第四十八話 毒漂的花路
弟子たちが知らずのうちに互いの主神の恋愛フラグにヤキモキしている間、一方その頃王林と華女は草木の枯れ果てた道をひたすら真っ直ぐ突き進んでいた。側には骸骨がゴロゴロと積み重なっている。そんな景色に慄くこともなく、二人は会話を交わしながら淡々と歩みを進めていた。
「華女、もう随分と離れたでしょう。そろそろその面布をとってはどうですか」
王林が前を向いたまま声をかけると、華女はこくりと頷いていそいそと頭の後ろで結ばれた紐を解いた。
圧力から解放されたことで短い黒髪がふわりと風に靡く。濁った赤い片目が少し上の位置にある王林の横顔を仰ぎ見た。
この面布は神力を隠す術が込められており、王林が自ら陣を描いて制作した神具だった。華女の堕ちた神力を悟られては騒ぎになってしまうため、他の神のいる場では身を隠す必要があるのだ。まあ、冥炎はどうかはわからないが最近の華女の姿を知っている紀清や氷雪丸辺りは気が付いていたかもしれない。しかし彼らがわざわざ言及することもないだろう。華女は取った面を丁寧に畳むと懐にしまった。
「王林様」
「うん、これであなたの顔が見れるようになりました。ただでさえ声音では何を考えてるのか読みにくいんですから、二人きりの時はその面を外すようにしてください。」
「わかり、ました」
「それにしても本当に地底は何もないですねえ。死体の山に血の池、枯れ果てた草花に死んだ土。どす黒い妖気が充満していて気味が悪い。華女はよくこんなところに落とされて生きていたものですね。」
「いえ、あの時も、ここまで酷い場所では、ありませんでした。ここは、地底の中でも、異常です…」
「そうなんですか?」
その返答に王林は意外そうに目を丸くした。地底なんてどこも辛気臭くて血生臭い印象だったが、ただ特別今歩いている道が悪かっただけだったのか。
「昔の記憶は古すぎて曖昧ゆえわかりませんでしたが、あなたがそういうならそうなのでしょう。それにしてもこのまま探して本当に翠河を見つけることなんてできるんですかねえ。他の者はどうかわかりませんが、私たちが選んだ道はこの調子だと失敗だったようです。妖1匹いないとは」
王林は目を細めると扇を仰ぎながら遠くまで続く長い道を見渡した。不意に華女が少し遠くにある赤い花を指さす。
「あれは、毒ガスを放つ、植物です。おそらく、ここら一帯が死んでいるのは、あれが原因です」
「なるほど。死体に争いの跡がなかったので不思議でしたがそういうことですか。」
死体が転がっているということは必ずそれを作り上げた犯人がいるはずなのだが、それにしてはあたりに何の気配もないのは不思議だった。入り口付近にはあれだけ妖が…まるで足止めでもするかのように沢山いたというのに奥に進むにつれて数が減っていく。訝しげに感じていた王林だったが、その花を見てすぐに納得したように頷いた。血のように赤い花弁に棘のある葉。それは花粉に毒がある花の特徴によく似ていた。毒の漂う地は流石に妖も生きていられないということなのだろう。
「植物の毒、ですか。ならば我々には今まで何の影響もなかったのも納得です。先ほどはああ言いましたが、そう考えるとこの道を選んだのが私たちでよかったかもしれませんね。木谷派の神は植物を操ることができますから。もしかして華女が先ほどからずっと術を使っているのはあの花に対してだったのですか?」
「はい。毒の静止を、促していました。」
少し前からなぜか神力を扱い始めた華女のことを疑問に思っていたが、なるほどずっと術で守っていたのか。王林はその見事にコントロールされた神力を確認して小さく唸った。
王林と共に歩みを進める華女が片手で印を結んだまま花のそばを通ると、毒花がまるでこうべを垂れるかのように下を向きその開いた花弁を閉じる。その姿はまるで花が自らの意思で服従しているようだった。花を扱う神だからだろうか、華女がまるでその毒花を従えている王のようにも見える光景に王林は感心したように声を漏らす。
