息子の日記を発見したから読んでみた
私の名前は神成 善太郎。来月、息子の結婚式を控える父親だ。今日は会社帰りに居酒屋で一人飲みしている。いつも飲みに行くときは同僚や友人と一緒だが、今日は事情があって一人だ。
息子の結婚のことを知ったのは今から1カ月前、妻から「博が結婚するらしいよ」と聞いた。実に事務的な連絡だった。
息子は大学進学と同時に一人暮らしを始めた。それから約20年、私たちは一緒に住んでいない。娘だったら実家に帰ってくるのだろうけど、息子は用事がなかったら実家には帰ってこない。だから、息子と会うのは冠婚葬祭くらいだ。顔を合わせる頻度は2~3年に1度だろう。会ったところで何を話していいか分からないから、大した会話はないのだが。
息子の年齢は39歳。約20年一人暮らしをしているから完全に自立している。だから、息子が生活していくうえで私や妻の助けは必要ない。用事がなければこちらから連絡しないし、むこうからも連絡してこないから自然と疎遠になる。
念のために言っておくと、私は息子と決して仲が悪いわけではない。会えば話をするし、用事があれば連絡もする。
が、長年離れて暮らしているから、私は普段息子のことを忘れている。私が妻と話していても、息子のことが話題に上ることは稀だ。
息子が30歳を過ぎるまでは『そろそろ結婚するのでは?』と私と妻は薄っすら思っていたのだが、そんなそぶりはなかった。付き合っている彼女を紹介されるでもなく、結婚に関する話題が息子から出たことはなかった。だから、私と妻は、息子は結婚する気がないのだと思っていた。今になってなぜ結婚する気になったのかは分からない。謎だ・・・
結婚しなかった息子について、私はいろいろと推理していた。ミステリーが大好きだから。
まず、私が疑ったのは既婚者との不倫だ。夫と子供がいる女性と付き合っていて、不倫女性から『子供がもう少し大きくなるまで夫とは離婚できない』と言われ。そのままズルズルと…。
そんな感じだと予想していた。妻に聞いてみたら、そういう女性と付き合ってはいないらしい。私の推理は外れた。
次に疑ったのは息子の性的嗜好だ。ゲイとかトランスジェンダーとか。最近はオープンな家も多いと聞くから、そのうちカミングアウトされるのではないかと思っていた。でも、これも違った。この時点で私の推理は0勝2敗。
脱線したから話を戻そう。私がなぜ居酒屋で一人飲みをしているのか?
理由は息子の高校時代の日記を見つけたからだ。息子が一人暮らしを始めてからも、息子が使っていた部屋はそのままにしてあった。息子が結婚することになったから、妻が「部屋の荷物はどうするつもり?」と確認したら、「必要なものはないから処分してほしい」と息子は言ったらしい。さすがに全て処分するのはどうかと思ったから、私と妻は息子の部屋に入って廃棄するものと残しておくものを整理した。その時に、私は息子の高校時代の日記を発見した。妻には日記を見つけたことを言っていない。
息子が捨ててもいいと言った日記だから私が読んでもいいのではないか、と思う。それでも、いくら息子とはいえ他人だ。だから、他人の日記を読むのはダメだ、とも思う。どっちやねん・・・
「家で読めばいいんじゃないか?」と思う人がいるかもしれない。でも、家で息子の日記を読んでいる時に、妻が私の部屋に入ってきたとしよう。私は見られるとマズいから日記を隠す。すると妻はこういうだろう。
「なに見てた?」
「別に・・・」
「別にって・・・やましいことでも、あるんとちゃう?」
「ないない。全然ない」
「じゃあ、見せーや」
「いややー」
エロ本を母親から隠す中学生のようなシーンが想像される。そして、エロ本でもないのに妻にエロ本を隠したと思われるのだ。息子の日記であることを言えないばかりに、あらぬ疑いを掛けられてしまう・・・
だから、私は一人で居酒屋にいる。
息子の日記を読む罪悪感から、お酒の力を借りようと思ったのも理由の一つではある。
同僚と一緒に息子の日記を読むわけにいかない。だから一人居酒屋。
店内を見渡すと、私のように一人飲みをしている男性がそれなりにいる。今まで気にしていなかったのだが、家で寂しく一人酒よりも、にぎやかな雰囲気を味わえるから一人で居酒屋にくるのだ。また一人で来てみようかな?
