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出奔

 甲斐国。天正十年三月三日、とき[午前六時ごろ]。

 甲府のはずれにある飯田屋敷の離れの部屋で、今年九歳になった息子の五兵衛ごへえと共に綿を入れたふすま[布団]を被って寝ていた須和すわは、下仕えの小夜さよに起こされた。

「お休みのところ、申し訳ありませン」

「いいえ、もう起きねばならぬ時刻ですから。寝坊をしてしまいました」

 早く馬に餌をやらないと、朝餉の支度も、朝の鍛錬もせねば、と須和は起き出して、小袖の上に帷子かたびら[夏用のひとえ]を二枚着込んだ。

「かかさま」

 息子が目をこすって半身を起こした。

 水ぬるむ春とはいえ、まだ朝は寒い。

「かかさまは、母屋のおじさまとおばさまにご挨拶してまいります。小夜、五兵衛の身支度を手伝ってあげて」

「自分で、できます」

 五兵衛は枕元に畳んであったひとえと袴に手をのばして、着物と格闘し出した。

 須和に似た面差しをして同じ年頃の子より賢い我が子に目を細め、『あの人に似なくてよかった』と思いながら、脳裏に浮かんできた亡き夫の面影を追い払い、髪を櫛で整えると、離れを出て井戸へ向かい、水を汲んで顔を洗った。

 そのあと、腰帯にはさんだ布で濡れた顔と手を拭いた。

 山の端から朝日が顔を少し出し、山々の表が明るくなってくる。そこから抜きん出て、雪をかぶった山頂を見せている富士の御山を拝み、須和は母屋へ向かった。

 炊屋かしきやへ行って、いつものように下女たちに指図して朝餉の支度をしようとしたら、そこにはすでにこの家の主・半兵衛はんべえの妻・千代女ちよじょがいて飯を炊くよう、女たちに指示している。

「おばさま、遅れて申し訳ありません」

 慌てて須和が謝ると、千代女は差し招いた。

「ここはいいから、奥へおいでなさい。話があります」

 言われて須和は、藁草履を脱いで土間から上がり、あとをついて行った。

「参りました」

 濡れ縁に腰を落とし、千代女が声をかけて障子を開けると、主の部屋には嫁の志津しずがいた。その腹部は膨らんでいて、腹の子は初夏に生まれるはずだ。

 志津の顔色が悪い。

「お志津さま、身体の具合が?」

 千代女の後ろで端座していた須和が声を上げると、半兵衛が代わって答えた。

「先に話したからだ。中へ入りなさい」

 うながされて千代女が入り、後に続いた須和が障子を閉めた。

 部屋は板敷で、円座わろうだに半兵衛一家が坐り、須和は下座に端座した。

 おじ、おば、といっても家族というほど血は近くない。小さい頃は「本家のおじさま」「本家のおばさま」と呼んでいた。半兵衛は父の従兄にあたる。

 須和の父・飯田久左衛門直政いいだきゅうざえもんなおまさは先代の武田家当主・信玄に仕えていた。永禄四年(一五六一)九月十日、越後の上杉謙信との川中島の戦いで、父が戦死し、その二年後に気持ちが萎えた母が病死して、弟と二人きりになると、本家の半兵衛が引き取って育ててくれたのだ。

 ただ、というわけではない。武田家では、戦死者の遺族に堪忍分かんにんぶんというろくが与えられる。村一つ分の年貢にあたる給禄で、それを半兵衛が管理するという約束を母は死に際にした。つまりそれで子どもたちを養ってくれ、ということだ。

 母が息を引き取ったのは、須和が九歳、弟の久左衛門が七歳のときだった。

 半兵衛は律儀にもその約束を守った。須和を信玄の正室・三条の方の屋敷へ行儀見習いに出し、御方が亡くなると、縁を探して須和を嫁に出した。もっとも、その夫も五年後に戦死し、須和は二十三歳のとき、幼子おさなごを連れて、ここへ戻ってきたわけだが。弟・久左衛門については立派な武士に育て、元服して以後、小夜の弟・一郎太を伴って、父同様、武田家に仕えている。

