騒乱の幕開け
先日Rebellionのテロ計画が飛び込んできたことを受けて、Rulerは急遽迎撃用意を整えた。近畿地方を担当する十拳剣・木島 拳士を計画の標的地に派遣し、周囲を数名の民間人に扮した隊員で固めている。
予告されていた正午になり、現地の隊員から連絡が入る。聞こえてくる音に喧騒や破砕音は混じっていない。今のところは何も起きていないのだろう。
「ふむ。特に怪しい動きはなし、ですね」
《はい。妙な動きを取る人物も見当たりません》
とはいえ、律儀に正午丁度に仕掛けてくる保証もない。幾らかの誤差は存在するものと考えて、すぐに防衛ラインを解くべきではない。
此度の迎撃作戦は、近畿エリア管轄局の局長である寺本 優希が指揮を執る。拳士からの進言があり、計画の漏洩自体が意図的なものである可能性も含めて考慮されている。畿内の全ての支部が、寺本の指示ですぐ動き出せるよう準備を完了させており、如何なる場所で蜂起しても最短時間で制圧する態勢が整っている。
「念の為に三十分待機をお願いします。それで何もなければ撤収を」
《分かりました》
Rebellionによる民間への被害は、極めて甚大である。誰に対しても無差別に攻撃を加えるため、何処を標的としているのか推測が難しいことも、被害を拡大させる一因となっている。
活動の規模に反して、未だ謎の多い組織だとも思う。頂点で指揮を執っているのは誰なのか。そいつは影も形も表に現したことはない。
……思い当たる節がないわけではない。奴らの活動が観測され始める直前、ある事件が起きた。その主犯格なら、或いは卑劣な行為にも躊躇いなく手を染めかねない。主犯があの事件以来行方を眩ませているのも、嫌な予感に拍車をかけている。
もし彼女が翻意していなければ、現在の日本の状況は今よりも多少良いものになっていただろう。寺本には彼女を凶行に走らせた動機が全く理解できない。待遇にも仲間にも恵まれていたはずなのに、どうして──。
局長室のドアがノックされる。物思いに耽るのをやめて、訪問者を招き入れる。時刻は正午より六分を過ぎたところだ。ここから犯行に乗り出すのは充分に有り得る。
「滋賀県北部にてオーナーによるテロ活動です! 犯行声明などは確認されていませんが、Rebellionの仕業と思われます!」
「了解。すぐに滋賀支部にて対処を」
上がってきた報告によって、奈良県北部でのテロ計画が疑似餌である可能性が強まった。大方奈良に戦力を集中させて、その隙に遠方の滋賀を叩く算段なのだろう。陽動を狙っての作戦なら、粗雑と評する他にあるまい。
そう、粗雑だからこそ不審に思える。お粗末な作戦で成功しそうにもない陽動を狙う意味とは、一体何なのか。
もしかすると、拳士が万全の態勢で待ち構えていることに気がつかれたか。一先ず滋賀で騒ぎを起こして、彼を釣れるか様子見をしているのかも知れない。まだ奈良県から戦力を動かすべきではなさそうだ。
幸いにも、滋賀には拳士の不在をカバーできるだけの実力者がいる。彼は寺本の古い顔馴染みだ、その強さはよく知っているし信用できる。今為すべきは、Rebellionの近畿における動静に気を配ることだ。この地方の命運を預かる司令官として、ここで作戦負けするわけにはいかない。頬をぱんぱんと叩き、気合を入れた。
けたたましくサイレンが鳴り響く。突然の甲高い警告音にびくりと肩が跳ねるが、すぐに気持ちを持ち直す。このサイレンが鳴ったということは、畿内の何処かにレベル4以上の強大なNoneが出現しているのだ。一秒だって惚けるのに使うのは惜しい。
出現地とレベルが自動音声で伝えられる。兵庫県西部にレベル5。聞いた瞬間に表情が歪むのを抑え切れなかった。よりによってこの状況下で、考えられる限り最悪に近い敵が現れるとは。
Rebellionの活動と時を同じくしたことに、直ちに関連性を見出すことはできない。大阪から増援を派遣できるだろうが、それまでは兵庫支部の面々に対応を任せるしかない。あそこにクラス5のパシフィストは所属していないが、一体だけなら撃破できる戦力は揃っている。
可能であれば、鳥取ないしは岡山の支部に助力を依頼しよう。兵庫県の西部から最も近く、かつどちらの支部にもクラス5のパシフィストが在籍している。とにかく、万一兵庫支部と大阪の戦力だけで対応が難しければ、いつでも出動できる状態でいてもらいたい。今後の対応を脳内で素早く組み上げていきながら、電話を手に取った。
*
