第四話 衝撃的事実
「…ここはどこだ」
寝て起きたらワンチャン元の世界に戻ってないかな?なんてうっすらとした期待を抱きながらベットで目を閉じたのがつい数分前。
紀清はあたり一面に広がっている霧のようなもののせいで一寸先も見えないような混沌とした空間に一人佇んでいた。
(どういうことだってんだ…もうこれ以上のびっくりイベントは勘弁してくれよ…転生したって事実だけで十分だろ?これ以上何か起きたらもう俺はどうなっちゃうってんだ!?)
寝たことによって元の世界に戻るどころかさらに不思議な世界に飛ばされるなんて誰が想像できただろうか。淡い期待すら見事に裏切られてしまった紀清のこの時の気分は最低最悪だった。目から急速に光が失われていく。
はあ、とため息を吐くと、一瞬だけ紀清は遠くの方から何か声のようなものが聞こえたように感じた。よくよく耳を澄ませ、その場所に向かおうと体の向きを変える。するとその瞬間遠くから聞こえていたと思った声が自分の周り一面を包囲するようなものに変わり、驚いてたたらを踏んだ紀清は思わず身を縮こまらせて警戒したように息を潜めた。
(…あれっ?)
そこで紀清は自分の体からあの高級感あふれる古めかしい服が姿を消していることに気がつく。今の自分が着ている服はここに来る前に来ていた服…普通のTシャツとジーパンだった。
それを理解した途端紀清はハッとして自分の顔をペタペタ触ってみたり襟足を撫でたりと忙しなく手を動かす。
(これってもしかして戻れたのか!?1日ぶり俺の体!!)
何度触って確認してみても、紀清としてのスッと整った鼻筋や切れ長な目尻、そして豊かな青みの混じった背中ほどまである黒髪は姿を消しており、そこに立っていたのは紀良清太郎としての自分の姿だった。思わず心の中でガッツポーズを決める。
(やった、これであとは元の世界にさえ戻れていれば完璧だ)
いっそあの出来事は夢だったのかもしれない。今から俺は目を覚まして、明日にはいつも通り会社に出勤するんだ。そうだ、そうに違いない。
うんうんと納得したように何度も頷き、紀良は目が覚めるのを待つことにした。脱力して座り込む。すると、自分の姿を確認するのに一生懸命で今まで無視していた自分の周りの声が先ほどよりはっきりと聞こえてくるようになった。
『ーーー、……郎。なんで……に…』
「……姉さん?」
自身の右隣あたりから聞こえてきたその声は間違いなく自分の姉である希子の声だった。何度も聞いてきた家族の声なんだ、間違えるはずもない。
『…ね。だって…で…心不全……突然の…若……』
『しかし…今まで全く………よりによって……で………が………だろう。』
「母さん?父さん?」
すると次々に近くから両親の声が聞こえてきた。しかしその姿は見えない。
そうやってあたりをキョロキョロと見回していると、そのうち聞こえる声は家族だけでなく仲良かった友人、先輩、高校時代の同級生などどんどん増えていった。
それに戸惑っているうちに、やがて突然モーセのごとく自分を中心に霧が割れるように晴れた。
立ち上がってあたりを見回す。するとやがてぼんやりと陽炎のようにしてそこにあったモヤたちがはっきりと形をなし始めた。そして、そこに広がっていた景色に紀良は呆然とすることになる。
『なんで死んじゃったんだよぉ…清太郎…!』
そこには、棺桶に収まる自分を中心にして周りを囲む黒い服を着た家族や友人たちがいた。
皆一様に涙を流したり大声で喚いたりしながら沈痛な面持ちで立ち並んでいた。その先にあるのは一つの棺桶…に入った紀良清太郎の体だった。
「………おれ、しんだ?」
頭の中が真っ白になって、ふらついて座り込む。
薄々考えてはいたが、必死に考えないようにしていた。もしかしたら戻れるんじゃないかと、寝て覚めたら全部が元通りで、転生なんて非現実的なことは全て夢の中の出来事だったんじゃないかと。
それがまさか、こんな…
「い、いやいや嘘だよな!?だって俺、意識失うまでは普通に生きてたし、だってすげえ健康だった!なんでそんな、え?いやいや…」
自分が何を口に出しているかもわからないまま紀良は早口で捲し立てる。声が震えて背中に嫌な汗が滲んでいた。自分の腕をきつく握りしめ、爪を立てる。痛みで正気を保たないとどうにかなってしまいそうだった。
そうやって掻きむしるうちに腕に血が滲んできたところで、突然それを静止する声が響いた。
「あー、ちょっとちょっとストップ!!この術の中で傷ついたらそれ現実にも反映されちゃうんだから気をつけて!せっかく呼んだのにここで理性失って暴れられでもしたら困るんだよー」
緊張感の無い喋り方をしながら参列の間から隙間を縫うようにして青いスカーフを巻いた白い猫がトテトテと軽い足音を立てながら歩いてくる。
その姿は周りの陽炎のような人々とは違ってやけにはっきりとしており、紀良は突然現れた喋る猫の姿に腰を抜かし座り込んだまま後ろに後ずさった。
「な、なんだお前。なんで猫が喋って…」
そこまで口に出したところで、紀良はその猫の姿が見覚えあるものだということに気がついた。
「青いスカーフ…その紋………もしかしてお前、氷雪丸?」
「いかにも!」
そうやって元気よく答えた謎の喋る猫こと氷雪丸は「…まあ正確には、ちょっと違うんですけど」なんて言いながらぽてりと紀良の目の前に腰を下ろした。
氷雪丸といえば、原作にて紀清の飼っていた猫だ。ただの猫だと侮るなかれ、神聖な神の使い猫であるはずの氷雪丸は原作ではなんと主人に似て性格がとても悪く、主人公を陥れる際にも物を隠したり証拠を隠滅したりと大活躍(こういうと変だが)した立派な敵側の一員だった。
そんな性悪猫が陽気に笑顔を浮かべながら(浮かべているのか?)軽い口調でこちらに話しかけてきている。紀良はさっきから巻き起こる怒涛の展開にもう情緒が疲弊してしまっていた。というか待て、氷雪丸原作では喋らなかったけど?じゃあこの目の前にいるのは一体なんだ。
そうやって訝しげな目で目の前の存在を窺い見ていると、その目線に気が付いたのか目を輝かせてこちらを見返してきた。勢いに押されて若干のけぞる。
「おやおや、その目は気がついたようですねぇ!僕が原作の氷雪丸ではないということに!!その通り、僕も実はあなたと同じ……と言っていいかは分かりませんが、この世界に転生した人間なのです!」
「な、なんだってー!?」