さて、私は今まさに息子の日記を開こうとしている。こんなことをする奴は人間のクズだ。とは言え、所詮、息子の日記。娘の日記をこっそりと読む父親に比べれば100倍マシだ。
そう、私は娘の日記を読む父親の100倍マシな父親なのだ!
そして、私はこの日記が息子の結婚の謎を解くための糸口になるような気がしている。ミステリー小説を愛読する私の勘がそういっている。
だから、私は息子の日記を見る。固い決意を持って。
私は息子の日記を開いた・・・
***
私は息子の日記の記念すべき1ページ目を開いた。
【5月7日(日) 今日から日記を書くことにした。ゴールデンウイークが終わって明日から学校。オオシロに明日会えるかな?】
日記の最初は高校2年生の5月7日から始まっている。何とも中途半端な日記のスタートだ。新学期が始まる4月でもなく、ゴールデンウイークの最終日。きっと雑誌か何かに『日記をつけるといい』と書いてあったのだ。
そういえば、私も高校生の時に日記を書いたことあった。交換日記だ。当時付き合っていた女の子が「交換日記をしよう!」と言ってきて、1週間くらい交換日記をした記憶がある。
知らない人のために説明すると、交換日記は一方が日記を書いた後、もう一方に日記を渡す。受取った側は日記を書いて、次の日に日記を渡す。この繰り返しが延々と続くシステムだ。
だから、1週間交換日記をしたものの、私が書いた交換日記は正確には3回だけ。彼女→私→彼女→私→彼女→私だったかな?
彼女は毎回1~2ページの日記を書いていたが、私の日記は1~2行だった。その結果、「私ばっかり書いてて、不公平!」と怒られて、私たちの交換日記は終わった。
交換日記の終わりとともに、彼女との関係も自然に消滅していったのだ。今思えば、私が交換日記をまじめに書いていれば、彼女との交際はもう少し長く続いたのではないかと思う。
まあ、私のことはどうでもいい・・・
まず、私は初めての日記に登場した謎の人物『オオシロ』に着目する。『くん』も『ちゃん』も付いていない。呼び捨て、ただの苗字。この書き方だったら男子も女子もありえる。
でも、私はほぼ女子だと確信している。だって、同級生の男子に『明日会えるかな?』とは書かない。息子はゲイではないことは妻から確認したから、『オオシロ』は女だ!
