落合茜
「………………本気なのね?」
「えぇ、学級委員長ですから」
わずかな沈黙のあと、茜先生はツッコミを入れる。
「……いや、別に学級委員長だからって、そこまでする必要は無いと思うのだけど……」
時刻は朝の7時半。
研究所の上にある木造校舎の職員控え室には、なにやら不穏な空気が漂っていた。
堅苦しいまでにピシッと学校の制服に身を包んだヤスラギに対し、ニットワンピースの上に白衣を着た茜先生の印象は相対的にゆるく見える。
だが、そんな見た目でも教師であることに変わりはなく、コホンと小さな咳払いを挟むと茜先生はヤスラギに鋭く問いかけた。
「全ての班に所属して人手不足を解消してくれようとする気持ちはありがたいわ。
……けど、手が足りてない仕事を全部やろうとして、かえって中途半端になったりしないかしら。
昨日みたいに遅れたら? 大丈夫と言いきれる根拠はある?」
それは聞き分けのない子どもを諭すかのように優しい声だった。
昨晩、本当なら茜先生がヤスラギの初期スキルを刻む場に立ち会い、そのとき所属する班を確認するつもりだった。
しかし、ヤスラギが予定より一時間以上遅れたことで、次の予定の時間がきてしまい、その約束は果たされなかった。
それでも今朝、朝一番に謝罪と報告に来たので、それで良しとしようと思っていたら。
まさか、報告内容が「全部の初期スキルを使えるようになったので、全部の班に入ります」という内容だとは思わず、茜先生は冒頭のように硬直したのである。
(“中途半端にならない”と言いきれる根拠……、か…………)
ヤスラギは先生の質問を心の中で反芻する。
茜先生の心配はもっともだ。
昨日のように仕事が長引けば、いくら時計が腕に仕込まれていたとしても遅刻するだろう。
多少は大目に見てもらえても、いつか「肝心なときにいない!」という大失態をする可能性は十分にある。
それこそ、戦闘探索班と研究開発班を掛け持ちしている、“掛け持ちの先パイ”であるカケノリにも、同じことを指摘された。
班員としての責任が、ほかの人の四倍ものしかかるんだぞ?……と。
……けど、そうは言っても、現状、この役目は自分にしか出来ないからな。
短い沈黙のあと、ヤスラギが胸を張って答える。
「根拠は無いです。ですが、僕が来るまでの3週間だって、とくに問題は無かったのですから、どの班も“致命的に人手が足りない”わけでは無いはずです。
あの七つのスキルを使い分ければ、単純な仕事なら、どの班でも役に立てるかと」
「……うーん、たしかにスキル面で考えれば、大丈夫かもしれないけど……」
まだ、あまり納得できてない様子の茜先生に、ヤスラギはさらなる説得を試みる。
「それに、僕が4つの班すべてに入ろうと思ったのは、人手不足を補うだけが目的じゃないんですよ」
「……というと?」
「昨日、一昨日と見学して思ったのですが、班同士の連携が少ない気がしました。
もっと情報を共有して、必要に応じて、魔法の道具や知識、適切なスキルを持った人材なんかも貸し借りするべきだと思いまして……」
例えば、美味しい保存食の開発を料理担当の施設管理班ではなく、戦闘探索班の女子に任せるというのは、やはり効率が悪い。
ほかにも、遠隔でも連絡できる【伝心】スキル持ちが、渉外輸送班にばかり集中していることも問題がある。
施設管理班には、“時間差で人づてに”依頼が回ってくるせいで、いきなり急ぎの仕事が入ったり、作業内容を確認するのにも時間を取られたりして、業務で手一杯になり、新しい施設を建てられていない。
また、研究開発班の成果である魔法の道具も、ほかの班であまり活用されていないと不満が生じている、などが上げられる。
「でも、それを解決するには誰かが間に入って、進捗の管理や情報の共有をやらないといけないんです。なので、――」
共同で生活し、生きるために、ひとりひとりが既にいくつもの役割を持っている。
だから、現状どの班も新しい仕事に人を割り当てられる余裕がないのだ。
であれば……。
「――僕が、その役目を果たします」
昨晩、カケノリと議論したことでヤスラギの考えは洗練され、分かりやすく纏まっていた。
これには、少し意地悪な質問だったかな、などと考えていた茜先生も目を丸くする。
「……なるほど。つまり、各班のパイプ役になることが、貴方の本当の狙いなのね?」
「はい! 学級委員長なので!」
「ふふ、そういう意味で言ってたのね。勘違いしてたわ」
茜先生が笑ったことでピンと張り詰めていた空気が霧散した。
承諾してもらえそうな気配を感じたヤスラギは、茜先生を折れさせるための最後の一押しとして、先程の質問にも回答する。
