第三十五話 施行的夢渡
その後、紀清は一人ではこの件は手を負えないと、翠河と関わりの深い者たちを集めて協力を仰ぐことにした。念のため留守の間に翠河に何かあるといけないので霞ノ浦を先に江室へ呼び、事情を伝えて翠河のことを見ていてもらうようにお願いすることに。説明を終え最後に「…翠河がお前のことを覚えているかどうかは現状不明だ。」と締め括ると、霞ノ浦は先ず驚きに目を見開き、不安に瞳を揺らしながら今にも翠河の下に駆け出しそうな様子で手を膝の上で握りしめていた。その様子は翠河の様子を純粋に心配しているような素振りと同時に、何か違うものを思わせる仕草だった。
それを見ていた紀清は目を細めながら内心(おっと…これはもしかして、すでに知らないところでそう言うフラグ立ってた感じ…?)なんて思ったりもしたが、それならばちょうどいいとばかりに霞ノ浦に翠河の見張りを頼むことにした。
「私が出ている間、翠河の面倒を見てほしい。何かあれば時雨に伝えてくれ。時雨は私の御守りを持っているはずだ。」
「わかりました。…翠河は、その…大丈夫なのでしょうか。」
「…それを今からなんとかするのだ。翠河も今不安であろうし、それにいつ敵が来るかわからん。関わりの深い者の記憶はかろうじてあるようだったから、きっとお前のこともわかる…筈。翠河も話し相手がいるだけで気が紛れるだろう。私の私室に今いるから、心配なら行きなさい」
紀清が促す様にそう言うと、礼もそこそこに霞ノ浦は江室へと駆けていく。
紀清は氷雪丸と共に次世代組と五神に協力を申し出るために外に出る準備をする。いつもは翠河がしている役目ではあったが、今は勿論そんなこと頼めるはずもないので時雨が代わりに上着をもってきてくれたし髪も結ってくれた。
しかし紀清としてはいつも通りに振る舞っていたつもりだったものの、やはり何か違和感があったのだろう。髪を結っているとき、時雨が気を使うように鏡越しにこちらを伺いながら話しかけてきた。
「あの、紀清様…」
「…何だ」
「翠ちゃんのことは私もびっくりしました。…でも、紀清様がそんなに責任を感じないでください。私だって、ずっと近くで見てたのに何にも気が付かなかった。…きっと、敵が上手だったんです」
だからって仕方ないことだとは言えませんけど…と後半に行くにつれ声が小さくなっていく時雨を見て、紀清はそんな時雨に気を使わせてしまった事を申し訳なく思った。時雨はその後も紀清を元気付けようと色々言葉をかけてくれたが、しかしどんなに言葉を尽くされたところで紀清の気が晴れることはない。
(俺が一番近くで翠河のこと見てたはずなのになあ…)
勿論初めのうちは主人公として物語の中心として、それを監視するような意味もあった。しかし、途中からはただ主人公だから好きと言うわけじゃなく、人間としてその素直に慕ってくれる純粋さを可愛く思ってそばに置いていたつもりだったのに、…何も気が付かなかった。
思えば三年前のふらついていた時が唯一の手がかりだったのだろう。それを追求しなかったのは紀清の落ち度だ。紀清は気が晴れないまま水泉邸の門を潜り出て行く。心配そうに目を向ける時雨は師の背中が見えなくなるまでその背を眺めていた。
その後、紀清は今世紀最大に走り回ったと言わんばかりの速さでそれぞれの五大神派をめぐって協力を申し出に行った。なんだかんだ翠河と一番弟子たちの関わりが深い火峰派と土丘派はすぐに協力を申し出てくれたし、なんならその弟子たちが今すぐ向かおうと主神の手を引っ張って水泉邸まで走って行ってしまった。
逢財と王林に関しては翠河と特に関わりがあるわけではなかったが、今回の夢渡においてどうしても術の扱いに長けている文神の二人の協力が欠かせず、紀清は頭を下げる勢いでお願いした。
だが意外なことに逢財はともかくあの王林までもが二つ返事であっさりとOKの返事を返したので、紀清は逆に呆気に取られてしまった。そんなにあっけなくていいのか…
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「翠河はこの中だ。今は霞ノ浦が相手をしているは…ず……」
「…あらぁ」
皆が水泉邸に集まり、早速翠河のいる江室に入ろうと扉を開けた瞬間、霞ノ浦と翠河が手を取り合って顔を近づけて話している姿が先ず目に入った。紀清は思わず動きを止め、この扉を締め直すべきか真剣に2秒ほど悩む。それを面白がって覗きに来た冥炎が良いものを見たと言わんばかりに笑みを浮かべた。
霞ノ浦は頬に涙の跡があり、ひと目で泣いていたことがわかる様子だった。あのなんだかんだ精神的に強い霞ノ浦が泣いていると言うだけでも相当の事なのに、翠河と互いに手を繋いで顔を寄せている…
(一体何事…しかしこれは…)
頭に疑問符を浮かべながらも紀清は心の中でサムズアップした。俺こういうのが見たかったんだ。殺伐とした展開の中の心のオアシス…それはヒロインと主人公の恋愛…
しかしこちらといえばそのあまりにもいいとこを邪魔してしまった母親のような構図に勝手に気まずくなり、互いに向き合ったまま無言の時間が流れた。王林が扇を広げて「おや、お邪魔してしまいましたか」と揶揄うように言ったことで、翠河と霞ノ浦が慌てたように手を離して顔を赤く染める。翠河はなぜか背を正してベッドの上で正座をし、霞ノ浦は慌てて目元を裾で擦った。