「息子につけた小者が新府城から夜半、使いとしてふみを持って来た。『穴山さまが裏切り、人質としていた妻子を盗み出した。武田は終わりだ。逃げろ』と。木曽口から織田軍が侵入しており、黒駒の御坂みさか峠から徳川軍がやって来るそうだ。甲斐府中かいふちゅうは挟み撃ちになる」

 半兵衛の嫡子・清左衛門もまた、信玄のあとを継いだ四郎勝頼に従って、その指揮下にいた。新府城は、勝頼が織田との戦を想定し、韮崎に築いた城で、まだ完成していなかったが、昨年末、家臣を率いて甲府から本拠を移したばかりの場所だった。

ふみをもらってすぐ、物見を出した。先ほど、新府城のほうから煙があがったそうだ。籠城をあきらめて、お館さまは別の場所を戦場いくさばとなさるようだ。戦となれば、雑兵たちの乱捕りが始まる。放火・人獲りに遭わぬためにも、山のウロへ逃げる。支度をせよ」

「……負け戦ですか」

 須和の言葉に、半兵衛がうなずいた。

 ぞぞっと須和の背筋に悪寒が走った。

 弟たちが死ぬのか。そして、自分や息子たちは雑兵たちに捕まったら、犯され、売られ、誰とも分からぬ者に召し使われるのか。

「志津には『実家さとへ帰るか』と訊いたが、共に行くという」

「馬はどうしますか。山へ連れていくと、目立つでしょう」

 恐怖から目をそらせた須和は、現実に戻った。

「餌と水を十分にやって、解き放て。運がよければ、また会えるだろう」

 と答えてから、半兵衛は半眼となった。

「永禄二年(一五五九)の飢饉と水害もひどかったが、そのときは先代さまが出家されて信玄と名乗り、徳政とくせいを行われて、何とか皆の不満をこらえることができた。須和はそのとき五歳だったか」

 徳政とは、売買・貸借の契約を破棄することであるが、売買が済んだあとでその取引を取り消したり変更したりする商返あきかえしという昔からの慣習から発展し、この時期には債務に苦しむ者を為政者が借金の帳消しを公認することで救済する政治的な意味を持つものとなっていた。

「はい。おぼろげながら、野草まで食べ尽くし、ひもじい思いをしたことをおぼろげながら覚えております」

「うむ」

 うなずいた半兵衛が続ける。

「四十二年前……わしが幼い頃の天文九年(一五四〇)の夏の大雨、秋の大風はもっと酷かった。翌年には飢饉で人と馬がたくさん死んだ。晴信さま――信玄公が父君を追放し、家督を継いでからは、他国へ侵攻しても甲斐が戦に巻き込まれることはなかった。甲斐国で米の作れる土地は少ない。お館さまは領国を広げることで、わしら地下じげの者は他国へ戦に出て行くことで物や食料を奪い、生きてきた。今年は山の雪解けが遅く、もし寒い夏となれば、飢饉になるやもしれぬ。負け戦と飢饉。今度は我ら甲斐の者が奪い取られ死ぬ番になる。戦働きで食いつないだ我らに、因果が回ってきたということか。先ごろ、富士の御山から煙が上がるという凶兆があったが……」

「それでも、生きねばなりませぬ」

 須和が、ぎっと半兵衛を見つめると、おじは、からからと笑った。

「わかっておる」

 言って、すっくと立ち上がった。

「皆に湯漬けを食わせたら、持てるだけの物をもって山へ行く。ウロの場所を知られぬよう、他に覚られぬな」

「うけたまわりました」

 千代女が答え、須和は頭を下げた。

 炊屋かしきやへ戻ると、飯がもうじき炊けるところだった。

 千代女が屋敷にいる人数分、茶碗を出すよう指示し、残ったのは握り飯にするように言っているのを横目に、須和は母屋の横にある厩へ行った。

 甲斐国は古くから名馬の産地として知られ、どの家も馬を飼い、家族のようなものだった。

 飯田屋敷の厩には、清左衛門と久左衛門が騎乗する馬二頭と、半兵衛用の一頭、替え馬二頭と農耕用の一頭、全部で六頭を飼っていたが、清左衛門と久左衛門が四頭持って行っているので、二頭しかいない。

