呼び、紙と筆も所望した。
「少し思いついたのだが」
と、重忠どのの前に置いた紙にすらすらと図を描いていく。
「ここが京。ここが堺。織田さまが襲われたことを知った兄上だったら、明智の軍勢がいる京になど戻らず、まして東海道の陸路なぞ通らないで伊賀に向かい、山越えをして伊勢から船に乗るだろう。そう思わないか?」
描いた図を指し示しながら、家元さまが重忠どのへ訊く。
「なるほど。危険ですが、最短の道のりですな」
「これなら二、三日で三河へ戻れる」
「念のため陸路にも物見を出しますが、船での出迎えの用意をいたします」
ぱん、と立って重忠どのは部屋を小走りで出て行った。
「兄上は無事ですよ」
と、それを見送り、家元さまは御方さまに微笑んだ。
「はい……」
御方さまが涙ぐんでいる。
須和も、ほっとした。この奉公先は居心地がいいので、失いたくないと思ったのだ。
「それにしても、絵がお上手ですね」
甲府と駿河しか知らない須和にとって、他は国名を聞いただけでは分からず、どこにあるのかも知らない場所だった。
「特にやることもないからね。いつも絵を描いたり、書物を読んだりしているよ」
須和のつぶやきを家元さまが拾って答えた。
「あ、ご無礼を」
「咎めたわけではないよ。気にすることはない。兄上とは、ときどき文を交わし、書物などをいただいている。『戦がなければ、自分も書物を読み、絵をたしなむような暮らしをしたいものだ』と言っていた」
「ほんに、そのように暮らせるならば、どれほど良いか……」
御方さまの言葉に、須和もうなずいた。御方さまと須和は夫を戦で亡くしている。そんな女が大勢いる世の中だ。
しんみりしたところで、御方さまが須和に命じた。
「西郡さまにも、このことをお知らせして。きっとご心配なさっていようから」
「はい、かしこまりました」
と、須和は立ち上がって部屋を出た。
廊下を行き、西郡の方さまの部屋に近づくと、「南無妙法蓮華経」と法華経の題目を唱える声と太鼓を叩く音が聞こえて来た。
(そうか。西郡の方さまは法華宗の信者だったのか)
殿がさほど親しくしない理由が分かった。
松平氏は浄土宗を代々信仰し、先祖には浄土宗本山の知恩院門主となった高僧も出たと聞く。浄土宗と法華(日蓮宗)は仲が悪く、というか、法華宗は他の宗派に宗論を吹っ掛けるので、どことも仲が良くない。
あとで知ったが、西郡の方さまの養家・鵜殿氏は法華宗の熱心な信者だった。
(美人で理知的でお優しい方なんだけど、こればっかりはどうしようもないなあ)
殿を心配しているのは同じ。でも、以前あった三河一向一揆といい、信仰の問題は難しい。
読んでくださり、ありがとうございます。
このところの寒暖差で体調を崩してしまい、少し更新をお休みします。
すみません。
皆様もお体には気を付けてお過ごしください。




