01 ある雨の日に
夏休み明けてすぐの出来事だった。
うんざりする程雨が降り頻る日があった。
放課後で騒がしい中、一人廊下に佇み、窓から外の雨を見つめている女生徒に遥斗は気を取られた。
憂い顔とは違う。
口元は緩み、どこか笑みすら浮かべてるように見えた。
眼鏡の奥の真っ直ぐな瞳がやけに印象的だ。
不思議に思った遥斗は、何となく彼女に声をかけた。
「雨、好きなの?」
「……え? あ、鳴海……君?」
「びっくりさせた? 遥斗でいいよ。タメだし同じクラスじゃん」
突然話しかけられたことに彼女は驚いた。
ただ驚いたのは一瞬だけ。
すぐに和らいだ表情へと戻った。
「私ね、雨って好きなんだ」
「そうなんだ。俺も好きだよ、雨」
「本当? 何か嬉しいな。あまり雨好きな人っていないから……」
思った以上に好意的な反応を示した彼女に遥斗は戸惑った。
実は特別雨が好きという訳ではない。
切欠の為に話を合わせただけだった。
高校三年生で初めて同じクラスになった彼女、井上花音。
物静かで真面目な大人しい人。
それが遥斗の中の彼女のイメージだった。
実際の花音も一言で言えば地味、あるいは目立たない、クラスの中ではそんな存在だ。
尤も、チャラチャラしてる遥斗とは正反対の部類に入るだろう。
今まで交わした会話は挨拶程度しかなかった。
こうしてまともに二人だけで話すのは初めてのことだった。
「何となくなんだけど、落ち着く気がするんだよね。雨を見てると……」
単なる雨に遥斗は特別な感情を抱いたことがなかった。
そもそも考えたこともない。
誰でもそうではないだろうか?
しかし、花音の言うことに遥斗は不思議と頷ける気になっていた。
静かな雨は騒がしさを忘れさせてくれた。
物思いに耽るのには丁度良かった。
「どっか遠く見てるみたいだね」
「やだ。私ってそんなアホっぽい顔してた?」
「そういう意味じゃないけど……」
遥斗は花音の視線が窓の外の雨というより、もっと遠くに向けられてるように感じた。
そして、自分の言葉に敏感に反応する花音が微笑ましく見えた。
いつの間にか、遥斗の興味は雨よりも花音に向いていた。
「なんかね、夏ももう終わっちゃったなーって」
「確かに。そうだな」
「来年の今頃って、私はどうしてるんだろうって考えてたの」
高校を卒業して進学するのか、就職するのか、周りのみんなは進路を気にし出す時期だ。
遥斗もそうだ。
だが、一年後の自分を想像したことがなかった。
毎日何も考えずにただ平凡と過ごしてる自分とは花音が違ってるような気がした。
彼女の心はここにない。
もっと遠くを見据えてる。
そんな風に遥斗の目には映っていた。
だからかもしれない。
遥斗には花音が自分より遥かに大人に見えた。
遥斗はしばらく花音と一緒に降り頻る雨を見つめていた。
他愛のない会話を交わしながら……。
それからだった。
時折、遥斗は教室でも花音の居場所を探すようになっていた。
◇ ◇ ◇
遥斗は昔から人付き合いが得意な方ではなかった。
他人の顔色を伺い自分を抑え、まず相手に対して壁を作ってから人間関係を構築しようとしてしまう。
自分が相手にとってふさわしい人間なのか考えてしまうからだ。
いつからかは分からない。
気づいた時には何故か簡単に人を信じることが出来くなっていた。
それでも一人でいるのが寂しくて怖いことを知っている。
自分が、というより人とは弱くて小さくて他人と手を取り合わなければならない存在だと思っていたからだ。
だから、深く関わろうとはせず、上辺だけの付き合いを好んでいた。
付き合った女性は何人かいた。
ただ時間が経過すると一緒にいることが面倒臭いと感じるようになってしまう。
嫉妬や束縛、口うるさい小言、くだらないことで泣く。
共に過ごす時間に比例して煩わしくなっていく関係が嫌になる。
結果、付き合いは長続きした試しがなかった。
それもそうだ。
好きで付き合っていた訳ではない。
相手が自分を好いてくれるから、一人でいるのが寂しいから、そんな理由で付き合っていたのだから。
自分でも気づいていた。
本気で人を好きになったことがないのかもしれない、と。
実際、本当の恋愛をしたことがなかった。
相手に自分を曝け出すのには勇気が必要だ。
知れば知る程、そして知られれば知られる程、裏切られた時の反動が怖いと考えてしまう。
いつもそんな後ろ向きな考えが念頭にあった。
だから、上辺だけの付き合いしか出来ないし好む。
恋愛に限ったことではない。
人間関係においても同じだ。
複雑な関係を嫌う遥斗には馴れ合いの方が居心地が良かった。
楽だったんだ。
不思議なことだった。
たった一度の会話だけにも関わらず、花音は今まで自分が付き合ってきた女性とは違うような感覚を受けた。
まだどういう人間なのかも知らないはずなのに……。
特別美人という訳でもない。
至って普通の女の子だった。
流行やお洒落には特別興味がないのは見れば分かる。
派手さがない分、穏やかな性格や引っ込み事案な物腰が目を引いた。
意外と人望が厚いのは、面倒見がいいからだろう。
休み時間、花音の周りにやって来る友達の多さがそれを物語っている。
遥斗は彼女に抱いていた物静かで大人しいイメージを改めた。
いつも周囲の人を穏やかに見守るような存在だった。
それを知った時、遥斗自身によく分からない衝動が込み上げていた。
ふとした時に、花音の行動を目で追う自分に気づく。
気になるのは意識してるから。
もっと話したい。
もっと関わりたい。
だが、用事でもないと声もかけられない。
今まで接してきた女の子と同じように簡単に接することが出来なかった。
彼女が“好き”なのだろうか。
これが“恋”なのだろうか。
本気で恋愛したことない遥斗には、この気持ちが何なのかすぐに理解出来なかった。
◇ ◇ ◇
花音との距離を縮めたいと思っていた遥斗にチャンスが訪れる。
文化祭の実行委員に遥斗と花音が偶然選ばれた。
選ばれた、と言っても面倒な役目を押し付け合った結果、クジ引きで決まったことだ。
それでも遥斗は運命的なものを感じてしまった。
「お互い運が悪かったな」
「そうだね。でもやるからには頑張ろう。よろしくね、遥斗君」
「……ああ。そうだな」
実行委員の仕事で二人きりになる時間は必然的に増える。
遥斗は花音と過ごせる時間に胸を躍らせていた。