第四十七話 咬妖的牛歩
「だあああ!小物がちょこまかとまじでうぜえ!オラァ!!よおしこれで102匹目!」
阿泥が刀を振ると、すぐにそこにいた妖は消し飛び辺りに血が飛び散る。
「なんでこんなに襲ってくるんだろう。なんか奥に進むたびに攻撃的になってきてない?…って、おっと。あ、でも今のでボクは103匹目だからボクのが阿泥より勝ってる」
小物の妖を咀嚼した吽泥が指を折り数えながら阿泥に向かって勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「なんだと!くっそーもう辺りには妖いねえじゃねぇか!次向かってきたやつは絶対俺が倒すからな!横取りすんなよ吽泥!」
「それはどうかな」
「こら阿泥、吽泥。そうしてすぐ競うのはお前たちの悪い癖だ。これは遊びではないのだからはしゃぐのはやめなさい」
食らった分の妖を神力に変換できるという特性から、爪と牙を使う戦い方のせいで口の周りを妖の地でべっとりと汚した阿吽兄弟を凡陸が遠くから呼び止める。それに「「凡陸様!」」と声を揃え顔を袖で乱雑にぐしぐしと拭いた阿泥と吽泥は笑顔を浮かべて凡陸のそばに駆け寄った。しっぽが二本ゆらりと揺れる。
「なあなあ凡陸様ー!丑次郎の背中のっちゃダメ?前年下の兄弟子乗せてたの見たんだけどさあ、あれ見てずっと良いなあって思ってたんだ!オレ乗ってみたい!」
「うん、ボクも乗りたい。丑次郎っていつも沢山荷物運んでるからあんまり上に直に乗ったことないし」
丑次郎とは凡陸の御使の牛の名前だ。普段は何かと武器の出入りが激しい土丘派の荷物運びを担当しており、稀に人を乗せて天を駆けることもある。土丘派の弟子にとって丑次郎の背に跨ることは皆の憧れであり、なかなか実現できないことでもあったため、今こうしてただ横を歩いているだけのその姿を見てチャンスとばかりに強請っていたのだった。
「まあ、別に構わぬが…すまぬ丑次郎。二人を乗せるために少し屈んでくれないか。」
なぜそんなに乗りたがるのかわからないと言わんばかりに首を傾げた凡陸だったが、特に拒否する理由もなかったため了解した。丑次郎もわかったと言わんばかりに一つ大きく鼻息を鳴らすと小柄な二人が乗りやすいように足を折り地面に座った。二人は跳ねるようにして飛び乗り乗ったのを確認するとすぐに丑次郎が立ち上がる。
「おわっ、とと。すげぇー!視界が高い!足が浮いてる!」
「ボクたち二人が乗ってもびくともしないなんて、やっぱ毎日重い荷物を運んでるだけあるね。」
「カハハ、丑次郎からすればお前たちなんぞ羽のように軽いはず。乗ってるかどうかもわからないだろう。どうだ、しばらくそのままでも良いぞ。敵も出てこなさそうだしお前たちも疲れただろうからしばらく上で休んでおくと良い」
「ええ、いいの凡陸様!優しいー!」
「やったあ。ありがとう凡陸様、丑次郎」
「ではそのまま乗っておきなさい。丑次郎は私の後をついてくるのだ」
はしゃぐ二人を背に乗せたまま、丑次郎はまた一つ鼻息を鳴らしてゆっくりと歩き始めた。それにさらに「「おおー!」」と声をあげる双子を凡陸が微笑ましげに見守る。
阿泥と吽泥は若い神なためか初めから子供のように無邪気で、今でさえその表情には陰りは見えない。他の同期たちとは少し違うその様子を凡陸は前から疑問に思っていた。翠河が攫われてからも尚、彼らは不安を口に出したことは数える程もない。
「お前たちは、平気なのか」
凡陸がぽつりとこぼすと、二人は顔を見合わせて首を傾げた。
「それって、もしかして翠河のこと心配したボクたちが元気なくしてるんじゃないかってこと?確かに愛爛とか霞ノ浦とかは心配で元気なくしてたみたいだけど、ボクたちはあんまり不安とかはないかも」
「ナメないでくれよ師匠!オレたちがへこたれてないのは翠河のことを信じてるからだ。そう簡単にやられるわけねーし、絶対あいつピンピンしてるって!オレたちのこと忘れたままさ!あーもー早く勝手に記憶取り戻して戻ってこいよー翠河ぁ」
「お前がいないとつまんないんだよなあ」と顔を手で覆った阿泥は数回呻いたあと独り言のように誰に向けるでもない言葉を吐いた。
「それにオレはまだアイツとの手合わせに勝ててないんだよ!絶対記憶取り戻させてまた勝負挑んでやる。そして次こそ勝つ!十年越しの再戦だぁ!だからあいつは絶対に無事。そんで俺たちが力尽くで連れ帰る!」
「翠河はきっと大丈夫だよ。洗脳されて何年経ったって翠河の本質が変わるわけないもん。ボクだってこの十年で強くなったんだ、次勝負したら絶対ボクが勝てるはず。そのためにも早く帰ってきてもらわないと困るんだよね」