私のミステリー小説の経験値がそう言っている。
私は息子の高校時代の交友関係を把握しているわけではないから、このヒントだけでは『オオシロ』に辿り着くことはできない。でも、息子の部屋に置いてある卒業アルバムを見れば『オオシロ』を探し出すことができる。
私は家に帰ったら卒業アルバムで『オオシロ』を探すことにした。
私は次のページを捲った。
【6月5日(月) ほぼ1カ月ぶりの更新です。アッちゃんがバスケ部のナオと付き合い始めた。高校二年になるとまわりが彼女持ちになっていく。俺も頑張るか】
2回目の日記が前回から1カ月後。私の息子は根気がないタイプだ。親としてあまり感心はできないが、まあ、私が日記を毎日付けるかと聞かれると、無理だ。交換日記も1週間で終わった。3回しか書いてない。私の息子であることを考慮すると、月1更新は不自然ではない。
日記に出てくる『アッちゃん』は男子だ。何度か家に来たことがあるから覚えている。その友人に『ナオ』という彼女ができて息子が焦っている。
部活帰りに一緒に帰っていたのに、彼女ができると彼女と帰るようになる。友人として寂しい気持ちもあるが、応援してあげたい気持ちもある。複雑な心境だったろう。私にもそんなことがあった。
高校時代の友人のタナカが女子から凄い人気だった。学校内の女子はもちろん、他校の女子からも告白されていた。バレンタインデーにタナカからチョコレートを分けてもらったことがある。あれは、屈辱的な思い出だ。
そんなタナカは2~3カ月サイクルで彼女が変わっていた。前の彼女と別れて次の彼女と付き合うまでの僅かな間だけ、私はタナカと一緒に帰っていたような気がする。
タナカの前の彼女と次の彼女が、時期的に被っていなかったかどうかは私には分からない。二股がバレるといけないから意図的に、タナカは私と一緒に帰る期間を挟んでいたような気もする。今になって思えば、私は、二股がバレないために利用するタナカの友人Aだったのかもしれない。
私の話はどっちでもいい・・・
ここにはヒントがなさそうだから、私は次のページを捲った。
【6月23日(金) 2週間ぶりの更新。今日はアキラから将来の夢を聞いた。建築士になりたいらしい。俺もそろそろ進路を考えた方がいいのだろう?】
3回目の日記は進路についてだ。高校生っぽくて好感が持てる。この後、息子は大学に進学して、今は商社で働いている。この時点で真剣に進路を考えていたかは分からない。
私も高校時代に明確に進路を考えていなかったし、息子を批判すると自分にブーメランのように戻ってきそうだ。
次いこう、次だ。
【7月14日(金) 来週から夏休み。部活の合宿があるし、アキラたちと海にいく約束をした。それに、アッちゃんに誘われたから夏期講習に申し込んだ。遊びも勉強も忙しくなりそうだ】
私は4回目の日記を見ながら考えている。今さらなのだが、この日記を見続ければ、本当に息子のことが分かるのだろうか? 私は自分のミステリー的な勘に自信がなくなっている。
日記には表面的なことだけが書いてある。本人の心情は書かれてない。
勝手に息子の日記を読んでいる私が言うのも何だが、ちょっと飽きてきた。
――そろそろ恋バナが出てこないかな?
私は恋バナを期待してページを捲った。
【7月20日<木> 明日から夏休み! 最終日だから勢いでオオシロに告白してしまった。少し考えさせてと言われた。正直、ダメかもしれん…。オオシロは背が高くて俺と身長が同じくらい。バランスが取れていない? それが理由?】
キマシタワー!
5回目にして出てきた恋バナに私は興奮している。
私はミステリー好きだといったが、少し訂正させてほしい。ミステリーと同じくらいラブコメが好きだ。高校時代の息子の恋愛だけど、ラブコメ好きの私が興味を持たないわけがない。『No恋愛 No高校生!』が私のモットーだ。恋愛しない高校生は、高校生にあらず。
この日記が書かれた時点の私は、高校生の息子の父親だ。当時の私は『高校生として清く正しい交際を!』とか『勉学を疎かにするな!』とか『肉体関係は責任が持てる年齢になってから!』とか固いことを言ったかもしれない。振り返れば、あの時の私はラブコメに目覚めていなかったんだ。だが、今の私はこの日記を微笑ましく見ている。
正確に言えば、凄い興味がある反面、恥ずかしい気持ちも混じっている。オジサン心は複雑なのだ。
さて、息子が告白した相手は日記の記念すべき第1回に登場した『オオシロ』。やはり息子の意中の女子だったか。私の推理もなかなかなものだ・・・
ちなみに、夏休み前には告白する学生が増えると聞いたことがある。正確に言うと、最近見たラブコメで登場人物の一人がそう言っていた。
夏休みに入る前のタイミングで告白しないと、夏休みの間に狙っていた女子が他の男と付き合ってしまうかも、というのが理由らしい。
夏休みが終わったら全く別の男子や女子になっていることがある。『あっ、コイツ女になったな!?』みたいな経験は男なら誰でもあるだろう。だから、この意見(登場人物の見解)は正しい。そして、息子の判断は正しかったと思う。
今から電話して「よくやった!」と息子を褒めてやりたい、と私は思っている。日記を勝手に読んでなければ、の話だ。
とは言うものの、現時点では息子と『オオシロ』が付き合うかどうか分からない。ぬか喜びは禁物だ。
次に進もう。
【7月24日<月> オオシロと付き合うことになった。なかなか返事がなかったからダメかと思っていた。良かった。夏休みだし、オオシロをどこかに誘ってみる】
どうやら息子は無事にオオシロと付き合うことができたようだ。夏休み前日に告白するという息子の判断は正しかった。良かったな、息子よ!
