4-1~2
1。
人気のない体育館の裏で、樹とシンディーはいた。もっともいるだけであるならば、特に不自然なことはない。それが端から、不自然に映ってしまうのは、やたら人目を気にしながら、まわりに視線を配っているせいだ。
「シンディーくん」
「樹さん」
まわりに人目がないことを確信した二人は、互いに名前を呼び合いながら抱擁を交わす。
「今日も君の体温が直に感じられることを幸福に思うよ。二人の出会いに運命の導きをくださった精霊の御方々にひたすら感謝するばかりだ」
「……そのセリフ、いままで何人の女性にかけてきたんですか?」
皮肉かと思えるそんな一言にも、樹は眉一つ動かさずに「なにをいってるんだ。君がはじめてさ。僕の目には最初から君しか見えてないよ」と返してみせた。
貴咲樹の女性遍歴については、こうして男女の仲になれば嫌でも自覚させられることである。当然、樹の先ほどのセリフはウソである。シンディーも馬鹿ではない。それくらいの情報は自前で仕入れている。しかし、それでもシンディーはこの樹との関係をやめるつもりはなかった。彼女は欲していたのだ。刺激的な体験を。
「樹さん……」
シンディーは熱っぽく愛しい男の名前を呼んでみる。そうするだけで心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。たったそれだけで心が揺れ動く。それはなんとも不思議な感触であった。
だが、そんな楽しい時間を休み時間の終わりを告げるチャイムが奪っていく。
「もう、そんな時間か」
そのチャイムが鳴りやむとともに魔法はたちまち解けてしまう。シンディーを射貫く樹の情熱的な視線はもはや存在せず、生徒会長である貴咲樹の表情に変わっていた。
「悪いが、これまでのようだ。次は移動教室でね。一足先に戻らせてもらうよ」
樹はそれだけいい残すと、さっさとその場をあとにする。
それは彼なりの処世術なのだろう。しかし、それが頭でわかっていても簡単に納得できない自分がいることにも気づいていた。要するに樹という男は、よくも悪くも理性的なのだ。そういった意味で、少し野性味に欠ける男であり、それがシンディーにとって不満の一つでもあった。
「……私も戻ろうか」
独りごとがやけに虚しく思える。シンディーはため息を一つついて、その場をあとにしようとする。
「イカカカカカッ!」
まさにけたたましい笑い声が響きわたったのはそんなときである。
「悩んでる女の子、はっけ~ん」
シンディーの目の前に立っていたのは生物の講師であるクラー・ケンであった。不気味に笑いながら佇む姿は不審者そのものである。
「まあ、そう怖がることはありません。私は教師で、あなたは私の可愛い教え子。ちがいますか?」
そう訊ねられ、シンディーは反射的に首を縦に振ってしまう。
「どうでしょうか。私でよければ君の話し相手になりたいのですが」
クラーから差し出される大きな手。その手をシンディーはおそるおそるだが掴んでしまう。
これで一つの契約は成ったのである。
2。
遮光カーテンに仕切られて、真っ暗な部屋。
シンディーが連れてこられたのはクラーの研究室である。
「さあ、入りなさい」
クラーにそう促され、警戒しながら部屋へ足を踏み入れる。
「君たち生徒が私をどう思っているのかは、私なりによく理解しているつもりです。ですが、こんな変人でも教師にはちがいありません。全面的でなくとも、少しは信じてもらえると助かるのですが」
そういってクラーは笑顔を浮かべながら、部屋の明かりをつける。室内は別段怪しいところなどなく、資料やら本棚に埋め尽くされた部屋であった。
あまりクラーという教師に関していい噂を聞いたことがなかったシンディーにとってはある意味拍子抜けであった。
「どうぞソファーにでも掛けてください。お茶くらいはだしますので」
シンディーは「わかりました」と答えて、勧められるがままに手近にあったソファーへ腰掛ける。
「生物教師の研究室と聞いて、ホルマリン漬けやらメスがあたりに転がっていると思ってましたか?」
冗談まじりなのか、笑いながら訊ねてくるクラーに、シンディーは慌てて「いいえ」と返答する。これでは肯定したようなものであるが、そんな反応にもクラーが気を悪くしたようすはなく、むしろ清々しく笑っていた。これはこれである意味不気味である。
「どうぞ、地球から買いつけてきたお茶です。私はイカの次にこの香りが好きでしてね」
音も立てずにシンディーの前へ、お茶がなみなみと入ったティーカップが差しだされる。
このまま何も手をつけないのもかえって失礼かと思ったシンディーは「いただきます」と断って、ティーカップのお茶を少しだけ口に運ぶ。
「……おいしい」
染み渡るお茶の味にシンディーは思わず正直な感想を漏らす。
「お口にあったようでなにより。実はそのお茶には地球製という以外に隠し味として、イカ因子を少々入れておきましたので」
クラーは紳士的な笑みを浮かべて、シンディーの対面にあったソファーに座る。イカ因子とはなんなのか。シンディーはその疑問を口にしようと思ったときである。
「え」とシンディーは声をあげる。急に胸の底からマグマのように熱い衝動が沸きあがってきたのである。その暑苦しさに胸を締めつけられるような息苦しさを感じ、発作的に立ちあがる。
「……どこへ行くんですか?」
そのクラーの質問にシンディーが答えることはなかった。なぜなら、立ちあがった瞬間に彼女の意識は途切れたのだから。
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