太田翔典5
最初に異変に気がついたのは、偶然川へと近づいたカケノリだった。
ザーザーと降りしきる雨の中、氾濫の危険さえある河川にカケノリが近づいた理由は二つ。
一つ目は、遠目になら大丈夫だろうと、どんな様子か確認するため。
そして、もう一つは……。
「うぉおおおお! スゲェー! やっっっべぇな!!」
そんなカケノリの興奮する声は、雨と激流の音にあっさりとかき消された。
普段は鮎や山女魚といった川魚が釣れる清流も、今日ばかりは茶色く濁った濁流となり、川岸のむき出しの土を抉りとっていく。
そう。
本来ならば、草木が生い茂っていたはずの川岸は、無防備にも地面がむき出しになっている。
そこは以前、探索班のメンバーが粘土を採るために掘り返した部分だった。
川岸の小さな断崖がみるみるうちに濁流に削られ、本来有り得ない速さで川幅を広げていく。
アッチャー……こりゃ、やっちまいましたな。
当時はここまで頭が回らなかったなぁと頭を抱えるカケノリ。
だが、時すでに遅し。
大自然の脅威の前では、いくら魔法が使えようと人間は無力な芦に過ぎないのである。
ただ、幸か不幸か、カケノリが気づいた異変というのはそれではなかった。
「ッ……!? なんだ……、こりゃ」
上流から流れてくる魔力の量が、尋常じゃねぇ……!
勢いよく流れる川の水とともに上流から吹き降ろしてくる風は、思わずカケノリが冷や汗をかいてしまうほどの夥しい魔力を帯びていた。
元々、滝などの激しく水が動く場所には天然の魔力が自然に発生するものだが、それも限度というものがある。
元の世界でも、これらの魔力は通称『マイナスイオン』と呼ばれ、科学的にはハッキリと説明がつかないが、あきらかに生命体に対する良い効能を持っていることで有名だ。
今、カケノリが着けているベルトによって回収されている魔力も、そういった天然由来の魔力である。
かき集めた微細な魔力は一度、ほかの物質の干渉を受けない霊子力へと変換されてから復活装置の魔力タンクへ送られる。
これが、先ほどハルアキが改造したときに組み込んだ機能。
元々あった肉体の情報を送るシステムを上手く流用したものだ。
そして、これこそがカケノリがわざわざ雨の中、川へと近寄った最大の理由。
自分のミスで消費してしまった復活用の魔力を早めに回収できないだろうかという打算のもとで、彼は川へと近づいたのだ。
結論から言えば、その行動は吉と出る。
ベルトを通じ、異常な量の魔力が回収されては転送される。
この分なら、すぐにでも消費した分の魔力は回収できるだろうとカケノリは思った。
だが、同時に。
この奇妙な現象に心当たりが一切ないことがカケノリの胸をざわめかせる。
上空に雷雲が近づくと髪の毛が静電気によって逆立つのと同じで、膨大な魔力をもつ存在の接近はカケノリの肌に変化を与えつつあった。
カケノリの皮膚は鋭敏すぎるほど感覚が研ぎすまされ、山の上から吹き降ろすかのように流れくる魔力を文字通り、肌で感じられるようになっていたのである。
「……こりゃ、マズい予感がするな。川の様子を見に行くってのは、やっぱりこっちの世界でも死亡フラグだったか……!」
まだ目標である一人分には満たないものの、この短時間にしては魔力は十分に集まったほうだろう。
「流石に潮時だな……、ここ川だけど」
ついに、チリチリと身体の表面が痛み出した。
直感的に危険を察知したカケノリは魔力の回収を止め、急いでその場を後にするのだった。
――その後。
拠点の敷地内に轟音が響き渡る。
先ほどまでカケノリが立っていた場所を津波の如く飲み込んだのは、不自然なまでに澄んだ透明な鉄砲水。
土砂が混じった濁流ごと飲み込み、深くまで根を張っていた木々を土ごと薙ぎ倒し、すべてを下流の沢へと押し流す。
暴力的な水の塊が過ぎ去ったあとに残されたのは見る影もないほど底が抉られ、水の枯渇したU字谷だった。
後日、報告を受けて視察に赴いた茜先生は、まっすぐに伸びる巨大な痕跡を見て、こう言ったそうだ。
「――まるで、怒った龍が人里に向かって降りてきたみたいね」
それを耳にした同行した生徒によれば、そのときの茜先生の表情はとても悲しい顔をしていたという。
土砂崩れによる被害は、幸いにも壊れていた水車小屋のみ。
だからこそ、先生のその言葉が強く印象に残ったそうだ。