私は再び「よくやった!」と電話したい衝動に駆られたが、グッとこらえた。
それにしても、オオシロはどういう女の子なのだろうか?
息子の結婚相手の苗字はオオシロではない。だから、息子はオオシロと付き合ったものの、しばらくして別れた。高校時代に別れたかもしれないし、息子が他県にある大学に進学したから大学に進学するタイミングで自然消滅したかもしれない。
出会いがあれば、別れもある。それが青春だ!
私は次のページをめくった。
【8月4日<金> オオシロと花火大会に行った。屋台で売っていたイヤリングをプレゼントした。安物だけど何もないよりはマシだ。俺は普段着で行ったけど、オオシロは浴衣を着ていた。花火大会から帰る途中でオオシロが歩けなくなった。下駄が痛かったらしい。だから、家の近くまでオオシロをおぶって帰った。優しい彼氏をアピールできた?】
日記に書いていないから、この花火大会が初デートかどうかは私には分からない。でも、付き合いたてのカップルとしては悪くないデートだ。お父さんは息子を誇りに思うぞ。
私には息子が親切心からオオシロをおぶったかどうかは分からない。最初だけ優しい男は履いて捨てるほどいる。
それに、単に双丘が背中に当たる感触を味わいたかっただけかもしれない。男子高校生は、言ってみれば下半身が歩いているようなものだから・・・
とはいえ、私は息子とオオシロの関係を静かに見守ることにした。
私は次のページを捲った。
【8月12日<土> 部活帰り、オオシロと一緒に帰った。公園で座って話をしていたときにキスした】
えっ? そんなことを日記に書くの?
私はこれ以上読み進めていいものか再考する。これ以上のこと(濡れ場的な?)が日記に書いてあったら、私はどうすればいいのだろうか・・・。まあ、もしそういうシーンが出てきたら、その時は、さっとページを閉じよう。プライバシーは尊重すべきだ。
まず、息子がオオシロと付き合ったのが7月22日。ファーストキスが8月12日だとすると、付き合って何日目だ?
だめだ、混乱して日数が数えられなくなっている・・・
7月は31日まであるから、31-22+1で10日、8月の12日と足したら・・・22日目か。
高校生がキスするタイミングとして早いのか遅いのか分からない。付き合っているし、息子の世代はこれくらい(付き合って22日目にファーストキス)でいいのだろうか?
我が家では毎年8月13日に墓参りに行っていた。だから、この日は墓参りの前日。
前日にこんなことがあって、息子はニヤニヤしながら墓参りしていたのだろうか?
お盆前日のファーストキス。ロマンティックではないな・・・
その年の墓参りに息子とどんな話をしたか、全く記憶にない。まあ、20年以上前だから覚えているわけないか。
私は改めて日記の内容が過激になってきた場合の対応策を考える。
キスの先はどういうことをするのか?
大人の私は当然知っている。私はこの先を冷静に読めるだろうか? それとも、そういう微妙な箇所をすっ飛ばして日記の最後に進むべきだろうか?
