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学舎の徒

 まだ雀が鳴いている時間に、重い瞼と足を引き連れて登校しなければならない理由とは。漫ろな思考で歩くのが怖くないくらいには、この通学路を歩いてきた。それでも胸に去来する面倒くささが軽減された試しは、ただの一度もないけれど。

 鞄をごそごそ漁る。見てはいないが、多分忘れ物はなし。至って適当に吉村 亮介は今日の準備の完璧さを自己に保証した。最低限、今日の体育で使う体操服だけでもあれば良い。あとは野となれ山となれ。


優宇(ゆう)。えらく眠そうじゃん」


「君に借りたゲームが面白くてさ。夜通しやってたらこれだよ」


 前方にとことこ歩く友人を発見したので、声をかける。背中しか見えてはいないが、自分と同じ学校の制服にこの身長でお手軽に役満だ。少なくとも亮介の知る範囲で、女子生徒に混ざっても物理的に頭一つ抜けられない男子の友人は彼以外にはいない。

 丁度欠伸を噛み殺していたらしい友人・天谷 優宇は、如何にも寝起きというのんびりな振り向きで覇気のない顔を亮介に見せた。自分の勧めたゲームを遊んでくれるのは嬉しいが、夜を徹してまでやることもないだろうに。ただでさえ多忙の身、睡眠時間も不規則になりがちなのだし。


「何処まで行った?」


「大きな樹のボス。あれが倒せないこと三時間くらいだね」


「いやそれは寝ろよ……」


「ごもっとも。ちなみにそんな余裕で喋ってて良いの?」


 聞くからにまだエンジンがかかっていない腑抜けた声で、ポケットから携帯を取り出す。そこに表示された時刻は、今この瞬間にこの場所で見るには刺激の強いものだった。


「朝礼まであと三分だよ」


「えっ……おいやべえじゃん! つーかお前もお前でのんびりし過ぎだろ! お前と仲良く怒られるとかマジに勘弁してほしいんだけどっ」


「僕は()()()()()()()


 朝の住宅街を歩いていることも一瞬忘れ、お手本のように取り乱す亮介を他所に、優宇は依然として余裕を崩さない。彼の歩幅だとここから十分近くは要するし、息が上がるまで走ったとて確実に間に合う保証もないくらいの距離だ。さりとて別段遅刻に慣れ過ぎて感覚が麻痺しているわけでもない。


 この国の人間が、およそ一万人に一人の割合で発現する能力。それが『ツール』である。ツールに目覚めた人間は『オーナー』と呼ばれ、しかしあけすけに差別されることもなく99.99%の普通の人間と共に暮らしている。

 優宇もそうしたオーナーの一人である。他人に迷惑をかけない範囲で、自らの生活をより便利にできる彼を、亮介は内心羨んでいる。遅刻はなくなるし病気も簡単に治せるし、まさに百利あって一害なしである。


「ちょ、優宇! 俺も連れてって!」


「仕方ない。ジュースで手を打とうか」


「う……まあ良いか」


 遅刻回避とジュース、対価にしては良心的か。優宇の手を取り、さあどうやって二秒で行くのかと思ったときには、亮介達の教室がある校舎の目の前に立っていた。あまりに唐突な視点移動に、五秒くらい唖然と口を開けて黙りこくった。

 冷静に考えてみると、多分瞬間移動をしたのだろうと分かる。もしとんでもない超スピードでここまで来たなら、急加速による強烈な圧力で意識が吹き飛んでいるはずだから。これまで数年のつきあいがあるとはいえ、今のを『ああ瞬間移動か』で済ませるのは、まだ亮介には難しかった。

 息をするように超常現象を巻き起こした当の本人は、何もなかったかのように靴を履き替えている。きっと使い慣れた便利な移動手段と思っているに違いない。


「やー、やっぱ便利この上ないわ。流石『十拳剣(とつかのつるぎ)』サマ」


「君はほぼ確実に便利ツールと思ってるよね。僕のこと」


「まあツール持ちだし」


「……」


 無言にて寄越される非難の視線を背中で受け止めて、体育館へ向かう。朝の八時過ぎでもう汗ばむくらいの気温になっている。隣の優宇が暑さなんて無縁と言わんばかりにけろっとしているのは、彼の体温が元々低めだからだと思っておこう。暑さ寒さをシャットアウトできると判明しようものなら、多分ここから数ヶ月は優宇から離れられなくなってしまう。

