03 恋をする前に終わった恋
――卒業式。
その日は粉雪の舞う寒い日だった。
無事卒業式を終えると、教室では最後の別れの時間をクラスメートで過ごしていた。
就職や進学で大半の同級生たちはこの街からいなくなってしまう。
新たな旅立ちを迎える。
泣く者もいれば、笑う者もいる。
人それぞれの思いがあったのだろう。
柚希も一緒だ。
いつも孤独で一人ぼっちのような気がしてた柚希。
でも、実際は違っていた。
柚希は自分が幸せだと思えなかった。
将来、幸せになる為に努力してる最中の今、まだ幸せには程遠い時間を過ごしてると決めつけていたからだ。
誰かの幸せは誰かの不幸せがあるから成り立っているという持論があった。
だから、自分はまだ不幸側の人間だと感じ、ある意味荒んでいた。
だが、高校生活が終わりを迎えようとした時、そういう役を自身が演じてることに気づいた。
周りのみんなが成長して変わっていく様子に焦ってるだけの自分。
悪いのは不幸だからと決めつけ、自分で何かを変えようとしなかった。
希望が見えないのは探してすらいなかっただけ。
悪いのは自分だった。
逃げていたのは自分だった。
それを認めると心が楽になった。
つまらないと思っていた学校生活も、実は楽しいものだったと思えるようになっていた。
そして、柚希はある決断をしていた。
最後に自分の気持ちを和弥に伝えようと思っていた。
何を言われてもいい。
どんな返事をされてもいい。
もし告白したらどんな反応をしてくれるのか。
もし真菜と付き合う前に自分が告白してたらどうなっていたか。
今更どうなる訳でもないことは重々承知の上でのことだ。
それでも、ただ知りたかった。
自分の中の秘めた想いを伝えたかった。
それで自分の気持ちは区切りを付けられる、何よりすっきりする、そう思っていた。
卒業式の次の日、柚希は住んでいた街を引っ越すことが決まっていた。
いなくなってしまえば、その後どう思われても構わない。
自己中心的な考えだが、珍しく自分で決断したことだった。
卒業式も終わり、それぞれが別れを惜しみつつ帰路に立つ。
いつものように柚希は和弥と共に帰り、バスを降りると歩き始めた。
それはずっと一緒に過ごしてきた和弥との最後の時間でもある。
「明日引っ越すんだっけか?」
「うん、そう」
「早えーな。でも、さすがだよな。ちゃんと大学合格してさ。受験した大学全部受かったんだろ」
「まあね。そもそも、あんたとは頭の出来が違うからね」
「……どうせ俺はバカですよ」
いつもと変わらないくだらない会話だった。
だが、こんな他愛のない会話も、今日で終わりだと思うと寂しいのが正直な気持ちだ。
「真菜ちゃん、だっけ? 進学するんだよね?」
「ああ。家が理容所だからな。資格取るんだってよ」
「じゃあ、遠距離恋愛になるんだ」
「まあね。資格取ったら家に戻って来るって言ってるしな。俺はこっちでのんびり待ってるよ、なんてさ」
「フラれないように気をつけなよ」
「……縁起でもないこと言わないでくれよ」
みんなはちゃんと自分で将来のことを考えて決めている。
結局、柚希は親の言いなりのままに進学を決めた。
自分を持ってる人が遥かに大人に見える。
進むべき道を自ら決められるのが羨ましかった。
だから、これは柚希にとっての新たな一歩だった。
自分の気持ちに自分で決着を付けたかった。
昨夜はほとんど眠れなかった。
これ程悩んだのは、それこそ人生で初めてのことだった。
柚希は大きく息を吸い込んだ。
「あ、あのさ――」
「ずっと一緒だったな、柚希とは」
柚希が一世一代の告白をしようとした瞬間、和弥が遮られるように話し始めた。
「結構さ、楽しかったよな。お前がいなかったら、多分、俺はダメんなってた時あったなーって思うよ」
「え? ダメに? どういう……意味?」
「ん? どういうって、そうだな……。学校で嫌なことあった時も、部活で失敗した時も、いつも柚希がハッパかけてくれたじゃん?」
「わ、私そんなことしてない」
「してくれたよ。まあ、半分は罵倒だったけど。はははっ。でも、あれで元気もらえてたな」
柚希にそんなつもりはなくても和弥はそう感じていた。
自分が和弥にそんな影響を与えていたと思いもしなかった。
「だから、ありがとな」
差し出された右手。
柚希はどうしていいか分からなかった。
和弥は微笑みながら黙って待ってる。
柚希も黙って右手を差し出した。
交わされた握手。
初めて和弥に触れた。
寒いのに、握られた手の平が熱い。
途端に今までの和弥との思い出が溢れてきた。
込み上げてくる涙を我慢しようと柚希は上を向いた。
粉雪が舞う空がぼやけて映る。
目に溜まった涙が溢れるのを必死で堪えていた。
「たまには帰って来いよな」
「……うん」
「暇だったら連絡寄越せよ」
「……うん」
「元気でな」
「……うん」
柚希は、もう何も言えなくなっていた。
和弥の中にある良いイメージのままの自分でいたかった。
「また降って来たな」
「……そうだね」
「いやー、しかし寒いなー。行こうぜ」
和弥が先に前を歩き出す。
霜柱の張った道をザクザクと砕く足音が柚希の耳にやけに響いてる。
自分の心の奥の“何か”が砕ける音と重なってるように感じた。
ずっと隣を一緒に歩いていたかった。
最後に一緒に見た景色が柚希の胸に焼きつけられる。
切ない胸の痛みを止めることが出来ない。
心に残ったのは後悔。
一緒に砕けた“何か”は、きっと柚希の恋心。
舞い降りる粉雪を見た時、柚希は和弥のことを思い出すだろう。
恋をする前に終わってしまった恋。
恋愛にすらならなかった儚い想いは未遂のまま終わりを告げた。