迷ったものの、私はもう少しこのまま読み進めることにした。そういうシーンが出てきたら、その時考えればいい・・・
私は次のページを捲った。
【8月23日<水> オオシロがケガをしていた。理由を聞いても教えてくれなかった。何があったんだろう?】
私も高校生の時に何度か喧嘩したことがある。当時は、ビー・バップ・ハイスクールが流行っていた。あの漫画のおかげで日本中にヤンキーが溢れかえっていた。今思えば、あれは一種の中二病だったと思う。それにしても、すごい時代だった・・・
おっと、話が逸れたな。
今は道端で喧嘩したりしないだろう。それに、喧嘩するのは男子高校生の話だ。オオシロは女子高生。
もし、家庭での虐待やイジメだったら・・・この先を読むのが躊躇われる。
私はオオシロのことを何とかしてあげたいのだが・・・
私は次のページを捲った。
【8月28日<月> オオシロと部活が終わったら一緒に帰る約束をしていたのに来なかった。勇気を出して家に電話したけど誰もでなかった。どうしたんだろう?】
オオシロは息子との約束をすっぽかした。いや、急に予定が入ったものの連絡できなかったのか? 息子が高校生の時は、まだ携帯電話がなかったはずだ。だから、今みたいにすぐに予定変更の連絡ができるわけではない。
オオシロは息子に連絡しようとしたけど連絡手段がなかった・・・かもしれない。
そういえば、私が駅で待ち合わせをする時に、何度か伝言板を使ったことがある。かつて、凄腕スナイパーが使っていたアレだ。その凄腕スナイパーは新宿駅東口の伝言板に『XYZ』と書いた依頼人の依頼を解決していた。
息子の高校に伝言板はあったのだろうか? 多分、ないな・・・
この話は別にいい。次にいこう。
【9月1日<金> 新学期の登校日。オオシロのクラスを覗いてみたが、学校に来ていなかった。風邪でも引いたのか?】
【9月4日<月> 今日もオオシロが学校に来ていなかった。バスケ部の同級生にオオシロのことを聞いたけど、知らないと言われた。どうしたのだろう?】
【9月5日<火> 今日もオオシロが学校に来ていなかった。担任の先生にオオシロのことを聞いたけど何も知らないと言われた。家に電話したけど誰も出ない。明日、オオシロの家に行くことにする】
【9月6日<水> オオシロの家に行ってみた。住所はバスケ部の同級生に聞いた。インターホンを何度か押したけど返事がなかった。どこにいった?】
担任や同級生に何も言わずにオオシロは消えた。
失踪したのか? それとも、事件に巻き込まれたのか?
とにかく普通ではない状況なのは分かる。
失踪していたとしたら、息子との待ち合わせに来なかった8月28日の時点か?
8月23日の日記にオオシロがケガをしていた、と書いてあった。
オオシロは何かの事件に巻き込まれたか?
スマートフォンで当時の事件を検索してみたが、この町の事件は何も出てこなかった。
事故か? 事件か?
とにかく私はオオシロのことを心配している。
オオシロの無事を祈りながら、私は次のページを捲った。
【9月8日<金> オオシロが学校にやってきた。この前のようなケガをしている。シャツの下からアザが見えた。オオシロは転んだと言っていたが嘘だ。俺が何度聞いても、オオシロは教えてくれない】
よかった・・・オオシロはとりあえず無事だ。それに、失踪したわけでもない。
でも、目立たない部分に痣があると書いてある。喧嘩による外傷ではなさそうだから、可能性があるとすればイジメや虐待か?
私はオオシロを助けてあげたい。が、息子が厄介事に巻き込まれることも避けたいと思っている。自分勝手なものだ。親心とは複雑だな・・・
と言っても、この日記に書いてあるのは20年以上前の出来事。息子は今も生きているから、息子に命の危険はなかった。オオシロは無事なのか?
