彼女が…欲しいッ!
到底悩みに無縁そうな笑顔を向けている彼も、
趣味に没頭し、充実した日々を送っている彼女も、
どんな人間にだって、ある。
それは、奥底に沈み無自覚なのかもしれない。
ただただ、見つからないように隠そうとしているのかもしれない。
きっと俺は前者であろう。
「あぁ~~欲しいっ!!彼女がっ!!」
「おい、急に大声出すなよな~。みんなが変な目で見てる」
「……」
道端には昨夜に降った雨水が溜まり、散りかけている桜の花びらがそれを覆うように載っている。
まだ、4月の初めだと言うのに、教室の窓ガラスから入り込む鋭く痛さをも感じさせる陽射しに、気分が悪くなりそうだった。
「そう言う冷静こいてるナギさんは欲しくねえのかよ、彼女」
「…世の中の男子が皆んながみんな、タイキみたいなお猿さんじゃねえって事よ」
「今俺は、ナギに聴いたんだ。生涯、女とは無縁なユウヤには関係な!い!だ!ろ!」
「無縁とはどう言うことか…説明してもらおうか…」
俺たちは、高校三年生に進学した。
来年の桜が散る頃には俺達、三人はバラバラなんだと思ったところで何も湧き出てくる感情は無かった。
それは、俺が興味がないからなんて、無慈悲な意味ではなく、どうせバラバラになっても、たまに会って、遊びに行ったり、いつか飲みに行ったりするんだろうな、と自然に思っているからだろう。
とは言ったものの、こんな田舎町に遊びに行く場所なんて全くない。
電車は2時間に一本。
バスは4時間に一本。
タクシーが道路を走っている所を見たのは数えられる程度。いつしかその存在は幻じゃないかと言われるほどだった。
そんな静かな田舎町だと言うのに、この教室はやけに騒がしい。もう少し、落ち着いてくれないだろうか、なんてしつけをする気までにはならなかった。
「お、おい、ナギ。どこに行くんだよー」
「いや、トイレに」
「んじゃぁ、俺たちも行くぜぇ〜」
「やめてくれ。女子じゃあるまいし」
何か小声でぶつぶつ言っているのを聴きながら俺は、一人教室を後にした。
よく他人から、お前は共感性が足りないとか協調性が足りないだとか言われる事があったが、だからどうしたとよく反論していた。
幼く、脆い、逃げる事しか出来ない反論かもしれないが、別にそれで良かった。
だから、今もこうして、一人で学校を彷徨っている。
「ねぇねぇ、あの噂聴いた?」
「デルって話でしょ?怖いよね〜」
向かいから歩いてくる女子生徒二人が軽い口調で話していた。
女子生徒は自分に訪れた幸せ話を語っているかの様な柔らかい表情だった。
有りもしない噂にあんな風な表情を出せることに少し羨ましい…なんて思っていた。
当然トイレに向かうはずもなく、その足はトイレを過ぎ、さらに歩き進めた。
進むにつれてだんだんと、人の影が見えなくなり、気がつくと辺りは、物音一つない、心安らぐ一人だけの世界が広がっていた。
「………」
一息つき、さらに前進し、ようやく目的地へと辿り着いた。
目の前には、ペンキで何重にも塗り重ねた奥深い鯖かかった鉄の柵が立ちはだかっている。
何も知らない生徒なら、この自分の背丈の倍上ある、威圧的な柵に慄き、退いてしまうだろう。
だが、この柵を越えた向こうには天国とも呼べる、空間が待っている。
柵にかかっている二つの南京錠を手慣れた様子で解き、階段を駆け上がった。
「……やっぱり、ここが落ち着くんだな」
重い扉を押し開けて、見ていると吸い込まれてしまう霞のない真っ青な 宇宙が俺を歓迎している様だった。
他の学校事情なんぞ、田舎民の俺には全く分からないが、この学校では屋上に上がる事が禁止されている。
ただでさえ狭い田舎町で息苦しいと言うのに、老朽化の進んだ色も活力もない学校の教室に三年間も居続けるなど、到底無理なものだった。
だから、こうして屋上という誰もいない、俺一人だけの世界であるこの場所は天国の様な、生きている事が幸せだと思わせてくれる場所だった。
しかし、天国と言えど一つ問題があるのだが、分かっただろうか。
風の強い日や、雨の日の様な天候に恵まれない時は、屋根のないこの場所には立ち入らないとなるとそれはもう死活問題である。
そんな場合に備えて、こっそりと俺は段ボールを学校から入手し、雨粒を弾き返す様に加工し、風で飛ばされたり凹んだらしない様に厚くダンボールを加工した二人ほど入る簡易的なダンボールハウスを建立した。