「相変わらず術の扱いが器用ですね。もう少し前に教えてくれてもよかったのに」
「すみません、言うまでもないかと、思ったので」
「まあ確かにそうですね…自惚れのつもりはありませんが、貴方が私の身を危険に晒すはずありませんものね」
華女の王林への忠誠心は筋金入りだ。おそらく気を煩わせないために花のことを黙っていたのだろう。理由を簡単に想像できた王林は(守られているばかりは少し情けない気もするが…)と小さくため息を吐いた。
「それにしても紀清殿は思い切ったことをなさいますよね。まあ、あのままだと数百年も一人で探し続けそうな雰囲気だったのでこうして乗り込む決断をしたのは良かったとは思いますが…。華女も一番弟子でもないのに巻き込んでしまってすみませんね。私が信頼を置ける相手というのがあなたくらいしか思い付かなかったもので」
「いえ、ありがとう、ございます。……でも私も、紀清様のお力に、なりたかった、ので」
変わらない声音でぼんやりとそう言った華女に、意外そうに目を見開いた王林だったがやがて目を細めて笑みを浮かべた。実は華女は、翠河が居なくなった後の紀清を心配するあまり通い詰めていた王林について行って紀清へ直接謝罪をしたことがあったのだ。取り返しのつかないことをした上に、長い間の王林様との不和を引き起こしてしまった。全ての原因は自分にある、あなたには私に罰を与える権利がある。そう言ったことを度々つっかえながらも言い切った華女に、紀清はただ一言「…かまわん。許そう」とだけ述べたのだ。
(その実、紀清は自分が全く知らない過去の話をされた上に突然謝罪をされたためそう答えるしかなかったというのが真相ではあるのだが)
最悪その腰に掲げられた太刀で両断されても文句は言えないと思っていたものの、あっさりとそう言われたことで華女は呆気に取られてしまった程だった。なんで心の広いお方だろう。与えられなかった罰の分、償いをするためにも彼の力になりたい。
華女は王林に言われなくとも、おそらく自ら紀清に協力するために手を挙げたのだろうなと思った。
「はぁ…頼るのが遅いんですよねえあの人は。この十年の間に翠河がもし死んでしまっていたらどうするつもりだったんでしょう。まったく」
「…」
王林の拗ねたような呟きに、華女は『もっと早く私を頼ってくれればよかったのに』と言ったニュアンスが含まれていることに気がつき、そっと袖で口元を隠して口角を上げるだけの笑みを浮かべた。
(王林様は紀清様が変わった、丸くなったなどとずっと言っておられたが、この方も随分と素直になられた)
七百年前から心を閉ざし全てを拒絶していたこの方は、最近は昔に戻ったような…素直な子供っぽい仕草を隠すことがなくなったように思う。
それに元の兄弟のような関係とは少し形は変わったが、紀清ともまた仲良くしているようだ。十数年前では考えられない程の関係の好転振りだ。
「…まあ、何を根拠に翠河の無事を信じているのかは分かりませんが…一応私も最大の手は尽くすとしましょうか。でもきっとこの毒の道を進んでも何もないでしょうね。どうしますか華女、一旦戻りますか」
「そう、ですね。少し前にあった、横道に、逸れるのがいいかと。あそこには、花が咲いて、いませんでした」
「なるほど。ではそこまで戻りましょう」
これ以上ここをすすんでも何もないと判断した二人は、裾を翻してきた道に向かって歩き始めた。懐に入れた札には未だに何の反応もない。誰も翠河に繋がる手がかりは発見できていないのだろう。王林は小さく息を吐くと、扇をシャンと音を立てて閉じた。
その背後、生き物は全て死に絶えたはずのその土地で一羽のカラスがキラリと目を光らせていた事には二人は気がつかなかった。




