城での日々
その日の夕に、加兵衛と梅がやってきた。阿茶局となった須和の使用人としてだ。加兵衛は従者、梅は下仕えとして。
松木五兵衛の許へ下人として預けた与一はこの五年間、身を粉にして働き、自分を買い戻すには少し足りないほどの銭を貯めていたので、主の松木五兵衛は足りない分はまけて、与一を小夜と娶わせ、須和の使用人とする、と言ってきた。支度が出来たら、二人と娘の幸を送ってくると手紙で。与一は五兵衛の従者として、小夜は須和の側仕えとして寄越すということだ。
思った以上に、ことが良い方に転がっていく。みなが一緒に暮らせる日もすぐのようだ。
ここに弟の久左衛門と小夜の弟の一郎太がいればいいのに、と思ったが、詮無いことだ。松木五兵衛に消息を聞かないか尋ねたが、甲斐の商人をしていてさまざまなことを知っている義弟にも、分からないとのことだった。
須和は人見知りの激しい梅が屋敷奉公に耐えられるかも心配だったが、意外にも端女の中に混じって立ち働いている。
そうか、女ばかりで梅が怖がる男がいないからか。と、須和は合点がいった。
側室たちの暮らす奥向きに侍女や下働きの女が多いことは確かだが、奥を取り仕切る役人を始め、庭師や修繕の大工なども出入りし、完全に女ばかりとは言えなかったが、それでも梅には居心地が良いらしい。
しかし城の奥にある局に使用人とはいえ男は入れられず、加兵衛と与一と伊助は男性の使用人が寝起きする棟へ夜は行くことになる。そして、五兵衛がお目見えして正式な家臣となるまで、馬の扱いに長けた加兵衛と与一は厩で馬の世話を、伊助は庭仕事をするということになった。これは奥向きを取り仕切っている倉見局の侍女が伝えてきたことだ。
これについては須和に不満はない。ただ、衣装についてひと悶着あった。
打掛や小袖のことを義弟が駿府の宗清どのに相談したようで、宗清どのは自前で作るより友野様に恩を売るつもりで打掛を注文したところ、徳川家の御用商人、茶屋家から苦情がきた。「徳川様にお仕えする上臈[上級の侍女]のお衣装は、茶屋家が取り扱う決まりです」ということで、少々もめたらしい。そこを宗清どのは、「親族として、ご奉公の記念にお贈りしたいのです」と押し通した。
そこで奉公して三日目、お愛の方様のお世話をして、うきうきとしていた須和が台所脇の出入りの商人と会う場所と決められた部屋に、呼び出されたのだ。
「新参者ですので、よう知りませんで」
と、須和は茶屋家の手代に謝った。本音は、商家の縄張り争いはめんどくさい。
「いやいや、阿茶局様。これを機にどうぞ、うちをご贔屓によろしゅうお頼みいたします」
互いに、にっこりと笑みを交わした。そして須和は、小袖を一枚と帯を一本、注文した。よそ行き用だ。
「生地は木綿で。柄なども地味にお願いします。悪目立ちしたくないので」
京の衣装は派手だと聞く。正室でもないただの侍女なのに、京の流行をそのままこの東国で着たりしたら、何を言われるかすぐに予想がつく。
「へい、承知いたしておりますとも」
えびす顔で手代は帰っていったが、須和は『当分、注文はないわね』と思った。
加兵衛たちの衣を新調して自分のも、となると、これでもらった支度金は吹っ飛んでしまった。
五兵衛のために書物を買いたかったなあ。
初学の教科書『千字文』はある。女童の頃、お裏様のお屋敷で手習いのとき真名を覚えるため一生懸命写した物だ。
若様のお側に仕えるなら、読み書きが出来るだけではいかんし、と須和は頭が痛かった。
文字の読み書きは寺で教わる。七歳から十歳くらいは「いろは」の手習い。下級武士の子や裕福な庶民の子はそこまでして下山し、親の仕事を手伝ったり、奉公へ行ったりする。
それより上級の武士の子は、十一歳から真名を学び、経文誦読(看経)、詩歌、管弦も学ぶ。
十三歳からの読書は『観音経』『般若心経』、手紙文の例題集『庭訓往来』、武家のしきたり『貞永式目』、教訓書の『童子経』、物事の本質を書いた『実語経』、あと「往来物」をいくつか。
十四歳からは草書・行書の書き方を習い、『論語』をはじめとする『四書五経』、その中の特に『易経』、兵書の『六韜三略』、漢詩の『朗詠集』。
十五歳からは『古今集』『万葉集』『源氏物語』の一部、『八代集』などで和歌を学ぶ。同時に、蹴鞠や揚弓で身体を鍛え、敏捷性を養い、馬術を習う。