もうすぐ昼休みの終わる高校生は、携帯を弄りがちである。統計を取れば全高校生の七割は賛同してくれると、亮介は信じている。校則で校内での携帯の使用は原則禁止されているが、馬鹿正直に遵守しているのは余程の堅物か充電が切れているかのどちらかである。
亮介は意識の高い模範生でもないし、モバイルバッテリーがあるから充電切れとも無縁だ。今日もすいすい画面をスクロールして、ネットのニュースから今日起こっていることを知っていく。隣で優宇も画面を覗き見してきているのは、丁度ご飯を食べていて自分で操作ができないからである。
「おい優宇、これ見ろよ。滋賀でRebellionが暴れてるらしいぜ」
「滋賀か。それなら心配はいらないかな」
「あの木島 拳士が動けば、Rebellionの奴らなんか瞬殺できるしな。あとは一般人に被害が出てないかだけ心配だよ」
「木島さんは動かないと思う。まあ大丈夫、滋賀には頼れる人がいるから」
テロ計画の流出は優宇にも伝わっている。個人的な予想では十中八九釣り針。いきなり間抜けらしく漏れてきた情報なんて、警戒しない理由がないくらいだ。授業開始の五分前にようやくご飯を食べ終わって、自分も携帯を弄り始める。
滋賀支部のトップとは面識がある。以前彼が優宇達の地元である長野県に在籍していたとき、一緒に仕事をしたことがあった。彼は正義感が強く、自らの正義を主張するに足る力を有している。遥かに歳下の優宇から見ても、『安定した大人』といえよう。
あとは奈良でのテロが実際に起こるかどうかを監視しているべきだ。拳士は現状維持で良いだろう、万一本当に計画通りやってくれば、自慢の徒手空拳で全員ノックアウトしてくれる。女だろうが歳下だろうが、敵と見定めた相手を殴るのには躊躇がない男なので、撃ち漏らしは殆ど有り得ない。
Rulerに関係するニュースを抜き出して眺める。そのタイトルに目を滑らせる中で、画面を見る優宇の目がふと細まった。記事を読み、携帯をスリープさせて鞄に直し、そのまま席を立った。
「亮介。僕、早退するね。先生に言っておいて」
「ん? 今自分で大丈夫って言ったじゃん」
「それとは別件。気になるなら調べてみて」
足早に教室を出ていく友人を見送る。どうやら滋賀の一件とはまた別の問題が起こっているらしい。それも、優宇が自ら出向かなければいけないと判断する程度には厄介である。
何があったのか教えてはもらえなかったので、言われた通り自分で調べる。その情報は既に大々的なニュースとして各所で報じられていたので、キーワードを考えたりする手間はかからなかった。見出しに目を通して、そこでようやく彼が動いたことの意味が理解できた。
レベル5。まず滅多に姿を現すことのない、Rulerでさえ対処できる人員が大きく限られている化け物である。これまでの出現回数は、一から順に数えていっても簡単に終わってしまう程度しかない。一度現れれば周囲に甚大な被害を及ぼし、撃破されるまで一帯に災厄を振り撒き続ける。その破壊規模たるや、僅かな時間で一つの都市の主要な機能をほぼ完全に破壊してしまえる程である。
ついさっき、拳士は動かないと言っていた。そこにも何か理由があるはず。ならレベル5のNoneを最小限の被害で抑え込める実力者で、かつ近畿地方まで最も短い時間で到着できる人物が必要になる。優宇はこれ以上ないくらいに適任というわけだ。
勿論優宇が負けるとは思っていない。幾らレベル5が相手でも、彼はクラス6である。十拳剣に列せられる実力を遺憾なく発揮して、Noneを消滅させるだろう。だが、それまで災害のような化け物が人の住む街で暴れ回るのだ。遠く長野で授業開始を待つだけの亮介には、せめて兵庫の人々が無事に避難を終えるよう祈るくらいしかできない。
*
「岩永さん、Rebellion構成員の取り押さえ完了しました!」
部下からの報告は、テロ行為に走った犯罪者の確保完了の旨であった。まだ爆発で生じた煙の匂いが辺りに充満しているが、一先ず落着したことに安堵を覚えた。
「被害状況の報告をさせていただきます。現時点で分かっている範囲では、民間人の負傷者が九名。死者はなし。現在余力のある隊員が負傷者の救護に当たっています」
決行されたのは爆発物を用いた無差別な攻撃だった。投げ込まれた幾つかの爆発物は、合計で数名の負傷者を出した。ある人は割れたガラス片が肉を切って、またある人は近くにいたために肌を火傷して。
大きな被害が出たといえる。死者がいないのは不幸中の幸いか。かなり大きな爆発が発生したので、不謹慎ながら人死を覚悟していたのだが、嬉しい方向に予想が裏切られて何よりだ。