「ちなみにですが、僕の仕事が中途半端にならないようにする対策は雑用を中心に手伝うことで解決するんじゃないかなと、思っています。
“居たら助かるけど、居なくても何とかなる”仕事に限定する感じですね。ちょっと、ほかには思いつかないですけど……」
「そうね。渉外輸送班はともかく、戦闘探索班も研究開発班も、結局は雑用仕事にまで手が回らないって話だったから、ちょうどいいのかもしれないわね」
そう言って茜先生は納得する素振りを見せると、大きく頷いた。
「うん、良いでしょう。特別に許可するわ」
「ありがとうございますッ!」
歓喜の声とともにヤスラギは頭を下げる。
しかし、そうと決まれば、浮かれている暇はない。
「ただ、そうなると今度は、1つ、先生にお願いしなきゃならない事があるのですが……」
「あら、なにかしら?」
「一度、みんなを集めてもらいたいんです。
特定の班のメンバーだけならともかく、全員となると活動時間も活動場所もバラバラなので、誰がいつ、どこにいるのかさえも把握できなくて……」
仲介役を担うと宣言したばかりなのにすいません、と情けない気持ちでいっぱいのヤスラギ。
しかし、茜先生はそのお願いを快く引き受けてくれた。
「分かったわ。ようやく1年2組が全員こっちに揃ったんだもの、一度は集合しないとね」
そうと決まれば急ぐわよ! と茜先生は机上に広がっていた書類を集め、引き出しに仕舞いながら立ち上がる。
「研究所の魔力式伝令装置で、各班長たちに集まるように伝えるわ。何時がいいかしら?」
「えぇっと、できるだけ、早くで……」
「オーケー。それなら、とりあえず今日の夜8時に集まれるか確認してみましょう。
一番遠くにいる渉外の子たちも、夜なら飛んで途中まで迎えに行けるでしょうし。今日は金曜日だから、どの班も夜は空いてるはずよ」
「な、なるほど。でも、そんなに急で大丈夫でしょうか……」
「ふふふ、そうね。もしかすると何人かは来られないかもしれないわね。
その場合は、どうしたらいいかしら?」
わざとらしく質問で返されたことで、試されていることに気づいたヤスラギは、不敵に笑う。
周知と集合のどちらを優先するか。
僕の答えはもちろん、周知だ。
「来れなかった人には、あとで個別に会うので大丈夫です。すみませんが、よろしくお願いします」
「ええ、それが良いわね。それじゃ、また後で」
こうして、無事に説得を果たしたヤスラギを残し、茜先生は颯爽と部屋を後にするのだった。
先生が廊下に出た、ちょうどそのとき。
ドアですれ違うようにして、オレンジ色の光が部屋に飛び込んできた。
その光の正体は先程の話にも出てきた魔力式伝令装置による、電子メールならぬ魔素メール。
無事に宛先に辿りついた光は、ヤスラギの目の前でメールのアイコンを描き、読んで欲しそうに滞空する。
「これは……カケノリから、かな? “開封”」
その合言葉に反応して、その光はパァッとはじけ、文章へと組み変わった。
読んでみれば、やはりカケノリからのメッセージだった。
要約すると『シルバーズ・リング』の持ち運びについて目処が立ったから時間があるときに研究所に来て欲しい、という内容だった。
これはちょうどいい。研究所はすぐ下だ。
さっそく今から行くとしよう。
ヤスラギがオレンジ色の光文字を手で払うと、火花のように散って、跡形もなく消え去った。
受け取ったメッセージはこうしないと、いつまでもそこに残り続ける。
だが、完全に消えてしまうので読み返したければ、触らずに置いておくしかない。
そんな使い勝手の悪さから、連絡手段としては、あまり使われていないのである。
「上手く改造すれば、活かせそうな気はするんだけどなー」
そう呟いてヤスラギが部屋を出ようとすると、今度はバタバタという足音が近づいてきた。
「しまったしまった。朝ごはんを忘れたわ!」
慌てて戻ってきた先生は、そういいながら机の横にしれっと置いてあったカゴを手に取った。
昨日、サクラたちが夕飯として持っていったカゴと同じ形のもので、入ってるものもサンドイッチや果物と、中身まで一緒だ。
どうやらテイクアウトメニューの中では、これが女性に人気のようだ。
「朝ごはん、まだ食べてなかったんですね」
「そうなのよ。ちょっとここ最近、実験と研究が忙しくてねー……。
あ、そうそう。研究開発班にも入るのだから、これは知っておいて欲しいことなんだけど――」
もともとお喋りが好きな茜先生が、こうなってしまえば止まらない。
結局、二人は揃って研究所へ降りて行くのだった。




