落合茜3
思ったよりも雨が強く、白衣が透けて腕に貼りつくくらいには濡れてしまった。
そんな私を出迎えたのは、教え子たち四人と六匹の魔狼、そして馬小屋の半分以上を陣取っている二頭のボス魔狼だった。
「こ、これはまた、凄いわね……」
「ん! お待ちしてました、先生! お忙しいところ申し訳ありません」
学級委員長の鈴木くんが私が来たのを察知して、食べかけの昼食をカゴに戻し、恭しく挨拶してくれた。
彼からの【伝心】で細かい報告は受けていたが、いざ目にすると驚きを隠せなかった。
少しだけ固まって、それから思い出したかのように応答する。
「……い、え。別に問題ないわ。この、目の前にある問題に比べれば、私の仕事なんて大したことないもの」
魔物を喰らい魔力を蓄えることのできる狼がこの辺りにも生息していることは把握していた。
このまま拠点を広げていけば、いつか彼らと縄張りを巡って衝突する日が来ることも分かっていた。
しかし、あまりにも早すぎる。
今の開拓速度ならば、少なくとも向こう一年くらいは問題なかったはずなのだ。
私の勘が、ほぼ確信に近い状態で“龍”の関与を告げている。
ただし、どのように関与しているのかは当事者である彼らにしか知り得ないことだろう。
私は、私を警戒する魔狼たちを一様に一瞥し、鈴木くんに視線を戻す。
「……鈴木くん。たしか『シルバーズ・リング』は今、貴方が持ち歩いているのよね? ちょっと貸してもらえるかしら」
「はい、いいですけど……?」
「あっ、それと後で鈴木くんの力も借りたいから、もし【伝心】を解除しちゃってたら、先にセットしておいてね」
「分かりました。それについては、セットしたままなので問題ありません」
「そう、ありがと。じゃあコレ、少し借りるわね。ゆっくりお昼でも食べてて」
道具一式がきっちりと収納された鞄を手渡し、ヤスラギは軽く会釈をしてから茜先生に言われたように昼食の続きを食べに三人のもとへ戻った。
さて、改造ますか。
『シルバーズ・リング』は魔法の杖と連動しない旧型の魔術付与装置。
特別な機能が無い代わりに、ちょっとやそっとのことでは壊れたりしないのが旧い魔道具のいいところだ。
首を回して凝っている肩を気休めにほぐし、手首から指先までいろいろ動かして気合いを込める。
鞄から取り出した直径30センチメートルのリングは腕通すように引っ掛けて、私は久しぶりに初期スキルを発動した。
「【製作】」
生徒たちのものと比べると見劣りしてしまう、一辺が40センチメートルしかない薄い緑の立方体。
このスキルを使うのはいつぶりだろうと感傷に浸りたい気持ちをぐっとおさえ、空間のサイズを調整する。
ひとまず厚さ10センチ、縦横80センチの空間にしてみるが、目測によれば、まだ少しばかり幅が足りない。
厚みをリングが入るギリギリまで減らして、1メートル四方の正方形に。
……思ったよりもギリギリだった、危ない危ない。
リングを空間中央に固定したら、あとは簡単。
私は意識を集中させ、リングを一度分解した。
魔術回路を維持したまま銀線を延ばし、カバーパーツを肉抜きするようにして表面積を増やし、拡大する。
元に戻すときの心配?
無用だ。私が何年、この道具を使ってきたと思っている。
「さぁ、出来たぞ。ヤスラギ」
どことなく雰囲気が変わった先生に下の名前で呼ばれ、慌てて駆け寄るヤスラギ。
ブカブカの首輪から、フラフープへと進化(?)した『シルバーズ・リング』を受け取ると、彼は困惑の笑みを浮かべた。
「なんだ、分からないのか? ほら」
私は【伝心】が記録された桜色のメモリージェムを左手の親指で弾いて渡す。
「わっ!? たっ、とぉー!?」
別に落としても傷ついたりしないのだが、咄嗟にキャッチしようとしたヤスラギは、大口径になったリングを片手に持ち替え、利き手でジェムを掴むことに成功する。
大きさを変えただけなので、重さは変わっていない。これくらいの芸当は出来て当然なのだが、今の動きはちょっと面白かった。
「ふふっ。ナイスキャッチ」
「ナイスキャッチ、じゃないですよ!! 壊れたらどうするんですか!」
「このくらいの高さから落として壊れるほどヤワじゃないよ。
それより、早く使ってあげなよ。新しいオモチャか何かだと思って、期待されてるよ」
見れば、耳をピンと立てて興奮した様子の六頭はリング……いや、フープを今にも飛びかかりそうなほど凝視していた。
やれやれ、狼の威厳はどこへやら。これじゃ単なる大型犬だ。
「ちょっ! 違うよ! 違うからね!?」
手をバタバタさせながらヤスラギは後退り、ボス狼たちの方へ歩み寄る。
リングを改造したことによって、新しく何が出来るようになったのか、しっかりと気付いたようだ。
……よし。こうなれば、あとは任せていいだろう。
下手に口を出さないで見守ることも、教師の役目だ。
その後、ほかの男子三人もヤスラギの周りに集まって、【伝心】や【遣直】、藤沢くんの【鑑定】なんかのスキルも使ったりしながら、狼との意思疎通を目指して滞りなく作業を進めていった。
そして――。
音もなく宙を動く銀色のフープが、父狼の大きな頭を首から鼻先まで一往復し、稼働を終えた。
もう一頭の母狼に付け替えるために装置を外したところで、威厳のある声が小屋の中に響いたのだった。
《我の言葉が分かるか、マナビトたちよ》
名前:(無し)
種族:灰銀魔狼
年齢:30
性別:雄
身体:体長3メートル弱、体重550キログラム前後
毛色:背中側は暗灰色、お腹側は白
一人称:我
【鑑定】の説明文
人間の数倍の魔力を持つ森林に住む狼。魔力は主に身体能力の強化に利用され、森の生態系の頂点に君臨する。
肉食、とくに魔物の肉を好む。
群れをつくり、一定のテリトリーを守って生活する。
番いになった狼とは一生を共にする。




