第三十四話 回顧的悪夢
思い返してみれば、夢妖と名乗るその男は初めからやけに友好的に翠河に近づいてきた。まあ勿論姿は見えず最初から最後まで同じように天から声がするのみだったが、夢の中ということもあり特に警戒することもなかった翠河は彼とそのまま話し込んだ。すると、やけに話が合う。今思えば、それはあの男の巧みな話術によるものであったのだろうと予測はつく。
そうして仲良くなったと思ったところで、唐突に目の前にあの獏が現れた。天から聞こえる声は言う。
「んじゃあ友好の証に……今までのことは全部ナシって事で」
「え…?」
指のなる音が響いたと思うと、次の瞬間鮮やかな手口でそのまま翠河にとって思い返すこともないほど些細な日常の思い出程度の記憶を獏に食わせ、その日の記憶も消されて翠河は夢から覚めた。
それから夢妖は翠河の知らぬうちに何度も記憶を奪っていった。そして同時にその時の記憶を消してしまうため、翠河にとっては合計何百回も「はじめまして」を繰り返していたのだ。
そのことを話しながら、翠河は正直ゾッとする思いだった。三年もの間ずっとその男はそんなことを翠河1人に繰り返していた。一体何の目的でそんな手間のかかることをしていたんだ。
そしてだんだん、後になるにつれて夢妖は翠河に鬼術を教えたがるようになった。
つまり、初めから目的は鬼術を伝えることなどでは無かったということだ。では、何故翠河が狙われたのか。まさか本当に鬼術のためだけにこんなことを?だとすれば、それはおかしい。あの男はすでに人の理から外れていた。ならばそう急いで術を伝える必要もない。翠河がその男の姿を直接見たことは一度もないが、核が弱っている様子もなかった。
「一体、何が目的なのでしょう…」
紀清はこの話を聞いて、険しい顔になった。
(氷雪丸…きいてたか?)
《勿論きいてましたよ。》
(これ…結構まずい状況なんじゃ無いか)
《はい。激ヤバですね。どうやらこの世界は未だに彼が“苦難に立ち向かう主人公“であることを諦めきれないようです。》
(…なるほど、なあ…)
そうか、やはり主人公はその役目から逃れることはできなかったと言うことか。この三年があまりにも穏やかだったせいで半ば忘れかけていた。元々妖に対抗できるように修行させていたと言うのに…まったく。紀清は甘い考えをしていた自分に対して呆れ大きく息を吐いた。それに翠河がびくりと体を揺らす。
「…師匠。私は、一体どうなっているのでしょう…失った記憶は、元に戻るのでしょうか…」
不安げに瞳を揺らしながら顔を白くして震えるそんな翠河の姿に、紀清はたまらなくなって軽く翠河の頭を胸元に抱き寄せる。そのまま髪をとくようにして翠河の頭を撫でた。
「大丈夫だ…必ず、この師がなんとかする。してみせる。だから安心しなさい。」
我ながら距離を詰めすぎたかもしれない、なんて思いつつも翠河を不安にさせないように努めて優しい声音でそういうと、やはり気丈に振る舞っていたものの不安だったのか、翠河は紀清の胸元で音もなく涙を零し始めた。そっと紀清が目元にあてた袖がじわりと濡れていく。
しばらくそうした後、翠河が落ち着いたのを見計らって紀清は声をかけた。
「落ち着いたか」
「…はい、みっともない姿を見せてしまい…すみません」
「否、記憶が奪われているのだから不安にもなる。お前は何も悪くない。
…一つ確認だが、敵は夢を媒介にして接触してくるのだな?」
「はい」
「では……夢渡りの術を使うべきか」
「…夢渡りの、術?」
紀清は潤んだ瞳のまま見上げる翠河の頭をひとなでし、これから自分が何をするべきか思案した。