「いいこねー。たくさん、おあがり」

 耳をかいてやり、須和はその馬たちに餌と水を十分やると、厩の戸を開け放ち、どこへでも行けるようにしておいた。

 そして離れへ向かったとき、そこから鋭い女の悲鳴が聞こえた。

 離れへ駆けこむと、上りかまちの向こうの部屋の隅に女が身を丸くして悲鳴を上げ続けている。その傍らに小夜がひざまずき、背を撫でてなだめ、子どもの五兵衛は怯えて須和のもとへ駆け寄ってきた。

 部屋の隅には、小夜の娘で六歳になるさちがうずくまっている。

「おっかさま、まだやつらは来ねえ。落ち着いて」

 小夜が母親に言い聞かせていた。

「梅はどうしたの」

「負け戦ンなって、敵の雑兵どもが来るから逃げるずら、と語ったら、急に顔を引きつらせて、こんなになりました」

 小夜がおろおろしている。

「オカタさまあ、梅は娘ンときのことを、思い出しちまっただけでス」

 そこへ、のっそりと梅の亭主・加兵衛かへえが姿を現し、悲鳴を上げている妻のもとへ行き、しゃがんで耳元に何かささやき始めた。

 須和は母から聞かされたことをそのとき思い出し、はっとなった。梅は雑兵ぞうひょうたちに犯されたときのことが蘇って、恐慌状態に陥っているのだと。

 加兵衛と梅は、須和が生まれる以前、まだ晴信と名乗っていた先代・信玄が信濃を攻略したとき、乱捕りに遭って人市ひといちで売られているのを見かけた父が買って連れて来た下人げにんだった。

 下人というのは売買や譲渡される隷属民で、年貢が払えずに妻子ばかりでなく、自らを売った者、飢饉で生きのびるために自らを売った者、そして誘拐や戦で囚われ、売買されることになった者がなる。稼いで自分を買い戻す者、有徳人うとくじん[金持ち]になっても下人身分のままの者もいるが、それはごくわずかだ。

 加兵衛と梅は、信玄が攻め込んだ信濃に住んでいた。まだ少年少女であったが、乱捕りで掠奪に遭い、村を焼かれ、家族と離れ離れとなり、多くの雑兵に犯されたあげく、売られたのだった。

 いちの売り手は笑って言ったそうだ。

 そこらじゅう殴られたあとのある加兵衛を指さし、『こいつは永くねえ。やせてっから、力仕事も出来ねえな。穀潰しさ』

 次に半裸でぼんやりとしている梅をさし、『こいつも気がおかしくなってっから、あとは犯り殺すほかねえなあ』と。

 その言いぐさに腹が立って父の久左衛門は、二人を言い値で買って、馬の背に乗せ、甲府に帰ってきた。

 口をきかず、土間の隅で座り込んでいる加兵衛。ぼんやりと虚空を見つめ、男が近寄ると悲鳴を上げ続ける梅。

 知り合いは口々に、「阿呆な買い物をしたもんだ」と笑ったが、父は「攻め入った俺ンらも、反対側にいたら、こうなってたさ。罪滅ぼし、それでなきゃ、偽善とでも言うさ」と、夫婦二人で世話をしているうちに、加兵衛は口をきかないだけで、田畑仕事や馬の世話をするようになり、梅は男をさけるものの、炊事・洗濯・水汲みをするようになった。

 やがて二人が二十歳前後ほどの年齢になった頃、加兵衛が「梅と夫婦になりたい」と初めて口をきいたことに父は仰天すると同時に嬉しくなり、従属契約書である曳文ひきぶみを破棄し、正式に自分の従者として、二人を娶せた。加兵衛と梅の間には、小夜と一郎太という子も生まれ、須和たちと一緒に育った。

 父が戦死したとき、小者として従っていた加兵衛が遺体を隠して敵に渡さず、将から褒美の言葉を賜り、父の死に際とその場で荼毘に付した遺骨を持って帰ってきてくれた。

 息子の久左衛門が幼いことで家督相続が許されず、堪忍分かんにんぶんだけでは今までのように暮らしていけられなくなると使用人は所替えし、下人は本家に引き取ってもらった。そのときでも、加兵衛一家は須和たちのもとを離れなかった。