今回の実行犯は五名。いずれもまだ成人していない少年少女だという。岩永はRulerの設立当初から身を置く古株だが、自分の子よりも若い子供を拿捕するこの任務だけは未だに慣れない。
Noneは人に近い姿をしていない限りは、怪物退治だと割り切れもする。だが、一歩違えば輝かしい未来の待っているであろう子供達が、自分の行動が正しいのだと心の底から信じて危険行為に走るのは、話を聞くだけでも胸の締めつけられる思いがする。
「それと別件ですが、兵庫にてレベル5のNoneが出現したとのことです」
「随分と畳み掛けてくるな。寺本から俺達に、何か特別に指令は?」
「滋賀支部は同県内のRebellionの鎮圧に専念するよう、局長より連絡がありました」
岩永のようなベテランでも、高レベルのNoneを相手取る機会はそう多くない。そもそも全国的に見ても、出現頻度は一年に一度あるかないかである。
兵庫の状況は気がかりだが、彼女の指令なら従おう。各支部が担当地域に絞って対応するのが最善であると、彼女が判断したのだ。自分達の仕事は、その判断を正解にすることである。
全ての実行犯を鎮圧できているので、あとは護送車の到着を待つのみである。拿捕した構成員が脱走しないよう、監視の目は絶やしてはならない。高いクラスに属しているオーナーはいないようだが、念の為自分も近くにいておこうか。歩き出そうとして、弾かれたように振り向く。
大きなエネルギーが後ろで渦を巻いたのを察知した。Noneの纏わりついてくるような淀んだものではない。視覚でも確認し、やってきた青年が見た目通り人間であることを悟る。
「雑兵じゃ相手にならないか」
この場にいるのは、クラス5と認められた一流のパシフィストだ。加えて、すぐにでも岩永の部下が駆けつけられる位置にいる。それを理解していないのか、それとも理解したうえで問題ではないと認識しているのか、青年は余裕の笑みで皮肉を込めて岩永に笑いかけた。
「流石はRulerの訓練されたオーナー様だ」
「誰だ」
「Rebellionの人間。お前をぶちのめしに来た」
傲岸不遜な物言いだが、確かな自信に満ちている。実際、岩永もその言葉がこちらを脅すための出任せだとは思わない。彼を止めるにあたって、手加減を加える余裕は一切ない。全力で臨んでようやく互角に渡り合えるかどうかといったところだ。
「炎を扱ってたね。つまり僕から見れば鴨が葱を背負って来てくれたわけだ」
そう言って、男は手元で水を生成し、見せつけるように様々な形へ変形させた。同程度の出力で操るなら、火と水では相性は決して良くない。水の中で火は燃えられない以上、ぶつかり合ったときに火の勢いは確実に弱められてしまう。自身の戦闘スタイルを火力に頼る制圧だと考えている岩永にとって、相手をするにはやや荷が重い。
「お前を取り逃がすわけにはいかないらしい」
だが、相性に泣き言を言っているわけにもいかない。きっとこの男は幹部級の人物であり、捕まえられれば多くの情報を得ることができる。何も正々堂々と騎士道に則って戦う義務はないから、部下を集めて総力をあげて確保に臨むべきである。
「取り逃がすだって? 馬鹿を言うね、お前が逃げられるかどうかを考えなよ」
先に仕掛けたのは岩永だった。男の身長の数倍はある炎の壁をぶつける。まずは小手調べだ、これにどう対処するかで幾らかより良い戦い方を絞り込むことはできる。もし避けるなら火力差で押し込める希望があるし、受けられるならどうにかして不意を狙う方向に変える。
男は自らを水で覆った。壁に飲み込まれ、莫大な量の蒸気が吹き上がって視界を遮る。炎によって瞬間的に発生した熱量が、すぐに消えていくのを感じた。
やがて視界が晴れて、そこには火傷ひとつない男が相変わらず嫌な笑みを浮かべて立っていた。生半可な火力では到底通じそうにない。かといって焼き殺すつもりで攻撃すれば、本当に男を焼死体に変えてしまう恐れがある。幾らテロ行為に手を染める犯罪組織の構成員とはいえ、人間を殺すのは最後の一手まで待たなければならない。
向こうは岩永の殺傷に躊躇いなどあるまい。こういった取り押さえることが任務の場合、炎を扱う彼はかえって不向きである。どう加減したって相手を火傷させてしまうし、骨の髄まで焼き焦がすなんて御法度だからそもそも本気が出し難い。
何とか軽傷で済ませて、かつ男の戦意を削ぎ、さらに拿捕しなければならない。どれか一つだけでも難しいのに、神様に罰でも与えられているのかと疑いたくなるような艱難辛苦であった。