狩野達人2
獣なんて、銃声で驚かせば逃げると思っていた。
だから、逃げられないように銃声をなるべく消した。
だから、逃げてくれるように銃声をわざと轟かせた。
だが、そんな俺の甘さが裏目に出た。
そうなったときに何が起こるかなんて想像すらしていなかった俺に対する当て付けのように。
「なっ、んで、今、外にいるんだよ!!……ヤスラギ!!!」
理不尽で最悪な展開に、真っ先に込み上げてきたのは怒りだった。
理解に苦しむヤスラギの行動に、やり場のない怒りが湧いたのだ。
「ラギ長だぁ?! この雨で!?」
タカヒトはタツヒトの視線を追うが、木々の影になっているせいで、ヤスラギらしき姿は見えない。
だが、それでも研究所と食堂を繋ぐ坂道の辺りをタツヒトが睨んでいたため、そこにヤスラギがいるということだけは理解できた。
三人の左斜め後方、直線距離にしておよそ200m。そこに、格好の獲物がいる。
狼どもを食い止めるか、せめて右に逸らさなければヤスラギはあっけなく食われてしまうだろう。
「フジマサ、左に壁を伸ばせ!」
「あいよッー!! 」
フジマサが追加の魔力を込めることで、氷の壁は木々を飲み込みながら、さらに成長を続ける。
本来であれば、氷を生成するには相応の水も魔力で生成するため、ここまでの規模では行えない。
水の温度を下げることよりも、水の生成に魔力を大量に消費することで有名なくらい、氷関連の魔法は魔力の消耗が大きかった。
「フフン、この雨に感謝だな。まさに、恵みの雨だぜ」
槍は分厚い氷壁の上部に深々と突き刺さっているため、簡単には抜けなくなっている。
もし壁を登って襲われたら対抗手段がないのだが、フジマサは悠長にそう呟いた。
二人は少しだけ呆れ顔だ。だが、そんな表情を引き締めて、タツヒトは引き金に指をかける。
「次は当てる……!」
もう間もなく、狼たちと接敵する。
【索敵】を使わずとも、目視で視認できるほどにまで距離は詰まってきていた。
そこで、初めて違和感に気づく。
いや、今にして思えば最初から違和感はあった。
「オ、オイ……。アイツらなんか、デカくねぇか!?」
震える声でタカヒトが言う。
「あ、あぁ……!!」
腰が抜けたフジマサは槍を杖の代わりにして立つのがやっとの状況だ。
人間は両目で見たり、周囲の風景と比べたりすれば、遠くのものでも大まかなサイズは把握できる。
だが、逆にいえば。
両目で立体的に見れず、比較対象がなかった場合、大きさを勘違いしてもおかしくはない。
奥行のないサーモグラフィーのシルエット。
付かず離れずとはつまり、重なることなくある程度のまとまりをもつこと。
正面から迫る八つの影では前後の見分けが難しく、近いものほど大きく、遠いものほど小さいという常識が、今回ばかりは邪魔をした。
「嘘だろ……!」
先頭を走っていたと思っていた狼が、実は最後尾を走っていた。
なんのことはない。さっきの先頭を狙った狙撃が当たらなかった理由は、ただそれだけだったのだ。
森の中でよく見る通常のサイズが六頭。これだけでもかなりの脅威だというのに、殿を務める二頭の狼はその倍以上はあった。
馬や牛のような大型哺乳類を彷彿とさせるその体躯は、『もののけ姫』に出てくる白狼たちにも引けを取らない。
この森の頂点だといわれても納得の威圧感を放ち、二頭の魔狼は部下たちを従えてこちらへと迫る。
ズドンッ!!
躊躇えば喰われる。殺らなきゃ殺らやられる。
そんな息が詰まるほどのプレッシャーに、余裕の無くなったタツヒトは致命の一撃を放つ。
不幸中の幸いで、的は思ったよりデカい。目標を中央に入れて撃てば、タツヒトの腕前なら身体のどこかには確実に当たるだろう。
この距離で外れるとしたら、それは――。
「なっ……!? 跳んだ!?」
その魔狼の身体能力が人智を越えている、としか言いようがない。
猛スピードで突っ込んできていた狼が、銃弾を避けるためにした横っ飛び。
2m以上ある体躯をしならせて、その4倍近い距離を一瞬で移動した。
しかし、雨でぬかるんだ土に着地したため、すぐに駆け出すことは叶わず、四本の轍を残しながら狼は踏みとどまる。
タツヒトが追撃するなら、ここしかなかった。
「! クソっ」
ズドンッ!!
回避されたことの衝撃がことのほか大きく、ワンテンポ出遅れて放たれたタツヒトの弾丸はまたしても回避される。
先程よりも横移動の小さなステップでかわされたことで、その衝撃は更に大きくなった。
「アイツ、避け方を……!」
音よりも早く届く弾丸を反射的に無駄なく避ける。
魔法で何重に強化された状態でも、ここまでの芸当はすぐには出来ないだろう。
ましてや、見切ったかのように動きの無駄を無くすことなど、武術を極めた達人の領域である。
この獣は相当に賢い。そして、強い。
タツヒトが言葉にすることなく、胸の内で思った素直な感想だ。
氷の壁に行く手を阻まれ、先を進む狼たちは三度の銃声に怯むことなく右へと進路を逸らし、突き進む。
これほどの強さを持ちながら、わざわざ俺たちを襲う理由が分からない。
餌となる草食動物は豊富で、食べ物に困るはずがない。
縄張りに侵入した報復に来たというのなら、過去に森で遭遇した狼たちが見て見ぬふりをするはずがない。あのときの狼たちは、警戒心はあっても敵意はほとんど無かった。
気付かないうちに、俺の知らないところで誰かが彼らの縄張りに侵入していたか……?
びしょ濡れの頭から、嫌な汗ともわからない雫が肩へと垂れる。
先を行く六頭は、三人を無視して防衛線を突破した。
そのまま木々の中を進み、食堂の方角へと抜けていく。
しかし、最後尾の二頭は、逆を付く。
氷の壁をまるで跳び箱のように軽快に飛び越え、嘲笑うかのように三人を一瞥すると、氷の壁に太い爪痕を残してヤスラギの方へと進んでいく。
「しまった……!」
三発目の銃弾を放ってから、僅か数秒での出来事だった。
熱くなった砲身に触らないよう銃を抱え、タツヒトは慌てて追いかける。
「おい! 行くぞ!!」
「わわわ! ま、待って! いや、もういいか!!」
狼の攻撃に備えていたタカヒトもハッとして、槍を放置したフジマサとともに駆け出した。
警備のために【強化】した肉体でも、その距離はぐんぐんと離される。
ヤスラギの元へたどりつくまでの十数秒は永遠に感じられる覚悟の時間だった。
氷の壁に封印されてしまった氷結槍は、さながら伝説の退魔の剣。
これを抜いた人物はのちに勇者と呼ばれ、夕飯でかき氷がサービスされることとなる。




