「ムーンプリンズ!」
「イカカカカカッ!」
放課後の野球部のグラウンドに、妙な笑い声が響きわたる。その声の主は体長二メートルあろうかというイカであった。
「やりなさい、ホタルイカ!」
イカが命令すると、彼の背後からまたまたイカが現れる。よく見てみると二体の形状がちがうような気もしなくはないが、イカの外見のちがいなんてよくわからないというが本当のところであった。
「イカーッ!」
ホタルイカと呼ばれたイカは雄叫びをあげると、足を突きだす。すると先端からは光が瞬き、光の線を紡ぎだす。
光線はまっすぐに伸びて、硬式ボールの入った籠に命中し、爆発した。
そこに至って、このグラウンドにいる学生たちは、あのイカたちが危険な存在であることを自覚する。そうなると、あとは全員が逃げまどうだけであった。
その間にも、ホタルイカは足から発射される光線で、ボールの入った籠を次々と焼き払い、グラウンドを穴だらけにしていく。
「やめろ!」
多くの学生が逃げまどうなか、一人の学生がホタルイカのまえに立ち塞がる。赤毛に精悍な顔つきと体格の少年で、とにかく女の子にモテそうな雰囲気である。
「ここはみんなの野球グラウンドだ! なんで、こんなひどいことをする!」
赤毛の少年は思いの丈を、ホタルイカにぶつける。しかし、ホタルイカは「イカカカカカッ」と嘲笑するだけであった。
「貴様――貴様になにがわかる……、テリー・ベイカー!」
ホタルイカがテリーに足を一本向けていいはなつ。
「な、なに?」
よくわからないまま、ホタルイカの迫力に、テリーはたじろぐ。
「わからないなら教えてやろう。なにを隠そう、オレは田中一郎なのだー!」
その名前に野球部のグラウンド全体に驚愕の叫びが響いた。
「そういや、朝から見かけないと思ったら……」
「レギュラーなのに微妙に影が薄いんだよな……」
「でも、なんであんな姿に?」
グラウンドの影から、ヒソヒソ声が飛び交う。しかし、それでもホタルイカはテリーから顔を背けることなく、彼をまっすぐに見つめていた。
「イカカカカカッ。オレがこんな姿になったことを一から懇切丁寧に貴様に語ってやろう」
そういいながら、ホタルイカはなにかを懐かしむような表情で、晴天の空を見あげた。
「あれは三日前の下校時間直前のことだった――。オレはあの日たまたま忘れ物をして、部室に立ち寄った。そしたら、オレは見てしまった。お前と野球部マネージャーの浅田南が逢い引きをしているところを!」
その告白にグラウンドから、さらに「えーっ!」という声が何重にも重なって、響きわたる。
「そ、それがなんだというんだ! 学生同士の恋愛は自由のはずだ!」
「そんな優等生さまのセリフはいいんだよ! いいか? 貴様のなにが許せんというのはだな。普段から女にモテモテのくせに、よりにもよってオレたち野球部のアイドル浅田南と付きあっているということなんだよ!」
そのホタルイカの叫びに、あたりから結構な同意の声があがる。
「男は誰もがお前のように女にモテたいと思っているんだ。ましてや、浅田南はオレたち野球部の憧れ……。貴様はただでさえ地味で目立たないオレから心の安息まで奪おうとしている! そんな貴様をオレは許すわけにはいかんのだ!」
「田中、お前ってヤツは……!」
ここいらが我慢の限界だったテリーは腕をわなわなと震わせながら、ホタルイカに掴みかかろうとした矢先――、ホタルイカの足から光線が放たれ、テリーの後方で爆発が起こった。
「いっておく。オレをいつもの地味で目立たない田中一郎じゃない。いまのオレはイカエビルさまの忠実な僕、ホタルイカだ」
「くっ」
光線の威力をあらためて見せつけられ、テリーは萎縮してしまう。本来なら、この場で逃げだしたいところであったが、足がすくんで動いてくれない。救いといえば、それを勇敢な行為とまわりが勘違いしてくれていることだろうか。
浅田南のことで批判はあっても、おかげで野球部エースとしての威厳は保てていた。
「おい。浅田南をここに連れてこい」
「……どうして、そんなことを要求する?」
テリーの質問に、すぐさま返ってきた返事は、ホタルイカの重いパンチの一撃であった。腹をえぐるような一撃にテリーは、ただ吹っ飛ばされるしかなかった。
