第五十五話・裏 牛と狛犬は化けにくい
(ここら辺りだと思ったのだが…)
凡陸は冥炎の元に合流するため火の神気を頼りに道なき道を歩いていた。
神経を研ぎ澄まし気配を探るが、感覚としてはかなり近い位置に近づいたように感じる。あちら側はすれ違いを防ぐためなのか単にこちらが行くのをあてにして動く気がないのか、一定の場所にずっと留まっているようだ。
(まあ、有難いと言えばそうなのだが…おそらく自分たちが動くのが面倒なだけなのだろうな)
凡陸は冥炎が五神入りした時から知っているため、それなりに相手の性格を熟知していた。彼女は案外きっぱりとした性格で、自分が面倒だと思ったことはどんなに細かいことでも絶対にしない。相手がこちらに向かってきているのに、わざわざ自分が行く必要ある?とでもいうことなのだろう。実に分かりやすくて結構。
…まあ、彼女の性格を熟知していると言っても、それはただ単に昔からの付き合いだからというだけの理由では無いのだが。不毛なこの想いも芽生えて随分な時が経った。彼女のいいところも悪いところもこの数百年のうちに数知れぬほど見た。それでも未だその恋心が枯れないのだから随分な話だという他ない。
凡陸が考えに浸りながら歩いていると、丑次郎に乗るのも飽きたのか凡陸の隣を競い合うように前に出ては下がってを繰り返していた阿吽兄弟が不意に声をかけてきた。
「なあ、凡陸様。それ本当につけんの?」
「…ああ、これか。まあそうするしかあるまい」
眉を顰めた阿泥のその視線は凡陸の手元に握られた面布に注がれている。いや、いささか布面というには厳つい造りをしているかもしれない。すると吽泥も凡陸を挟んで阿泥の反対へ駆け寄りその面を指さした。
「でもやっぱりそんな禍々しい牛のお面凡陸様がつけるってなるとちょっと違和感あるかも…」
「仕方がないだろう、共に歩くにはいささか丑次郎の存在が大きすぎる。我々が合わせるしかないのだよ」
仮にも妖のフリをするというのなら、面倒な問答は避けたいモノだ。ならば牛らしい装飾を身につけるしか無い。神とは関係ないところで訝しがられては困る。凡陸が後ろを振り返ると、丑次郎は申し訳なさそうに首を下げた。
闘牛ゆえに大きな体格が仇となりこの御使は隠密行動には向かない。しかし言い訳ではないのだが、元来凡陸は武神であって御使の丑次郎共々隠密行動どころか潜入なんてものにはとんと縁がなかったのだ。この体格では向いていないことくらい重々承知している。
凡陸は先程襲ってきた集団の中にいた牛の妖から奪った牛のツノの飾りがついた装飾の多い面布を頭に着けた。
多少重量感があるが、特に不都合なことはない。意外なことに布で顔が覆われているものの視界が悪いということも一切なかった。
「なんというか…」
「うん…」
「なんだ、どうした」
「いや、凡陸様がつけると迫力すごいなって」
「さっきの倒しちゃった牛の妖はヒョロヒョロだったから余計になんかこう…」
「…まあ、俺は体格が大きいからなあ。」
一瞬そのあまりにも元々拵えたかのようにピッタリ似合っている妖の面に(凡陸様がこういうのつけると相当怖い感じになるんだな…)(これじゃ並大抵の妖なんて姿見ただけで逃げ出しちゃうんじゃ無いの?)と目を見合わせた阿吽兄弟だったが、しかし似合っていることは事実なのでその格好良さに目を輝かせ自分たちの主神を褒め称えるために口を開いた。
今度は「すごい牛の妖っぽくていい感じ!」「とても似合ってるよ凡陸様」と双子に口々に褒められ、凡陸はなんともいえない気持ちになった。本分が神である以上、妖に見えると言われて喜ぶのも如何なものなのだろうか…
「しかし、お前たちはどうするのだ。俺はこうしてなんとかなったものの、その耳と尾がある限り牛とは言い張れまい。犬の妖として振る舞うこともできるだろうが…そうするとなぜ我々が共にいるのか疑問に思われやしないだろうか」
「ああ!それならオレたちに考えがあるんだ。」
「これ見てよ凡陸様」
「…ほほう。相変わらず器用なモノだな」
