前編
彼は、どんなチョコレートが好きだろうか。そんなことを考えながら、スーパーのチョコ売り場を練り歩く。
いつも和菓子を食べていて、甘いものが好きだと言っているけれど、コーヒーはブラックが好きな彼。
そういえば、小さなころから、好き嫌いは無かった。私の嫌いな玉ねぎは、いつも彼のところに移動させていたっけ。
スーパーの中でクスリと笑ってしまって、慌ててとりつくろう。誰も気づいていないみたいで良かった。
しかし、いつまでもチョコ売り場の前を占拠するわけにもいかない。似たような女の人は何人かいたけれど、みんな何かしらのチョコレートを手に取って入れ替わっていった。
少しの焦りと、そんな焦りに身を任せることへの不安感。こんがらがった頭で視線と思考を巡らせる。
ふと、新商品と書かれたポップが目に入る。
ああ、そうだ。彼は新しいものが好きだった。うん、じゃあ、こんなのはどうだろう。
甘じょっぱくて、ほろ苦い。特別な、チョコレート。
ただの塩チョコなのは、心の中にしまっておく。もしかしたら、彼は食べたことがあるかもしれないけれど、これは、私のわがままだから。
***
いろいろとレシピを見て、色々と工夫をして、一生分のチョコをお腹に詰め込んで。ついでに家族のお腹にも詰め込んで。
何とか美味しいと思えるオリジナル塩チョコを作り上げた。
ラッピングは簡素に、包み紙に対して思い入れは無い。彼もそういったものに気を惹かれるタイプじゃないし、開け方は雑だから、凝ったラッピングをする理由も無い。
大事なのは中身だ、なんてガラでもないけれど、それ以上に外見に意味がないのだから仕方ない。相対的に見て、大事なのは中身なのだ。
そう言いつつも、形は簡素な長方形。家族からも色気が無いだとか、お洒落さを投げ捨ててるだとか、散々に言われたけども。
正直なところ、あれこれ形を整える技術は私にはない。もしあったとしたら、わざわざ塩チョコなんて奇をてらったりしない。彼がそこまで鈍感だとは思ってないし、なんだかんだで見た目が綺麗なものを好んでいるのも知っている。
私だって、できればお洒落な形のチョコレートを作りたいとは思う。努力はしているが、どうしても繊細な作業というものは苦手で、そのくせ細かいことが気になってしまう。型に入れたチョコがデコボコしたり、欠けたりするとやる気がごっそりと持っていかれるのだ。
……彼のことを思って、何とか長方形には固められるようになったのが、努力の成果だというのは、ちょっと悲しいけども。
とりあえず、準部は完了だ。あとは、当日を待つだけ。
そっと、胸に抱き寄せようとして、溶けそうだからやめた。おとなしく冷蔵庫に入れておこう。
***
私の知らない、彼が居た。
バレンタインデーの前日、の放課後。いつものように学校を終えて、いつものように彼を探して廊下を歩いていた。
どうせ帰り道で一緒になるのだから、それほど意味のある行為だとは言えないけれど。一時はなんだかんだと理由を付けて一緒に帰らないこともあった。
どちらにせよ意味のないことだとわかってからは、せめて楽しい意味のないことをしよう。だなんて意味の分からない理由を付けられた。つまり、彼から言い出したことであり、私がこうして探しているのも彼のせいだと思わなくもないわけで。
一向に見つからない彼に少し腹を立てて、そんなことを思いながらも一人で帰ろうとしないあたり、私もなかなかにヤキが回ったと言うか。
しかし、教室にもいないし、昇降口にもいない。彼の友人たちは居るから、勝手に帰っているというわけでもなさそう。学校のどこかに居着くような場所を見つけたという話も聞かない。
どうしたものかと、途方に暮れたところに、彼の友人が声をかけて来た。
「それは、本当ですか?」
「ああ。さっさと終わらせるから秘密にしとけとか言われたけど、こうやって待たせてるってことは、ワンチャンあったのかね?」
肩をすくめながら、有用な情報をくれた彼の友人に感謝の言葉を述べて、後者の裏に向かう。
彼は、どうやらラブレターを受け取ったらしい。そして、その返答のために指定の場所へ赴いているのだとか。
せめて一言メッセ入れたらどうだ、とか、いちいち律儀に返答しに行くのは期待させるだけだぞ、とか、色々と言いたいことはあるが。しかしまあ、そんな真面目なところを嫌いになれないのも事実だし、時々抜けているところがかわいくもある。
胸騒ぎを無視して、早くと急かす足をつとめてゆっくり動かす。
「――ありがとう」
彼の声が聞こえて、思わず足を止める。生唾を呑み込んで、音を立てないように壁際にはり付く。顔を出したら見つかるかもしれないと思って、のぞき込むことはできなかった。
「甘いのが苦手なこととか」
別に、苦手ではないはずだ。どちらかと言えば薄味の方が好きで、チョコレートよりかは飴の方が好きかもと言う程度にしか思ってないはずだ。
「こんなにきれいにラッピングしてくれて」
見た目が綺麗なのは好きだけど、同時にめんどくさいと思う人のはずだ。どんなラッピングなのかは見えないけれど、彼の包装紙の開け方は正直に言って雑だ。
「手もケガだらけになるほど頑張ってくれて」
そんな素直に褒める人じゃない。努力する人は好きなくせに、努力している姿を素直に応援するのは安っぽいとか言い始めるめんどくさい人のはずだ。
「ほんとにありがとう。嬉しいよ」
その嬉しそうな声は、いったいどうしたことだろうか。
踵を返して、その場を離れる。別に、人の告白シーンを見る趣味があるわけじゃないし、興味も無い。彼がいつまでたっても帰ろうとしないから、もう今日は一人で帰ってしまおう。
私の知る彼は、ちょっと拗ねるだろうけど。あそこに居る彼なら、むしろ歓迎するだろう。
ボーっと、帰り道の間、何も考えることは無かった。いや、正確には家に帰ったらチョコレートの処分をしないとな、とか、明日からは一人で帰るのも悪くないな、とか、とりとめもないことを考えていた気がする。
だから、家に帰ってすぐに、冷蔵庫に入っていたチョコレートを取り出して部屋に持って行った。
弟は部活だし、お父さんとお母さんは仕事だから、家には誰も居ない。チョコレートを持ち出した理由を聞かれることは無かった。
聞かれていたら、どう答えたのだろう。そんな仮定は意味が無いけれど、答えは出せそうにない。必要なくなったから、そう言うしかないのだろうか。
彼は、欲しがるだろうか。私の知る彼は、それなりに楽しみにしていた気がする。私の知らない彼が、どう思っているのかなんて、知っているはずもない。
「別に、知らなくてもいいか」
ぼそりと、一人でつぶやく。
彼のことを考える必要も無いのだ。だって、これは私が勝手にすること。
「知らなくていいの。これは、私のわがままだから」
彼のことを思って作ったことを、彼が知らないように。私をどう思っているのかなど、私が知る必要はない。それが良い、私にとっても、彼にとっても。
簡素な包装紙を、丁寧に開ける。
……あぁ、だめだな。考えてしまうのは、彼のことばっかりだ。
気を紛らわせるために口に入れたチョコレートは、涙の味がした。