私はオオシロをとても心配している。
【9月13日<水> オオシロからしばらく学校を休むと言われた。しつこく理由を聞いた。けど、オオシロは何も言わなかった】
【9月15日<金> 理由を聞きたかったからオオシロの家に行った。インターホンを押すと知らない男がでてきた。オオシロは兄弟がいないと言っていたし、年齢から推測するに父親ではない。オオシロのことを聞いたら、「ここにはいない」と男に言われた。家を間違えた?】
【9月17日<月> オオシロの家を教えてくれたバスケ部の同級生に、オオシロの家の住所を確認した。そしたら、俺が行った家であっていた】
【9月18日<火> オオシロの家にもう一度行った。インターホンを押しても誰も出てこない。家の中に誰もいないことを確認してから、窓ガラスを割って中に入った。家の中は荒らされていて、タンスや引き出しの中身は全て床に放り出されていた。この前会った男がやったのか? 警察に知らせた方がいいのか?】
私がミステリー好きでなかったとしても、オオシロが何かの事件に巻き込まれたと思う。それくらい、状況は深刻だ。
それにしても、息子は危ないことをしたものだ。もし、ここを荒らした犯人に息子が遭遇したら? そう思うと気が気ではない。まあ、日記に書いているから息子は無事に帰ってきたようだ。でも、あまり危険なことはしないでほしい。
それに、他人の家の窓ガラスを割って侵入するのは立派な犯罪行為だ。息子の焦る気持ちは理解できるが、親としては法に触れない方法でなんとかしてもらいたい。
警察に知らせるかどうか、迷う気持ちは分かる。ガラスを割って家に入ったのだから、警察に連絡したら息子が犯人だと疑われるかもしれない。息子はこの件を警察に知らせたのだろうか?
私はページを捲った。
【9月19日<水> 俺がオオシロに会ったのは高校2年生になってから。それより前のオオシロを俺は知らない。オオシロは自分のことを話したがらないから、俺はオオシロのことをあまり知らない。バスケ部の同級生の数名にオオシロのことを聞いてみた。オオシロは高校1年の2学期に転校してきたそうだ。前の学校のことは知らないと言っていた。オオシロとはそこまで長い付き合いではなかったらしい】
【9月20日<木> またオオシロの家に行った。家の中には誰にもいなかった。この前侵入した時にドアにチラシを挟んできた。チラシがそのままだから、前回俺が侵入してから誰も中には入っていない。この前は気付かなかったけど、オオシロの家の床には日本語ではない本が何冊も転がっていた。英語、中国語、他にも何種類かあったが何語で書いてあるのか俺には分からなかった。オオシロはどこにいった?】
私はオオシロの安否をとても心配している。できるなら今すぐ息子に電話して確認したい。
オオシロは何かの事件に巻き込まれている。外国の書物が床に散乱していたとすると・・・オオシロの家族は外国のスパイか? そして、公安に追われて姿を隠した。
似たような展開を映画で見たことがある。ショーン・コネリーが初代を演じ、歴代俳優に引き継がれているスパイ映画。当時の私はMI6に就職するために英語の勉強をしたものだ。私の話は関係ないな・・・
私は日記の次のページをめくる。
【9月29日<金> 今日もオオシロが学校に来ていなかった。このままオオシロと会えなくなるのか?】
【10月16日<月> あいかわらずオオシロは学校に来ない。誰もオオシロの話をしなくなった。みんなオオシロのことを忘れてしまったのか?】
【11月3日<金> オオシロがいなくなってから2カ月が過ぎた。オオシロの行方はまだ分からない。正直、これ以上どうやって調べればいいか分からない。困った】
オオシロは失踪したまま見つからない。私は失踪した人間を探す手段を考えてみる。
失踪した人間は住民票を異動させないし、失踪した人間は引っ越しの手紙を送ってこない。何かの書類から居場所を特定するのは難しい。探偵を雇うにしても、それなりに金が掛る。
それに、この時の息子は高校生だ。高校生ができることは限られる。
オオシロは無事だったのだろうか?