中々大変な一人作業であったが、非常に満足しているのと同時に、どうせ誰も来ないのだから、さらに建物的なオブジェを作るのも楽しいのだろうと思ってしまっている。
「まぁ…一人しかいない屋上では無理な話だが…」
「……ゴソ」
なんだ…?今の音は…。
明らかに自然的な音ではなかった……
ふと先ほどの会話が脳裏によぎった。
その扉の向こうに…誰かいるのか…はたまた、デタと言うのか。
これは最悪な事態に陥ってしまった…この場所が見つかったかもしれない。
「……」
突然の出来事に、額からツーンと汗が流れる。
「……」
しばらく気配を消していたが、その後は人為的な音は聞こえなかった。
たとえ扉の前にいたとして、既に降りていたとしても、降りる際に微かだが階段にかかる足の重みで音が聞こえるはずだ。
その降りる音が聞こえず、数分もの間、物音の一つも聞こえなかったのだから、俺の過剰な意識で変に勘違いしてしまったのだろう。
今日のところはそろそろ帰りのHRが始まる事だし一旦教室に戻るとしよう。
せっかくの一人きりの屋上で落ち着ける場所だと言うのに、こんなに気を張っていては駄目だな、俺は。
そう自分に説教しながら、軽い力で扉を開けた。
「「………」」
目の前にデタのだ。
それはデルなら幽霊の方がマシだと思ってしまうくらい、会ってはならない存在だった。
「人間がでた」
状況が飲み込めず、自分も同じ人間である事を忘れかけていた。
冷静になり、改めて目の前の存在を観察する。
開いた扉から入りこむ、強い陽の光に照らされ見えた者は、長く伸びた艶のある綺麗に整っている茶色の髪に二つ結びをしている小柄な女子生徒だった。
その女子生徒はびくびくしながらこちらを見ている。
彼女の目には俺が「人間」以外の怪物の様に見えている…そんな恐怖感が伝わった。
ここで騒がれたりでもすれば、教師や生徒が集まり俺の築き上げてきた唯一の居場所が一瞬にしてちりとなってしまう…だけでなくこの学校にさえ居られなくなってしまうかもしれない。
「何か用かな…」
相手を落ち着かせる為に、冷静を何とか装い、小声で語りかけた。
「……ここで何してるんですか。屋上には一般生徒は立ち入れないはずです…」
「う〜ん…そうなんだけど…」
思った反応と違い調子が狂いそうになった。
こんな自称進学校にも満たない学校にバカ真面目な生徒がいる事に驚いた。
制服のリボンカラーを見る限り赤色という事から3年生である事は分かったが、それ以外の情報が残念ながら全くない。
こんな事ならば、もう少し他人と友好的に接していれば…と初めて後悔した。
「…濁すんですね……。きっと私達、部外者には言えない悪だくみでもしているんでしょうね」
何なんだこの女は。
ついさっきまで、弱々しい小動物の様に肩を震わせて、俺に対して睨みつける事しか反撃できない、非力な女だと思っていたのに…。
今となってはどこに隠していたのか分からない、鋭く揺るぎない牙を向け、こちらに反撃している。
「……」
すっと立ち上がり、あたりを観察している。
「…そのどこから持って来たのか分からない段ボールは何ですか?ここは貴方のおままごとをする場所では−」
我慢の限界だった。
俺の居場所に対して、侮辱されたこの煮えたぎる感覚はもう止められなかった。
反射的に俺は目の前の敵の両肩を扉に押さえつけようと、両手を勢いよく前に突き出した−−
−キーンコーンカーンコーン−
「…もうこんな時間…次に私が来るまでにこの場所を必ず綺麗にしておきなさい。ここは誰の場所でもないのだから」
「……」
…一番非力なのは、ある訳もない見栄を張って、結果、小柄な女の子にも反抗できず、ただただ無言を貫く紛れもない俺だった。
肩の力が抜けると同時に、力んでいた身体から空気が抜ける様に萎れて、その場に座り込んだ。
「彼女は…何者なんだ…」
遊び人ばかりの同級生にあそこまで真面目ちゃんがどこに居たのだろうか。
だが、真面目な奴はこの学校にとってはそれが個性としてすぐ見つけ出せるはすだ。
なんとか彼女を探し、次はきちんと言わなければならない…
ここに立ち入るな、と。
そうしなければ、すぐ様学校中に知れ渡り、教師の耳にも入るのだろう。
その事態だけはなんとかして避けなければならない。