ゴールデンウィーク (上)
<第七章>
「ん?どうしたんだい?その本」
ゴールデンウィーク初日。一冊の本を持って先生の車に乗り込んだ時だった。
「美味しい、お菓子の作り方」
「なるほど。ただ・・・あまり時間が取れないかもしれないぞ?」
「大丈夫。試作品を作るだけだから」
先生の隣で本を開く。いつ作れるかわからないけど、作り方ぐらいは覚えておかないと。
ヒルリエと一緒に本を読んでいると、運転席にいるレピドゥスさんが先生にちょっとした報告をした。
「カエサル様。このままだと、会議に間に合わない可能性が・・・」
「大丈夫さ。いつも私は遅く出席しているからね。君には何の被害もないよ」
いつも遅刻してる。の間違い。
「そ、そうですか」
レピドゥスさんは先生の秘書をやった事がないから、ものすごく引いてる。こうやって遅刻し続けてる人の事を、遅刻魔って言うんだって。
「それに、今日のはどうせ現状報告。私が出なくともいい会議なんだ」
きっかり一時間後。本部に着いた僕達は、レピドゥスさんが言った通り会議に間に合わなかった。
「やぁ、すまない。また遅れたようだ」
三十分の遅刻。
「またとはなんだ。カエサル、そろそろ遅刻癖を直せ」
「長い時間、同じ場所にいるのが苦手でね。少しでも会議の時間を減らしたいのさ」
先生が席に着いたのを見て、僕も壁の近くにあった椅子に座った。
「・・・さて、全員揃ったね。会議を始めようか」
僕がいる所から、この部屋にいる人が全員見える。二十三人いて、その中に知ってる人が何人かいた。
まず、ゼウスさん。さっきの合図をした人。それと学校に行くようにって命令したアイネイアスさん。それと、ロキさん、舜さん、イシスさん。ペンドラゴンさんは・・・さすがにいない。
「海外攻略が進んでいるけど、首尾はどう?」
「それより、国内の方が動いてたから、そっちを先に潰しました」
「さっすが、ロキやな。これでわいの仕事も減るわ」
僕は会議を聞いてない振りをしながら、僕はおかしな気配がしない警戒する。この部屋は何度か来てて、どこに何があるか大体わかってる。そもそも、ここは上部。狙ってくるならカーテンの閉まってる窓か、内部からしか狙えない。
「ところで、アイネイアス。戦力集中させてるらしいじゃないか。何かあったのかい?」
「下らない連中が反乱を起こしそうだった。デスのお陰でいくらかは潰せたが、情報操作が難しくなってきてしまったな」
「それなら、こっちに回しなさいな。何の為に作られたか、全くわからないままにしないでくれる?」
「すまない。頼まれてくれないか?」
ダラダラと時間だけが過ぎていく。
一時間ぐらい経った時。ふと、僕は近くに何かを感じて、腕に巻き付いたまま寝てるヒルリエを突付いて起こした。いつでもヒルリエが変われるように。
会議は盛り上がっていて、誰も気配に気付いていないみたい。これだと、僕が警告しても反応がいくらか遅れてダメになっちゃう。
舐めるように気配が移動していって、最後にロキさんの頭で止まった。気配の元は、照準を合わせてるのかも。
「ロキさん、伏せて!」
僕はヒルリエの形を銃に変えると、椅子を蹴ってロキさんの前に飛び出す。相手が撃つのと同時に僕も撃っていた。
相手の撃った銃弾は僕の左の肩先に当たって、僕のは・・・わからない。薄暗くて変な所から撃ってきたから。
銃から蛇に戻ったヒルリエが、慌てたように肩に巻き付いて止血を始める。
「大丈夫ですか?」
ロキさんを振り返って言う。
「君の方が大丈夫じゃなさそうだけど・・・?」
「僕は平気です」
・・・でも、さすがに痛くなってきたかも。
倒しちゃった椅子を直して座る。ヒルリエが止血してくれてるけど、どんどん服が重くなってきて生暖かくなってきた。まだ、肩に銃弾が入ったままだからかな?