その後、日記は1~2カ月ごとに更新されていたが、オオシロが見つかったとの記載は出てこなかった。私は息子の日記を読み終えた。
他人の日記を勝手に読んでいる罪悪感は私から消え去った。今はただ、オオシロの安否だけを心配している。
息子の日記を読み終わった私は、お会計をして帰路についた。
自宅に戻った私は妻が入浴している隙を見計らって、日記を息子の部屋に返した。
私はすぐにでも息子に電話して、オオシロの安否を確認したい気持ちでいっぱいだった。
私が日記を勝手に読んだことを謝れば、息子はオオシロの安否を教えてくれるだろうか?
***
それから数日が経ち、息子が婚約者を家に連れてきた。妻から聞いていたが、彼女は今オランダに住んでいるそうだ。息子が彼女とどこでどうやって知り合ったのかは聞いていない。
彼女は私を見るとまず「王瑶と申します」と自己紹介した。私も合わせて「博の父の神成善太郎です」と彼女に自己紹介した。
自己紹介が終わると、息子が王との関係を簡単に説明してくれた。王と初めて会ったのは高校2年生のとき、その時に交際していたらしい。その後、王は両親と一緒に米国に渡り、5年ほど前からオランダで住むようになった。息子が王と再会したのは、数年前に仕事でオランダに出張したときらしい。息子が宿泊していたアムステルダムのホテルでバッタリ再開した。
――彼女がオオシロだ・・・
私は確信している。オオシロは生きていた。私は胸を撫で下ろした。
しかし、私が彼女を「オオシロ」と呼ぶと日記を読んだことがバレてしまう。気を付けなければ。
私は妻の方を見た。妻も息子と婚約者が高校時代からの付き合いだと知らなかったのだろう。驚いた顔をしている。
私は日記を見たことを気付かれないために、オオシロに「王さんのお仕事は?」と質問した。すると、オオシロは「不動産関係の会社をしています」と答えた。
「息子と高校時代に付き合っていたということは〇〇高校に通っていたのかな?」と私が尋ねると、「短い間でしたが〇〇高校に通っていました。博さんとはその時に知り合いました」とオオシロは答える。
続いて私は日記を読んでいて気になっていたことを確認することにした。オオシロが無事だったことは確認できた。次は一緒に失踪した家族の安否だ。
私は慎重に言葉を選んでオオシロに確認することにする。
私は「ご家族はお元気ですか?」とオオシロに質問した。一般的な質問だ。ただ、この聞き方だと以前から家族のことを知っているように聞こえなくもない。不自然ではなかったか?
私の心配をよそにオオシロは「家族は全員元気です」と答えた。
妻もいろいろと聞きたかったようだ。博に質問を始めた。
「20年以上経っていたのに、お互いによく分かったわね?」
「顔立ちは変わっていなかったからね。それと、昔俺が買ったイヤリングを彼女がしていたんだ。だから、すぐに分かったよ」
「イヤリングかー。王さんは今持っているの?」妻はオオシロに尋ねる。
「これがそうです!」
オオシロはそう言うと耳にしていたイヤリングを指さした。
「20年前に買ったのに・・・新品みたいね。とても屋台で買ったとは思えないわ」
――屋台で買った・・・
ということは、妻も息子の日記を読んでいた。
妻は失言に気付いていない。が、息子は気付いたようだ。ニヤニヤしながら妻を見ている。
妻だけ悪者にするのはどうか・・・、そう思った私は覚悟を決めた。
「オオシロさんの両親は、こっちの結婚式には参加できるの?」
「もちろん参加します。日本に来るのを楽しみにしていました」
私がチラッと見たら、息子は私の方を見て笑っていた。
<おわり>
【補足】
名前、年齢、性別などは架空の設定ですが、登場人物は六四天安門事件の後、日本に帰化した知人をモデルにしました。登場人物の年齢を変更したため、事件からの経過年数とつじつまが合いませんが、ご了承ください。
また、この話は当時の社会背景を基にしていますが、政治的思想について言及することを意図したものではありません。
なお、中国人が日本に帰化する場合、中国名が「王」だった人は「大城」や「大友」を苗字にする場合が多いようです。