02 相手を思いやる気持ち
文化祭の実行委員はある意味面倒臭い。
放課後居残り、どんな出し物を行うか、どんな展示物を出すのか。
それぞれクラス別で選別し調整したり、準備や片付けの割り振り、言わば裏方仕事。
誰もやりたがらない理由はよく分かる。
遥斗もそうだ。
この場合、相手が花音でなければなのだが。
放課後、誰もいない教室に残って花音と合法的に二人きりになれるのは遥斗にとって嬉しい時間だった。
◇ ◇ ◇
「何だこれ? 壊れてるじゃないの?」
ある時、机の上に置いてある彼女が愛用してる眼鏡ケースが壊れてることに気づいた。
なかなか使い古したものだった。
物持ちがいいのか、細かいことを気にしないのか、それすらも彼女らしいと感じる。
しっかり者のように見えて、どこか抜けた部分が共存していた。
「そうなの。新しいの買おうと思ってるんだけど、ついつい忘れちゃって」
「ケースの意味あるのか? これ?」
「だからね、すぐ落ちちゃって。見て、眼鏡傷だらけで……」
「ホントだ。だったら早く買えばいいじゃんか」
「愛着があって、なかなか買い替えられないの。そうだ、遥斗君、買ってよ。もうすぐ誕生日なんだ」
「何で俺が?」
「えー、いいじゃない」
何気のない会話でも遥斗の胸は踊る。
遥斗はいつも気にしていた。
花音が自分に対してどんなイメージを抱いてるのか、と。
悪いイメージを持ってないのは、会話の端々に感じられた。
それが遥斗に期待を持たせていた。
だが、その期待がすぐに失望へ変わってしまう事実を耳にする。
花音には付き合ってる彼氏がいるらしい。
そんな話をクラスメートの女子から聞いた。
普段の様子から全く感じ得ないことだっただけに、遥斗にとっては思いもしない事実だった。
家が隣同士の幼馴染、それが交際相手。
正しく絵に描いたような相手だ。
花音らしいとすら思える。
自分が敵うはずがないと思ってしまうのは仕方のないことだ。
ただ彼氏の両親が離婚した際、中学卒業と共に引っ越し、今は離れ離れになっているという。
不幸を喜ぶ訳ではないが、遥斗の中の失望はすぐに希望へ変わったのも確かだ。
「井上さ、今度俺とどっか遊びに行かない?」
「冗談ばっかり言って。そうやって色んな人に声かけてんでしょ? 知ってるよ」
「そんなことないって。いいじゃん。行こうよ」
「はいはい。そんなことより、実行委員の仕事しないとね」
実行委員で二人きりになる度に誘う遥斗を花音は相手にしなかった。
簡単にあしらう。
真剣だったのに冗談だと思われていた。
遥斗がいくら本気で誘っても花音には伝わってくれなかった。
今まで取ってきた自分の軽薄な行動が仇を成していたことを悔やむ。
それでも花音の言動は遥斗に自信を芽生えさせた。
断る理由に彼氏の存在を出さない花音に、まだ自分が入り込める隙間があると思っていた。
その一方、花音との距離が一向に縮まらないことも気づいている。
文化祭も近づき、時間も限られていく中、遥斗は焦っていた。
◇ ◇ ◇
「井上ってさ、彼氏……いるんだってね」
文化祭も近づき、実行委員の仕事も終わりを迎えようとしていた。
二人きりで話す機会もあと少しでなくなってしまう。
痺れを切らした遥斗は、ついに問い掛けてしまった。
聞かずにはいられなかった。
花音本人の口から本当のことを聞きたかった。
「誰から聞いたの?」
「いや、その……。クラスの女子が話してるのちょっと聞いて……」
嘘だと言って欲しかった。
もう別れてると言って欲しかった。
一途の望みをかけていた。
「……うん。一応ね」
照れ笑いを浮かべながら頷く花音の表情に、遥斗は顔も名前も知らない彼氏の存在に嫉妬した。
その穏やかな笑顔はどこかで見た記憶がある。
――そうだ、あの時の……
あの雨の日に見た顔とダブって見えた。
そして、気づく。
遠くを見ていたと感じたのは、離れた彼氏に想いを馳せてたからではないか、と。
「遠距離恋愛?」
「うーん。そういうことになるのかな?」
「ということは、あんまり会えないんだ」
「そう。中学卒業してからはね。そうだな、年に一回って感じかな」
「年に……一回?」
「うん。織姫と彦星みたいでしょう?」
花音はおどけて笑う。
それで本当に付き合ってると言えるのだろうか?
遥斗には到底思えなかった。
「会いたくないの?」
「会いたいけど会えないから」
お互いスマホどころか携帯電話すら持っていない。
彼氏が親の離婚という複雑な家庭環境の中にいる。
今は親元を離れ、親戚の家に下宿してるという。
故に電話も自由に出来ない。
主な連絡手段は今時珍しく手紙のやり取り。
それでも花音には何の不都合もないと言う。
「同じ大学入ろうって約束したんだ。だからね、お互いそれを励みっていうか、目標にして頑張ってるの」
「そんな約束で?」
「そう」
純粋過ぎる思いが遥斗には疑念しか感じられなかった。
人の気持ちなんてものは、いつ変わるか分からない。
しかも簡単に変わってしまうものだ。
ましてや一緒に居ても離れてしまう想いもあるというのに……。
遠くにいれば尚更ではないのか?
