1-5
昼下がりになろうという時間帯。大きな屋敷の門の前で、フェイは佇んでいた。
「ここが宇尾海寮……?」
フェイは建物を見あげながら眉をしかめる。
立派な石造りの門構えには『宇尾海書店』という古めかしい看板が立てられている。しかし、『宇尾海寮』の文字はどこにも見当たらない。
「入らないんですか?」
フェイが弱り果てていると、後ろから突然声をかけられ、「ひゃっ」と驚きながら咄嗟に後ろに振り返る。すると、そこにいたのは穂乃華であった。
「どうかしました?」
そんなフェイを不思議そうに見つめながら、穂乃華が問いかけてくる。
「……なんでもないわ。それより、どうしたあなたがここにいるの?」
「わたし、この宇尾海寮でお世話になることになってまして」
その言葉に、フェイの思考が一瞬だけ時を刻むことを放棄する。
「……はい?」
そして、思わず聞き返す。自分はなにか聞き捨てならないことを聞いてしまった、ような気がしたのだ。
「はい。私、今日から宇尾海寮でお世話になるんです」
「それって、ホント?」
「昼食のとき、話してたではありませんか。ひょっとして、聞いてませんでした?」
「全然、聞いてなかったわ」
思えば、そんな話をしていたような気もするが、あのときはべつのことを考えていたせいで、誰がなにを話していたなど、まるで耳に残っていなかった。
「ひょっとして、バーナルさんも宇尾海寮に?」
フェイは首を小さく縦に振って、肯定を示す。
「まあ! バーナルさんも同じ寮だなんて、すごい偶然ですね!」
すると穂乃華は目をきらきら輝かせながら、フェイを見つめてくる。なにかよくわからないが、フェイと同じ寮であることに感動しているようだ。
「ここまで腐れ縁が続くと、私としてはどうかと思うんだけどね……」
そんな穂乃華の視線が直視できないフェイは、目線をそらしてため息をつく。
「わたしは嬉しいですよ。また三年間、飽きずにすみそうですもの」
またまた微妙に聞き捨てならない言葉を聞いた気もするが、今日はもう突っこむ気力も失せていたので、あえてスルーしておく。
「で、ここが宇尾海寮で間違いないのよね?」
「ええ、そうですよ」
話題を変えるための質問に、穂乃華は短く答える。
「じゃあ、この屋敷がそうなのね……」
ここが宇尾海寮で間違いないのはわかったが、それでもまだ半信半疑の自分がいる。このバカみたいにでかい石造りの屋敷が本屋で、学生寮まで兼ねているとはとても思えないのであった。
「ところで、この寮の噂ってご存じですか?」
「うわさ?」
「はい。目つきの悪い三匹の妖怪に、寮内を徘徊するミイラ女、暗闇を飛びまわる火の玉に、夜な夜な寮内に響く若い女の泣き声――、他にもいろいろあるそうなんですけど」
穂乃華はなぜか嬉しそうに、この宇尾海寮がお化け屋敷であることを語ってくる。いったい、なにが楽しいというのか。フェイは理解に苦しんだ。
「……誰から聞いたのよ、その噂」
「クラスの方からですが、なにか?」
それを聞いたフェイは心底呆れたように、大きなため息をついた。
「アホらし」
そのため息の理由がわからなくて、キョトンとしている穂乃華を置いて、フェイは一人で門をくぐっていく。
「今日び魔法の発達したこのムーンウォールで、いまさらお化け屋敷なんて非常識なものがあるわけないでしょ。どうせ質の悪い噂に決まってるわ」
フェイは鼻を鳴らして、前に進んでいく。すると、屋敷のなかからおそろいのエプロン姿をした中年のカップルがでてきた。
二人がつけているエプロンには『宇尾海書店』の文字が刺繍されており、二人がこの本屋の店員であることを教えていた。
ということは、宇尾海寮のことについてもなにか知ってるかもしれないと、フェイは二人に近づいていく。
「すみませ――」と二人に声をかけようとして、フェイは瞬間に硬直してしまう。
「ん? なにか用かい、お嬢ちゃん」
フェイの姿に、まっ先に気づいたのは男のほうであった。男はそこそこにがたいよく、口にはひげを蓄えている。どちらかというと、本屋の店員より、頑固職人の呼び名が似合ってそうな男だ。
「い、いえ。その……」
フェイがなにより驚いたのは、二人の目つきであった。これについてはどういえばいいのだろうなどと迷っていると――。
「ひょっとして、お二人が噂の目つきの悪い妖怪さんですか?」
いつの間にか、フェイのすぐ傍まできていた穂乃華が目をキラキラと輝かせながら、二人に向かって質問をしたのである。
まともな神経をしてれば聞けるはずないことを、自分の好奇心を満たすという目的のためだけに実行するあたりはさすがだと、フェイは思った。
