敵は身近に、目標は遠く
<第十九章>
期末・・・。なんか気分が乗らない。
九月の第一週から第二週に掛けて前期の期末テストがあるんだけど、中間の後全部予習しちゃって特にやる事がない。なんであんなにトロトロ授業なんだろう?
晩御飯を食べてシャワーを浴びた後、身体が鈍らないように布団の上でストレッチと筋トレをする。時々しかストレッチはしてないから、微妙に硬くなってた。
「ヒルリエ、ちょっと乗ってくれる?」
座って少しだけ足を開いて前屈してるけど、膝の裏があんまり伸びてない。ついでに言うと痛い。硬くなった証拠。
「よいしょっと」
「何でヒルリエ、僕になってるの?」
僕の腰あたりに乗ったヒルリエ(僕)は、小さく笑い声を上げると更に体重を掛けた。
「気分」
重いよ、ヒルリエ。
「ちょっと足首持って上げてくれる?」
かかとが頭より上に来るまで上げてもらって、自分で膝を思いっきり伸ばす。
「あれ?ちょっと硬くなった?」
「だからやってるの。ヒルリエ、ややこしいからやめない?」
布団を叩きながら言うと、ヒルリエは僕の足首を離した。
「だってたまにはこういう事をしないと、ダメかなって思って」
ヒルリエに退いてもらう。
「ヒルリエなら別にそういう事しなくても平気だと思うけど・・・」
開脚して、足で挟み込むような感じで背中の後ろと左膝の前を固定してもらって、僕は右に側屈する。
そんな事をしていると、もう九時なのに電話が掛かってきた。仕事はないはずなのに。
「あ、ヒルリエ取らないで」
慌てて立ち上がる。
「―もしもし?」
『おー、本物じゃ。ちゃんと通じておる』
一瞬、いたずらかと思った。
「は、ハーミットさん?」
『いかにも。久し振りじゃの、デス』
「六月に一度会ってますけど・・・」
先生がハーミットさんに電話番号教えたのかな?
『ん?そうじゃったかのぉ・・・。まぁ、大した事でもなかったんじゃろう』
・・・・。いつも事をややこしくさせるのは、ハーミットさんだと思ってる。
『ヒルリエはおるか?』
「います。・・・ヒルリエ」
女の人になったヒルリエに受話器を渡す。
「私よ。・・・えぇ、誰かしら?そう・・・」
布団の上に戻った僕は、あちこちに積んである本とか教科書とかを持ってくる。その上に片足を乗っけてスプリットをするけど、微妙に高さが足りなかった。
「あの人の知り合いなのね。で?あの子は?・・・わかったわ」
いつも使ってる椅子に足を掛けて、やっとぴったりな高さになった。高さはだいたい40cm。
五分経っても、ヒルリエはまだ話してる。足替えないと。
「えぇ、えぇ、そうね。私、まだこちらの事はよくわからないもの」
スプリットのし過ぎで、両ももの前が痛くなっちゃった。筋が伸びた分だけ戻しておかないと、後で身体がくてんくてんになっちゃう。
「よろしく。・・・ハーミットがまだ貴方と話したいそうよ」
椅子の上でV字腹筋をしてた僕は、とりあえずV字バランスのまま受話器を受け取った。
「なんですか?」
『お前さんの携帯番号を教えてくれんかの?』
携帯の番号を言うと、次は携帯の会社まで聞かれた。
『ふむふむ。ちょっと待つんじゃ』
しばらくカチカチという音が続いたと思ったら、携帯が鳴った。
「ヒルリ・・・え?何これ」
『メールじゃ、メール。知らんのか?』
「・・・あ、文字のアレですか?僕のでも出来るんですね」
ヒルリエに充電してた携帯を持ってきてもらうと、僕は携帯を開いた。
「でもこれ、どうするんですか?」
『わしの言う通りに動かしてみ。まず・・・』
わっ、ちゃんと表示されてる。
「出来ました!」
『これでもう平気じゃな。じゃ。わしはこれで』
受話器を置いた僕は、文字を打つのはどうしたらいいんだろうと考えてみる。ちょっとだけ考えて、メールが来た。
<文字を打つには、メールの新規作成や返信を押し、番号のキーを打つんじゃ。言うのすっかり忘れとった>
とりあえず、返事してみる。
<わかりました>
「あ、出来た」
意外と簡単だったし、これならすぐ覚えられそう。
携帯をテーブルの上に置いた僕は、V字バランスをやめて椅子の上でひっくり返る。
「ねぇ、ヒルリエ。何の話してたの?」
カレンダーを見てたヒルリエは、ちょっとだけ考え込むと言った。
「その・・・私、北海道まで行かないといけないそうです」
「北か、えっ?」
今北海道って言った?