 嫁にいくまでは「ひいさま」、後家となったら、妻女という意味の「オカタさま」と加兵衛たちは須和を呼ぶ。

 そんないい身分じゃない、と思って、最初はやめさせようとしたが、根負けしてしまい、今はそのままにしている。

 そのうち梅は、しゃくりあげながらもこちらへ向いた。

「取り乱しましテ」

「いいの。湯漬け、食べに行って。小夜は梅を見ててね」

「はい」

 梅は娘と夫に両脇から支えられながら、母屋のほうへ去って行った。

「五兵衛、寒いねえ」

 しゃがんだ須和は、側にいた息子の両手を自分の両の手のひらで包んで息を吹きかけた。

 子どもは、くすくす笑っている。

脚絆きゃはんをつけるから、じっとして」

 須和は息子を上り框に座らせ、奥にある行李こうりから布を取り出して両足に巻いた。そして、半纏はんてんを着せ、自分は帯を解いていったん帷子を脱ぎ、思い出深い唯一の絹の着物を小袖の上に着込んで二枚の帷子で隠すようにし、自らの足にも脚絆を巻きつけた。

 身支度を終えると炊屋かしきやへ行った。

 そこでは男衆たちが食べ終えたところだった。次に女たちが椀の湯漬けをかき込み、須和も息子に食べさせつつ、自分も腹にそれを収めた。

 ひとりひとりに、竹の皮に包んだ雑穀の握り飯が一つと水の入った竹筒が渡された。五兵衛は小さいからと、須和と息子には一つだった。

 男たちが半兵衛の指示で床下に大切な物を埋めているうちに、女たちが山に向かって出発する。

 先頭は千代女とその侍女、次に志津と婚家からついてきた侍女が。そのあとを須和と息子の五兵衛、という順番だったが、幼い幸を抱いた小夜と梅、そして半兵衛家の下女たちを先に行かせ、須和はしんがりを務めた。

 甲府のはずれを過ぎて、山にさしかかったとき、男たちが追いついた。

「須和、まんだ、ここにおったのか。かかたちは、先だな」

 半兵衛が言って追い抜いていく。

 須和は立ち止まった。

 男衆たちも彼女を追い抜いて山道に入っていく。

 ……私は、何をしているのだろう。

 夫の神尾忠重かんおただしげが戦死して、息子を連れて「本家のおじさま」のもとへ帰ってきた。後妻の話もあったけれど、子連れではだめだと言われ、再嫁せずにいた。使用人よりは上、でも家族じゃない――そんな存在のまま、一生を終るの?

 今年、須和は二十八歳になった。大年増と呼ばれる年齢だ。もう妻にと望む男もいないだろう。だから、飯田屋敷で働くしかない。

 では、息子は?

 半兵衛夫妻は良い人たちだった。しかし、代が替わったら、息子と二人で、どんな扱いを受けるだろうか。志津の腹の子が男だったら、その下で働くのか?

「オカタさま……」

 加兵衛が最後尾にやってきて、須和に声をかけた。

「どうされました」

「忘れ物……そう、忘れ物があるから、取りに戻る。すぐに追いつきます。一人で大丈夫よ」

 と、須和は息子の五兵衛の手を引いて、甲府へ戻り始めた。しかし甲府の中心には行かず、通り過ぎて東に向かった。

 昨年壊された躑躅つつじ崎館さきやかたの側にはご一門の一条信龍いちじょうのぶたつの館がある。その近くに、亡き夫と暮らした家もあったが、そこにいい思い出なんて一つもなかった。

 須和は九歳の息子と手をつなぎ、ときには背負い、石和いさわの横の街道をひたすら歩き続けた。

 甲府に移るまで武田氏の本拠地であった石和には、実家の飯田氏の総本家があったけれど、父が亡くなったときも関わりがなかったし、同族といえども、須和の力になってくれるとは少しも思えなかったので、寄りはしなかった。今回の戦では、総本家の主と惣領は病気と称して出ず、その次男が飯田氏の代表として一族を率いていた。父親という後ろ盾がなく、初陣の弟は、馬足軽としてそこに参加している。

 後ろ髪を引かれる思いだったが、須和の目的は御坂峠から来るという徳川軍。武田の敵。

 ……徳川の家臣・成瀬なるせさまに会おう。自分と息子の将来は、きっと自らの手で開いてみせる。

 そう決めた。








 


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