藤沢昌汰
この俺、フジマサこと藤沢昌汰は自慢じゃないが、人から怒られまくって生きてきた。
そんな俺に言わせれば、昔からよく言われる「優しい人ほど怒ると怖い」とか、「真面目な奴ほど怒らせるとヤバい」っていうのは、全くもって正しくない。
普段との違い、つまりギャップがそう感じさせてるだけだと、俺は俺自身の経験から断言できる。
理不尽な怒り、妥当な怒り、演技の怒り、愛のある怒り……。
「怒り」にも色々あるってことは昔からなんとなく分かっていた。
真面目な奴の妥当な怒りほど、扱いやすいものは無い。
結局のところ、ソイツが正しいと思っていることを押し付けるための怒りだ。
素直に従えば、すぐに落ち着く。そんなレベルの低い怒りだ 。
それと「優しい奴が怒ると怖い」っていうのは、そもそも優しい奴を怒らせるくらいのことをしてんだから、めちゃくちゃ怒られて当然だ。
許容範囲というか、器がでかい奴ほど、怒るときはこれまでに溜まった鬱憤が爆発するような激しい怒りになる……というのは、火山のマグマみたいに怒りが蓄積するという間違ったイメージが産んだものだ。
本当に優しい奴は怒りを受け流すのが上手い。
だから、もし怒るなら日頃のストレスが爆発したとかじゃなく、もっと本当に許せないことが起こったときだ。
……そう、今のアイツみたいにな。
《――よろしい。時間は確保した。順を追って話そう》
スキル【伝心】の効果によって、本来なら決して人から人に伝わることのない感情の波動が、津波のように押し寄せる。
激しい怒りの感情だ。
そいつを何度も何度も叩き込まれた俺たちは、血の気が引いて真っ青、足は竦んで動けなくなっていた。
だが、そんなことはお構い無しにヤスラギは胸に手を当てて語り出した。
《まず、僕が怒ってる理由を誤解しないで欲しい。結局は、自分の不甲斐なさが悪いんだ。
目の前で狼が撃たれたときの怒りは、とても自分勝手な怒りだ。三人は僕を助けてくれたのに、僕がそれを望んでなかったばっかりに……》
ヤスラギは深刻な顔で、けれど苛立ちを隠さずにそう言った。
だが、俺にはラギ長が何を言っているのかが分からなかった。
言ってることが意味不明すぎて、耳から入ったワードはそのほとんどが頭を通り抜けていた。
だって、そうだろ。
コイツはついさっきまで。
今、ここで倒れている巨大な狼どもに襲われていたはずなんだから。
理不尽に襲われたことに対する怒り、とか、俺らが足止めできなかったせいで怪我をしたから怒ってる、とかなら、まだ分かる。
でも、そういうことじゃないらしい。
なんなんだよ……、わけがわからねぇよ。
困惑するフジマサをよそに、激昂していたヤスラギの怒りは沈静化する。怒りのピークを過ぎたのだ。
(……あぁ、そうだ。狼くんたちも脅かしてゴメンよ。
襲われた事は別に怒ってないから。君たちの事情は分かってるつもりだ)
ようやく、いつものトーンに落ち着いたヤスラギ。
狼たちにも通じるようにと、先ほどからずっと【伝心】は発動していた。
なので、今もヤスラギの声には魔力が乗せられ、リアルタイムで感情が届く。
安穏と憐憫、そして少しだけ燻るように残る憤怒の感情が、周囲の人間と狼たちに現状を理解させる助けとなる。
(君たちのボスは子を宿していた。それも、声を送れる気配からして、出産間近の子どもを、だ)
「なにっ!?」
「はぁ!?」
「えっ、なんでそんなこと分かるん?」
狼が孕んでいたという衝撃の事実に、三人は思わず声を上げた。
フジマサだけは少し理解が及んでいないが、二人は概ね理解した。
【伝心】のテレパシーは意思を伝える相手を認識してから発動する。ゆえに、石ころや木のように意思を持たないものには送れない。
ヤスラギは母狼を観察していたときに、お腹にいる赤子がテレパシーを受信できるくらい成長していることにも気づいていたのである。
だが、そうなると、変だ。
(そんな状態なのに、君たちは山奥の住処から、こんな所までやってきた。
……狼の常識は知らないが、生物としての常識から逸脱した行為だ)
ここでようやく、俺の理解が追いついた。
「つまり、コイツらは侵入者であると同時に、避難者でもある、ってことか? ラギ長」
(その通り。少なくとも襲撃者では無いと思うよ。僕が襲われたとき、二頭ともかなり気が立ってた。
多分、タツヒトに撃たれて逃げた先に、たまたま僕が立ち塞がったから、やむを得ず攻撃してきたんだと思う)
そう言って、ラギ長はにこやかに笑った。
伝わってくる感情からして、本心で笑ってやがる。
……なんて奴だ。
(あ、そうそう。どうして彼らが避難してきたのかは、まだ分からないんだよね。
なんとなくの予想は、この雨で土砂崩れが起こって寝床がやられた、かな)
「ほぇー、さっきの一瞬でそこまで」
「なるほどな。だから、助けたのか」
関心するタカヒトとタツヒト。
またしてもフジマサだけが、置き去りにされている。
(そういうこと。フジマサ、警備班の持ち回り備品にはたしか回復用ポーションもあったよね?)
「えっ……、あ、うん」
俺は言われるがまま、ショルダーバッグから液体が入った竹筒を取り出し、手渡した。
いつの間にか【遣直】で保護されていた母狼。
……マジかよ。目の前で撃たれた後、すぐに使っていたのか。
たしかに撃たれた直後の傷だったら、回復ポーションで直せる。
コイツの頭、いったいどうなってんだ。
俺が無我夢中で殺した父狼も、【遣直】で喉に攻撃を食らう直前まで戻される。
俺自身、殺したことへ罪悪感もあったから父狼が母狼の元に擦り寄ったのを見たときは、心の底から嬉しかった。
……だけど、同時に気づいた。
俺の心の底には……。
二頭の狼から顔を舐められるヤスラギを見ながら、俺は思う。
アイツに対する言葉に出来ないモヤモヤが、心の奥底にいる。
それは魚の小骨のようにチクチクとウザい痛みを与えて、俺の心を蝕んでくるものだった。




