プロローグ
5月27日。
まだまだ夜は肌寒い山奥で、その集いは行われる。
探究組織『ヒポカムポス』の拠点に建てられた立派な講堂には、30人の生徒たちが集合していた。
「へぇ、意外! 全員いるなんて、珍しいじゃん!」
施設管理班班長、殿岡奏は茶色の三つ編みを振り回し、その場でぐるりと回るよう人数を数えてそう言った。
白のTシャツに自作のデニム風オーバーオールがよく似合う、ハツラツとした工作系女子だ。
「へぇー、これがラギ長の人徳ってヤツか、流石だな」
戦闘探索班班長、狩野達人は普段の班員たちの統率のない行動からはとても信じられないと、心から褒め称える。
今日はもう風呂に入ったあとらしく、スッキリと短い黒の短髪には光沢がある。
一応、会議だと聞いているはずだが、グレーの無地のTシャツに緩めのズボンという、まさに風呂上がりといった格好だ。
「んー……。おれはどっちかってーと、緊急の会議だから参加してる感じだけどな」
研究開発班班長、太田翔典はボサボサの黒髪をかきながら、今さらヤスラギ個人に対する思い入れなど毛頭ないと言ってのける。
といっても、ヤスラギが来た一昨日から今日の昼まで、ほとんどの活動時間を共にしたカケノリにとって、その感想はまったくもって正しいものだろう。
XLサイズの高校の制服をシャツとズボンともに着崩し、その上からシワだらけの白衣を羽織る。
いったい何日からその格好なのか、気にはなるが、聞きたくない。
「あぁ、たしかに。それもあるわね」
渉外輸送班班長、朝倉桜蘭もまた、肩まで届くサラサラの黒髪を耳にかきあげながら、さらりと会話を受け流す。
ただし、この場合、ヤスラギが魅力的であることは当然、という意味での返答だ。
会議の緊急性は、あくまで補助的要因にすぎない、と彼女は本気で思っていた。
中流階級の街娘がよく着ているというチュニックは濃いめの緑色で、華美すぎない程度に白の刺繍が施されている。
長めのベージュのボトムと併せ、あえて前を閉めずに現代風に着こなす姿は、女子高生らしくオシャレに気を使っていることを窺わせた。
街にいるときは“目立ち過ぎないように”努める彼女にとって、拠点に戻ったときが唯一羽を伸ばせる時間なのだ。
そんな4人の班長たちに囲まれる少年、鈴木ヤスラギは一同に介した級友たちを前に武者震いしていた。
未だ新品同然の制服をきっちりと着込み、襟元のボタンをしっかりと留める。
髪は優等生らしさが溢れる黒のナチュラルショート。一度お風呂に入ったことでふんわりとした仕上がりだ。
時刻は間もなく予定開始時刻の午後8時になる。
皆が5分前行動を出来ているのは、良くも悪くも、林間学校のような雰囲気があるからだろう。
だが、ここは学校ではない。
厳格なことを言う頭の固い大人はここには居ない。
「ねぇ。もう揃ってるなら、さっさと始めない?」
サクラからの指摘を受け、ヤスラギが音頭をとる。
「そうだね。疲れてる人もいるだろうし、さっさと始めて、さっさと終わろうか。
それじゃ、学級会議……、じゃなかった。えー……『ヒポカムポス』の運営会議を、そろそろ始めたいと思いまーす! 皆さん、席についてくださーい」
壇上からの呼びかけに、いたるところでお喋りしていた者たちはいそいそと席に着く。
大学などでよく見られる段々状に座席が並んだ講義室は魔法の力で昼のように明るく、どの席からも班長たちとヤスラギの顔がよく見えた。
と当然、前にいる5人からも全体の様子はよく見える。
わざわざ一番後ろに座る奴。
中段あたりでまとまって座る仲良しグループ。
そのせいで前の方の席がスカスカになっている様子などが目につく。
「……もうちょっと前に詰めてくれない?」
ヤスラギが控えめに頼むが。
「えー」
「めんどい」
「後ろのやつが詰めればいいじゃん」
「それなー」
顔を見合わせるだけで、誰も動かない。
まぁ、ここは学校じゃないし、あんまりうるさく言ってもなー。
そんな風に考えるヤスラギに、さらに荒っぽい声がかかる。
「別に、声は聞こえてるんだから、このままで良いっしょ!」
一番後ろの席からそう発言したのは、渉外輸送班の山本光剛。
声も身体もデカく、人を舐めたような態度でバカにすることも多い、クラスの要注意人物だ。
しかも、厄介なことに、向こうは入学早々こちらに来たせいでヤスラギのことをほとんど知らない。
「それもそうだよねー。そんじゃ、このまま始めます」
こういう奴は真面目に取り合うだけ損、害がない限りは放っておくのが一番だ。
小学校のクラス代表を含む学級委員長歴8年は伊達ではない。
これまでは班長4人たちで協力して仕切ってきた会議も、委員長のプロであるヤスラギが自然に進行役を務めたことで、任せるとばかりに空いていた最前列に座る。
準備は整った。
「……さて。聞けば、入学して間もない頃には、既にこちらに来ていたという人も多いとか。
というわけで、遅くなりましたが簡単に自己紹介をさせていただきます」