「………良い…」
そんな二人の姿にかなり後ろの方で冥炎の手を引いていた愛爛が目をきらりと輝かせる。恋の女神は身内で新しいネタを手に入れた。
状況はかなり切迫しているものにもかかわらず、どこか流れる空気は締まらない。冥炎が目を光らせている弟子の頭をぽこっと可愛らしい音を立てて叩いたあと、一歩前に出て翠河の顔を見た。
「記憶を無くしたって聞いていたけど…霞ノ浦ちゃんのことはわかったの?」
そのまま冥炎に顔を近づけられて問われた翠河はこの三年間で冥炎の美しさにも慣れて紀清も感嘆するほど上手くあしらって会話できるようになっていたものの、今はそんな姿がまるでなくまるで初めて会った時のように緊張に顔をこわばらせながら「い、いいえ…」と声を漏らした。
「初めは彼女のことも朧げで…師匠ほどはっきりと覚えているわけでは無かったのですが…
師匠の帰りを待っている間に色々と霞ノ浦が僕の周辺の方々のことを教えてくださったんです。あなたは愛爛の側にいたと言うことは…冥炎様、でしょうか」
「正解よ。困ったわね、五神の記憶まで取られてるだなんて。私結構会ったことあるのにねぇ」
「も、申し訳ありません…」
「これは…やはりどれだけ近くにいたかが僅かにでも覚えている基準になっているのだろうか。」
「それなら紀清殿が一番記憶に残っていた理由もわかりますね。ずっと雛鳥のようにくっついていましたから」
翠河からすれば霞ノ浦からの話で聞いたとはいえこの場にいるのは皆知らない者ばかり。次々と自身の上で交わされる会話に心細さを感じ、思わず近くにいた霞ノ浦の服の裾を掴んだ。霞ノ浦はそれに驚きつつも安心させるように片手をその上に乗せた。
「それにしても記憶を取られちゃうなんて、本当に大変なことだわ。相手はもう殺っちゃうしかないわね」
(今の絶対字が“殺“だったな…物騒すぎるだろ…)
あっけらかんとそう言う冥炎に紀清は本能的な恐怖を感じ思わず手をさすった。
「カハハ、そうであろうなあ。神に手を出したと言うことはその者は人間にも勿論危害を加えるだろう。妖かどうかもわからんが、その前に我々で退治してしまわねばならん」
「その通りダ。お前さん、様子から見るに我らのことは覚えておらンのだろう?」
今まで部屋の間取りなどを調べて会話に参加していなかった逢財だったが、一通り済んだのか腕を組みながら翠河の目の前にやってきた。
「はい…申し訳ありません」
「良い良い、仕方ないのだ。ほら、紀清もそう暗い顔をするナ。ようは敵を捉えて記憶を返却させればいいのダ。我々五神が揃ってそうそう敵を逃すことはない。翠河もお前が不安そうな顔をしていると不安になってしまうぞ」
「…」
時雨だけでなく、逢財にまで落ち込んでいる様子を指摘されてしまった紀清は思わず恥ずかしさに顔を背けた。
(なんだなんだ、俺はそんなに何かダダ漏れ出るのか…?)
「ふふ、紀清殿は意外とわかりやすいのですね。一番弟子の危機ともあれば流石に動揺くらいする、と…」
「…当たり前だろう」
王林に煽るように言われたものの、いっそ開き直ってしまえと紀清は首を捻りながら逆に煽り返すつもりでそう言った。それに翠河が目を輝かせ、王林は驚いたように数回瞬きをする。
「美しい師弟愛何よりダ。では役割分担と行こうじゃないカ」
それを見た逢財が揶揄うように笑ったあと、天に手に持っている札を掲げて宣言するように口を開いた。
「これより術の執行は我金岳派の主神逢財と木谷派の主神王林が執り行うこととすル。良いな、王林」
「ええ、勿論。将来有望な若い芽を摘むようなことは許されませんからね」
(白々しい…)
「夢の中に入ることができるのは関わりの深い者のみ。霞ノ浦の記憶が少しでもあることがわかってよかったナ。夢に入れるのは愛爛、阿泥、吽泥、霞ノ浦。そして紀清…お前が行くのダ」
「はい。」
「はーい!勿論!」
「もし外されてても無理矢理行くつもりだったぜ!」
「阿泥、それは流石にダメだよ。でもボクだって翠河を助けたいんだ、まかせて」
弟子達の頼もしい答えに満足げに頷き、逢財は次に冥炎と凡陸に目を向けた。
「お前達には術の補佐を頼みたイ。我々は此処から動けなくなってしまうからナ。抜け殻になった体の警護を頼んだぞ」
「はぁ〜い。」
「承知」
王林と逢財が翠河を中心に陣を描き、札を部屋中に張り巡らせて簡易的な神域を作る。
「紀清よ、敵の本来の目的が不透明である以上何があるかわからぬ。弟子達を守れヨ」
「はい。勿論」
この中で一番年長であり一応上の立場でもある自分が次世代組を守るのは当然だよな、なんて思いながら紀清はそう答えたものの、そのやりとりを弟子達は気にいらなかったようで頬を膨らませながら抗議するように口を開いた。
「もう守ってもらうほどアタシたち弱くないもん!」
「オレ達もうスッゲー強いんだからな!もう土丘派内では凡陸様以外誰にも負けねぇんだぜ!」
「ボクらが力を合わせたらすぐに悪いやつなんてやっつけられるよ」
口々に反論するその威勢の良い姿に逢財はカカ、と笑い声をあげてそれぞれの頭をぽんと撫でた。
「皆仲間思いで大変よろしイ。既に準備は整った。夢渡りを今から始めるが…よいナ?」