 体育館に到着して、二人は列の一番後ろに並ぶ。服と肌の間に篭った熱気を逃がそうと、カッターシャツをぱたぱたさせていたら、すぐに朝礼が始まった。


 部活動で優秀な成績を収めた生徒の表彰、我が校の生徒である自覚云々と口を酸っぱくしている生徒指導係の長話など、いつも通りに進んでいく。変わった点があるとすれば、避難訓練の告知がされたくらいだった。とはいっても、想定されるケースは地震や火事ではない。現代日本においてもっと身近に迫ってきている、とある脅威から身を守るための訓練である。


「そういや昨日出てたな。レベル3のNone」


「物騒な世の中だよ。本当に」


 この世界には厄介なものたちがいる。まるでツールと共に、人類に対する飴と鞭として用意されたかのように。それらは『None』と呼称され、しばしば現れては人類社会に害を及ぼす。

 そうした危険物に対処する者達もいる。ツールを駆使して、Noneを撃破していく者達は、パシフィスト(平和主義者)として日夜仕事に励んでいるのだ。優宇もそうした平和維持組織の一員であり、高校生ながらこれまで多数のNoneを撃滅してきた実力者でもある。


 告知を最後に朝礼が終わり、上級生から順に体育館を出ていく。一年生の頃は、夏の暑さや冬の寒さから逃れるべく、さっさと教室に戻りたいと願ったものだ。今となっては二つ歳下の世代があの苦しみを受けているのだと思うと、少し申し訳なくも感じる。


「亮介、僕アセロラジュース」


「へいへい」


 体育館と教室のある棟の間に、自販機が二台設置してある。ペットボトルや缶の飲料を販売しているものと、少し安めの紙コップ飲料が置いてあるものだ。優宇の希望するアセロラジュースは、幸いにも紙コップ側の自販機のラインナップ。出費が少しでも減るのは、金のない学生にとっては歓迎するところである。

 朝一本目の授業に向けて、冷たいジュースで二人英気を養う。もう既に茹だるような暑さが猛威を振るっているが、夏本番の到来はまだあと一ヶ月程先である。今でこの調子と考えると、夏休み直前期なら一体何杯の冷たい飲み物を一日に飲むことになるのか。体重はまだ気にするような歳でもないが、虫歯は容易に想像がつく分怖い。


「あ」


「お?」


 飲み終わった紙コップを捨てたところで、優宇の携帯に着信が届く。担う役目の重要性から、彼はこの学校で携帯が鳴っても許される唯一の生徒である。何なら授業中に堂々と着信音を鳴らしても、それを確認するために携帯を操作しても、全く咎められない。勿論その方が都合が良いことは理解しているものの、学校で気兼ねなく携帯に触れられるという特権は、高校生にはいたく魅力的に映る。


「先に約束を守ってもらってて良かったよ。危うく踏み倒されるところだった」


「ジュース一本なんか誤魔化さねえよ。んで、お仕事の時間か?」


「うん。駅の方でレベル2だって」


 メールを確認し、携帯をポケットにしまう。制服のサイズが小さいせいで、やたらと携帯が生地の下から存在を主張している。動くときに邪魔になったりはしないのだろうか。

 朝は何かと電車を使う人が多い。通勤であったり、通学であったり。放っておけば大きな被害が出かねない、レベル2は物理的対処の通用するうちでは最も強いと位置づけられているから。


「一時間目には間に合うね」


 本日最初の授業は英語。亮介が最も苦手とする科目にして、恐らく最も眠くなるであろう睡魔地獄でもある。もたらす眠気において英語に匹敵するとすれば、それこそ数学くらいのものだろう。何せ下手をすれば一授業四十五分丸々完全に夢へお邪魔する危険さえあるのだから。正直なところ、受けなくて済むなら亮介はそちらの方が有り難い。

 あと五分で始まる授業に対して、随分強気なセーフ予想をしたものだ。しかしこの友人は、間違いなく間に合わせてくるだろうと思えるから困る。この国の治安維持を担う存在への評価としては、きっとこれ以上のものもそうそうないだろう。

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