このような場に馴れていることが第一声から分かるほど、落ち着いた声が講堂に響く。
「12HRの学級委員長を務めます、鈴木康良義と申します。
“ヤスアキ”ではなく、“ヤスラギ”。リラックスの方ですので、間違えのないようにお願いします」
アハハと小さい笑いが起こり、空気が弛緩する。
だが、それでいい。これから話し合うのは、なにも生き残りを掛けた重い議題などではないのだから。
「では、最初に。茜先生から一言お願いします」
「ええっ?!」
先生の慌てた様子に、さらに笑いが巻き起こる。
入口の横で控えていた先生に対し、ヤスラギはいたずらっ子の笑みを浮かべて、丁寧に頭を下げた。
このタイミングで先生が話をするのは、何もおかしな話ではない。
むしろ、当然とも言えるだろう。
だが、普段のヤスラギなら事前に必ず確認して、相手に依頼する。
なので、茜先生からしてみれば、今回は特にお願いされていなかったので、てっきり何もしないとばかり思っていた、というわけだ。
ときに、大人からの信用を逆手に取り、空気感さえ操作する。
これぞ、ヤスラギ流の委員長。
単なる優等生には務まらないやり方だ。
「後で覚えてなさいよ……!」と、大人気なく目で訴えながら、落合茜先生は教壇の前に立つ。
スラリと伸びる手足に薄ピンクのニットワンピースと白衣の取り合わせが似合うおっとり美人で、メッシュ状に赤が混じった黒髪を高い位置で結っている。
「えー、……コホン。鈴木くんにしてやられましたが、元から最後に少しだけ話すつもりだったので、今回は良しとしましょう。その代わり、このあとの会議は彼に丸投げするわ」
ユーモアと抑揚のある発声に、皆はにこやかに聞き入る。
「さて、ようやく1年2組がこちらの世界にも揃いました。早い人だと、入学式の二日後くらいだったかしら。
一番遅かった鈴木くんも、今日で三日目。
ササッと彼の所属班を確認したら、いよいよ本格的に『元の世界に戻る方法』の探し方について議論していくわよ!」
「おぉーー!!」
「よっしゃぁああ!!」
「待ってましたァ!!」
「フッ……、ついに来たか」
「なーにカッコつけてんのよ!(バシッ!」
「アイタッ!? なにすんのよ!」
反応は上々。
特に戦闘探索班のメンバーは元々高いテンションがMAXまでぶち上がっている。
「というわけで、改めて私からも挨拶を。
貴方たちを巻き込んだ張本人にして、元の世界における皆さんの担任。
そして、こちらの世界の私は、12年前から元の世界へ帰る方法を探し求め続けてきた、魔法使い兼冒険者。
旧姓、紅林茜こと、落合アカネよ! 改めて、ヨロシクね」
凛とした佇まいは確かに冒険者に相応しい風格を感じさせ、それでいて新米教師のような若々しさもある。
そんな親しみやすい先生だからだろうか。一人の男子から、こんな声が掛けられる。
「先生ぇー! 12年前ってことは、そのとき先生は何歳だったんですかー?」
「ちょっとそれ、答えたら私の年齢がバレるじゃないの!」
ドッ! と笑いに包まれる講堂で、先生だけが渋い顔をする。
「まぁ、女性の年齢を直接聞かなかったことに免じて、特別に答えて上げるわ」
「ヒュー!」
「いぇーい、よくやった!」
「ふふふ、ちょうど今の貴方たちと同じ高校一年生のときよ。
……といっても、来たばかりの頃の記憶はほとんど無いんだけどね」
そういって、申し訳なさそうに先生は笑った。
生徒たちは茜先生の魔法によって、一方通行で召喚された。
では、先生はどうやってこの世界に来たのか。
その謎を解き明かし、可能なら帰る方法に結びつける。
科せられた使命を再認識した生徒たちは、自然と静まりかえっていた。
「さ、湿っぽくなりそうな話はナシよ、ナシ! 委員長、バトンパスしていいかしら?」
「えぇ、ありがとうございます、先生。皆、拍手ー!」
パチパチという音と歓声に包まれながら、僕は威勢よく壇上へと上がる。
「えー、続きまして、僕から皆さんに伝えたいことがあります!」
「おっ、なんだなんだ?」
「ラギ長って、ホント物怖じしないねぇ」
「ひぇ〜、アタシにゃ無理だわ……」
ざわめきが少し落ち着くまで待ってから、僕は告げる。
「僕の所属する班は、なんと!」
「「なんとー!?」」
ヤスラギと同じ中学のカケノリとサクラが、ノリノリで掛け声をし、会場の空気をさらに温める。
学生らしいノリが最高潮に達したとき、委員長は言い放つ。
「戦闘探索、研究開発、渉外輸送、施設管理班!
すなわち、4つの班全てに所属します!!」
「「「え、えぇッー!!?」」」
班長以外の生徒たちは、最高のリアクションで彼に応えた。
「おいおい、大丈夫なのか?」
「忙しすぎて死ぬのでは?」
「え、てかスキルは?」
「まぁまぁ、落ち着いて。どうせ、このあとの会議でその辺のことはすぐに分かるから」
ヤスラギは、再び皆を真っ直ぐに見て。
「というわけで、これからヨロシク!」
最後はとびっきりの笑顔で挨拶を締め括った。