これは男子のことで、女子も読み書き。仮名は当然、真名も美しく書けるように。縫い物は出来て当たり前。和歌、『万葉集』『源氏物語』『古今集』『新古今集』の歌はすべて覚え、風情のあるものを詠めるように。琴・琵琶・和琴も適当に知っておくこと。
私は管弦を習う暇がなかった。と須和は子どもの頃を思い返した。徒士侍の妻になるくらいの身分だったら、仮名の読み書きだけで十分だったけれど、学びたいという欲求は抑えがたかったから、淡路局様にお願いして、真名も学んだ。それが今、息子を教えるのに役立っていた。
五兵衛には、『四書五経』とくに『易経』は学んでほしいな。側仕えになると、武芸と学問はどうやって学ぶのだろう。
いろいろ疑問が湧いてきて、あとで倉見局様に訊いてみよう、と決めた。
「そうですね。殿にお伺いいたしましょう」
須和の問いに、倉見局は請け合ってくれた。
「『甚三郎と一緒に学ぶと良い』とのお答えでした」
そして後日、倉見局はそう告げた。
『甚三郎』とは、譜代の本多家から分かれた土井家の養子の少年のことである。この年、須和の息子の五兵衛より一つ上の十歳。七歳のときに召され、長丸君が生まれてすぐ傅役に任じられた。実父が徳川家康の母方の伯父・水野信元だということだった。
御方様にお目見えした際、傍にいた御子ですね、と須和は思い出した。
甚三郎どのは長丸君がお昼寝している午後、近くの寺から住持がやってきて学問を習っているそうだ。しかし一緒に学ぶにしても、それは五兵衛が側仕えとなってからだった。
それまでは自分が教えようと考え、須和は朝のお勤めが終わったあと、朝食を摂りに部屋へ戻ったとき、息子に手習いや和歌の課題を与え、萩野に息子の世話を頼んで御方様の許へ行き、一日の仕事をして戻ってくることにした。子がいるので、宿直[夜勤]はないとのことだ。
織田右府様から駿河での接待の返礼のため、京に招かれている殿とお付きの家臣たちは準備に忙しそうだ。しばらく留守にするためか、殿は若君や姫君に会うため、西郡の方様とお愛の方様の許を毎日訪れている。
「わしのくらみ姫のご機嫌はいかがかな」
と、少しおどけた様子でやってきて、ひどい近眼の御方様の笑いを誘い、若君たちをだっこして可愛がる徳川の殿の姿は、『海道一の弓取り』と呼ばれる戦上手と同じ人とはとても思えない。殿は女子供に優しい御方だった。
殿と御方様の穏やかなやりとりを見ていると、こちらもほわほわと温かい気持ちになって来る。他の侍女たちも同じ気持ちのようで、みな生温かい目でお二人を眺めていた。
でも男なんて、分からんぞ。
死んだ亭主のこともあって、須和は男というものを信用していない。急に態度が変わって御方様を悲しませるんではなかろうな、と御方様に癒され、お仕えする喜びをかみしめながら、一方で殿は観察対象だ。
気がつくと、目で追っていた。
このように御方様の側に侍る以外に、須和の本来の仕事として書き物をしなくてはならない。
お愛の方様は自分の目が悪いことから盲女とも呼ばれる瞽女に同情して保護し、城下に来たときには瞽女屋敷で休ませ、飲食を与えた。ときに殿の許可を得て城に呼び、演奏をさせた。
瞽女は三味線を弾いて歌をうたい、踊りもする盲目の遊芸人で、語り物も演じる。
そういえば、市にやってくる琵琶法師と瞽女の語り物は、みんな楽しみにしていたなあ。と、須和は甲斐での幼い頃を思い出した。
しかし今は郷愁に浸っているときではない。
奉公して五日目に瞽女が庭に招かれ、御方様の前で三味線を演奏し、語りを始める。須和は後日、御方様が聞きたいと仰せになった時のために記録をとり、おふうという物まねの上手な侍女が語ることになっている。今回は三味線の名手のおえんという女なので、御前に招かれたのだ。演奏が終わったのち、別室で須和がこれまで巡って来た諸国の話を聞き取り記録して、それを殿の右筆へ提出する。
御前での披露がない場合、語りと聞き取りは須和がすることになっていた。これは今まで文字が書ける倉見局が行っていたが、須和が後任となったのだった。
書いていて、「あれ」と思い、記録を届けに行ったとき、右筆の御用部屋に積んである過去の記録を読んで確信した。
(武田家は歩き巫女だったが、御方様の同情にかこつけて徳川様は瞽女を使って諜報をしている?)