「デス、大丈夫かい?」
先生が僕に近付いて、傷口に触れようとする。その前に、服に染み込んだ血の量を見ると顔を少し蒼くした。
「ま、まずい。この量は・・・」
先生は僕を抱き上げると誰かわからない人の前に持っていった。
「アスクレピオス、動脈が傷付いている可能性がある」
「あんたが俺様を頼るたぁ、相当不味いんだな」
アスクレピオスと呼ばれたその人は、ヒルリエを無理矢理解くと傷口に手を当ててくる。それが痛くて僕は顔をしかめた。
「あぁ、こりゃ本当だ。ヒュギエイア、いるのか?」
「います」
「患者を俺の部屋に。俺が行くまでにパナケイアと弾丸の摘出を頼む」
先生は現れた女の人に僕を渡すと、僕からヒルリエを取り上げようとした。
「ダメ。ヒルリエは、僕の」
「だけど、治療してる時に邪魔されても困るんだ」
少し考えて、僕はヒルリエを腕輪にした。
「・・・これで、いい?」
先生は苦笑いすると僕から離れた。
女の人は僕を抱えながら走って、しばらくすると一つの部屋に入った。その頃には、目の前がぼんやりしてて、とても寒く感じた。
手術台に寝かされて、検査の時に使うマスクみたいなのを付けられる。そこから流れてくる空気を吸ってる内に眠くなって、僕はそのまま寝てしまった。
目を覚ました時、僕は見覚えのある天井が目に入ってきた。たぶん、僕の部屋。
何となく肩が痛くて、しかも起き上がる事が出来ない。ヒルリエはどこ?
「あぁ、よかった。麻酔が切れたみたいだね」
先生が見える。目の下に隈のある先生が。
「・・・先生」
あ、思い出した。僕は撃たれたんだ。それで動けないんだ。
「動脈は傷付いていたけど、傷はそうでもなかったらしい。アスクレピオスがしっかり治療してくれたから、ゴールデンウィークが終わるまでに痛みは消えると思うよ」
「もしかして、一日ぐらい寝てた?そしたら、僕・・・」
「気にしなくていい。護衛の任務を果たした故の怪我なんだ。誰も何も言わないさ」
もう一度身体を起こそうとして、今度はちゃんと出来た。やっぱり、左肩が痛い。
ベッドに腰掛けて周りを見ると、ここが本当に僕の部屋だってわかった。椅子とテーブルとベッドしかない、僕の部屋。調度品は頼めばくれるけど、タンスとかがいる程服は無かったし、他に必要な物が思い付かなかった。
先生はほっとしたように椅子に座ってて、外した眼鏡を手に持ってる。疲れてる、と思った。
「ヒルリエは、どこ?」
「ん?さっきまでここにいたが、部屋から出て行ったよ?」
何かあったんだ。きっと。
ベッドから降りて靴を探す。欧米式なのはいいけど、うっかりすると靴がどっか行っちゃうから困るんだ。
テーブルの上に置いてある本を持って、時計をじっと見る。・・・午前か午後か、わからない。
「先生。疲れてるなら、僕のベッド使ってもいいよ。僕、ちょっと試作品作ってくるから」
部屋を出て、本を読みながら調理室へ。ここ、何でもあって、果てには変な人形ばかりの部屋とか、ただ大きな置物が一つだけある部屋とか、用途不明の部屋まである。そういえば、ここ。何部屋あるんだろう?
本を読みながら調理室へ向かって歩いていると、柔らかい物に当たった。
「ん?」
「・・・あ、すみません」
避けて、また歩く。
「・・・って、おい。てめぇはデスだろ?」
怪我をしている左肩を掴まれて、僕は振り返った。
「誰ですか?」
「アスクレピオスだ、ど阿呆」
見上げると、本当にそうだった。
「何で歩いてる?誰もいいとは言っていないはずだぞ?」
眉毛を吊り上げて言うけど、僕にとってはそんなに悪い事じゃなかったから、ちょっとだけ反論する。
「歩けると思ったから、歩いてるんです」
「そんなの理由になるか!!」
僕の本を取り上げると、アスクレピオスさんは説教をし始めた。
「いいか、よく聞け。銃創は表のだけじゃねぇんだよ。はっきり言って、貫通していたほうがまだ楽だ。体内に銃弾が残った場合の傷は、その銃弾周辺にもダメージを残す。そうやって動かしているだけで、内部の傷が酷くなりかねねぇんだよ。わかったか?」
・・・知らなかった。
「わかりました。でも、僕。学校の友達と約束してて、たぶん今日しか作れる日が無いんです。料理も、ダメですか?」
「いや、歩く事自体がダメだって言ってんだろうが」
・・・けち。
アスクレピオスさんは僕を抱き上げると、部屋に連れ戻した。せっかく、作ろうと思ってたのに。
部屋では先生が机に突っ伏していて、それを見たアスクレピオスさんはため息をついた。
もう一度ベッドの上で横になった僕。
「いつまで、こうしてればいいですか?」
「俺がいいと言うまでだ」
「・・・・」
お医者さんって、こんなに破天荒だったけ?
「なんだ、その目は」
アスクレピオスさんは僕を睨むと、部屋を出て行った。
寝ている先生と僕しかいない。早くヒルリエ帰ってこないかな?