「勘違いするな。オレはお願いしてるんじゃない。命令してるんだ」
ホタルイカはテリーにいったつもりだろうが、テリーは白目剥いたまま、あお向けに倒れており、その言葉が届いているかは定かではない。
すると、そんなテリーに人影が一つ駆け寄っていく。
「ベイカー先輩!」
髪を短くまとめて、はつらつとした雰囲気の少女であった。彼女がおそらく浅田南であろう。
「ひどい。どうしてこんなことをするの……? ベイカー先輩がなにをしたっていうの!」
南を気を失ったテリーを庇うようにして抱き寄せる。
「そいつはオレの夢を奪った。だから、オレはこいつからすべてを奪うと誓ったまで」
ホタルイカがそんな二人を目指して、ゆっくりと迫ってくる。
「どうして田中くんがそこまでするの? 私の知っている田中くんはとってもいい人だったはずよ」
思わず口走ってしまった南の一言に、まわりの空気が一斉に凍りついた。
「……そんな下手な慰めはいらないんだよ! いいか! オレは好きな女に『いい人』なんていわれて喜ぶ、安い男じゃねえんだよ!」
ホタルイカが激昂し、南を足を使って強引に引きよせる。
「いやあああ!」
叫ぶ南に、木陰に隠れている部員たちも身を乗りだして南の名前を呼ぶ。だが、実際は呼ぶだけで行動にまで至らず、肝心の彼氏であるテリーも気絶しており、もはや身を張ってまで彼女を助けようとする者はいない状態であった。
「オレは知ってるぞ! 南ちゃんとテリーはまだキスもしていないプラトニックな関係だということをな! 『次の試合で俺たちが勝ったら、そのときに俺のファーストキスの相手になってくれ』だとぅ?
ふざけんじゃねえ! 貴様の××にはホントに××××がついているのか! 男なら、躊躇するんじゃねえ! 攻めて攻めて攻めまくれよぅ!」
なぜか後半から泣きが入りだすホタルイカ。その目から流れる涙はきっと塩辛いのだろう。
「だから! 決めたのだ! いつかすべてが奪われるのなら、この場でオレが一切合切いただくと!」
ホタルイカが口らしきものをちらつかせると、ゆっくりとだが、確実に南の唇に向かっていく。美女と軟体動物のキスシーンがロマンチックに映るわけもなく、それははっきりいって気持ち悪い光景でしかない。
「いやよ! ファーストキスの相手はベイカー先輩って心に決めていたのに!」
そんな南の懇願もホタルイカにとっては知ったことではない。いまは、憧れの女の子にキスができるという幸福感に頭が完全に支配されている状態であった。
まさにホタルイカと南の唇が重なろうという瞬間であった。
「ちょっと待ちなさーい!」
どこからともなく声が響きわたり、それと同時に二筋の影が突然現れて、ホタルイカを吹き飛ばす。
「見苦しい真似はそこまでよ!」
二筋の影の正体は二人の少女であった。一人は金髪で赤いセーラー服を着ており、もう一人は黒髪に白を基調にしたセーラー服を着ていた。
「きましたね、ムーンプリンズ」
イカが待ちわびたとばかりに笑みを浮かべる。
「やっぱり、イカエビル! あなたの仕業だったのね!」
金髪の少女がイカを指さす。
「イカにも! すべては私の野望成就のため!」
その言葉に、まわりは「なんのこっちゃ」という白けたような空気が漂うだが、イカはまるで気にした様子はなく、むしろ誇らしげであった。
「どうでもいいけど、毎日毎日こんなことばっかりしてて飽きないの?」
「飽きるなどとは愚問ですな。それより、よそ見をしていて大丈夫ですかな」
「なんですって?」
イカがニヤリと笑うと、光線が金髪の少女の頬を掠める。
「今回のホタルイカは、いままであなたがたが相手をしてきたイカとは一味ちがいますよ。果たして君たちに彼の煩悩が破れるかな?」
光線の弾道を辿っていくと、そこにはホタルイカが凄まじい形相で二人を睨んでいた。
「オレのささやかな望みを邪魔する者は誰であろうと許さん!」
ホタルイカは複数の足を束ねて、その先端に光を集めていく。
「彼は体内にある発光成分を自在に操ることで、足の先端から一種のビーム兵器を撃ちだすことができるのです!」
イカが得意気に説明をする。その間にも、ホタルイカの足の先端には光が溜まっていき、次第に肥大化していく。
「必殺! 『イカレーザー』!」