尾張、美濃、甲斐、信濃、伊豆、武蔵、上野、下野。遊行の芸人の行くところ、といえばそれまでだが、織田氏、武田氏、北条氏、上杉氏の領国だ。
まさかね、と須和は頭を振った。
「どうかしましたか」
右筆の御用部屋にいた神尾房成どのに声を掛けられた。
「いえ。たくさん書かれていて、これまでの倉見局様のご苦労を思い、これからの自分の御役目の重さを感じ入っていた次第です」
「ご熱心なことです」
と神尾どのは穏やかに微笑んだ。かなり歳のいった痩せた老人だった。子息も能筆家なのでやがてあとを継ぐだろうと言われている。今川義元の頃から右筆をしているので、足利将軍家一門だった今川氏の書式も熟知し、朝廷へ出す文書から下文まであらゆる書類の書式と文章に精通しているため、須和も教えを乞いたいと思っている。
和やかに世間話をしたあと、須和が廊下に出ると、向こうから武士が二人やってきた。須和は脇へ寄って平伏し、やり過ごそうとしたのだが、一人が須和の前で足を止めた。
「おや、そなた」
と、片膝をついて声をかけてきた。
「あのときの子連れの後家どのか」
顔を上げると、酒井忠利どのがそこにいる。
「いつぞやは、たいへんお世話になりました」
と、須和は頭を下げた。
「そうか、徳川のお家に仕えることになったか。いや、めでたい」
「ありがたく存じます」
殊勝に頭を下げていたら、一緒にいた留守居役の酒井重忠に促され、忠利どのは立ち上がって去って行った。
「お知り合いですか」
後ろから神尾房成が訊く。
「一度、お声をかけていただきました。あの……お二人とも酒井様と申されますが、ご関係は?」
「母を同じくするご兄弟ですよ。先だって亡くなられた父君の正親様は、殿がお生まれになった際にへその緒を切る御役目をなされた方で、最側近といって言いお方たちです」
「ご兄弟……」
年が十歳以上は離れていそうだった。母君はがんばって産んだんだろうな、とつい考えてしまった。
その間、廊下の向こうに遠ざかっていく兄弟は、
「アレがそうか」
「殿も隅に置けんな」
と、意味不明な会話を交わしていた。多分、猥談だろうと須和は察した。
そして次に酒井忠利と会ったのは、二日後のことだ。
五兵衛は須和が仕事をしている間、局でおとなしく手習いをしていた。進み具合は順調だったけれど、一日部屋の中にばかりいるのも身体に悪いし、以前のように武芸の稽古もつけたい。そう思った須和は倉見局に相談し、お愛の方様の許可を取って、若様たちがお昼寝の間、庭の隅をお借りして、五兵衛に武術を習わせることになった。
稽古を始める日、木刀で打ち合いの練習をさせようと、須和は小袖にたっつけ袴を穿き、梅模様の打掛をはおって脇息にもたれていた御方様の前に出た。
「お許しをいただき、かたじけのう存じます」
と、廊下で一礼した須和を御方様がまじまじと見つめている。
「あの……」
と、いぶかしく思った須和が言いかけたとき、御方様に遮られた。
「だめよ、須和。髪を結いなおしましょう。やってあげるわ。そうね。父の形見の古い袴があります。それも穿いてちょうだい」
あわあわとしているうちに御方様の身近に仕える侍女たちによって部屋の中へ引っ張り込まれ、たちまち着替えさせられて、髪も若者のように結い上げられてしまった。
御方様自ら櫛を手に取ってしてくださったので、須和は身を固くしているだけだった。
「麗しい若衆ができたわ」
支度を終えて立ち上がった須和を見て、御方様が微笑んでいる。周囲の侍女たちも、きゃっきゃっと笑っている。倉見局だけが、呆れて溜め息をついていた。
日頃の楽しみが少ないから、いい憂さ晴らしになるかな、と思った須和は一礼して階を下って、廊下から庭へ降り立った。下では五兵衛が木刀を二本持って待っていた。
それを受け取り、須和はまず二人で素振りを始める。ひと通り済ませると、次は木刀を構えた須和に五兵衛が打ち込む練習をする。
庭の隅で、見えないところでやっていたのだが、何故かそれを眺めようと御方様と侍女たちが廊下に出て来て、こちらを見ていた。
カンカンと木刀を打ち付ける音が響いている中、廊下を向こうからやってくる小さな足音がした。
「御方様、私もやりとうございます」
甚三郎どのだった。
「お師匠様はもう今日はよいとおっしゃったの?」
「はい。本日のぶんは終わりまして、お帰りになられました」