そんな質問をされて、目つきの悪い夫婦と思しき二人は困ったように顔を見合わせている。
「あー……、そんな話をどこで聞いたかは知らんが、俺たちは正真正銘の人間だ」
男はこめかみを押さえながら、そういった。
「あらあら、実は人間さんでしたか。では、目つきの悪い三人組の妖怪さんはどちらにいらっしゃるのですか?」
フェイは隣でハラハラしながら穂乃華と二人組中年のやりとりを見守っている。もうここまできたら野となれ山となれだが、とばっちりは勘弁してほしいとフェイは思っていた。
「三人組の妖怪ねぇ……。ウチはそんな風に思われてんのか」
男は怒るのでなく、むしろ哀愁を漂わせながら何事かをぶつぶつとつぶやいてる。
「あのー……」
フェイが男に話しかけようとすると、今度は女の方が話に割りこんでくる。
「ごめんね。ウチの亭主は目つきのことをいわれるといつもこうで……」
女は「あはは」と苦笑いを浮かべて、軽く頭を下げてくる。本来なら、ここで頭を下げるのは穂乃華のはずだが、その彼女は状況が読めずに首を傾げるだけであった。きっと、女がなぜ謝ってきたのか理解に苦しんでいるんだろう。
「ところで、お嬢ちゃんたちはウチになにか用でも? いっておくけど、肝試しとかならお断りだからね」
女はさばさばとした口調で訊ねてくる。あそこまでいわれて笑顔を浮かべてられるあたりは、大人ということなんだろう。高校生とはいえ、まだ「子供のやること」ですまされるということか。
「ああ、そうでした。わたしたち、今日から宇尾海寮でお世話になる学生なんですが、それについてなにかご存じでしょうか?」
それを聞いて、女は思い出したというようすで左手をポンと叩く。
「じゃあ、お嬢ちゃんたちがウチの寮にくるっていう学生さんか」
「はい。わたし、貴咲穂乃華といいます。隣の方はフェイ・バーナルさん」
なんの振りもなく穂乃華に紹介されて、慌てて「よろしくお願いします」とフェイは挨拶をする。
「はい、よろしく」
女は二人と握手をかわしながら、快く二人を迎える。
「ところで、寮はどこにあるんですか? そちらは本屋さんですよね」
質問をする穂乃華の視線の先には、扉の開かれた屋敷の入り口がある。そこからはまばらであるが、本を抱えた人が出入りしており、ここが本屋であることを教えていた。
「そうだよ。この一棟は本屋になってて、寮はこの本屋の後ろをまわってもらったところにある別棟がそうさ」
女は「案内するよ」といって、二人を手招きする。男はというと、女に檄を飛ばされて、しょんぼりしたようすで店番に戻っていった。
「それにしても本屋って随分と広いんですねぇ」
穂乃華は屋敷を見あげながら、感心したように声をあげる。
「もとは、とある富豪のお屋敷だったんだよ。それを改装して、本屋にしたってワケ。寮は余ったスペースを有効に使おうっていうムーンウォールの方針だね。ここからだったら学園地区も近いし、いいだろうって」
「そうだったんですか。でも、あまり学生の姿を見かけませんね」
穂乃華から指摘され、女は苦笑いを浮かべながら頬をかく。たしかに、ここにきてから一般の人の姿は見かけても、学生の姿はまったく見なかった。ここは学生寮でもあるというのに、だ。
「図書館と本屋のちがいってわかる?」
女が突然、そんなことを二人に問いかけてくる。
「本を売ってるのが本屋で、本を貸してくれるのが図書館じゃないんですか?」
その問い答えたのはフェイであった。すると、女は意味深な笑みを浮かべる。
「まあ、一般的な認識としてはそうだね」
含みのあるものいいに、フェイと穂乃華は互いに顔を見合わせる。
「図書館に置いてあるのは、誰でも気軽に読める本。でも、本屋には誰でも気軽に読めない本も置いてある。一般的に危険図書って呼ばれるものなんだけど、知ってる?」
二人は無言で首を横に振る。
「本のなかには人間に有害なものも存在していていてね。宇尾海書店では、そういった本の鑑定とか管理もしているの」
「それと学生がほとんどいないのと、どういった関係があるんですか?」
穂乃華の問いかけに、女は「う~ん」と唸る。
「まあ、百聞は一見にしかずっていうしね。一晩過ごしてみればよくわかると思うよ」
そういって女は含みのある笑顔を浮かべる。
これからなにが待っているのか。その笑顔に一抹の不安を覚えるフェイであった。
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