03 将来
――高校三年の冬。
遥斗は無事に志望大学へ合格していた。
喜ばしいことだが、実は進学先に特別な思い入れがなかった。
適度に有名で自分の入れるレベル。
その大学を選んだのは、そんな然もない理由だった。
ただ大学にさえ入学すれば、自分だけのしっかりした将来が手に入るような気がしていた。
放課後、誰もいなくなった教室で窓を開けると冷たい風が吹き込んできた。
この寒さが終わる頃、もうここに自分はいないんだ。
これから自分の将来はどうなってしまうのだろうと漠然とした不安が募っていた。
未だ何も決めてないし、決めようともしていない。
進学は定まったはずなのに、すっきりしない自分がいたのはそのせいだ。
「何、黄昏てるの?」
「……あ、井上。別に黄昏てないよ」
一人で窓を開け外を見つめていた遥斗に花音が声をかける。
隣に立つと一緒に窓の外を眺め出す。
あの雨の時とは逆の立場だが、似たような状況だ。
思えばあの頃、すでに花音は将来のことを見据えていた。
遥斗は今更だ。
改めて自分の考えてなかった時間を反省していた。
「大学、決まったんだってね。おめでとう」
「ありがと。それ言うなら、そっちもだろ? おめでとう」
「うん、ありがとう」
文化祭以来、皮肉にも遥斗と花音の関係に変化があった。
孤独というものが、いかに感情のバランスを取れなくするのかを遥斗は知った。
誰かと本音で話すのが良いことであるという現実を花音から学んだ。
今では花音とは気を使わずに話すことが出来る。
色々なことを語り合えるような仲になっていた。
「どうかしたの?」
遥斗のすっきりしない表情に花音は気づく。
花音には弱音を吐きたくないのが遥斗の本音だ。
「井上は福祉関係の大学なんだよね?」
「うん、そう」
「将来は、そっち方面に就職すんだろうな」
「一応、そのつもりだよ」
就きたい職業の為に大学に入り、そのスキルを学ぶ。
目的や目標がはっきりしてる花音が羨ましい。
そして、それに向かって一緒に歩む相手もいる。
「彼氏も受かったんだろ? 大学ではようやく一緒だな」
「……そうなるかな」
花音は穏やかな笑みを浮かべる。
遥斗の胸の奥はまだチクチクしていた。
「いいよなー。そうやって将来が決まってんだから……」
やりたいことに向かって真っ直ぐ進んでいる。
充実した人生を歩んでいるんだ。
妬ましいとすら遥斗は思ってしまう。
「そんなことないよ」
呟くように言った遥斗の言葉を花音は即座に否定した。
「どういうこと?」
「大学入って、勉強して、違うことに興味が出るかもしれないじゃない」
「でも、その為に大学選んだんじゃないのかよ」
「それでも将来のことなんて今は分からないわ」
どういう意味なのだろう。
遥斗は花音の言葉に魅き込まれていた。
「だって結局ね、やってみないと分からないでしょ? 思ってたのと違うーってなったり、これやってみたいって、新しくやりたいことが見つかったりするかもしれないし。遥斗君は何かやりたいことあるの?」
「……俺は何もないんだ。だから、悩むっていうか、よく分かんないんだ」
「だよね。なかなか見つからないよね? 自分のやりたいことなんてさ」
意外だった。
花音は悩みなどせず、自分のやりたいことを見つけてる、そう思っていた。
「やりたいことじゃなくても、やってたら自分に合って、それが好きになる、なんてこともあるだろうし」
「……確かにそうだな」
「何かね、そういうの考えると大人になるって難しいことだって思ちゃうよ」
大人でもない、かといって子供でもない微妙な年頃。
抱える悩みは誰にでもある。
遥斗は自分だけが取り残されてるような気がしていた。
でも、きっと違うんだ。
「今から探しても遅くない……か」
「全然遅くないと思うよ。変わったっていいんだしね」
何も慌てなくていい。
自分のしたい何かを探す為にどんなに時間が掛かったとしても。
そして、途中で変わったって構わない。
決められた将来や約束された未来なんてものはないのだから。
花音が教えてくれた。
暗闇だと思っていた将来に光が射したような気がしていた。
「……ありがとう」
「何が?」
「いや、何となく」
「私、何もしてないよ」
前を向いて歩いていく勇気を花音が遥斗に示してくれた。
「そうだ。引越し先の住所分かったら教えてね」
「……何で?」
「手紙書くから」
「手紙?」
「うん。スマホを買うまで少し時間掛かると思うから、手紙出したいの」
遥斗は思わず吹き出してしまった。
今時手紙のやり取りで連絡を取ろうとする花音に。
それでも、花音らしい。
そして、卒業しても連絡を取ろうとしてくれることを素直に嬉しく思った。
「今時、手紙はないだろ? でも、何かそこは花音らし――」
つい“花音”と名前で呼んでしまった。
気づいた遥斗は言葉も途中に止まってしまったが、時すでに遅し。
花音は遥斗の様子を見て微笑んでいた。
「花音でいいよ」
「え?」
「名前でいいよ。初めて話した時、遥斗君から言ったじゃない? なのに、どうしてずっと名字で呼ぶんだろうって気になってたんだよ」
「何か馴れ馴れしいかなって思ってさ」
「あははっ。そんなことないよ」
「そうか?」
「そうだよ」
ずっとくだらないと思ってた日々だった。
ただの時間だった過ぎ行く日々が、花音との出会いによって思い出に変わることが出来たんだ。
遥斗は教えられた。
人と一緒にいられることが素晴らしいことなのだ、と。
救われていたんだ。