「甚三郎はもう武芸を習っているのではなくて?」
「小太刀はまだです」
「そう」
と答えた御方様が立ち上がった気配がする。
「須和……」
呼びかけられて振り返ると、ちょうど目が悪い御方様が打掛の裾を踏んずけて廊下から転げ落ちようとしているのが見えた。
「あぶない!」
木刀を放り出し、須和は駆け寄って御方様を抱きとめ、横抱きにした。
侍女たちが黄色い悲鳴を上げる。
「須和……ありがとう」
御方様が頬を染めている。
あ、いい匂い。華奢なのに、これで四人の子持ちで私より三つも年上なんてみえないなあ、とほわほわしながら思っていたら、数人の男たちがこちらへ急いでやってきた。
須和は階の段の上に御方様を下ろした。
「きさま、何者!」
忠利どのが殿より先に駆けつけ、叫んだ。小姓の弥一どのと殿、その後ろから忠重どのもやってきた。
「殿、須和……いえ、阿茶ですわ。麗しい若衆姿でございましょう? 武芸の練習をする許可をわたくしが出しましたの。この姿のときは、新之助とよびましょう」
お愛の方様が、にこにこしている。
「なんと、阿茶局か」
忠利どのが呆れている。
「はい」
と、須和は庭で平伏した。隣を見れば、五兵衛も同じことをしていた。
「高祖父どのが信玄公の武術の指南役だったと言ったな」
殿の言葉に、須和はよく覚えていることだと感心した。
「では、見せてみよ」
殿の命令で、試合をすることになった。まず槍。練習用の穂先がついていず、先端を布で巻いたものを使用して、小姓の弥一どのと槍を交えたが、すぐに勝負がついた。一撃で槍を弾き飛ばした須和の勝ちだ。
次は弓。廊下の端から端までの距離に片方には的があり、片方に須和が立って弓を引く。矢は三本。すべて真ん中を射抜いた。
小太刀も、太刀を弾いた須和の勝ち。そして組み打ちも少年の弥一どのを投げ飛ばして、須和が勝った。
きゃあ、と侍女たちが歓声を上げ、御方様が嬉しそうに手を叩いている。
「おい、弥一。手加減しているのではあるまいな」
忠利どのが階を降りて来て、須和の二の腕を掴んだ。
とっさに振り払い、襟元を両手で掴んで足払いをかけた。
ぐらりと忠利どのの身体が傾いだが、何とかこらえたようで、反対に須和の襟元を掴んで引き倒す。
「くっ」
背中を地面にしたたかにうちつけて声を漏らしたら、忠利どのがはっとする。
「すまない」
と、力を弱めたところで、須和は忠利どのの下腹部を蹴り上げ、態勢を入れ替えて馬乗りになって、左手で襟首を掴み、右手で目つぶしをしようとした。そのとき、声がかかった。
「双方、それまで」
殿だった。
「忠利。おなごを上に乗せて、悦に入っとるんじゃねえぜ」
兄の重忠どのが、げらげら笑っている。どうも三河武士は艶話が好きなようだ。
「失礼いたしました」
と、須和は忠利の上からどいて、袴の土を払った。
「手加減をしていただいて、申し訳ございません」
「なーにを」
と言いかけて、忠利はひょいと起き上がり、顔を赤くしながら自分も土埃を払っている。
「とんでもないおなごじゃ。俺を殺す気できたな」
須和は微笑んだだけで、返事をしなかった。実はそうだ。男と女の力の差は歴然だったから、捨て身でかからねば、負けてしまう。でも、負けるのは嫌い。
目を丸くしている忠利どのをよそに、殿が「武芸の練習を許す」と告げた。
とたとた、と廊下を走って来る足音がする。
長丸君だった。後ろに乳母の大姥局と傅役の内藤清成どのがついており、その後ろから乳母に抱かれた福松丸君が寝ぼけ眼でやってきた。どうやら若君たちは、早くお昼寝から起きてしまったようだ。
「あそびたいー」
と、長丸君が庭へ降りてくる。
「蹴鞠をいたしましょうか」
「できるのか」
若君に言ったら、殿から尋ねられた。
「見よう見まねで覚えました」
「すもうー」
大人の会話を聞いていない若君は、須和に向かって突進してくる。その小さな身体を受け止めて、須和は横へいなした。
侍女たちと御方様から笑い声が上がる。
殿も目を細めてそれを眺めていた。
穏やかな時間。
はるか後年、思い起こすと、このときが一番幸せだったのだと阿茶局は懐かしむ。
このあと五月十五日に、頭を丸めて梅雪と号した穴山信君を伴い、家臣と共に織田信長の招きに応じて、家康は安土へと旅立ったのだった。
運命が激変する事件が起こるとも知らず。




