【1000文字読切り】ハードボイルド缶コーヒー
仕事を始めた頃、タバコと缶コーヒーも始めた。当時読んでいたマンガの影響で。
その主人公は殺し屋で、斜めに咥えたタバコと黒い帽子がトレードマーク。そして仕事が終わると必ず缶コーヒーを飲んでいた。
それまで飲み物といえば炭酸ばかりでタバコも嫌いだった。だがその主人公に自分を重ね、無理をして始めた。そうしなければ、この仕事を続けられないと思ったから。
タバコはどれだけ吸っても結局旨いとは思えなかった。だが主人公の仕草を真似て端を噛み切り咥えた紫煙の行方を視線で追えば、緊張からくる手の震えが治まった。
コーヒーは苦いが、慣れればそう悪くはなかった。
仕事終わりに一本の缶コーヒーを開け、主人公と同じ台詞を呟く。そしてチビチビと飲みながら現場を去る。そうして直前の光景を頭から追いやった。
言わば精神のコントロールに必要なアイテムだった。
その二つと共に経験を積み重ねてきたが、禁煙ブームでタバコはやめた。タバコを吸うと目立つようになったから。
この仕事で他人の意識に残るのは御法度だ。それにもう、タバコが無くとも手が震える事はない。
一方、仕事終わりの缶コーヒーは今日までずっと続けてきた。だがそちらも潮時だ。愛飲していた缶のデザインが変わってしまったから。飲み始めるきっかけとなったあのマンガ。その作者が似せて描いていた缶のデザインが。
全くの別物となってしまったそれに、止めようのない月日の流れを感じた。
だからやめようと思った。
缶コーヒーも。
…この仕事も。
元々褒められるような仕事ではない。命の危険もつきまとう。
生きる為に続けてきたが、そろそろ頃合いなのだろう。
貯めた金で山でも買って、後は死ぬまでひっそり暮らす。そんな余生もいい。
この仕事を最後に…。
見下ろす視線の先が、俄かに慌ただしくなった。そろそろ時間のようだ。
今いるのはビルの屋上。眼下の道路には複数の黒服。彼らが守るべき対象が、もうすぐ建物から出てくる。
ヒュウっと強い風が吹いた。
冬の屋外は寒い。ましてやビルの屋上ともなれば尚更だ。ブルリと小さく身を震わせ、外気で冷えた鉄の塊を握り直した。
目を閉じ深く呼吸をして神経を研ぎ澄ます。
大丈夫だ、いける。
心が澄み、愛用の細長い鉄の塊がしっかりと手に吸い付く。 何度か同じモデルを買い換えた、長い付き合いの相棒。こいつの事は隅々までよく知っている。
ゆっくりと息を吐く。
スコープの向こうに、最後のターゲットが現れた。