01 何も変わってない
――春。
人との出会い、人との別れを繰り返す季節。
真新しい生活に心躍らせる時季でもある。
――桜。
桜の花色は淡い。
きれいに咲き乱れてても、すぐ何もなかったように散ってゆく。
儚い。
それはまるで雪のよう。
記憶は時間と共に薄れてしまう。
でも、例え色褪せても思い出すことはある。
そう。
想いを伝えられなかった、あの時のことを……。
「もう葉桜だね」
「……そうですね」
柚希は風で舞い散る桜の花びらが、あの時の粉雪に見えて、つい思い出していた。
失恋とは違う苦い記憶。
まだ忘れることの出来ない思い出だった。
両手を広げ、空を見つめる柚希を遥斗は黙って見守っていた。
きっと彼女は桜に対して何か特別な思い入れがあるのだろう。
物悲しげな表情が、それを語っている。
「あ、ごめんなさい。行きましょうか」
「うん。荷物重いでしょ。半分持とうか?」
「ううん、大丈夫です。このぐらい平気だから」
今日はサークルの親睦会を兼ねたお花見が行われる。
すでに葉桜だが、お花見が行われるこの河川敷はまだまだ人混みに溢れ賑やかだ。
新入生とはいえ買い出し係の遥斗と柚希の二人。
アルコールやおつまみ、お菓子がたくさん入った袋を両手に持ち、桜並木の下を歩いて行く。
「えっと、鳴海さん? でしたよね」
「同級生だから呼び捨てでいいよ。言い難かったら、せめて君付けでお願いしたいなー」
「あ、ごめんなさい」
「それに敬語じゃなくていいよ。こっちも敬語にしなきゃって思うから」
「……ん、分かった」
人付き合いが苦手だった遥斗だが、今は少し克服してる。
他人に自分がどう映っているのか、あまり考えなくなった。
自分が思ってる程、他人は自分以外に過度な興味を持っていないことを知ったからだ。
同じように相手に対しても、変に先入観を持たずに接するようになった。
花音との出来事が遥斗を変えていた。
一方、柚希は相変わらず人見知りが激しい。
なかなか緊張感が取れないまま大学生活をスタートさせていた。
「……」
「……」
何を話していいか分からず、柚希は困っていた。
隣を歩く遥斗が機嫌悪そうに映っていた。
ただでさえ異性が苦手な柚希は会話の糸口を探すのに四苦八苦。
尤も、遥斗は何も考えていなかった。
特に話すこともなければ無理に話すこともないだろう。
オドオドしてる柚希を見たからこその気遣いだった。
「あの、鳴海……君は、どうしてこのサークルに?」
ようやく会話の切欠を見つけた柚希。
つい和弥だったらこんなことはなかったのに、そう考えてしまっていた。
「俺? そうだな。何となく……かな」
そんな曖昧な理由で入ってしまうものなんだ、柚希は思う。
「そういう長瀬さんはどうして?」
「あ、私は……あの……」
「?」
「……高校の先輩がたまたまいて、それで誘われたから」
「そうなんだ」
何故申し訳なさそうに言ってるのか、遥斗は不思議に思った。
柚希は自己嫌悪に陥っていた。
自分の意思で決めた訳ではなかった。
人に誘われるまま特に理由もなく入部したに過ぎない。
いつも通り他人任せで自分の意思の無さが情けないと思っていた。
「でも、いいんじゃない? ボランティアってのは、人の為になることだしさ」
「そうなのかな?」
遥斗と柚希が入ったのはボランティア活動のサークルだった。
地域密着型を掲げ、地元の老人会の補佐や小中学生の学習のサポートを行ったりする。
遥斗は何となくと理由を挙げていたが、困ってる人の助けになってみようと思う所があった。
少なからず、それも理由の一つだが実際は他にも大きな理由が存在していた。
柚希は知らない人だらけの大学に、唯一地元出身の知ってる先輩がいた。
その人に誘われ、何の目的意識もなく入部に至った。
◇ ◇ ◇
「えー、それでは新入部員の皆様、ようこそ我がサークルに。乾杯ー!」
「かんぱーい!」
「柚希は飲める? カシスオレンジでいいかな?」
「あ、はい。ありがとうございます」
人数はそれ程多くはない。
アットホームなほのぼのとした空気があった。
みんな良い人達なのは分かる。