そういうものの、少し前まで二人が不安を紛らわすようにして夜な夜な地上に赴き妖を狩っていた時期があるのを凡陸は知っている。しかし今はこうして友人のことをただ真っ直ぐ信じ抜いているその姿に、凡陸は眩しいものを見るような目を向けた後笑いながら「お前たちは強い子だな」とその頭を緩く撫でた。牛の背に乗っていてもなお阿泥と吽泥の体躯は小柄なので身長の高い凡陸は余裕で手を届かせることができる。
そうして頭を撫でられた二人は照れ臭そうに頬を僅かに赤く染めると、「絶対凡陸様こういうことそこらへんの女神にしちゃダメだからな…」と阿泥がボソボソと呟く。それに吽泥も同調するように頷いた。
「凡陸様すぐこういうことするから気がつかないうちにファンがいっぱいできちゃうんだよ」
「あ、わかる。この前うちの神派の女神たちが噂してたもん。凡陸様素敵〜って」
「この前合同の修行場で具合悪い子姫抱きで医務室まで運んでたの見たけど、あれ運ばれてた子完全に凡陸様に惚れてたよ。絶対そう。その時いた愛爛が『えっあっちの方からめちゃくちゃ恋の気配がするんだけど何…!?何が起こってるの!?』って言いながらすごい勢いで振り向いてたもん」
「えっ何それオレそこにいなかった!そんなことあってたのか…でもオレも…」
「待て待てお前たち。本人の前でやめないかそういう話は…」
先程までの少ししんみりとした空気はどこに行ったのか、話し出したら止まらないとばかりに『凡陸様モテモテエピソード』をつらつらと語り始めた二人に凡陸は慌てて止めに入る。その耳元はうっすらと赤らんでいた。目の前で自分の無意識の行動を深掘りされるのはなんとも恥ずかしいことだな、と凡陸は喉の奥で唸った。
「えー、だって凡陸様投票じゃ神様の女の子たちに一番人気の男神じゃん。かっこいい、守ってくれそう、強くて頼りがいがあるーって。」
「それは誰かが勝手に取り始めた票だろう…そんなものを信じるなぞ馬鹿馬鹿しい」
阿泥の発言で十数年に一度どこからか回ってくる人気投票のようなものがあったことを思い出した凡陸は、今まで興味がなく見たことがなかったものの一位の座にずっと自身の名があったことをここで初めて知り頭を抱えた。
「あれって確か既婚者の神様はランキングに入らないんだよね?そっか、凡陸様結構古い神様なのにお相手の神とかいないもんね。意外だな」
「古さだけを言えば逢財様だってそうだろう…古い神が必ず伴侶を持つと思えば大間違いだぞ」
思わぬ話の展開に動揺しつつも凡陸は会話の流れを止めようとする。しかしそれで黙る双子ではなかった。
「えー、でも伴侶を得ると夫婦神として祀られるから相手の信仰も一緒に入ってきてより強くなれるんだろ?良いことだらけなのにもったいないなあ」
「夫婦神になるということは相手の運命もともに背負うことと同義なのだ。そんなことで相手を自分の元に縛り付けてしまうのは申し訳ないだろう。」
「真面目だなあ…そういうところが多分女の子たちに好かれるんだろうなあ。吽泥知ってるか?俺たちの順位下から数えた方が早いんだぞ」
「知ってるよ。戦闘狂なのがちょっと怖いとか見た目のせいで可愛い子供としてしか見れないとか好き勝手言われてたね」
吽泥は数年前の順位が書かれた紙のこの順位である理由のところに書かれていた言葉を思い出してぼんやりと呟いた。
「凡陸様、誰か結婚したい相手とかいないの?女神じゃなくて男神でも一応結婚はできるよ?」
そう、なんなら男同士女同士は姿を変えることのできる神の間ではあまり重要な問題ではない。
もう凡陸様が男の方が好きだというのならそういう選択も視野のうちにあるのだ。まあその場合確実に女神たちは涙を流すことになるだろうが。
「そう詮索するものではない。…自分は未だ嫁を取る気などないぞ。…………………告げるわけには、いかぬからな」
最後のセリフは掠れるようにほとんど息を吐くような声音で呟かれたものだったが、獣の耳を持つ二人にはしっかりと聞こえてしまっていた。二人は顔を見合わせて全く同じタイミングで目を瞬かせると、数秒後に意味を理解してともに頬を赤く染めた。
(えっ、これってつまり凡陸様にはもう好きな相手がいるってこと!?)
(聞いた感じそういうこと…だな!?嫁って言ってたし女神だな…誰かわかんないけどいらっしゃるんだ)
ただ自分たちは主神の将来的な話を聞いただけのつもりだったがまさか不意にそんな新事実を知ることになるとは。二人は焦って背中に変な冷や汗をかいたが、まず一番最初に思ったのはただ一つ。
((ここに愛爛がいなくてよかった…!))
ちなみにその時愛爛は自分の主神の恋愛フラグを感じ取りこちらはこちらでそれどころではない状況であった。




