第五十話 逃走的手助
「運がいい?」
「ああそうさ。今は随分落ち着いたとはいえ、他の村はまだ共喰いの文化が抜けてないからねぇ。新入りならとっとと食っちまうなんて野蛮な奴らの村もあるのさ」
「俺たちは中級の中でも平和主義だからな」
(なるほど、つまり中級達がこうして村のように一箇所に集められてるってことか…?)
妖には大まかに分けて三つの区分がある。下級は意思を持たず本能のまま人の生気を奪って力をつけることだけを目的に生きる妖で、鬼鳥などがその例だ。そのため言葉を交わすことはできず大抵神が退治するのは下級の妖が多い。そして中級になると人間に近い姿になり、言語を理解し会話が可能になる。と言ってもやはり妖なので思考は変わらず危険なままなので話が通じないことがほとんどなのだが…目の前の妖達は随分と流暢に言葉を話す。まるで人間のように。平和主義だと言っていたが…同じ妖だと思われるだけでこんなに友好的だとは。
「では、上級はどこにいる」
上級は神格持ちや巨大な体を持つ妖、そして人間に完全に変化することが可能な妖が多い。
おそらくこの中で一番上級に近いのはこの目の前にいる人間に最も近い姿の蛇の妖だとは思うが、それでもまだ見たところ中級の中でも上の方といった程度だ。ならば上級は一体どこにいるんだろうか。
紀清が尋ねると、妖達は当たり前のことをいうかのように「そりゃあ王都に決まってる!」と声を揃えた。
「王都…?」
耳馴染みのない単語に思わず声を漏らす。
(なあ、おい聞こえてるか?王都ってなんだよ。そんなもの原作にあったか?そもそも…って、返事しろよお前!)
紀清が憤ったものの、氷雪丸はすっかり考え込んでしまっていて心話をしても返事を返してくれる様子はなかった。蛇の女が肩をすくめて数歩前に歩み出る。
「なんだいアンタらとんでもない世間知らずだねえ。王都も知らないのかい?上級の妖達はみんな王都に連れてかれて軍として王に仕えてるに決まってるだろう?」
「王都は俺たち中級の憧れなのさ」
「俺たちも強くなって上級になれば王に仕える兵士になることができるんだ!」
「この中じゃあまずは姐さんが一番最初だろうなあ」
「ちがいねえ!」
そうして再び騒がしくなる室内だったが、紀清は妖達のいう"王"という単語にひどく既視感を覚えていた。
王…地底の王。…それは夢妖がしきりに語っていた単語だ。思わぬ翠河の手がかりの気配に、紀清は思わず不自然だとか怪しまれるだとかは何も考えることができないまま率直な質問が口から出ていた。
「…その王の名前はなんだ」
「名前?そんなもん恐れ多くて言えやしないよ」
蛇の女は顔を歪めて手を顔の前で横に振った。しかし恐れ多いと言うことはつまり名を知っていると言うことだ。そうして紀清が尋ねたことにより霞ノ浦も何かに気がついたようにハッと顔を上げる。
霞ノ浦はそのまま近くにいた妖に向かって前のめり気味に師匠の質問に続けるように懇願した。
「お願いします、教えていただけませんか」
「なんだい嬢ちゃん、そんな必死に…まあいいか、アンタら新入りなんだもんなあ。そりゃ何も知らねえか」
霞ノ浦に話しかけられた牛のような風体の鬼は、内緒話でもするように口に手を当てて紀清達に向かい声を潜めながらその名を告げた。
「翠様だよ、翠様。十何年だったか忘れたが、それくらい前に突然やってきてあっという間に地底を治めてしまわれたんだ。俺たちゃ姿も見れてねえが、こうして地を這う生活ともおさらばできた。ありがてえもんだぜ」
紀清と霞ノ浦は予想していたものの、やはりその名を聞いた途端衝撃を受け身を強張らせた。互いに目を合わせる。なんと翠河は夢妖が言うようにしっかりと地底の王の座に君臨していたのだ!霞ノ浦は翠河が生きていると言うことがわかり、安堵から目に涙の膜を浮かべた。紀清も生きているとは思いつつもなんだかんだ不安だったため、ひとまず確実に生きてる(しかもなんかとんでもないこと成し遂げてる)ことがわかりほっとため息を吐いた。
「上級にならねえと王の姿を見ることすらかなわねぇんだ。だから翠様がどんな姿をしてるかは俺たちも知らねえ」
「噂じゃ屈強な大男だって聞いてるぞ」
「俺は美しい女だと聞いた」
「なに?年端も行かぬ少年だと言う話じゃなかったか」
みんなそれぞれ食い違う話に中級達は首を傾げる。気がつけば酒場の妖全員がこの会話に参加していた。
「姐さんは見たことないのかい?」
「流石にないよ。王のことはアタシもほとんど何も知らないのさ。翠様の名前を知ったのも、上級達が話してるのをこっそり聞いた中級のヤツが広めたからってだけだしねぇ」
(だけどその噂、随分と系統がバラバラすぎないか…)
しかし、名前が分かっただけで随分と手がかりが掴めた。その地底の王となった"翠様"とは確実に翠河に違いないだろう。
だがその翠河が上級を兵として集めていると言うじゃないか。王都に強い兵士を集め武力を確保していると言うことに対して少し嫌な気配を感じ取り、紀清はもっと詳しく話を聞こうと騒がしいままの妖達に向き直った。
「もっと詳しくその王について話を聞かせてくれないか」