吽泥が何処からか布のようなものを取り出して掲げる。よく見てみれば、それは凡陸の角だけを取り去ったような意匠の上半分だけが隠れるような構造になった面布であった。急拵えだったためか端の方の糸が少しほつれていたりはしているものの、よくできている。そのような面をつけた妖には出会わなかったため、おそらく吽泥が作ったのだろう。果たしてその予想はあっていたらしく、吽泥は針を片手に自慢げに胸を張った。
「ボクがさっき作ったんだよ。阿泥とは違ってこういうの得意だから。」
「おいおい材料集めたのはオレだろ?まあ確かに俺は細かい仕事は苦手だけどさあ。でも、これなら同じ牛の妖としてじゃなくても凡陸様と同じ一行だってことが一目でわかるよな!どう、凡陸様。これ完璧でしょ」
吽泥は兄の阿泥とは違い、細々したことが得意だ。今までも何度か見たことはあったが、この短時間で面を作れるほどの技術があったとは。阿泥は吽泥よりも鼻が効くのかモノを見つけるのが得意なため、そうして材料となる布や飾りを見つけてきたのだろう。この双子は相変わらず互いのいいところを利用して生きるのが上手い。
まあ、それを評価して二人まとめて一番弟子にしたのは自分なので己の慧眼は間違っていなかったということだろうか。
「しかも口元がちゃんと出るように作ってあるからボクたちの戦闘スタイルにもあってるんだよ」
「敵に噛みつけないと困るからな!それに口元だけで俺たちみたいな若い神のことわかる奴なんて妖にはいないだろうし」
「よく考えているな。やるじゃないか」
自慢げに背筋を伸ばす兄弟の頭をそれぞれ両手で撫でてやると、二人とも破顔して尻尾が勢いよく左右に振れた。それをそれぞれが顔につけたのを確認すると、仕切り直すように咳払いをする。
「では、冥炎の元に急ごうか。紀清と王林はすでに合流したと先程連絡があったからな。冥炎だけでなく彼らとも早く合流しなければその王都とやらに行くことができないかもしれん」
紀清は随分と信頼した様子だったが、その案内してくれる妖とやらがどれだけ信用に足るかはわからない。ともかく今はそれについていくしか手段が無いのだろう。取り敢えず今は冥炎と会うのが先決だ。
「それにしても、紀清サンなんか珍しくすごい口籠ってたよな…」
「王林さんに何かあったのかなって聞いてみたら動揺すごかったしね…」
確かに、連絡を取った時王林からの返事はなく紀清のみがどこか疲れたように『こちら王林と合流した。そちらは…まだなのか。ハァ…できれば、早くお前たちもこちらに合流してくれ』と切実そうに訴えていた。
何があったのかと聞いてみても口籠るばかりで、言うべきか言わないべきか迷った挙句“言いたく無い”という結論に至ったようで結局説明されなかった。まあ、王林が何か問題を起こすとすればそれは紀清が関わった時だけであるので、おそらくそういうことなんだろう。
「オレ紀清さんがあんなに言葉に詰まってるとこ初めて見たよ」
「王林さんまた紀清さん相手に何かしたのかな。」
「あの人紀清さん相手の時だけなんかネジ外れる時あるもんな…」
「ね、前もよく翠河が“王林様に師匠を取られてしまったようで寂しい”なんてことを相談してきたり……」
「…翠河なあ……」
「…」
不意に無言の空気が流れた。やはり二人も参ってきてはいるんだろう。しかし、このままでいても仕方がない。落ち込んだ空気を払拭するように凡陸は声を張った。
「そう暗い顔をするな。希望は見えたのだから、あとは突き進むしか無いだろう。紀清やお前たちが諦めなかった結果、こうしてチャンスは訪れたのだからな」
前を向いたまま激励の言葉をかけると、二人も気が晴れたのか覚悟を決めたような顔をして「ハイ!」と声を揃えた。
(それにしても、そろそろ近づいたと思うのだが…)
気配はすぐそこだ。近くに障害物はないため目に入ってもおかしく無いだろう。周りを見渡す。
すると、その火の神気がある方向から馴染んだ匂いが鼻をついた。
(…血の匂い?)
自覚してみるとすごいもので、いくらか死臭も混じっているように思う。阿吽兄弟も気が付いたのか緊張したように耳をピンと立てた。
「なんだこの匂い。妖の匂いか?」
「冥炎さんたちの匂いもするよ」
「急ぐぞ」
凡陸は思わず駆け出した。冥炎に関する厄介なことを思い出したのだ。
予想が合っていれば、少し面倒なことになってしまう。
(何もなければいいんだが…この様子では、そうもいかないだろうな)