左腕を動かさないようにしながら布団に潜り込む。どうせなら、このまま寝てしまおうと思った。
次に起きた時、時計は僕が見た時と全く同じ時間を指していた。
「・・・あれ?」
身体を起こして、時計をよく見る。秒針まで止まっているのを見て、ようやく電池切れだったのに気付いた。一ヶ月ぐらい、ここにいなかったからかもしれない。
部屋を見渡すと、そこには誰もいなくて僕しかいなかった。まだ、ヒルリエは帰ってないんだ。
僕はベッドから降りると、少しだけ左肩を動かしてみる。・・・ちょっと痛い。
「ん?」
テーブルの上に、一枚の紙が置いてある。
『もう動いてよし』
「・・・アスクレピオスさんかな?」
誰かはわからないけど、動いていいんだったら試作品を作らないと。
作り方の本を持って、今度こそ、調理室へ。作り方は覚えたけど、分量が曖昧だから持っていかないと。
途中、何人かの男の人とすれ違ったけど、たぶん先生に呼ばれて初めて上部に来た人だと思う。僕に部屋の行き方を聞いてきたから。
「あ、ヒルリエ」
するすると黒い蛇が僕の方に来る。
「どこに行ってたの?」
器用に僕の身体を上ってきたヒルリエは、僕に頬擦りした。
「教えてくれないんだ。・・・その格好で、よく踏まれなかったね。いたっ」
ぺしっと頭を叩かれた。
若干怒ってるヒルリエと一緒に調理室に入る。僕のエプロンがどこかに仕舞ってあるはずだけど・・・。
ボウルとか泡立て器とかを用意しながら、エプロンを探す。
「あった」
青と水色のエプロン。先生が昔、買ってくれた物。
「えっと、卵と薄力粉とバターと砂糖はみんな百グラムで、塩とベーキングパウダーは少し。あとは何を入れようかな?甘みを足すのに、チョコと蜂蜜。抹茶を入れるのもいいかも。それと・・・」
今日はとりあえず十種類ぐらい作ってみようかな。試作品だから多く作らなくていいし、材量を無駄にしなくていいしね。
材料の量を三倍にして、全部かき混ぜる。それから、小さいボウルに少しずつ分けていく。
「ヒルリエ。ちょっと、オーブンの温度調節お願い」
試作品だけど、ちゃんと作らないとダメだよね。
プレーン、二つ。湯煎したチョコを入れたのと、チョコチップを入れたの。蜂蜜少しのと多め。抹茶は砂糖多めにして、ドライフルーツを入れるのは塩を足す。ナッツ類を入れるのは・・・。
「・・・あ」
十じゃ足りないかも。
長方形の型に仕切りを立てて、生地を流し込む。ヒルリエが調節してくれたオーブンの中に型を置いて、終わり。あとは焼けるのを待つだけ。
「ねぇ、ヒルリエ。本当にどこへ行ってたの?秘密の場所?」
いつの間にか腕に巻き付いていたヒルリエに聞く。だけど、やっぱり答えてくれなかった。
それから十分後。急に調理室のドアが開いたと思ったら、ロキさんだった。
「あぁ、やっぱりここにいたんだ」
中に入ってきたロキさんは、オーブンから漂う匂いに目を丸くした。
「ケーキ?」
「学校の、文化祭っていう変なので売るみたいです。試作品ですけど、出来上がったら・・・」
「本当に?ありがとう」
顔を綻ばせるロキさん。笑う事が滅多に無い人だから、写真にとって先生達に見せたら驚くかも。
「実は甘い物が好きなんだ。そうは見えない、と言われるけれど」
ロキさんの為に椅子を持って来て、焼き上がるまで待ってもらう。まだまだ時間が掛かるんだ。
オーブンの温度を少し下げて、また二十分ぐらい焼く。
「デス。肩の傷はもう大丈夫?それが心配だったから、自分は来てみたんだけど」
「アスクレピオスさんに許可をもらったので、恐らく平気だと思います」
冷酷な表情に戻ったロキさんに言うと、「そっか」と返事が返ってきた。
「君を撃った犯人は、昔自分が所属していた組織のメンバーだった。しかも、自分は覚えてなかったけど部下だったらしい」
テーブルに頬杖を突いて、ため息をつく。
「逆恨みで襲われたんだ。これじゃあ、守ってくれた君に申し訳ない」
口調が変わって、何となく寒気がした。
「どうして、恨まれたりしないといけないんですか?」
「・・・色々と心当たりがありすぎてわからない。でも、一番の原因は自分がその組織を潰したからだろう。まぁ、元々気に入らなかった組織だから、わざわざ自分の手で壊滅させなくても、ひとりでに壊滅しただろうけど」
僕はロキさんの言葉に少し震えると、話題を変えた。
「僕、ロキさんがどうしてそんな事をしたのかわからないです」
あれ?変わってないかもしれない。
僕が言うと、ロキさんは驚いた顔をする。それから口だけで笑った。
「君は純粋だから、わからないんだ。理解しなくていい」
何だろう?ロキさんの周りに、見えない壁がある気がする。
しばらく無言でいた僕達だけど、急にロキさんが声を上げた。
「しまった・・・!今日はなるべく笑う日だったのに・・・」
「何か、あったんですか?」
なるべく笑う日って何だろう?
