第五十六話 武神的悪癖
凡陸たちが冥炎の神気を追って現場に着くと、思わずそのむせ返るような妖気と血の匂いに鼻を覆った。
「っく、凄まじい濃度……冥炎、冥炎はどこだ…!」
「あら、うふふ。もしかしてそこに居るのは凡陸かしら。」
果たして、探していたその姿はすぐに現れた。霧のように充満した黒い妖気の影から冥炎が歩み出てくる。
同時に、その姿がスプラッタもかくやと言った様子で血みどろに汚れているのを見て、凡陸は僅かに眉間に皺を寄せた。
「…冥炎よ。何をしている」
「ふふ、何って…見て分からない?」
「これよ」と指をさして促され、足元に転がる妖の死体を見る。そこには皮を剥がれもはや赤い肉の塊にしか見えない辛うじて鳥の妖とわかるものが転がっていた。
「…皮を剥いだのか」
「ふふ、そうよ。この妖がね、炉太ちゃんを襲ってきたの。そうしたら私たちのことも神だと見破った上で攻撃してきていたらしくてね?上級で話が通じそうだったから“どうしてわかったの?”って聞いたら、匂いでわかったんですって。」
「…匂い、か。」
「ええ。だから、要するに妖の匂いがすればいいわけでしょう?…だからこの妖の皮を被れば妖の匂いになるのかなと思ったのよ。」
名案じゃない?と上機嫌で訪ねてくる冥炎の姿に、凡陸は思わず額を押さえた。
たしかに言っていることはわからなくもないが、そのためにここまで凄惨な現場を作り上げるとはいったい何事だ。妖の血がそこらじゅうに流れているせいで妖気が濃くなりすぎている。
このままでは、冥炎の悪癖はすでに表に出てしまっているものだと思った方がいいだろう。
「…ひどい獣の匂いだぞ」
「匂いが紛れて好都合よ」
「服も血で汚れてしまう」
「元から赤いから変わらないわ」
ああ言えばこう言うとはこのことで、凡陸が何を言おうとも冥炎は気にもかけない。しかしその妙に上機嫌な様子で、とろんと下がった目尻からはいつもの理性的な感情を読み取ることができなかった。
凡陸が危惧していたことは、すでに起こっていたわけだ。…実は、これはあまり知られていないことなのだが冥炎には“妖気に酔っ払う”と言う悪癖があるのだ。酔えば、何をするかわからない。酒に酔った時のように笑い続けることもあるし、武神としての本能が先に出た時は周りにいる者を神だろうと妖だろうと区別なく襲ったりするなんてこともあった。…今回は一応話は通じていることに安堵をしつつも、油断はできない。
そんな凡陸の警戒をよそに、冥炎は軽やかに死体のそばに近づくと、剥いだ皮から術で血を落としはさりと肩に羽織った。
「どう?似合ってる?」
「…あなたのそう言った苛烈なところは美点でもあるが、あまり無茶をするのは遠慮してくれるとありがたいのだが…」
「もう、こう言う時はただ一言“似合ってる”って答えるのが正解なのよ?」
乙女心のわからない人ね。つまらなそうに口を尖らせた冥炎は、流れるような仕草で懐から鳥の嘴のように尖った形状をした面を取り出し顔につけた。
「凡陸も仮面は持っているようだけど…臭い消しとしてこれあげるわ。羽織ったらどうかしら」
そうして手元に持っていた何かの毛皮を唐突に放って投げられた。咄嗟に受け取る。
「…殺したのか?」
「さあ。拾ったのよ」
凡陸にはそれが嘘だと言うことが分かっていたが、何も言わないことにした。
「あなたの仮面、変わった形ね。」
「む…どうしても御使が目立ってしまうのでな、牛の妖から拝借した。」
「殺したの?」
「……殺した。攻撃されたからな」
それを聞いた冥炎はカラカラと笑った。
「私、あなたのそう言うところ大好きよ。優しく穏やかで器の広い凡陸も、簡単に命を奪うことのできる武神さまだってことがよくわかるわ。」
「そうか?」
「そうよ」
すると冥炎は少し考えて「ねえ凡陸」と声をかけた。先程までの上機嫌な様子とはまた少し違う様子で、口角は不自然に吊り上がっている。まるで作り笑いで凶暴な笑みを押さえ込んでいるようなアンバランスさに凡陸は嫌な予感を覚えた。
その瞬間、冥炎から発された鋭い殺気と凡陸が刀を構えたのはほぼ同時だった。
「…なんのつもりだ?」
「うふふ、私たちって普段天上界では手合わせ以外の私闘は禁じられているじゃない?」
「…」
「でも、私たちが今居るのは天上界じゃなくて地底…監視の目はどこにもないわ。それに今の格好なんてほとんど妖同然で誰も神が戦ってるなんて思いもしないはず…こんな機会、二度とないと思わない?」
冥炎が凡陸に応えるようにして薙刀を片手で持つ。
凡陸は冥炎をじっと見つめたまま、すでに主神達の不穏な雰囲気から木の後ろに隠れていた弟子や御使達にむかって『もっと離れておけ』と合図を出した。大人しく移動したのを確認して口を開く。
「…ここにきたのは戦うためではなく、翠河を救出するのが本来の目的のはずだ。なれば、早く紀清と合流するべきだろう。」
「つれないこと言わないで?そんなに時間はかけないわ。…ねえ、凡陸。私あなたと一度だけ…そう、一度だけでいいの。
手合わせじゃない、本気の殺し合いがしたいのよ」
冥炎の瞳は、先ほどまでのわずかに残った理性を投げ捨てたかのように本能から爛々と輝いていた。
しかし、その後に小さく続けられた言葉はあいにく凡陸の耳には届くことはなかった。
_____「…そうすれば、この感情が本当に恋なのか…わかる気がするの」