叫びとともに大口径のレーザー砲が二人の少女にめがけて解き放たれる。あまりの光量にあたりはフラッシュバックして、目も開けてられないような状況だ。そして高熱から発せられる衝撃はすべてを飲みこみ、あるいは破壊していく。こんなものの直撃を受ければタダでは済むまい。
光が収まると、レーザー砲の弾道にそって地面がえぐれているだけで、それ以外は草木も残っていなかった。
「ふっ。このオレの前に立ち塞がろうなどと考えなければ長生きできたものを……」
ホタルイカがニヒルな笑みを浮かべたときである。
「勝手に殺すんじゃないわよ!」
上空から、凛とした少女の声が響きわたる。
「イカッ?」
ホタルイカは釣られるように空を見あげると、黒い影が二つちらつくのが見えた。
その影は徐々に大きくなっていくにつれて、二つの影があの少女たちであることに気づかされる。
気づいたときには、もはや手遅れで「はっ!」と二つの少女の声が重なり、ホタルイカの胴に二つの拳が突き刺さる。
「うぎゃああぁぁ!」
その痛みに耐えきれなかったのか、ホタルイカは駄々をこねる子供のようにのたうちまわり始める。
「大技なんてのは気軽に使えないから大技っていうのよ。覚えておくことね」
赤いセーラー服の少女が「ふふん」と鼻を鳴らす。
「バーナ……コーラル、油断しないでくださいね。相手はまだ健在ですから」
白いセーラー服の少女が赤いセーラー服――コーラルと呼んだ少女に注意を促す。
「そんなこと、貴咲――パールにいわれなくてもわかってるわよ!」
だが、コーラルはパールと呼んだ白いセーラー服の少女の言葉は聞こうとせずに、倒れているホタルイカにトドメとばかりに向かっていく。
「ふぬぅ~! このオレを舐めるなよ!」
まさに、その矢先――。激昂したホタルイカが不死鳥の如く蘇る。
「このオレ、田中一郎のあだ名である『マウンドの奇術師』という由来をその体にたっぷりと教えこんでくれるわ!」
ホタルイカは足に再び光を溜めこんでいく。
「またビーム? 何度も同じ手は――」
コーラルはホタルイカの足先から弾道を読もうとする。が、ホタルイカは光線を撃たずに足に溜めた光を球状にして、コーラルに投げつけたのである。
まっすぐ飛んでくるにあわせて、横に避けようとする。しかし、それを計ったかのように球状の光はコーラルを追うようにカーブした。
「な……!」
カーブした光の玉はコーラルの腹に命中し、弾け飛ぶ。当然、コーラルもその衝撃に後方に飛ばされてしまう。
「イタタ……。」
先ほどの拍子に頭を地面に打ってしまったらしいコーラルは頭をさすりながら、よろめきながらも体勢を整えようとする。驚くべきことは、それ以外に特に外傷が見当たらないということで、セーラー服もススがついた程度で、破れもしていなかった。なんとも信じられない耐久性である。
「オレは中学時代より特訓を重ね、七つの魔球を習得した。そのおかげで光の玉――『イカボール』のコントロールも思いのままよ!」
ホタルイカは先ほどのダメージの抜けきっていないコーラルに、容赦なく光の玉を撃ちだす。
コーラルはなんとか避けようと、片足を踏ん張って立ちあがろうとする。だが、イカボールの速度に対して、あきらかに反応が遅れていた。
すると、パールがコーラルと光の玉の間に割って入る。
光の玉は庇うようにして現れたパールに着弾すると、爆音を響かせ、閃光をまき散らす。
「バカめ! 仲間を助けるために自分を盾にするとは……愚かなり!」
ホタルイカが嘲笑する。
「……果たして、そうでしょうか?」
光が収まり、もくもくと立ちこめる煙も晴れていくと、純白のセーラー服を泥だらけにした少女の像が浮かびあがっていく。
「ふん。強がっていられるのもいまのうちだ」
ホタルイカは一笑に伏し、今度は光の玉を五つ作りだし、パールに向けて投げつける。
それに対して、パールは残っていた煙をすべて打ち払うと、両手をクロスして地面につける。
「イカカカカカッ。『イカボール』の餌食になるがいい!」
豪速で向かってくる光の玉、それに対してパールはなにを思ったのか、逆立ちし、足を広げて高速でスピンをはじめる。
すると光の玉はスピンをしている足で弾かれ、弾道はあさっての方向へ逸れていく。しかし、それでも向かってくる光の玉は三発あった。
