感覚の世界
「夏休みが迫って参りました」
「はい」
突然テレビ番組の司会者みたいな話し方をされたので、思わず敬語で返してしまった。さて何を言い出すのか、大して期待もせず次の言葉を待つ。何てことのない日常らしい、意味も中身もない会話であった。
「夏休みといえば何ですか」
「宿題」
「行事でお願いします」
「夏祭り」
高校三年生にもなって、夏休みでそんなにテンションが上がることがあるのか。小学生でもあるまいに。愉快な目で見られていることにも気が付かず、亮介は芝居がかった口調で話し続ける。
「もっと大事なイベントがあります。そう、海です」
「……行事?」
「細かいことは良いんだよ」
ようやく元の口調に戻る。亮介が夏祭りにも増して海を重視している理由は、何となく想像がつく。どうせ水着に着替えて開放的な美人でも見たいのだろう。
声をかけて一緒に遊ぶ勇気は、このへたれにはない。ただ美しいものを見ていたいだけなのだ。例えば陽の光を跳ね返すたわわな双丘であったり、海水滴る大きなお尻であったり。
「野郎数名は既にメンバーとして内定してる。お前も来るだろ?」
「僕は時間取れるか分かんないよ」
「取るんだ」
「えー……」
Rulerの看板たる十拳剣が、そんな簡単に休暇を取れるとは思えない。妻の出産に立ち会うとかならまだしも、友達と海に遊びに行きたいなんて尚更に。他の同僚達から白い目を向けられるのは、優宇も避けたいところだ。
とはいえ、遊びに行くこと自体は楽しみにできる。職業柄、友人と遊ぶ機会は限られている。その分、一回を楽しむのが重要なのだ。泳ぐのは好きだし、ちょっと羽目を外して海水浴なんて楽しくないわけがない。
「まあ、話はしてみる」
「絶対だぞ。床を舐めてでも有休を捥ぎ取るんだぞ」
「僕に有休とかあるのかな」
Rulerが正式に雇用するのは、大学またはそれに準ずる機関の卒業後だったはず。まだ高校生の優宇は、いわば能力を買われて特別にパシフィストとして扱われている。正式な職員でもないのに、有休なんて制度が存在するのか。社会に詳しくない優宇に、その辺りはよく分からない。
放課後の帰り道をのんびり歩く。徒歩の二人は小さな空き地に差し掛かった。もうすぐ新しい家が建つらしく、不動産会社の旗がここを縄張りとするとでも言わんばかりにゆらゆら揺れている。
「亮介、今日は修行するの?」
「する」
「熱意たっぷりだね」
空き地に入る。この旗がある場所に立ち入って良いのか、少し怪しくはあるけれど、最悪謝れば許してもらえるだろう。土地を荒らしに来たわけでもないし。
修行とは他でもない、亮介のツールを発現させるためのものである。かねてからパシフィストに憧れを抱いていた亮介は、優宇に頼み込んで練習に付き合ってもらっている。意外にもちゃんとした才能があったので、優宇も結構気が乗っていたりする。
「さて。亮介、前も言ったけど君はオーナーの才能がある。後は発現するだけなんだ。多分君にとっては、そこが一番難しいんだろうけど」
「本当だよ……気合い入れたら出てこねーかな」
「そんな漫画みたいな甘い展開はないよ」
あくまで師匠として、一歩ずつ基礎を大切にするよう教えてはいるものの、優宇自身は初手から何十歩も飛ばしてきた天才型である。物心ついたときにはツールを扱えていたし、まるで敷かれたレールの上を走るかの如く順調な成長曲線を描いてきた。だから本音を言えば、発現の前段階に関しては指導が及ばない部分も多いだろうと自覚している。
それでも師匠として振る舞うのは、友人が同僚にもなってくれることへの期待故だ。何も自分に匹敵する程に強くなくたって良い、仲の良い友達と一緒に過ごす時間が増えるのは歓迎すべきことだから。
「流れを意識して。力が通っていく流れを」
「流れ……川みたいに流れて……扇状地……」
「それじゃ水無川だよ」