「いいとも、アタシたちゃ優しいんだ。新入りには親切にしないといけないからねぇ…あそこにいる鳥が見えるかい?枝に止まってる…ほらあの腐れた死鳥さ。ああ、目を合わせないように気をつけな、あの鴉の目を通して翠様は地底全土を見張ってらっしゃるんだ」
窓の外を見れば、確かに体の半分が腐り落ちたように骨がむき出しになっている烏が木に止まっているのが見える。霞ノ浦は驚きに目を丸くした。
「地底全土を…!?そんなこと、可能なのですか」
「さあねえ、翠様は随分とお力が強いらしい。鬼術だのなんだの使って傀儡を大量に生み出しているのさ。」
「俺は聞いたことあるぜ、確かその傀儡と集めた上級達を使って天上界に戦争仕掛けるって話じゃなかったか」
「ああ俺も知ってるぞ。翠様は随分と天上界…特に五代神派の神々を恨んでらっしゃるらしい」
「確か一番弟子か主神の首を取ればそのまま上級に上げてもらえるんだったか?そのおかげで最近は上級に上がるために地上に出ていく奴が増えたもんなあ」
「こら、アンタ達。もし翠様に神の話をしているのがバレたらどうするんだい。死鳥に耳がなくて命拾いしたねえ」
茶化すようなその言い方に辺りで笑い声が響く。
紀清はここ数年突然増えていた妖退治の依頼の真相をこんなところで知ってしまい、なるほどと頷いた。鬼術には詳しくないが、おそらくその傀儡というのはあのドロドロに溶けていた人工的な妖のことだろう。外にいる鴉をよく見てみると確かに無理やり死体を生き返らせたような不完全な見た目をしている。それはまるで昔相手をした溶妖鬼を思い起こさせる風体だった。
しかし、紀清は先程聞き逃せないことがあったことに気がつく。
(天上界に戦争仕掛けるつもりだって…!?)
たとえ噂だったとしてもこうして地底に住む妖が言っているのだから信憑性は高い。もしそれが実現すれば大変なことだ。今まで妖は自分勝手でまとまりがなかったため神も楽に対処できたものの、上級にまとまって攻め込まれれば天上界といえども苦戦を強いられることは間違い無いだろう。
紀清はチラリと自分の足元の氷雪丸を見た。氷雪丸は過去の自身のいた世界でのことを思い出したのか、顔を青ざめさせて眉間に皺を寄せている。
もし妖に攻め入られれば、それは氷雪丸が紀清だった原作改の時の時の再現に他ならない。主人公の敵は負けるものだと相場が決まっている。…たとえ正義と悪が逆転していたとしても。間違いなく天上界は負け滅びるだろう。
そのまま聞けることは全部聞き出そうと紀清が食い気味に「まだ聞きたいことがあるのだが…」と声をかけようとしたところで、突然後ろの方からしわがれた声で「まちな…」と静止の声が響いた。それに騒がしかった妖達がしんと静まる。
「なんだい爺さん、突然どうしたのさ。」
「ワシはお前さんの顔を知っている…見覚えがあるぞ。忘れるはずもない。ワシは昔地上へ出たとき、退治されそうになったものを命からがら逃げ延びたのだ…あの顔だ。間違いない!皆の者、此奴は妖ではないぞ!!」
その年老いた妖は紀清を指差し声を荒げる。今後の展開が予測できた紀清と氷雪丸は思わず(しまった!)と心の中で叫び眉間にぐっと皺を寄せた。
「其奴は神だ!しかも五代神派の主神の一人紀清に違いない!」
「なんだって、神!?」
「神がなんでこんなところにいやがる」
「しかも主神だって!?」
「主神がこんなところになんのようだ、妖樹もあったはずだろう」
ざわめく妖達の中、蛇の妖が老爺の妖の元からカツカツと音を立てて紀清の目の前へとやってきた。後数歩近づけばでも届くと言った距離に紀清は無意識のうちに数歩後ずさる。蛇の妖は口元に歪な笑みを浮かべて「へえ…」と声を漏らした。
「なんだ新入りじゃなかったってわけかい。親切にして損した。まさかご立派な神派の主神様だとはねえ…
ってことは…アンタの首を取れば、アタシは上級になれるってことだよね?…その首、置いていってもらおうか!」
蛇の女がそう言って紀清に飛びかかる。慌てて神力を使って反撃すると、妖達の目がきらりと光った。
そこには先ほどまでの友好的な雰囲気はなく、獲物を前にした獣のような鋭い視線が交差する。飛びかかってくる牙や爪を避けながら、紀清達は身を翻してその酒屋から逃亡した。
(くそ、俺の姿を知ってる奴がいたのか…!)
「追いな!!あいつの首を取れば王都に行けるんだよ!!まずは捕まえるんだ!!」
せっかく翠河についてもっと聞き出せそうだったのに、なんて運が悪い。
紀清は背後に迫る妖達をいっそ斬ってしまおうかと一度振り返り太刀を構えたが、ただでさしぶとい中級が何十を超える数いるのだ。流石に戦うのは得策ではないと刀をしまい逃走の道を選んだ。しかし針の森を抜けてもなお追いかけてくるしつこさに、流石に戦うべきかと再び刀を抜いた瞬間、不意に岩の影から小さな手が伸びてきて服の裾を掴まれた。
(くそ、なんだ先回りされてたのか…!?)
焦りからその手を振り払おうとした瞬間、その手の主が慌てたように声をあげた。
「オイラは敵じゃない!こっちだよ、この岩の裏に隠れるんだ!」