「ほら、笑うと元気になるって皆言うから、自分も少し試してみようかな?なんて思ってて・・・。自分が担当している仕事は、なにかとストレスが溜まるから、自分の知らない内に仏頂面が酷くなっていくんだ。目付きだって悪くなるし、もう最悪だよ」
慌てたように言うロキさん。表情も口調も柔らかかった。こうして見ると、いい人そうなのに。
「一ヶ月に一度、自分の中で笑う日が決まっていて、ちょうど今日がそういう日だったわけ。予定もないから、人を驚かす事もあまり無いんだ」
「・・・なんか、大変ですね」
タイマーが鳴ったから、竹串を持ってオーブンへ行く。
「あ、出来た」
串をさしても何も付いてこない。しっかり焼き上がった証拠。
型からケーキを取って、小さいお皿に取り分ける。二、三枚切れたから、ちょうどいい。
「当たり外れがあるかもしれないので、気を付けてください」
「だいじょーぶ。自分が作った物より不味い物を食べた事が無いから」
その言葉に思わずお皿を落としそうになった。
「自分も時々作ったりするけど、しょっちゅうへまをして不味くなるんだ」
僕はロキさんの前に小さいお皿を九皿とフォークを置いた。
「クリームは無いんですけど・・・」
「まず、普通に食べるのが自分の流儀だから、気にしなくていいよ」
ロキさんはプレーンのから食べ始めた。
僕は一番自信の無い抹茶から食べる。・・・うん。はずれ。
「・・・抹茶は避けてください」
「へ?」
「抹茶は食べない方がいいです」
何がいけなかったんだろう?苦いし、甘すぎるし、最悪。
ドライフルーツはまあまあ。ナッツ類はバターを足してみる。蜂蜜は入れすぎて、入れなさすぎ。チョコは別に平気そう。
「うん。美味しい」
抹茶以外全部を食べて、ロキさんの感想はこうだった。
「何か、いい意見ありますか?」
「そうだねぇ・・・。もしかして、これは全部目分量で入れた?」
その言葉に僕は頷いた。
「はい。だから、試作品なんです」
「そっか。なるほどね。それにしては、美味しすぎる気がするけど・・・」
ロキさんが首を傾げる。何か変な事でもあったのかな?
「君は、これに問題点があると思っているのかい?」
「あります。このままでいいのは、チョコ類だけです」
「あー・・・そうなんだ」
今度は僕が首を傾げる番だった。
「だって、プレーンのはバターの味が強くて、ドライフルーツのは酸味が活かせてなかったし、ナッツ類はナッツ自体の味がえぐい。抹茶は問題外です」
本当ならもっと美味しく出来たはず。何かが決定的に足りない。何だろう?
僕が考えていると、ロキさんがあっと声を上げた。
「君、何種類の毒を見分けられる?」
毒?
「僕が知っている物なら、全部・・・」
「それだ!」
置いてあるお皿をひっくり返しそうな勢いで立ち上がったロキさん。
「あぁ、びっくりした。自分が味音痴なのかと思った。良かった良かった」
何かに安心してるロキさんは、椅子に座り直そうとしたけど、はっと顔を上げた。
「警報!?しかも第一種・・・」
「本当ですね」
ケーキを冷蔵庫に仕舞わないと。
第一種警報って事は、ここの近く、もしくは中に敵が入って来た時に鳴る警報。監視システムが壊れてたのかも。
「あー、もう。せっかくの休みが・・・。これは、たっぷり制裁を加えないといけない」
あ、怒った。
「俺は先に行く。腑抜けた奴の顔を見ないと、気が治まらない」
「わかりました。お気を付けて」
ロキさん。怒ると一人称が“俺”になるんだ。面白いよね。
お皿もケーキも片付け終わって、僕はエプロンを脱ぐ。わかりやすいように、冷蔵庫の上に置いておいた。
「ヒルリエ。起きて」
まだ警報は鳴ってる。全部終わったし、僕も急ごう。
あまりに長すぎるので、二部構成です。
実は、まだゴールデンウィーク半ばだったりするんです。小説の中は。
カレンダーもないような部屋では、日付が全くわかりませんので・・・。