イメージの世界で流れを断ち切ってどうするのか。余計な意識は早急に捨ててもらいたい。亮介のツールが妙に難産気味なのは、脳内で出力しているイメージがツールの本質とずれているからかも知れないのだ。
捉え方ひとつで、ツールは強くも弱くもなる。例えば、静かな凪の海をイメージしながら爆発を操ろうとしても、余程慣れていない限りは上手くいかない。いわば現段階は、補助輪付きで自転車の練習をしているようなものである。補助輪が外れて自由に運転できるまでは、想像を疎かにしてはならない。
「これ、純粋なエネルギーの塊。これを触れずに砕き割るイメージをしてみて」
「触れずに、よし分かった。ぬっ……ふんっ」
「生憎顔しか割れてないよ」
「何か今凄い暴言飛んできた?」
さらりと弩級の煽りを投げられた亮介が薄々それに気がつく。人の容姿を貶す言葉としては最上級に位置するだろう、それこそ単純に不細工だと言われるより人によっては傷つく。
エネルギー塊を壊す。全く手は触れずに、出した課題を自ら解決する形で粉々にされた力の結晶に、亮介が疑問を多分に含んだ目を向ける。摩訶不思議なことなんてしていない、寧ろこれを当たり前にできるようになってもらいたいのだ。こんな程度で目を白黒されても困る。
実際、クラス3以下のパシフィストのうち、エネルギーの純粋な放出が上手くできない割合は過半数に達するだろう。優宇の所感としては、殆ど皆が同じような能力の使い方しかしていない。全員が一律に同じことをして、その中で優劣を決めてクラス4以上へ上がっていこうとしているように感じられる。
だからこそ亮介にはできてほしいのだ。エネルギーの放出は、あらゆる能力の基盤となる一方でかなり応用の利く一手。できるか否かが命運を分ける場面は、パシフィストとして戦うなら必ず訪れる。
「実際やるとこんな感じ。練度が上がればエネルギーの放出だけでもっと硬いものも壊せる」
「んぁー……全然分からん」
「亮介のツールは我儘だね。ちゃんとした才能があるんだから、普通苦もなく出てくるはずなのに」
「便秘かよって。もしかして滅茶苦茶強い能力が隠れてるとか」
「多分クラス2相当かな」
世間一般に持て囃される領域の才能でなかったことに、がっくりと項垂れる。現状がそのくらいなのであって、成長性まで含めれば充分だとは思うけど。今後の鍛え方と伸び代次第では、クラス4まで到達できても不思議ではない。
各都道府県支部においても、クラス5に次ぐ重要な戦力と見なされる。人数の都合上、支部によってはクラス5がいないところもあるため、クラス4は支部の要になる場合さえあるのだ。
「何もエネルギー量だけが全てじゃない。やり方次第でもっと上のクラスに就くことはできるよ」
「それでもお前みたいにはなれねえだろ。ちくしょー、俺も十拳剣になってばっさばっさNoneを倒してみたいぜ」
「高望みだね。良いじゃん、亮介がオーナーになったら僕の直属の部下にしてあげる。実戦を重ねつつたまに指導もしてあげるよ、最高の条件じゃない?」
「自分で言うなよ、それをよ」
まるで自分の部下になることが最良の選択とでも言いたげだが、実際その通りだから答えに詰まる。間近で彼の戦いぶりを見られる以上の経験値があるのだろうか。友人が上司という絶妙に気まずい状況に目を瞑れば、ツールを最大限に引き出せる素晴らしい環境といえよう。
空き地を出る。もとより一時間も二時間も修行をするつもりはない。最も集中できる十分くらいで切り上げる方が効率的には良いだろうという優宇の判断あってのことだ。近場の自販機で缶のコーラを買って、体内の熱を消し去るように一気に飲む。横の優宇は炭酸が苦手だから、定番のオレンジジュースをちびちび飲んでいる。あの口にがつんと来る衝撃が堪らないのに、味覚はまだまだお子様というわけだ。
今日は寝るまでずっと『流れ』を意識し続けてみよう。それで手がかりを掴んで、もし何か壊してしまったとしたら、優宇に弁償でもしてもらおう。まあ今のところは、ガラスのコップも壊せる気はしないけど。