「三日ほど、旅行に行ってきます」
そう言ってヒルリエは困ったように笑った。
「魂抜けてんな・・・」
「だろ?さっきからずっとこの調子。ってか、殺気すら感じる」
「殺気じゃなくて、狂気な。とにかくやべぇよ」
人の気配を感じて、眺めていた本から顔を上げる。
「・・・何?」
「恭介、次、体育」
顔を引き攣らせた友哉を見て、僕ははっと我に返った。
「ご、ごめん。考え事してた」
本を机の中に仕舞って立ち上がる。
今は三時間目の前の十分休み。次は本当に体育で、だから着替えなきゃ。
「何かあったのか?調子悪いなら保健室行くか?」
心配そうな友哉に対して首を横に振ると、僕は机の横に掛かってる体操着入れを手に取った。
「ほらほらー、急げー」
もう着替え終わってる高山君が言う。
「あと五分だぞー」
追い討ち。
「え?えぇっ!?叩くなり揺するなりして起こしてよ!」
「寝てたのか!?」
なんだかんだ言いながらようやく着替え終わって、今の体育は器械体操だから眼鏡は外して・・・。
「おまたせ」
四人で体育館に駆け込むと、すぐにチャイムがなった。
倒立前転。普通に、倒立してでんぐり返し。
「すげー・・・」
「すげーな」
僕は立ち上がるとちょっとだけ笑った。
「意外とやれば出来るんだね」
「恭介、ちょっと退け」
マットから降りて二人の隣に立つ。
友哉は助走をつけると前・・・あ、違う。勢いブリッジ?でも普通に立ってるし・・・。
「黒谷、ハンドスプリングだ」
栗原君が苦笑いしてた。顔に出てたみたい。
「そうなんだ。難しいの?」
「俺は出来ないな。あんま運動得意じゃないんだよ」
そうなんだ。てっきり出来るのかと思ってた。
友哉の後にマットの上に立った高山君は、チラッと栗原君を振り返ると小さく手招きした。
倒立を栗原君に支えてもらいながらやってる高山君。そういうものなんだ、たぶん。
「友哉、ハンドスプリングってどうやるの?」
「あ?どうやるって?倒立するみたいに突っ込んで、そっからブリッジみたいになってから立つ」
なるほど。意味わからないけど。
「「うわぁっ!?」」
高山君を下敷きに、栗原君がひっくり返ってた。この短時間に一体何があったんだろう?
「ちょっとぉ、危ないでしょ!?」
女子の方を見てた先生が走ってくる。
「だ、大丈夫。みつやー、ちゃんと支えろよ!」
「光也暴れんなよ!」
「大丈夫そうね」
やれやれという風に首を横に振った先生は、またすぐに女子の方へ戻ってしまった。
「なぁ、もう一回だけ倒立前転見せてくれね?全然イメージ掴めないんだよ」
栗原君は背中が痛いみたいで、ちょっとだけ前屈みになってる。
頷いた僕はマットの上に立つと、軽く逆立ちしてみた。
「・・・友哉、さっきのここからどうするの?」
「いや、もう間違えてる」
「そうなん、っと」
腹筋弱いのかな?すぐに後ろに倒れそうになる。
あんまり長くやっても仕方ないから、前転した。
「倒立のコツは?」
「お腹に力を入れて、目線は手を突いてる所のちょっと上で、マットをしっかり押すって感じかな。僕はそうやってる」
「なるほど!言われてみれば、そんな事全然やってなかったぜ。佐藤、先やっていい?」
高山君は栗原君に支えられながら倒立をする。なんか危なっかしいから、僕もすぐ傍に立って見てることにした。
「お腹に力入れないと、倒れるからね」
「りょーかいりょーかい。わかってるって」
そっと離せよ、そっと!と言って、でもやってる本人は怖いみたいで、次の瞬間倒れそうだった。
栗原君が複雑な顔をして離れる。
「・・・・」
「・・・・」
「・・・高山、出来てんぞ」
「へ?そ、あぁーっ!?」
勢いだけで倒立前転、成功。
「すげー!光也出来た!」
「やれば出来るんだよ、うん」
きょとんとしてる高山君の頭を、友哉が軽く叩く。それで我に返ったらしい高山君は、立ち上がると急に飛び跳ねた。
「やった!何だこれ!俺すげー!ひゃっほー!」
ハイテンションな高山君は、くるっとこちらを向くと僕に飛びついてくる。
「!?」
「黒谷のアドバイスのお陰だ!サンキューな」
ど、どうしていいかわからないんだけど?
「ちょ、高山。変態チックな行動すんなよ。恭介きょどってんじゃねぇか」
「あ、わりぃ」
そんな散々な(?)事があった体育が終わって、今教室で体操着から制服に着替えてる。
「次の教科って何だ?」
「理科総合。・・・ねぇ、友哉。僕の眼鏡知らない?」
「はぁ?ないのか?」
「ないから聞いてるの。知らない?」
とりあえず着替え終わった僕は、机の中とか床とか見渡してる。体育中に地震とかあったっけ?
「俺んとこにはねぇぞ。お前、机の上に置いてただろ」
「ないの。だから探してるの」
あれ?おかしいな。今の眼鏡ヒルリエじゃないから、どこにも行かないと思うんだけど・・・。
絶賛旅行中のヒルリエを思い出して、僕は小さくため息をついた。今、何してるんだろう。
ベルトを締めた友哉が、僕の隣でしゃがむ。
「上にないなら下か。体操着と一緒に入れてないか?」
「ちょっと待って」
体操着を入れてる袋の中を探しても、眼鏡は出てこない。
「ない・・・」
「おい、誰だ!こんないたずらした奴!」
今は男子しかいない教室で友哉が怒鳴るけど、誰も僕の眼鏡なんて知らなかった。
「えっ、どうしたんだ?」
「何かないのか、黒谷」
「あ、うん。眼鏡が・・・」
なくても困りはしない眼鏡だけど、いざなくなると、足元から真っ暗になっていく様な気分になる。この所為で、僕が僕だってばれたらすごく困る。
二人も眼鏡探しに加勢してくれて、それでも眼鏡は出てこない。
「あー、眼鏡なんて盗んでも仕方ないのにな」
えっ。
僕は、栗原君の一言に嫌な想像をしてしまった。これが本当にヒルリエだったら、とか・・・。
「・・・知ってて、誰か盗った?」
「恭介?」
一番考えたくなかった事だけど、僕の周りにヒルリエを知ってる人かいるかもしれない。組織の人じゃない、友哉でもない、他の誰か。
表情を消した僕は、これからが重要なんだって理解して、悲しそうな表情を作り直した。
※章ずれしてました