進んでボランティア活動に身を投じてるぐらいだからそうなのだろう。
柚希はそう感じていた。
「……ちょっと苦いけど、美味しい」
初めて口にしたアルコールだったが普通に美味しいと飲めていた。
ちょっぴり大人になれたような気がしていた。
ジュース感覚で飲み進める柚希は、自分が酔っていくことに気づきもしない。
熱くなる体、でも何だか楽しい。
周りの人達と自然と話せるのはお酒の力があったからだ。
自分の社交性が備わったものだと勘違いする程、柚希は気を使わずに言葉を発することが出来ていた。
だが、それも最初の内だけ。
すぐに目が回り始める。
酔っ払ったことへの認識も出来ずに、具合を悪くしていた。
「ごめんね、柚希。飲んだことないって知らなかったから。調子に乗って飲ませ過ぎちゃったね」
「……大丈夫……です。私が悪いんです、先輩。何かすいません」
込み上げる吐き気を我慢出来ず、柚希は嘔吐していた。
情けない自分にうんざりする。
大学に入学したのに、いったい自分は何をしてるのだろう、と。
「ちょっと、遥斗君。柚希のこと見ててくれる? 私、水持って来るから」
「はーい」
あまり知りもしない出会ったばかりの異性に、こんな姿を晒すのは恥ずかしくて仕方なかった。
「長瀬さん、大丈夫? 全部吐いちゃった方が楽らしいよ」
「う、うん、大丈夫。このぐらい平気……だから」
吐き気を我慢し、何事もなかったように振る舞う。
なるべく情けない姿を見せたくない柚希は、少しだけ虚勢を張っていた。
「鳴海君は、お酒大丈夫……なの?」
「俺? 俺はまだ十八だからね。飲酒はしないよ」
「……へ?」
お酒は二十歳から。
当たり前のことだ。
柚希は何も考えてなかった。
渡されたからお酒を飲む。
飲んだこともなかったのに、手渡されたお酒を何の抵抗もなく口にしていた自分を恥じていた。
その事実を目の当たりにした途端、涙が流れてきた。
「え!? ちょ、ちょっと、長瀬さん? 大丈夫? 具合悪くなった?」
「ち、違うの。私……私、だめだ。何も変わってない」
「え?」
突然、溢れてしまった思い。
いつもなら胸に溜め込んでいただろう。
だが、お酒の力が柚希の隠してた気持ちを解放させていた。
「お酒を勧められたから飲む。サークルに誘われたから入る。全部、私の意志じゃない。ただ人に言われた通りにしてるだけで……」
遥斗はただ驚いた。
よく知りもしない柚希が、突然泣きながら訳の分からないことを話し始めたから。
「ちょ、ちょっと落ち着こうよ。誰もそんなこと聞いてな――」
「大学も親に言われたから入っただけ。今まで何も自分で決めてこなかった。みんなは将来のことちゃんと考えてたのに、私だけ……私だけ……何も考えていなかった」
どうやら止めても止まりそうにない。
言いたいことは言わせてスッキリさせた方が良さそうだ。
何故自分がこんな聞き役になってるのだろう。
少し理不尽に感じていたが、仕方なく遥斗は黙って聞き役に徹していた。
そもそも嗚咽を伴いながら泣きじゃくる柚希にかける言葉が遥斗にはなかなか浮かばなかった。
だが、少しだけその気持ちは分からなくもない内容に思えた。
遥斗も以前抱えてた悩みと似ていたものだった。
「それでどうしたかったの?」
「……どうしていいか、私には……分からない。何も決められないんだもの。分からないの。何をしたいのか、何になりたいのかなんて」
「じゃあ、今から探せばいいじゃん」
「……え?」
「だから、だったら今から見つければいいんじゃない? って思うんだけど」
シンプルな言葉だった。
遥斗は決して考えて発した言葉ではなかった。
明確な答えを示した訳でもない。
だが、その遥斗の言葉は柚希の頭にすんなり入ってきた。
今までずっと悩み続けていたことの答えをもらったような感覚だった。
「ごめーん、遥斗君。この子、連れて帰った方がいいかも」
「そうした方が良さそうですね」
「さあ、柚希。帰ろう」
抱えられながらフラフラ歩く柚希は、もう頭がボーっとして何も考えられる状態ではなかった。
たが、薄れ行く意識の中で遥斗の言葉だけが耳に残っていた。