会えない二人の絆を繋ぎ止められるだけの何があるというのだろう。
「あっちで内緒で新しい彼女作って、よろしくしてたりしたらどうするんだよ」
「大丈夫。あの人に限って、そんなことないから」
遥斗の意地悪な質問もどこ吹く風。
花音は笑い飛ばす。
何故そんなにも人を信じることが出来るのか、遥斗には理解出来なかった。
「一年に一回しか会えないって言ってたけど、いつ会ってるんだ? クリスマス? それとも正月とか?」
「ううん、私の誕生日」
その人本人にしかない年に一度の誕生日。
花音にとっての記念日に会いにくる、ということだ。
「でも、今年は来なくてもいいって言ってあるんだ」
「何で?」
「受験勉強あるしね」
「一日ぐらい勉強しなくてもいいだろ?」
「……そうだね」
本当は会いたいに決まってる。
花音の見せた寂しそうな表情がそれを物語っていた。
「それにね、私の誕生日って今年は文化祭の当日に重なっちゃってて」
「だから?」
「うん。会っても私が自由効かないでしょ? 来ても迷惑かけちゃうだろうからって。だから、ちょうど良かったんだよ」
想いが大きければ、その分会えない時間の寂しさも大きいはずだ。
会えない遠くの彼氏の存在よりも、近くの温もりに傾いてしまう日が訪れたりしないだろうか?
遥斗は自分にもまだチャンスがある。
そう思っていた。
いや、思いたかったんだ。
「そんなに信じてて裏切られたら大変だろ? 後で困っても知らないぞ」
「どうして? 裏切られたり、なんて考えないよ、私は」
「ど、どどうしてって当たり前じゃないの?」
当然在り得ることを言ったと思っていた。
返事にどもった遥斗を花音はきょとんとした顔で見返していた。
誰もが花音のような素直で純粋な気持ちを持っている訳ではない。
人は平気で嘘ついたり、裏切ったりするものだ。
それを花音自身が分かってないことが遥斗を腹立たしくさせていた。
「みんなが井上みたいな立派人間じゃないってことだよ」
「立派って、私が? えー、そうかな? そんなことないと思うよ。誰だって、簡単に人のこと裏切ったりとかしないよ」
「……するよ。人なんてそんなもんだろっ!」
遥斗は思わず声を荒げていた。
厳しい言葉を言い放った遥斗を花音は寂しそうな顔で見つめていた。
「どうしたの?」
「どうもしねーよ。みんながみんな、そうやって信じ合える奴らじゃないって意味。分かんない?」
「自分が信じてあげなきゃ、相手も信じてくれないよ。そうやって信頼関係って生まれるんじゃないかな?」
遥斗は自分が人を信じてないことを花音に見透かされてるような気がした。
それでも花音の言葉は遥斗にはただの綺麗事に聞こえていた。
人それぞれ受け取り方次第で感じ方は違ってくる。
例えば親切とおせっかいは正しく受け取り方でずいぶん違ってしまう。
花音が親切で言ってる言葉は、今の遥斗にはただのおせっかいでしかなかった。
「素直に気持ちを伝えたら、相手にだってちゃんと伝わると私は思うよ」
「だったら、井上だって素直に彼氏に会いたいって言えばいいんじゃないか?」
花音が言ってることに間違いがないのなら、遥斗の言葉を否定出来ないはずだ。
だが、遥斗は花音が言えない理由を分かっている。
本音を言えば彼氏が困ることを花音は知ってるんだ。
花音が“会いたい”そう伝えれば、きっと無理にでも会いに来るだろう。
だから、相手を気づかい、敢えて言わないでいる。
遠く離れていても、お互いを思って尊重し合ってる。
遥斗と花音とでは、本音を言わない本質が違っていた。
「……そっか。確かにそうだね。私が言うこと矛盾してるか」
遥斗は少し理解した。
自分が心を開いていないのに、相手に心を開くように求めるのは間違ったことなのかもしれない。
本音を隠した上辺だけの付き合いは、いつか綻びが出る。
自分がそうだったように……。
遥斗の人付き合いの苦手な原因は簡単なことだった。
「……言い過ぎたな。ごめん、悪かった」
「ううん。そんなことないよ。遥斗君は私のこと心配して言ってくれたんでしょ? ありがとう」
「え? い、いや……」
花音のお礼に嘘も偽りもなかった。
遥斗の心配する気持ちは花音にちゃんと届いていたのだから。
いつものような上辺だけの気持ちではなかった。
遥斗は今、花音と本音と本音でぶつかっていた。
思い通りにいかない結果だったかもしれない。
それでも遥斗は悪い気はしてなかった。
素直に良かったとさえ思えていた。
これが本来の人間関係の在り方であり、人付き合いの基本でもある。
そして、それはきっと恋愛にも繋がっているのだろう。