そこでパールはスピンをやめて立ちあがり、右脚を振りあげる。そして、一つ目の光の玉をかかとでいなしがら、横まわしして、逆にホタルイカへ向けて撃ちだした。
それと同じ要領で、二発目は右手で、最後は右脚で返す。
まるで、舞踊をしているような無駄のない動きにまわりから感嘆の声が漏れた。
たった、一人――ホタルイカだけは、まさか自分の攻撃が跳ね返ってくるとは、露とも思っていなかったので、驚き、慌てふためいていた。
「ぎょわえええぇぇ!」
光の玉は、三発ともが見事にホタルイカに直撃し、爆発を起こす。
「彼の攻撃法から、一見すると光の玉もビーム兵器の一種と思わされそうですが、それは実はフェイク。正体は発光する粘膜で火薬を覆ったモノ。……ちがいますか?」
問いかけても答えは返ってこないであろうホタルイカに代わって、パールはイカに問いかける。
「……イカカカカカッ! イカにも、そのとおり! さすがはパール。それを確かめるためにコーラルを庇い、あまつさえはカウンターにまで利用するとは抜け目がない」
イカは「お見事」といわんばかりに、パールへ賛辞を贈る。
「お、おのれ~……」
しかし、すべてが終わったわけではなかった。なんと、先ほどの攻撃にかろうじて耐えきったホタルイカがのろりとではあるが、立ちあがったきたからである。
「そろそろ、このあたりでキメてしまいましょう。コーラル!」
「当然!」
パールの呼びかけに、コーラルが答える。
「オレは浅田南とキスをするまで、絶対に負けんぞーっ!」
まずはコーラルが駆けだす。ホタルイカも近づかせまいと、光線の弾幕を作りだす。
「こっちはロクな活躍がないんだから、キメだけはさせてもらうわよ!」
しかし、コーラルは弾幕に少しも恐れず、強引にかいくぐっていく。だが、それはホタルイカの罠であった。
「イカカカカカッ! オレがなんの策もなく、ただビームを撃ちまくっていたと思ったか!」
弾幕がやんでコーラルは、ホタルイカがレーザー砲を撃つ準備をしていたことに気がつく。ビームの弾幕はただの目くらましだったのだ。
「しかも、この距離から撃たれれば避けることはもはや不可能! さあ、喰らうがいい!」
「くっ」
間もなくレーザー砲が発射されようとしている。距離的に攻撃することも避けることもできないことに、コーラルは歯ぎしりすることしかできない。
しかし、そんな状況でもパールは動きを止めなかった。
「もう、遅いわ! 『イカバスター』はっしゃぁーー!」
ホタルイカから大口径のレーザー砲が発射されると同時、パールは跳びあがる。が、ホタルイカのところまで行くには、あきらかに飛距離が足りない……と思われたが、着地場所に都合よくいたコーラルの頭上に跳び乗り、そこから、また跳びあがった。
「わ、私を踏み台に――」といいかけようとして、コーラルは光の奔流に飲まれてしまう。
「これこそがチームワークです!」
「ウソをつけ!」
思わずツッコミを入れるホタルイカ。しかし、頭上をとられて余裕がないのはホタルイカのほうであった。
「いきますよ! 必殺『芋ようかん』!」
パールがそう叫ぶと、右脚が白い光に包まれる。白い光を帯びた足は吸いこまれるように、ホタルイカの頭上へめりこみ、やがてはあたりを青白い閃光が包みこんだ。
ポップコーンの弾けたような音がして、やがて光が拡散していく。すると、グラウンドにはパールと素っ裸の男子学生が倒れていた。
「やりますね、ムーンプリンズ。ですが、次はこうはいきませんよ」
イカは捨てゼリフを残すと、「イカカカカカッ」と笑いながら、逃げ去っていく。
それを見届けるとパールは安堵のため息をつき、戦場になった野球グラウンドを見わたす。
そこは野球グラウンドというより、荒涼とした荒れ地と表現するほうが適切かもしれない。これを修復するのにいったいどれだけの費用と時間がかかるのだろうか。
しかし――。
「まあ、なんとかなるでしょう」
いまのパールはシャワーを浴びることで、頭がいっぱいなのであった。
お読みいただきありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。
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